お坊さまと鉄砲のレビュー・感想・評価
全70件中、41~60件目を表示
ブータン愛溢れる作品
今だに自由に旅行できないブータン。
だからこそ、他の国に染まっていない、チベット的な文化が残っています。
監督の前作『ブータン 山の教室』が好きで、映画館に3回に観に行っていますが、今作も期待を裏切らない、ブータン愛の溢れた作品。
私にも近代化がいいのか悪いのかわかりません。
本当の幸せとは!?を考えさせられます。
田舎と都会の狭間を描く倉本聰先生と似ているかも。
田舎の美しい景色を映画館で観れてよかった。
ブータン、いつか行ってみたい。
掘ってたのそれかよ・・・
・・・って思ったのは私だけじゃ無いはず(詳しくは本編を見てくれ)
ブータンは最後にテレビと携帯(通信)が整備された国である。とはいえまだ一家に一台とはいかないのでテレビのある家や茶屋にみんなが集まってテレビを見ている。「ALWAYS 三丁目の夕日」で描かれていたような昔の日本と変わらない。顔立ちがモンゴロイドなのもあって行ったことない国なのにどこか懐かしさを感じる風景だ。蕎麦の花ってあんなに美しいのか。
映画の舞台は2006年だが田舎の山間部でも携帯がちゃんと通じることにむしろびっくりする。ちゃんと基地局あるんだなぁ・・・。
国民に慕われていた国王が平和的に退位しブータンが民主化したことで、初の選挙に振り回されるブータンの人々。
今まで国王のもとで幸せにやってきたのに何故わざわざ選挙なんて必要なのか?と疑問に思う村人を必死に「啓蒙」する選挙委員のツェリンも中々上手くいかない。「多くの人が命をかけて必死に勝ち取ってきたもの(選挙権)が与えられたのだ」と言われても村人にはピンとこない。フランスやロシアのように民衆が血みどろの戦いで王制を倒して民主制を勝ち取ったわけではないからだ。日本人としても身につまされる部分ではある。日本も普通選挙のために闘った人々はいたが勝ち取るには至らず、結局GHQから占領後におまけで選挙権が与えられた。現在も選挙率は2割程度。「投票しても何も変わらない」「誰に投票したら良いかわからない」なんて言う人たちが嘆かわしい。
もちろん王政とてうまく機能するのはあくまで「民に尊敬される良き王」が上に立つの場合だけなのは言うまでも無い。タイも国民に慕われていたプミポン国王が泣くなって国民は皆むせび泣いたが、後を継いだ長男はあのざまである。(せめて国民に慕われる長女が継げれば良かったのに・・・)
選挙に関する真面目な話は映画「サフラジェット」(誰だよ「未来を花束にして」なんて残念な邦題つけた奴は・・・)あたりを見てもらうとして、これはブータンの民主制の善し悪しを問う映画ではない。むしろ幸せとは何かを問う映画だ。
選挙に執心している夫は支持者が違うことで義母とも仲違いし、娘も学校でがいじめられることを嘆く母親。
月イチで干し豚を食べるだけが楽しみの田舎暮らしなんて嫌だ、娘をもっと良い学校に通わせたい、という夫の気持ちも、いままでの田舎暮らしで十分幸せだという妻の気持ちもわかる。選挙にかまけて娘のための消しゴム一つ買うことも失念してる父親のせいで娘は先生に怒られる。大人に振り回されるのはいつも子供だ。
ブータンの田舎では仏教が生活に根付いていて、みんなお坊さんのためなら対価も求めず何でも差し出すし快く手伝う。そこに資本主義の介在する余地はほとんどない。お坊さんも「選挙は仏陀の教えにかなうものか?」と民主化も近代化もさして興味なさそう。
アンティーク銃コレクターのアメリカ人ロンと、仲介する都会民のベンジが資本主義の象徴として物欲に振り回されている様は村人たちと対照的だ。
坊さん相手には米ドルも価値がないのでロンとベンジは銃を求めて奔走するも中々上手くいかない。それを追う警察。のどかな田舎で物語は淡々と進むものの、中々展開が予測できないなか、僧侶がなぜ鉄砲を求めたかが明らかになり、綺麗にたたまれるラスト、そうきたか。
ラマ役の役者さんは本物の僧侶だったらしく本作が俳優デビューだとか。どうりでガンダルフのような威厳溢れる佇まいに引きつけられる。ラマの言葉が選挙よりテレビより誰よりも村人には響く。
