お坊さまと鉄砲のレビュー・感想・評価
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与えられた民主主義
チベット仏教への信仰厚い、「幸せな」人々。
政府が民主主義を持ち込み、選挙なんか導入するもんだから、仲良く暮らしていた人々に対立が生まれる。「私達は今までもずっと幸せだったわ」と言う主婦の言葉は、ここに住む多くの人たちの代弁のよう。
こんな人達を敢えて近代化する必要があるのか、とも思うけど、世の中は甘くない。
ネイティブアメリカンとか、アボリジニとか、自分たちのペースで満足して生きていたであろう人々が、外から突然入ってきた知識と技術と武器を持った野蛮なこすっからい人々に騙され迫害され、生きてきた土地を追われ生きる術を奪われる理不尽は、歴史上たくさんある。
国内でも全員がチベット仏教への信仰に沿って善きように生きて、善き国王の善政に従う人々なら良いが、外部からの刺激はすでに一部に浸透していて、何も知らない善き人々を食い物にする者共が出てくることに、国民自らが身を守る知識が必要にもなってくる。
国の近代化は、生き残りのためには必須のよう。
なので国王はまずは自ら退位して国を民主化、国民の近代化を図る。さすが民に慕われる人物だ。
「幸せ」なのは「知らないから」という側面があって、ここの生活が貧しいとか不便だとか、相対的なことは他を知らなければ分からないので満足していられることもある。権利も、あることを知らなければ、そういうもの、と思うのでは。
全員が「知る」ことで困るのは、知らない人々の上でいい思いをしてきた、既得権のある人々でもある。
ウラの人たちが民主主義や選挙に困惑するのは、それが自分たちが希望して得たものではないからというのが大きいでしょう。
他にも、やはり民主主義を上から「与えられた」国を知っている。
「与えられた」当初は戸惑っただろうが、あっという間にそれがどれほど国民ひとりひとりを守るものであったかわかるようになったと思う。
そういうものではないでしょうか。
ブータンは今、どのように進めば良いのか模索している、とエンドタイトルに出ていた。
基本的にほのぼの笑える映画だが、困惑する様をちょっと面白く描くのみで、押し付けられた民主主義の皮肉を露悪的に見せているわけでもないのが良かったです。
銃が必要だったのは、平和を祈るためだという理由にぐっと来ました。
本当は全世界の人たちがこんな気持で生きていけたら良いのですけどね。
幻の高価なビンテージ銃を目の前で埋められ、大枚はたいてインドから取り寄せたでかいAK-47を2丁もお供えしたコレクターは可愛そうだけど、逮捕されたり命取られたりよりマシ。あの返礼品は、持って帰れないよね。
選挙の仕方を教えるのに、他の陣営と対立せよ、までするってどうなの❓
銃を担いだ物騒な仏僧とか、お坊さまの説法、じゃなく鉄砲、とかしょーもない日本語のダジャレが浮かんで来て脳内で脱力しました。
幸せってなんだろうなあ
民主主義を知らない国での初選挙の話。
模擬選挙で、主張の違う相手と憎みあえと煽る役人。
選挙の後の未来(支援後の見返り)を信じ、村の大勢とは違う候補を強く推して周囲から浮く男。
男が選挙にのめりこみ、母や村人との心理的解離や疎外感を感じ、選挙なんてないときのほうが幸せだったと言う妻。また妻は役人に、命がけで私たちが選挙権をもとめなかったのは、私たちにそれが必要なかったからだと言う。
ラマの弟子であるタシ師は、仏陀の教えでないなら、なぜ民主制が善であるとわかるのか、と、どこまでもフラットに役人たちに問う。
全編に渡って、それぞれの登場人物の求める幸せや思惑が語られるなか、幸せってなんだろうなあとずっと考えてしまった。
役人や警察などは仕事を達成することが幸せ(目標)で、男は子供の未来のために特定候補が勝って見返りをしてくれる(と見込んでいる)ことが幸せで、妻は選挙なんかしなくても家族が仲良くいたときが幸せだったと言う。
少しずつ、または全く掠りもしないそれぞれの幸せを彼らは思い描いている。
これまでに聞いたこともないやり方(選挙や近代化)で、これから彼らは「幸せ」を擦り合わせなくちゃならない。そして、彼らが今求める幸せは、彼ら自身にとって、本当に善の結果になるのかすらわからない。なぜなら、既知の過去からしか幸せは思い描けないから。
