「贄によるパラダイムシフト(世界救済)」Flow 加藤プリンさんの映画レビュー(感想・評価)
贄によるパラダイムシフト(世界救済)
映像が綺麗とか劇伴がとても良いとか、アーティスティックとか、猫が可愛いとか、色々、枝葉に語りたいことが多い非常に素敵な作品なのですが、
これ、主題としてあるのは、「贄によるパラダイムシフト」ですよね
この世界は、なぜか、贄により、世界が水没したり、水が引いたりする仕組みなのですね
この文脈で読み解くと、とても面白いのは、
まずは物語の中盤、「鳥さん」の犠牲により、この世界は水没から免れた訳です
彼はまた、自然界の掟として、群れに逆らい、信念を貫き、また舵を手放すことで、箱舟のパーティーからも離脱した
あの「絶望」と「誇り」によって、結果的に、偶然的に、この世を救う訳なのですが、
彼の精神性、魂の浄化性からすると、それは残虐な犠牲ではなく、
むしろこの世からの解脱、昇華の仕組みにより、彼は救われたはずで、
この世界はいったん、水引きの状態に戻ります
そしてラストシーン、海の王、リヴァイアサンとでもいうべき、あの存在、
旅の外に見え隠れする、最期の仲間ともいえる彼の、上陸に喘ぐシーンで、物語は終着を迎えます
(黒猫は、いちど彼に救われていますよね、恩がある状態なので見捨てられないが、どうしようもない)
ラストシーンは、仲間たちの、水面に浮かぶ、浮かない表情
作劇のメソッドで言えば、これは「自問自答」の画ですよね
そしてエンドロールのあとの、最後の最後に鯨が海に還るシーン
おそらく、彼らのうち(おそらくは黒猫)が再度「贄」にとなり、世界を再水没させることで、あの鯨を救ったのでしょうね
その根拠としては、彼がマストの上で未来予知した、偶蹄目による周囲を囲まれる呪術的なあの悪夢
あれは鳥さんが昇天したものとの「対」になっており、おそらく、世界を水没させるための儀式なのでしょう
それを知っているのは黒猫だけなのですね
なぜならば、これは完全なる妄想ですが、
おそらく、最初の世界水没の「贄」となったのは、彼の飼い主なのでしょう、だからそれを知っている
最期に生き残った人間である彼の絶望、彼の犠牲性により、この世界は水没を迎えます
これも推測ですが、猫大好き人間だった彼は、最愛の猫を亡くすのでしょうね、その絶望により、彼は贄となり、世界は水没する
主人公の黒猫はまだ魚も採れない子猫で、だとすると、
親猫が死んでも、子猫が生き残っているうちは、猫大好き人間である彼は死ぬ理由がありませんから
おそらくこの子猫は、彼がいなくなった後に現れた存在であり、たまたま廃墟に居ついたというよりは
おそらくですが、飼い主の生まれ変わり、猫大好きすぎて猫に転生したのでしょうね
偶蹄目の儀式を覚えているのは、前世の記憶の残滓という訳ですね
ラストシーン、陸に打ち上げられた鯨には、黒猫は 恩があり、彼を救うために
彼は再度「贄」となるのですね
そのため、鯨は再び海を泳ぐ世界線で終劇を迎えます
黒猫はもともと、呪術的な存在でもあり、
ラトビアにそのような伝承や文化があるかどうか、私は勉強不足にて、存じ上げませんが
黒猫が あの世界を救うための主人公であるとするならば、
作中の情報をかき集め、推測するだに、この文脈なのではないかなぁと空想します
しかし、「誰ひとり取り残さない」世界とはこれほど大変なことなのですね
犬たちのような愚か者もいれば、鯨のようにそもそも生態や住む世界が違う者もいる
そのすべてをひとつの世界やルール、考え方では到底、包括できない訳で
こうやって世界は、振り子運動で揺れ動きながら、螺旋を描きつつ、時間に沿って前に進むしかないのですね
そういう意味では世界は何も変わらないのかも知れません