お金があっても都会で物に囲まれていても幸せとは限らないのは当たり前だが、物欲に関する話は映画「365日のシンプルライフ」あたりを見るとして、どちらにしても一度民主化や近代化に舵を切ったら後戻りは出来ない。どんなに日本人が「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代を懐かしんでも、スマホ無しの生活はもう考えられないように、村人たちもテレビのない生活にはもう戻れないだろう。
ブータンは発展途上国の中でも珍しく近代化を目指さない国として、長らく世界幸福度ランキング上位にランクインし「世界一幸せな国」として知られていたが、やはりラジオやテレビ、ネットから海外の情報が入るにつれて自分たちの生活と他国との差異が可視化されたためか、2019年度以降のランキングで幸福度は大幅に下がってしまっているらしい。残酷ながら幸福度は他社との比較という物差しで決まってしまうことがある。
いつか坊さまがブッダの教えより米ドルを選ぶ日が来るのだろうか。それはわからない。けれどラストの村人達を見るとこの国の未来は明るいんじゃないかと思えてしまう。
袈裟と鉄砲(セーラー服と機関銃、みたいに)
足るを知る
お坊さまが鉄砲をご所望、なんともう世も末か!と思う自体になるかと思いきや、ものすごーく平和で穏やかで協調性のある人たちの見本みたいな優しさの塊のブータンの人たち。
これはいつの時代の話?と思うほどに、全く昔から変わらないままの暮らしが現代に続いていることにまず驚く。
信心深い仏教徒だから信仰が染み付いているのか、人々は欲が無く、環境と人にとても感謝しながら生きている。王様も王様としてとても慕われていて、こんな幸せな国だもの、そりゃ色んなものを変えずに続けられたはずだわね。
「足るを知る」を学んだ。
今の現状をより良いものに変えたくて、もうぶっ壊してでもなんとかしたいと訴えて革命を起こして変化を望まなくても、十分に今の暮らしで幸せを感じられるので、選挙をして国の政治のリーダーを変えて改革を!と望む人がほとんどいない。
ねぇ、なんて幸せな国なの!!
でもそこを変えていこう、変わろうとする動きと、この暮らしに満足しているので変化に戸惑う人たちの中に他所から来た欲の塊の人間二人が物語を展開していくのだけど。
ラストに近づくにつれ、なんか色々ハラハラもドキドキもしたけど、変わりゆく世界で変わらない人々の信仰、信念、国民性?をみて、みんなが大事に守り続けてきたものの偉大さを感じたよ。
なんか久々に心を洗われるような映画を観たわ。よかった。
心が疲れている方におすすめしたい。
幸せに夢見るブータンに
心洗われた。
巧みな脚本の虜
以前に劇場でトレーラーを観て興味を持った本作。IMDb、RottenTomatoesでも評価が高いようなので劇場鑑賞を決めました。公開1週目のサービスデイの本日、新宿武蔵野館10時15分からの回はまぁまぁな客入りです。
ブータンの映画は本作が初見の私。興味深さもありましたが、耳慣れない言語は作品に乗れないと眠気との闘いになることもあります。と言うことで、出来るだけ集中力を保ちながら観始めましたが要らぬ心配でした。
物語が動き出すと間もなく、パオ・チョニン・ドルジ監督の巧みな脚本の虜になります。2006年を振り返って作られたコメディは、当時のブータンにおける時代背景(急激な変化)と大衆の意識のズレについて、イデオロギーや文化、或いは価値観の違いなどを利用し、少しずつミスリードさせながら展開していくコントのようで面白い。そして、出演者それぞれに判りやすくキャラクターがついており、真顔で小ボケな感じがオフビートでクスクスが止まりません。更に、次第に状況が変わりながらも、どうしても捨てきれない「悪い予感」が常に付き纏って何気にサスペンスで目が離せない。そんなハラハラな展開がありつつも、観終わって印象に強いのは結局「ブータンの人たちの眼差しや人となり」に尽き、癒されて心が洗われます。
2011年にジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が来日され、「世界一幸せな国」のキャッチフレーズで日本でも話題になったブータン王国ですが、その後の「幸福度の大暴落」の予兆も感じる本作。ただただ癒されているだけではいけません。少しでも理解の足しにして、今後もブータンに興味を持ちたいと思います。UNEXTのマイリストに追加したままの『ブータン 山の教室』も早く観ないといかんな!