村の中で、家族が仲良くうまくやっていっても1ヶ月に一度のご馳走だけが楽しみの生活以外の生き方があるかもしれない。
でも、外からどう見えようが、彼らが幸せかどうかも彼ら自身にしかわからない。
主義主張が違っても、一見愚かしくても、それぞれの幸せを暴力や争いによることなく、擦り合わせていくしかないんだろうなぁ。望んだ幸せにならなくても。
最後にロンが手に入れたのも、暗喩としては同じものでもあるし。
真っ赤な(ティン)ポー
世界一幸せな国ブータン。オールバックヘアスタイルの若い国王はジョニー大倉にアントニオ猪木を足して割ったような感じ。お妃がめちゃくちゃ美人。そりゃ、国王は幸せに決まってる😎
チベット仏教を国教とする唯一の国(チベットが中国に侵略されたため)。ラマ(高僧)を敬う信心深い国民性。国会も選挙もなくても幸せだった。
それが、国王の判断·決定で近代化を目指し、議会制民主主義を取り入れた立憲君主制になった。一度も選挙の経験がない国民に対して選挙委員が模擬選挙を行うこととなった。しかし、小さな村に対立候補をめぐる諍いの芽が生じ、かえって庶民の幸福度は下がってしまうことに。
ラジオで選挙委員会の女性が村に来ることを知った村の高僧は弟子の僧侶に模擬選挙が行われる満月の日までに銃を2丁用意するように命じる。「世界を正すため」とだけ弟子に言う。
その頃、観光立国ブータンの観光案内人の男は病弱な妻に内緒でアメリカ人の銃収集マニアの男を空港に迎えに行っていた。インド以外とは厳しい入国制限をしているブータンでは観光以外の商取引目的の外国人の入国に警察は目を光らせる。
ある老人の家にねむっていた一丁の鉄砲の情報を探り当てた案内人。アメリカ人によれば、その鉄砲は南北戦争時に使われた超ビンテージ物で、マニアの男は350万ニュルタム(=インド・ルピー)出すというが、老人はそんな高額は受け取れないという。チベット仏教の教えにより欲が無く、慎ましく、清貧な暮らしをしているブータン人の人柄がよく出ている微笑ましいシーン。金を用意して次の日に再訪したが、老人は一足先に訪ねて来た若い僧侶にラマへの供物として銃を渡してしまったあとだった。信仰のためとあらば、私利私欲を投げうつ国民。
悪い官僚もいるには違いないのだが。
公開写真の一つの右端に何やら赤く塗装された先の丸い、エラのついた道祖神型のロケットランチャーを抱えた爺さんがいるのがとても気になっていたが、やはり最重要アイテムだった。
ポーと言うらしい。玄関の両脇に2本置いてある家もあるそうだ。魔除けの御守りの意味があるそうだ。
高僧が2丁といったのは、儀式には二本の対で一式のアイテムとして用いようとしたからではなかろうか。
ホントは高僧がいつランボーに変身するのか待っていた😅
アメリカに対するキョーレツな皮肉は(アジア人として)とてもスカッとしたし、なるほどと思った。さすが高僧。
ブータンに行って、ポーのお土産を一対買って帰り、玄関に飾りたいが、酸素が薄いからどうしょうかと迷っている。
とりあえず、1本ならあるにはあるが、2本ないとだめなのだよ。
お金よりも大事なもの
国王の退位により立憲君主制へと移行することになったブータン。模擬選挙が実施されることを知った僧侶は次の満月までに銃を2丁用意して欲しいと弟子に頼むが…。
銃を巡る展開はなんとも滑稽で、初めての選挙に戸惑う人々、豊かな自然などブータンの魅力が詰まった作品でした。
なぜ、銃が2丁必要なのか?と思っていたのですが銃を向け合う同士ということで2丁だったのかな…と勝手に解釈しました。
近年ブータンは色々と変化を遂げてきている訳ですが、この国が持つ心の幸せを重要視する様が滲み出ていて、銃を必要とした理由が判明する僧侶の言葉にはジーーンとしました。
年明けの1本目が本作で良かったと感じた今日この頃です。
ファンタジー❓
映画の日、元旦、新宿武蔵野館の午後でほぼ満席。王政から民主化へ田舎の小さな村を舞台に模擬選挙が開かれる事になるが、何故か瞑想中の高僧が修行をやめ銃を持って来いと弟子に命じるが。ブータンの知識が国力や国民生活を国民幸福度で計る小国と言うぐらいしか知らず、それって貧しさを誤魔化してユートピアみたいに見せているだけ❓と穿って見てしまうけど。
ストーリーはドタバタでもなくニヤリとするぐらいで、アメリカを皮肉り物欲を否定するスピリチュアルさがどうも気になってしまった。
