「予想できない結末に思わず涙した」お坊さまと鉄砲 ブログ「地政学への知性」さんの映画レビュー(感想・評価)
予想できない結末に思わず涙した
ブータン王国について、我々は何を知っているだろう。場所はインドの北あたりか。政治?ワンチュク国王という今時珍しい王政国家。隣国でインドの強い影響下にあるだろう。価値観は国民総幸福。しかし経済的には裕福ではない。文化?インドの近くだから、カレーとか?最近では、高額の観光税導入なんてニュースもあった。映画のタイトルの「お坊さまと鉄砲」って?仏教国だろうけど、鉄砲くらいあるだろう。だから何?それくらいのこの国に対する知識を肉付けするのもいいかな。くらいの気持ちで映画をみた。そしてその知識が偏見でしかなかったことを知らされる。もう少し私が持っていた偏見が続く。
ブータンに突如もたらされた民主主義
2024年は選挙イヤーだった。国内は都知事選、衆院選、知事不信任に伴う兵庫知事選、海外ではアメリカ、イギリス、ロシア、台湾などなど。そして民主主義そのものが問われることにもなった。AIの進化に伴いAIを活用した選挙活動やフェイクニュース、AIに政治を任せると主張する候補者まで出現しただけでなく、SNSの影響など「危機に瀕する民主主義」のような言葉までも駆け巡った。そんな「民主主義」に対してどんな示唆があるのか?そんな期待を裏切る映画だった。強烈だけど優しい衝撃だった。ワンチュク国王の独断?で突如、民主主義で行政の指導者を国民が選択することが決められた。国民は民主主義に対して無知、というより興味を持っていない。それはお近くの専制国家における絶望的な民主主義とは全く異なる。国民は王政に対し何の不満も持っていない。それは自由主義を掲げる国家を見ていないからではない。為政者と国民が相思相愛だからなのだ。そんな国民に突如もたらされた選挙という仕組みに戸惑う国民をこの映画は描く。
今こそ民主主義を考える映画?という浅はかな先入観
選挙制度に対する無知な様子には思わず笑ってしまう。親族を巻き込んだ選挙活動、投票のための贈賄や恐喝まで繰り広げられ、それは子供達にまで浸透する。これまで世界中で繰り広げられたであろう選挙違反の姿の一端がここでも見られる。選挙委員会のような、選挙を啓発ではなく啓蒙しようとする機関が、対立を煽り、憎悪を伴わせる場面がある。それを目の当たりにする国民は、選挙制度そのものに対する不信感を募らせる。そうした人々の姿を上から目線で見ていた観客は私だけでないだろう。
子供が消しゴム一つ買うのに苦労する国は貧しいのか
この映画の舞台であるウラという村で、一人の娘が学校で消しゴムを使わなかったために本を破ってしまったというなんとも小っぽけな理由で先生に怒られ、友達からも仲間はずれにされて悲しむ。住民の大半が周囲に流されて投票する中で、異を唱える父親。その娘にまつわるエピソードでは、たかが消しゴムが重要な役割を果たす。それを母親の仕事のおかげで出会えた選挙委員会の役員からもらうことになったが、そんな大事なものなのに、翻って与えた役人にとってはさほど大切ではないであろうものなのに、少女はなんの躊躇もなく、役人に返してしまう。豊かさとは富:物質的に、経済的に恵まれていること、ではないという価値観が子供にまで沁み渡るこの国を支えている基盤的な道徳感の盤石さが伝わってくる。
ブータンの人々が望む政治のあり方
模擬選挙では、住民が赤・青・黄3つの色の党に投票する。それぞれ自由、発展、伝統、どれを大切にするかを選択させてみよう、という試みなのだ。結果は黄色、つまり伝統に軍配があがるということだったのだが、圧倒的というかほぼ全員が黄色に投票しているという統計学的にはありえない結果。不正ではない。模擬選挙だから不正の意味はない。だから現状に満足しているから伝統を重視したブータン人の心に合致しているということか。これさえもどうやら違うのである。
無垢なブータンの人々の国民性
選挙人登録をしようにも生年月日を知らない、鉄砲は見たことがない。21世紀なのに外国の文化といって見聞きしているものは80年代の音楽、テレビ、映画にブラウン管のテレビなど、タイムスリップしたかのような懐かしさを感じさせる。それでもそうしたものがもたらしてきたものが少しずつでも浸透している様子を描いていた。しかしこうした国民の物に執着しない、豊かさを物質的なものだけで図らない価値観は経済成長を遂げていくことを発展と考える世界の国々の人々が考え直す必要があるかもしれない。