蒐集家と男根
銃を求めるタシとロンの2組と、それと並行して選挙委員会の活動や国民の反応を見せていく。
ニアミスやら逆値切り交渉などは面白かった。
ただ、物語としての起伏には乏しく、よく言えば穏やかだが眠くもなる。
ハッキリ言って銃の活用法に意外性はないし、二丁であった理由も不明だ。
「満月までに」という台詞も意味深にするためだけで、普通に「模擬選挙までに」って言えよ、と思う。
そして、俗に塗れた人間としてはロンがひたすら不憫。
ブータンの法には触れてたのかもしれないが、彼はただのコレクターで悪人とまでは言えない。
その彼が、ひたすらに裏切られ、振り回され、散財させられ、男根を得る話とも言える。
口約束とはいえ即刻反故にする銃の持ち主に、必要な理由も知らずに007にかぶれてAK-47を選ぶタシ…
勿論コメディなのだろうが、気持ちよくは笑えなかった。
支援する候補による軋轢を大人と子供の両方で見せてくるけど、主張も人柄も知らないのでよく分からず。
(どっちも物で釣ってる感じでロクでもない?)
模擬選挙の練習では「憎め、見下せ」なんてとんでもない指導が行われてもいる。
民主主義に移行する土台はまったく出来ていなさそう。
最も大事なことを目に見える形で示すという行為自体は素晴らしいと思う。
しかし、田舎の村でやってどれだけ効果があるかは疑問。
個人的には、51歳の若さで主権を手放す決断をした王の方に興味を惹かれてしまった。
いい話なのに、ちょっと贅肉付きすぎで気が散ってしまった
資本主義が発展したら民主主義が必要になるけど、資本主義がなかったら?
「他国では血を流して勝ち取った民主主義」というありがたいものを導入するのだ、という政府の役人に地元の女性が、血を流す必要のないところになぜそれが必要なのか?と問う。この言葉に感動してしまった。
もちろん王政が良いわけではない。どんなに良い王の治世でも身分や性別など様々な差別はあっただろう。
しかし、そもそも大きな不満なく暮らせていたのに外から人々を分断するような制度を導入するのは何故か?という素朴な疑問を抱くのはよくわかる。
とは言っても、否応なく他国から押し寄せる資本主義の波を避けることはできない。ブータンにも貧富の差が広がり、人々はいかに人より多くを所有し、それがあたかも「幸せ」の象徴のように考えだすだろう。
世界は発展し様々な知恵を産み出し、学問も医療も芸術も、あらゆるものが進んだが、人間の「幸せ」はそれとは別物なのだ❕と考えさせられる、この映画は素晴らしい寓話として描かれている。
昔読んだ文化人類学者中根千枝氏の本に、フィールドワークで未開人の中で暮らしていると、時々とても退屈になる、精神世界がシルプルすぎて、というような話に驚いた。
ブータンの人たちもこれから今まであまり必要なかった競争心や妬みや嫉み、ありとあらゆるねじれた気持ちの世界を生きるのだろう。
そしてやっぱり「幸せ」は何だったのだろうと考えるにちがいない。
精神世界が深まるのは悪いことではない。人間社会が発展していろいろなことを産み出した。映画もその一つ。不可逆的なこの社会、鎖国を解いて遅れてやってきたブータンの人々に、先進国が重ねてきた様々な失敗を学んで軽やかに飛び越えて進んでほしい。
コメディ?
2006年変化が訪れた。
テレビやインタネットがブータンに入ってきて、国王が国民がリーダーを選べるという贈り物をくれた。(え..今になって本当かよ)でも、国民は民主主義(参政権)というシステムのもとで生活をしたことがない。そこで、今、政府がどういうものかを....