でも、高僧が銃を欲しがる意味がラスト近くでわかるのは上手く、しかも弟子の僧が欲しがる銃が007慰めの報酬❗️世界一有名な銃、自由戦士の銃、カラシニコフ❗️
見終わり、ナイフまで仏塔に埋めていたけど、やり過ぎだよ。
民主主義の限界
「山の教室」をアマプラで見て感動して「お坊さまと鉄砲」は劇場で見た。「山の教室」のようなわかりやすさはなく考えながら見る映画となっていた。お坊さまがなぜ銃を必要とするのかという点は最後までわからないため眠くなることも・・・。私なりの解釈は「民主主義の未完」だと思った。民主主義がそんなにもいいモノであるならなぜ米国は銃社会であり、銃を捨てられないのか?という点と、すべての災厄の元は結局「銃」を使った民主主義とは真逆の力による統治ではないかと監督は観客に訴えかけているのだろう。しかし王様が退位してまで体制移行を決意したのだから民主主義自体は悪いモノではないとも言っているのだろう。また選挙による分断が描かれる点はトランプをこすっているのだと思った。「山の教室」のような見る薬のような映画ではなく私としては政治色が強すぎると感じた。しかし日本のようにトンデモ政治家や評論家が「民主主義の危機、民主主義を守れ!」と叫んでいる国よりよほど健全だとも思った。
幸福度ランキング一位の憂鬱
文明の発達は、必ずしも人間の幸福に結びつくわけではない『お坊様と鉄砲』、いや不幸にすることのほうが多いのでは、そう考えさせられる映画です。でも、もう後戻りはできないですよね、後は破滅に向かって急ぎ足でゆくか、足るを知るがごときノンビリ生きるか。
世界一幸福な国「ブータン」のはずなんですが
物語は、2006年のブータンが舞台。
それまでの国王による王政から、民主主義国家へ向けて初めての選挙が。
それまでの、ブータンはほぼ鎖国状態に近い国。
日本では、「世界一幸福な国」として、有名なんですが。
その根拠は、世界幸福度ランキングなるもの。
2013年に欧米の国に次ぐ、8位にランキング。
あの、後進国がなぜとなったわけで。
まあ、国際舞台にいきなり登場して、アジア最上位ですから。
みなは、驚いたんですが。
しかし、この話は後日談とでもいいますか。
その後のランキングは、2019年に59位にランキングされたのを最後に。
もはや、ランキングインすることは、ありませんでした。
そんな、アジアの仏教国ブータンの初の選挙。
鎖国は、悪いことばかりではない。
日本だって、徳川家が政権を担っていた江戸時代、300年間鎖国をしていたわけで。
その間に、科学技術や産業面、とりわけ庶民が困ったのは、医療の立ち遅れでしょうか。
平均寿命も短かったし。
子供の死亡率も高かった。
だけど、文化面では、庶民の芸能や浮世絵を中心に。
世界で類を見ない、独自な表現と発達。
いまでも、世界に誇れる文化が、開花した時代。
ブータンとて、どうだろう、文化面では、詳しいことはわからないけど。
人々の幸福度は、この映画をみれば、自ずと伝わってくる。
とりわけ日本もそうだけど、仏教国は、穏やかで、質素な国民性。
それは、この映画でも随所に感ぜられる。
産業革命とキリスト教を同列で捉えることはできないけど。
どうしても、文明開化、産業の発達、キリスト教の布教解禁。
そんな、キーワードでみてしまう。
幸福の度合いっていったい。
映画でも、素朴な生活しか知らない、村の民は、幸せそうだ。
そう、幸福と感じる器の大きさが、小さいのだ。
だから、僅かなことでも幸せと感じてしまう。
でも、日本でもそうだけど、産業の発達、恵まれたインフラ。
生活をより便利にする環境と道具。
文明の発達とともに、幸福と感じる器が、だんだん大きくなるのです。
ですから、ブータンも幸福度ランングから外れてゆくのも納得。
映画は、まさにその入口あたりで終わってます。
ただ、あの頃は良かったで終わらせたくないなと。
現代日本だって、そう悪くはないと。
まあ年齢にもよりますが。
若者が、より良く、より多くは当然のこととして。
かたや、生きていく最小限が満たされていれば、あとは儲けもの。
こんな考えになれればいいなと。
蛇足ですが、これをお薬で満たそうとすると。
ヘロインということになります。
代表的な、幸福と感じる器を小さくしてくれるお薬。
ただ、手を出せば、短い人生が。
あと、薬欲しさに犯罪にとか。
まあ、やめといたほうがいいですね。
