「言語のない映画の意味(個人的解釈)」Flow バタピーさんの映画レビュー(感想・評価)
言語のない映画の意味(個人的解釈)
なぜこれを映画館へ見に行かなかったのかと、Amazonプライムで鑑賞後に後悔。
このような映画は様々な解釈ができるだろうと思う。
みるタイミングやその人の心情によって映し出されるものは変わるだろう。
おそらくこの「FLOW」は、昨今流行りの「鬼滅の刃」と対極にあるアニメ映画のように思う。
映像の中で起こること以外、何も教えてくれない。そもそも言語が一才使われていないのだ。
だから見終わった後に、「それで?」と思う人は一定数いるだろう。
でもよく考えてみれば、絵画や映像作品というものはそういう物ではないか。
そこに写っているキャラクターの心情は、本来誰かが教えてくれるものではないはずである。
本映画も、ひとつひとつの仕草や微妙な表情の変化、ちょっとした鳴き声のニュアンスからキャラクターの感情が垣間見える。
以下本編の個人的な解釈、、
主人公の猫は「夢」や「憧れ」に強く惹かれ、衝動的にそれらを追ってしまう性分。
しかし水たまりに映る自分を見てふと我に帰る。
憧れを追いかけて、輝く世界を目の前に置いて行かれてしまった時(ヘビクイワシの時)、
鹿の群れを追いかけてようとして、これまで幾度となく助けてくれた偉大な存在が弱り果てているところ(自分にはどうすることもできない現実)に遭遇した時(クジラ?的生物の時)。
自分が追いかけていた抽象的な(その実態がわからない)憧れからふと、
すぐそこに既にある大事なものを思い出す。
自分が置いていった者たちのことを。
社会には色んな人がいて、デリカシーがない人もいれば、恩を仇で返すタイプもいる。(全部イヌ笑)
でも時間が経って気がつけば、大事な存在になっていることもある。
彼らの存在が自分にとって大事なものだと気づけた時、新しい一章が始まるのだろう。(映画はここで終わっているけど。)
そんな人生の行ったり来たりを、自分にとって大事なものが何か?を、表現している。
じんわり暖かい、心にしみる作品だなと受け取った。
そして何より、キャラクターたちの行動が半分感情的に、半分は無意識的に(動物としての本能的、衝動的に)起こっている点が魅力的であった。
よく考えれば、我々だってさほど変わらないなと思わせられた。
No. 1661
Review 101