これがこの映画の出だし.....(この映画は推薦できる)
民主主義(参政権)って国王から与えられるものではなく、国民が必要だから勝ち取るものなんだよ。これの映画を観てこれを一番感じた。それに民主主義が国民にとって優先権?
しかし、テーマというより、内容が煩雑のようにみえて、深く絡み合っている。
現代の眼で2006年のブータンの社会事情を見ているので、これってコメディーじゃないのと感じるかもしれない。しかし、2006年に急に国王から「民主主義」のプレゼントをもらって、国王はいいさ、海外の教育を受けているから。他の全ての民は慌てふためいたに違いない。その様子が滑稽に描かれている。模擬選挙管理委員会、選挙人、被選挙人、村人の中でも、家族でも、また、子供の学校でも(いじめ)諍いが起きる始末。この子供の父親は娘に消しゴムを頼まれたが、選挙活動で頭がいっぱいで忘れちゃうんだよね。でもさ、笑っちゃうことに、父親は娘を街の学校に送りたがったり、物欲にも目覚めてくる。
そして、『娘に首相になれるチャンスがある』っていうけど、
娘は『首相になりたくないよ。消しゴムが欲しいんだよ』と。民主主義が逸れてきてしまうんだよね。。。。
最初のシーンではウラUra という村のラマが模擬選挙が始まるという国際ニュース(英語で)を聞いていて、僧ラマはタシTashi (Tandin Wangchuck)に、銃を2丁満月の前までに集めよと伝える。この日は模擬選挙の投票日。銃というから、米国の『銃保持の自由』という憲法を咄嗟に思い出し、民主主義と言って銃も集めるのかと勝手に思っていた。何しろブータンというとアメリカの模倣というイメージが強いから。あくどい僧侶だねと。これは私の検討はずれだと。。。後で、徐々に徐々にわかっていく。
選挙管理委員会は村人にどう投票するか教えに来た。党は3つに別れていて(Blue representing freedom and equality, red representing industrial development, and yellow representing preservation)
青、赤、黄色
村人には一番幸せをもたらす党に投票してと伝える。。。。。これも後で徐々にわかっていく。このように、私の『おもい』が方向転換してしまう。
村人たちは3つに分かれて、エイエイオーと叫ばされる。。。。この掛け声すら、伝統的な静かな生活に満足している民にとっては、 they are being taught to be rude と感じさせてしまう。選挙の練習だけで、村人や家族は分かれてしまい、揉め事になってしまう。「民主主義とは何か」を村人に一つも論じていないのである。国王の思惑をどう村人が理解できる?先に記したが、当時の国王は欧州かどこかの教育を受けてるけど、少なくても、国の方向を急激に『民主主義』にchangeするわけだからね。民主主義の押し付けを民がどう受け入れたらいいか分からなく、それぞれの民が試行錯誤していく。でも、模擬選挙の結果、『黄色』 yellow representing preservationが圧勝するんだよ。それも、黄色は国王のカラーだからだって。大笑い!国民の国王preservationの意識が強いので、黄色に入れたんだと錯覚するが、ただ、『国王のカラー』だって。投票の権利どころじゃない、呆れちゃった。黄色は使ってはダメ!将来、Change は不可能?可能?