とにかく、人間は、欲の生き物。
これを上手くコントロールしながら。
あるいは、適当にごまかしながらやっていくしか。
しょうがないですよね、それが、人間ですから。
王制国家から民主国家へと変化するブータン。その過程を描きながら観る者に「ブータンらしさ」と「幸せとは」を語りかけてくる作品です。
「ブータン 山の教室」の監督作品第二弾です。ふむ。
ペム・ザムちゃん元気かな…(←登場しません @-@;エッ)
まあ、何はともあれ観てみましょう、ということで
鑑賞した訳なのですが
作品として、何を描きたいのか何を伝えたいのか。
そういったメッセージが余り伝わってこなかったカモ…。
というのが正直な「鑑賞直後の感想」でした。 ・△・;
王国制度から民主国家への転換。
初めて行われる、国の代表を決める選挙。
その選挙に向けた、模擬選挙の実施。
選挙のことを理解していない村人への周知。
そのために、選挙推進の役人がやってくる。
投票先の政党を「色」で選ぶという投票スタイルなのだが
国王のイメージ色「黄色」が圧倒的に票を獲得。…・_・;
” 模擬選挙は失敗だ… ” と、思わず口にするお役人…。
◇
この、「国王の色に98%の票」が入るという結果は
選挙の趣旨からすれば「選挙が理解されていない」と
いうことになってしまうのでしょう。 …けれど
” 王様のイメージ色に98%の票が入る ” ということは
どれだけ国王が国民に慕われているか、のバロメーター
になっているとも言えるのではないかと。・-・
転換期の混乱はありながらも、近代化を図るブータン。
#国の在り方の変革は、誰が求めたのか?
#誰のための、そして何のための民主化なのか?
#民主化が争いや対立の元になるのなら本末転倒だし…・△・
…そんなことを考えながら1週間が経過。…@-@;;
原点に帰って考えてみました。・-・
◇
僧侶が銃を求めたのは何故なのだろう。
1丁だけではダメらしく、「2丁」必要だという。
模擬選挙の話と並行して、銃の入手に関わる話が進む。
それに伴い、次第に明かされてくる僧侶の胸の内。
” 古来、争いの元は大地に埋め上に仏塔を建ててきた ”
#いま、民主化の名の元に国民が割れている。
#この状況が続くことは、国のために良くない事。
#2丁の銃は、争いの象徴。埋めよう。
銃を調達してきた売人は、インドから密輸してきたらしく
バレたら当然、やばい。実際、仏塔建立の式典会場で
「なぜ外国人がここに?」
と咎められかけ
「この銃は仏塔の礎に埋めるため持参した」
と理由を説明して、地元警察を納得させていた気がする。
そしてその銃2丁は、平和を願う仏塔の礎となった。
” 武器よさらば ”
ブータンに争いはふさわしくないよ と。
これが、監督の発信したい一番のメッセージなのかも。
そう理解しました。・-・
※銃が2丁必要な理由は、「敵も味方も」争いの元を手放さ
なければならない という想いからなのでしょうか。
◇
話全体の構図が分かりにくい気がしましたが(…かなり・_・;)
ブータンの行く末を案じる気持ちは、じわっと伝わってくる
そんな作品なのだと思います。
※ただ、前作(ブータン 山の教室)のように、映像的に心に残る
場面はあまり無かったような気がして、それは残念でした。
※ブータンの2000年代にはいってからの国の状態や変遷を抑えて
から鑑賞しないと、本当の理解が難しい作品なのかもしれません。
◇あれこれ
■タイトル
英題「The Monk and the Gun」
翻訳「お坊様と銃」
お坊さま=モンク 。
初期の「ファイナルファンタジー」のジョブに「モンク」というの
があったなぁ と、遠い目になりました。
FFはⅣくらいまでしかプレイしていないので、モンクという職業が
いつ頃まで存在したのかは分かりません。
個人的にはドラクエシリーズの「武闘家」という職業が好きでした。
素早いし改心の一撃出やすいし。 モンクなしです。 …あ。
■銃
タイホから逃れるためとはいえ、高価な銃を穴に埋めた売人。
その嘆きと損失は如何ばかりか。これはこれでお察しします。
平和の礎となってめでたしめでたし。
※ブータンの軍隊にも無い最新式の銃、と言っていた気が。
後でこっそり掘り返しに戻っていたりして…。
■作品の順番
今気付いたのですが、この作品のほうが
「ブータン 山の教室」より前の時代を描いた作品なのでしょうか?