面白いことに、アメリカ合衆国の文化の走りなんだろうねブータンの当時は?テレビって、『一億総白痴化』と言われる時代も日本にあったけど…..恐ろしいね。。。問題意識がなく、受け入れていることは。。。MTV (Money for Nothing)
それに、コカコーラのことを『Black Water』と言って注文してたよ。
はっきりコカコーラのラベルを見せてなかったけど、明らかでしょう! 米国の文化を次から、次へと取り入れて、最後には米国のゴミ(例えだけど)を全部受け入れてしまってるのかも。
ゴミは不幸にも、人間の体を蝕んだり、環境を破壊したりして、企業(現在は多国籍企業)だけが暴利を蝕んでいる。また、ジェームスボンドも庶民の人気の的であり、AK-47sも。この銃はタシが西洋文化の証だと思って、欲しいのだと思って見ていたが、イイエ、最後はこれがオチになる。
銃集めをしている、特別な銃だけだと思うが、米国人ロン(Harry Einhorn)はある村人の持っている銃は『米国の南北戦争』の銃だと判断し、買い求めたがっている。ロンはこのストーリーでは単純に歴史的な高価な銃を集めたがっていると私は判断した。村人に通訳を入れて値段の交渉に入るが、価値観の違いと言おうか、見解の違いと言おうか(ロンは金儲けを考えているかも、ラマはたくさんの人を殺したいわく付きの銃) 歴史認識の違いと言おうか。。。。おかしい。
ロンはこの歴史的な銃購買の交渉をブータン人の通訳を介してするわけだが、なぜ、ある村人が銃の購入金額に『躊躇』を示すか意味がわからない。合理主義で金銭欲の強いあるアメリカ人の典型をロンが代表している。また、ロンは 選挙管理委員会の一人に会うわけだが、ロンにとって民主主義は全く興味のないものらしく、選管とは対照的であり、滑稽だった。民主主義社会の中にいる人間にとって、それに関して興味もなく、ありがたみもあるわけじゃないらしい。ましてや、そんなこと話す気もなし、銃への執着に比べたら、取るに足らない話題さと思ってるよ。この様子がうまく描けているね。
タシは 伝統的な銃とAK-47sとを交換する意思もなく、また、大金にも興味を示すようで示さず『使い道がない』というようなことをロンの前で言う。
それに引き換えロンが一番 不信感が募り、何のためにここにいるのか分からず、伝統的な銃のみの虜になっているのが。語学のハンディーもあるし、通訳も全部通訳しているわけではないし….何が起きているのか全てを理解するのが難しいようだ。
最終的にはロンもタシとラマも選管委員会も村人も全部が丘の頂上の礼拝場?のようなところに集まるわけだが、そこには大きな穴が掘られていて、その周りに人々が集まり、これからラマの説教を聞くようだなあ、とわかる。
ここからが、『あれ!!』 なるほど、そうなったか?と。ロンは狐につままれている様だった。このシーンを是非観賞して楽しんでほしい。
選挙導入に向けての国民審査をしたと考えれば、その意図を無視したものが導入されたのかなと思った思
2024.12.17 字幕 アップリンク京都
2023年のブータン&アメリカ&フランス合作の映画(112分、G)
2005年の立憲君主制に向けての模擬選挙を描いたヒューマンコメディ
監督&脚本はパオ・チョニン・ドルジ
原題は『The Monk and the Gun』で、「僧侶と銃」という意味
物語の舞台は、ブータン中央部にあるウラ村
そこでは数少ない村民たちが暮らしていて、彼らのもとに国営放送が届いていた
国王の計らいによって立憲君主制が採択され、国民は初めての選挙を迎えることになった
そこで選挙委員会が立ち上げられ、各方面で投票登録の作業が行われることになった
ウラ村にはプバ(タンディン・プブ)が訪れていたが、一向に登録数が伸びず、都市部からツェリン(ペマ・ザンモ・シェルバ)が派遣されることになった
これらの動きを知った老僧ラマ(ケルサン・チョジェ)は、弟子のタシ(タンディン・ワンチュク)に「銃を二丁探せ」と命を授ける
そして、その期限は4日後の満月の夜までだった
一方その頃、ウラ村に住む老人ペンジョー(プブ・ドルジ)が所持しているアンティーク銃を求めて、銃コレクターのロン(ハリー・アインホーン)が訪れていた
彼の通訳にはガイドのベンジ(タンディン・ソナム)があたり、国内で禁止されている銃の売買をサポートすることになっていた
映画は、群像劇として描かれ、本筋はタシによる銃の獲得となっている