民主化は2008年で、この作品はそのころを描いたお話。で
「ブータン 山の教室」は、2019年の制作。
うーん。ま、いいか。 ・_・/☆
ベグ・ナムちゃん達が元気で静かに暮らしているのなら。
■メイド・イン・ブータン
作品鑑賞特典に「ブータン産レモングラス入り煎茶」のティー
バッグが付いてきました。
ヒマラヤ山中に自生している葉を地元の農家の方が積んでいる
のだそうです。ブータンからの輸入品です。・_・~
どんな味なのかな。
もったいなくてまだ飲んでません。 ← ケチ
◇最後に
ブータンを更に知ろうとするきっかけになる作品かと思います。
前の作品「ブータン 山の教室」が、そこに暮らす人びとの
「個人の生き方」を描いた作品とするなら、 今回の作品は
「国の在り方」「人の心の在り方」を描いた作品なのかと。
そんな風にも思いました。 ・-・ハイ
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
AK-47がぁぁぁ・・・‼️
この作品、名作「ブータン 山の教室」の監督の作品とのことで、期待してたのですが、期待通りの名作でした‼️2006年、民主化を進めるブータンで模擬選挙が行われることに。初めての選挙にブータンの人たちは緊張と困惑気味。そんな時、周囲を山に囲まれたウラの村で、高名なラマ僧が若い僧に次の満月までに二丁の銃を準備するよう言い渡す。そしてアメリカから来たロンは、アンティークの銃をウラの村で探していたが・・・‼️突如訪れた民主化、近代化に戸惑う人々の姿を描いた、まるで昔の日本の市井映画のような味わいの作品ですね‼️同じかどうか分かりませんが、初めてのストリップショーに村中が大騒ぎになる、木下恵介監督「カルメン故郷に帰る」を思い出しました‼️民主化に戸惑う様々な人間ドラマが描かれるわけですが、支持の違いから母と口も聞かない夫や、学校でイジメに遭う娘を持つ女性の「民主化じゃなくても、今までだって幸せでした」のセリフが胸に沁みる‼️そしてアンティークの銃を手に入れようとするロンと、ラマ僧のために二丁の銃を手に入れようとする若い僧のシークエンスが絶妙に交錯し、ドタバタを繰り広げるわけですが、なぜラマ僧が銃を手に入れようとしていたのかが判明するクライマックスは、民主化、近代化への移行を理想的な形で人々に納得させる、善意に満ちた名場面ですね‼️ホントに素晴らしい‼️若い僧が美しい花畑を横切るラストカットも郷愁に満ちていて印象的でした‼️前作「ブータン山の教室」といい、今作といい、今後ブータン映画には要注目ですね‼️
蒐集家と男根
銃を求めるタシとロンの2組と、それと並行して選挙委員会の活動や国民の反応を見せていく。
ニアミスやら逆値切り交渉などは面白かった。
ただ、物語としての起伏には乏しく、よく言えば穏やかだが眠くもなる。
ハッキリ言って銃の活用法に意外性はないし、二丁であった理由も不明だ。
「満月までに」という台詞も意味深にするためだけで、普通に「模擬選挙までに」って言えよ、と思う。
そして、俗に塗れた人間としてはロンがひたすら不憫。
ブータンの法には触れてたのかもしれないが、彼はただのコレクターで悪人とまでは言えない。
その彼が、ひたすらに裏切られ、振り回され、散財させられ、男根を得る話とも言える。
口約束とはいえ即刻反故にする銃の持ち主に、必要な理由も知らずに007にかぶれてAK-47を選ぶタシ…
勿論コメディなのだろうが、気持ちよくは笑えなかった。
支援する候補による軋轢を大人と子供の両方で見せてくるけど、主張も人柄も知らないのでよく分からず。
(どっちも物で釣ってる感じでロクでもない?)
模擬選挙の練習では「憎め、見下せ」なんてとんでもない指導が行われてもいる。
民主主義に移行する土台はまったく出来ていなさそう。
最も大事なことを目に見える形で示すという行為自体は素晴らしいと思う。
しかし、田舎の村でやってどれだけ効果があるかは疑問。
個人的には、51歳の若さで主権を手放す決断をした王の方に興味を惹かれてしまった。
コメディ?
2006年変化が訪れた。
テレビやインタネットがブータンに入ってきて、国王が国民がリーダーを選べるという贈り物をくれた。(え..今になって本当かよ)でも、国民は民主主義(参政権)というシステムのもとで生活をしたことがない。そこで、今、政府がどういうものかを....
これがこの映画の出だし.....(この映画は推薦できる)
民主主義(参政権)って国王から与えられるものではなく、国民が必要だから勝ち取るものなんだよ。これの映画を観てこれを一番感じた。それに民主主義が国民にとって優先権?