その背景に、コレクターの暗躍と選挙登録が行われていて、その当時の流れというものが感じられるようにできていた
ポスターヴィジュアルの中で、「銃を抱える僧侶が描かれている絵」が採用されているものがあって、この視点は小学生のユペル(ユペル・レンドゥップ・セルデン)のものだろう
ユペルはツェリンから消しゴムなどの文房具を貰うのだが、学校では父親の政治信条の相違によっていじられたりしていた
また、ユペルの父チョペル(チョイン・ジャツォ)と祖母アンガイ(Tsheri Zom)の支持政党が違うことで家庭内不和も起きていて、間に挟まれる母ツォモ(デキ・ラモ)は選挙に意味を見出せなかった
物語は、まさかの銃埋葬というとんでも展開になるのだが、仏塔を建てるためにはそこに何かしらを埋めなければならない
ラマが銃を選んだのは、世界中で起きている紛争の火種に政治による対立構造があると考えていたからだろう
選挙によって代表を選び、国民の声を反映させていく意味はあるものの、勝った方だけの意見を聞くとか、負けた方の意見を蔑ろにするという極端なものではダメなのだと思う
だが、今の先進国の政治を見ていると、是かと否かという分断の上で成り立っていて、宗教対立から思想対立へと切り替わっていくように見える
ラマには2005年の時点で「思想分断が幸福を壊す」と考えていて、それゆえに仏塔を建てなければならないと考えたのではないだろうか
いずれにせよ、ほんわかっぽい邦題を思うと、かなり攻め込んだ内容になっていて、そこに南北戦争(ドゥアール戦争)の銃が登場するのは感慨深い
その時代に使用されて同胞を殺した銃というところに意味があって、これはブータンと戦闘を起こしたイギリス(インド)が使用されたものだと思われる
その銃は外国からもたらされて自国民を殺したものであり、それを今回の選挙制度となぞらえているのだと思う
本来は、選挙など行わずにこれまでの国づくりを続けていけば良いものを、あえて壊して近代化させる意味はほとんどない
村民たちは「黄色(伝統の保護)」に票を集めたが、それは単なる国王の色ではなく、ブータンはこの先もこれまでのブータンであり続けたいという願いがあったのだろう
この選挙は模擬選挙だったが、選挙を導入するかどうかの国民審査のような意味もあるので、多くの人民が反対していたものを推し進めたと言っても過言ではないのかな、と感じた
供物
穴へ捨てるシーンはジョン・レノン御存命なら喜んだだろうな
「世界一幸せな国ブータン」
火種
2006年第4代国王の退位により、民主化されることになったブータンの田舎の村で、模擬選挙を前に混迷する村人たちと銃を巡るドタバタをみせる話。
選挙管理委員が来村することを聞いたラマ僧の言いつけで銃を探す僧侶と、貴重な骨董品の銃を探してアメリカからやって来た男とガイド、そして模擬選挙にのめり込む主人を持つ家族と選挙管理委員御一行等をみせていく。
必要以上のものを望まない人達と、欲に目が眩む人達と、そんな人達の鬼ごっこだったり尊厳だったり…。
コメディだけど結構サスペンス風味も!?
選挙ももちろん面白かったけれど、銃を巡ってはコミカルさがかなり全面に出ている感じだし、どちらもコミカルさの中にしっかりと本質があってとても面白かった。
宗教は欲や武器に勝る?
予告編にあったような選挙の話と高僧が銃を必要とする展開に思わせぶりがあった。アメリカ人が高値で欲しがった銃さえその高僧に譲るほど僧侶は尊敬されていて、銃取引の仲介者が警官から捕まりそうになり、処罰を逃れるために銃を供出することになり、警官の拳銃や子どもの玩具の水鉄砲さえ供出することになってしまった。高僧の願いを聴き入れたアメリカ人は、代わりに聖なる秘具を与えられることになる。執着から逃れることの大切さが説かれていた。聖書の「駱駝が針の穴を通るより難しい」という例えにも通じるが、欲張り爺さんの成れの果ての説話にもありがちな感じがする。
アメリカ人は、ブータン人から、J.F.K.やリンカーンを生んだ国と羨ましがられるが、それらのリーダーは、銃の力で倒された人々でもあったので、銃を無力化したブータン社会の力には敵わないところがある。けれども、インカ帝国を少数の軍人で征服したピサロ氏に対抗できるほどには有効ではないだろう。
『ゲンボとタシの夢みるブータン』に描かれていたような、僧侶養成教育よりも実用教育に転換しつつある傾向は、ここではまだ描かれていないようである。
全70件中、41~60件目を表示