しかし、テーマというより、内容が煩雑のようにみえて、深く絡み合っている。
現代の眼で2006年のブータンの社会事情を見ているので、これってコメディーじゃないのと感じるかもしれない。しかし、2006年に急に国王から「民主主義」のプレゼントをもらって、国王はいいさ、海外の教育を受けているから。他の全ての民は慌てふためいたに違いない。その様子が滑稽に描かれている。模擬選挙管理委員会、選挙人、被選挙人、村人の中でも、家族でも、また、子供の学校でも(いじめ)諍いが起きる始末。この子供の父親は娘に消しゴムを頼まれたが、選挙活動で頭がいっぱいで忘れちゃうんだよね。でもさ、笑っちゃうことに、父親は娘を街の学校に送りたがったり、物欲にも目覚めてくる。
そして、『娘に首相になれるチャンスがある』っていうけど、
娘は『首相になりたくないよ。消しゴムが欲しいんだよ』と。民主主義が逸れてきてしまうんだよね。。。。
最初のシーンではウラUra という村のラマが模擬選挙が始まるという国際ニュース(英語で)を聞いていて、僧ラマはタシTashi (Tandin Wangchuck)に、銃を2丁満月の前までに集めよと伝える。この日は模擬選挙の投票日。銃というから、米国の『銃保持の自由』という憲法を咄嗟に思い出し、民主主義と言って銃も集めるのかと勝手に思っていた。何しろブータンというとアメリカの模倣というイメージが強いから。あくどい僧侶だねと。これは私の検討はずれだと。。。後で、徐々に徐々にわかっていく。
選挙管理委員会は村人にどう投票するか教えに来た。党は3つに別れていて(Blue representing freedom and equality, red representing industrial development, and yellow representing preservation)
青、赤、黄色
村人には一番幸せをもたらす党に投票してと伝える。。。。。これも後で徐々にわかっていく。このように、私の『おもい』が方向転換してしまう。
村人たちは3つに分かれて、エイエイオーと叫ばされる。。。。この掛け声すら、伝統的な静かな生活に満足している民にとっては、 they are being taught to be rude と感じさせてしまう。選挙の練習だけで、村人や家族は分かれてしまい、揉め事になってしまう。「民主主義とは何か」を村人に一つも論じていないのである。国王の思惑をどう村人が理解できる?先に記したが、当時の国王は欧州かどこかの教育を受けてるけど、少なくても、国の方向を急激に『民主主義』にchangeするわけだからね。民主主義の押し付けを民がどう受け入れたらいいか分からなく、それぞれの民が試行錯誤していく。でも、模擬選挙の結果、『黄色』 yellow representing preservationが圧勝するんだよ。それも、黄色は国王のカラーだからだって。大笑い!国民の国王preservationの意識が強いので、黄色に入れたんだと錯覚するが、ただ、『国王のカラー』だって。投票の権利どころじゃない、呆れちゃった。黄色は使ってはダメ!将来、Change は不可能?可能?
面白いことに、アメリカ合衆国の文化の走りなんだろうねブータンの当時は?テレビって、『一億総白痴化』と言われる時代も日本にあったけど…..恐ろしいね。。。問題意識がなく、受け入れていることは。。。MTV (Money for Nothing)
それに、コカコーラのことを『Black Water』と言って注文してたよ。
はっきりコカコーラのラベルを見せてなかったけど、明らかでしょう! 米国の文化を次から、次へと取り入れて、最後には米国のゴミ(例えだけど)を全部受け入れてしまってるのかも。
ゴミは不幸にも、人間の体を蝕んだり、環境を破壊したりして、企業(現在は多国籍企業)だけが暴利を蝕んでいる。また、ジェームスボンドも庶民の人気の的であり、AK-47sも。この銃はタシが西洋文化の証だと思って、欲しいのだと思って見ていたが、イイエ、最後はこれがオチになる。
銃集めをしている、特別な銃だけだと思うが、米国人ロン(Harry Einhorn)はある村人の持っている銃は『米国の南北戦争』の銃だと判断し、買い求めたがっている。ロンはこのストーリーでは単純に歴史的な高価な銃を集めたがっていると私は判断した。村人に通訳を入れて値段の交渉に入るが、価値観の違いと言おうか、見解の違いと言おうか(ロンは金儲けを考えているかも、ラマはたくさんの人を殺したいわく付きの銃) 歴史認識の違いと言おうか。。。。おかしい。
ロンはこの歴史的な銃購買の交渉をブータン人の通訳を介してするわけだが、なぜ、ある村人が銃の購入金額に『躊躇』を示すか意味がわからない。合理主義で金銭欲の強いあるアメリカ人の典型をロンが代表している。また、ロンは 選挙管理委員会の一人に会うわけだが、ロンにとって民主主義は全く興味のないものらしく、選管とは対照的であり、滑稽だった。民主主義社会の中にいる人間にとって、それに関して興味もなく、ありがたみもあるわけじゃないらしい。ましてや、そんなこと話す気もなし、銃への執着に比べたら、取るに足らない話題さと思ってるよ。この様子がうまく描けているね。
タシは 伝統的な銃とAK-47sとを交換する意思もなく、また、大金にも興味を示すようで示さず『使い道がない』というようなことをロンの前で言う。
それに引き換えロンが一番 不信感が募り、何のためにここにいるのか分からず、伝統的な銃のみの虜になっているのが。語学のハンディーもあるし、通訳も全部通訳しているわけではないし….何が起きているのか全てを理解するのが難しいようだ。
最終的にはロンもタシとラマも選管委員会も村人も全部が丘の頂上の礼拝場?のようなところに集まるわけだが、そこには大きな穴が掘られていて、その周りに人々が集まり、これからラマの説教を聞くようだなあ、とわかる。
ここからが、『あれ!!』 なるほど、そうなったか?と。ロンは狐につままれている様だった。このシーンを是非観賞して楽しんでほしい。
選挙導入に向けての国民審査をしたと考えれば、その意図を無視したものが導入されたのかなと思った思
2024.12.17 字幕 アップリンク京都
2023年のブータン&アメリカ&フランス合作の映画(112分、G)
2005年の立憲君主制に向けての模擬選挙を描いたヒューマンコメディ
監督&脚本はパオ・チョニン・ドルジ
原題は『The Monk and the Gun』で、「僧侶と銃」という意味
物語の舞台は、ブータン中央部にあるウラ村
そこでは数少ない村民たちが暮らしていて、彼らのもとに国営放送が届いていた
国王の計らいによって立憲君主制が採択され、国民は初めての選挙を迎えることになった
そこで選挙委員会が立ち上げられ、各方面で投票登録の作業が行われることになった
ウラ村にはプバ(タンディン・プブ)が訪れていたが、一向に登録数が伸びず、都市部からツェリン(ペマ・ザンモ・シェルバ)が派遣されることになった
これらの動きを知った老僧ラマ(ケルサン・チョジェ)は、弟子のタシ(タンディン・ワンチュク)に「銃を二丁探せ」と命を授ける
そして、その期限は4日後の満月の夜までだった
一方その頃、ウラ村に住む老人ペンジョー(プブ・ドルジ)が所持しているアンティーク銃を求めて、銃コレクターのロン(ハリー・アインホーン)が訪れていた
彼の通訳にはガイドのベンジ(タンディン・ソナム)があたり、国内で禁止されている銃の売買をサポートすることになっていた
映画は、群像劇として描かれ、本筋はタシによる銃の獲得となっている
その背景に、コレクターの暗躍と選挙登録が行われていて、その当時の流れというものが感じられるようにできていた
ポスターヴィジュアルの中で、「銃を抱える僧侶が描かれている絵」が採用されているものがあって、この視点は小学生のユペル(ユペル・レンドゥップ・セルデン)のものだろう
ユペルはツェリンから消しゴムなどの文房具を貰うのだが、学校では父親の政治信条の相違によっていじられたりしていた
また、ユペルの父チョペル(チョイン・ジャツォ)と祖母アンガイ(Tsheri Zom)の支持政党が違うことで家庭内不和も起きていて、間に挟まれる母ツォモ(デキ・ラモ)は選挙に意味を見出せなかった
物語は、まさかの銃埋葬というとんでも展開になるのだが、仏塔を建てるためにはそこに何かしらを埋めなければならない
ラマが銃を選んだのは、世界中で起きている紛争の火種に政治による対立構造があると考えていたからだろう
選挙によって代表を選び、国民の声を反映させていく意味はあるものの、勝った方だけの意見を聞くとか、負けた方の意見を蔑ろにするという極端なものではダメなのだと思う
だが、今の先進国の政治を見ていると、是かと否かという分断の上で成り立っていて、宗教対立から思想対立へと切り替わっていくように見える
ラマには2005年の時点で「思想分断が幸福を壊す」と考えていて、それゆえに仏塔を建てなければならないと考えたのではないだろうか
いずれにせよ、ほんわかっぽい邦題を思うと、かなり攻め込んだ内容になっていて、そこに南北戦争(ドゥアール戦争)の銃が登場するのは感慨深い
その時代に使用されて同胞を殺した銃というところに意味があって、これはブータンと戦闘を起こしたイギリス(インド)が使用されたものだと思われる
その銃は外国からもたらされて自国民を殺したものであり、それを今回の選挙制度となぞらえているのだと思う
本来は、選挙など行わずにこれまでの国づくりを続けていけば良いものを、あえて壊して近代化させる意味はほとんどない
村民たちは「黄色(伝統の保護)」に票を集めたが、それは単なる国王の色ではなく、ブータンはこの先もこれまでのブータンであり続けたいという願いがあったのだろう
この選挙は模擬選挙だったが、選挙を導入するかどうかの国民審査のような意味もあるので、多くの人民が反対していたものを推し進めたと言っても過言ではないのかな、と感じた
宗教は欲や武器に勝る?
予告編にあったような選挙の話と高僧が銃を必要とする展開に思わせぶりがあった。アメリカ人が高値で欲しがった銃さえその高僧に譲るほど僧侶は尊敬されていて、銃取引の仲介者が警官から捕まりそうになり、処罰を逃れるために銃を供出することになり、警官の拳銃や子どもの玩具の水鉄砲さえ供出することになってしまった。高僧の願いを聴き入れたアメリカ人は、代わりに聖なる秘具を与えられることになる。執着から逃れることの大切さが説かれていた。聖書の「駱駝が針の穴を通るより難しい」という例えにも通じるが、欲張り爺さんの成れの果ての説話にもありがちな感じがする。
アメリカ人は、ブータン人から、J.F.K.やリンカーンを生んだ国と羨ましがられるが、それらのリーダーは、銃の力で倒された人々でもあったので、銃を無力化したブータン社会の力には敵わないところがある。けれども、インカ帝国を少数の軍人で征服したピサロ氏に対抗できるほどには有効ではないだろう。
『ゲンボとタシの夢みるブータン』に描かれていたような、僧侶養成教育よりも実用教育に転換しつつある傾向は、ここではまだ描かれていないようである。
(オンライン試写会は全てネタバレ扱い)発展途上国における議員選挙等の実態を見るに良い映画
今年425本目(合計1,516本目/今月(2024年12月度)4本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
オンライン試写会に招いてくださったfansvoiceさま、ありがとうございました。
ここでは「一部コメディを含む」というような書き方になっていて、確かに笑いを誘うシーンはあるものの、一方でドキュメンタリー映画でもないものの、実際に「つい最近」(といっても30年くらい前)に初めておきたブータン国内での選挙をどうするか、という趣旨を描く映画です。法律系資格持ち(行政書士)としてはこのあたり憲法論(投票権)の問題になるので国内はもちろんかかる趣旨は国外にもあてはまるので、意識的に応募したら当選しました。
ブータン自体は日本とは(台湾等と比較したときの)「極端に」いわゆる親日国ではないし在日ブータン出身の方がいないわけでもない(2021年データで410名とのこと)ですが、それでも仏教の考え方が似る等比較的親和性が強い国で、どちらかかというと日本との交流は盛んでもあります(なお、国名でブータンを漢字名で書く場合「不」が普通。「仏」だとフランスとかぶるため)。このため、国自体は少ないし交流も少ないのは確かですが、少なくてもブータン出身の外国人も日本に滞在されておられますし、文化が似るので(韓国、台湾ほかの近隣諸国では「ない」にも関わらず似て日本文化の吸収も早いとされるのは仏教の関係もあると思います)、あまりトラブルはきかないほうですね。
ただ、30年ほど前にはじまった「選挙」も何も不正をする目的もあったものではなくて、それまで「どうしたらいいかわからない」状態だったのがそのときのブータンで、そのために「選挙はこういうようにします」といういわゆる「選挙監理団体」(選挙や民主主義における選挙の不慣れに対して国連などが手助けするところ)が実際にブータンにいっており、そのときには日本も協力しています。ブータンのはじめての選挙の不正防止より、実際に「どうしていいかまるでわからないし投票用紙やら箱やら言われても何がなんだか」だったので、選挙のイロハから教えた、ということになりますね。もちろんそうして選ばれた選挙で現在は何度か選挙も行われていますが、そのたびに国連などのそうした組織の関与は少なくなり、今ではほとんど存在しない(ブータンがやや国として高地にあるため、入手しにくいものを貸与する程度にとどまっている)ようになっています。
映画で描いているのはこうした事情で、どうしても「退屈な映画」になりがちなのでギャグシーンなども若干入ってはいますがギャグシーンも単発的なもので「はじめての選挙をいかにして成功させるか」という部分に焦点があたる「準ドキュメンタリー映画」の要素が強い映画です。
映画に「娯楽性」を求めていく立場ならおすすめはできないでしょうが、教養が高まる映画ではあることは間違いない事実なので、是非といったところです。
採点上特に気になる点までないのでフルスコアにしています。
(この映画、台湾等いくつかの国の合作です。日本・ブータンもある程度の交流はあるのに、なぜ日本はかかわらなかったのだろう…。当時のコロナ事情?)
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