どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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受け手に問うている言葉ではない
あくまでもタイミングが合えばと、積極的に観るつもりではなかった。
観たことを後悔はしてないけど、1月からずっしり重いわー。
長過ぎた25年。
「どうすればよかったか?」は、監督が自問自答し続けている言葉なんだろう。
投薬治療開始後のお姉さんの変化を見るに、答えは明白なようではあるけど、
最後まで自分たちの判断は間違いではなかったと語るお父さんの言葉を聞くと、
肉親とは言え別居している側が踏み込めないことも確かにあると感じる。
人間はそれぞれ自問自答し続ける何かを抱えているもので、
主観的には等分の重さだと信じていても、
客観的にはやっぱり軽重あるし、できれば重いものは抱えたくないなと、
故郷にいる年老いた親の顔を思い浮かべながら、無責任に思う
息苦しかった
勇気とは何か
勇気とは、自らの過ちや認めたくない事実に向き合う力だと私は思う。自分が悪いと分かっているけどなかなか謝る事ができない時や、誤った方向に進んでいると気付いていてもやめられない時。そんな時は勇気が足りていないのだ。
この映画の「どうすればよかったか?」という問い。「誰も悪くない」とか「人それぞれ」とか「誰にも分からない」とか、曖昧な回答に終始するつもりはなくはっきりとこう答えたい。勇気を持って病気である事を認め、すみやかに治療という次のステップに進めばよかったのである。
結局25年間苦しみ抜いた挙句やっと現実に目を向けるや否や、たった3ヶ月で事態は好転した。認め難い現実が現れた時こそ、未来を良い形にするために今苦しみを受け入れる勇気を持たなければならない。
どうすればよかったか?
私は統合失調症経験者です。私の経験をお話しして統合失調症の理解とどうすればよかったのかの私なりの意見を述べさせて頂きます。
詳しい事情を話すと長くなるので省きますが
2度の発症、入院をいたしました。入院は各1ヶ月づつです。父は治療はさせてくれましたが親戚等には病気の事を隠しました。また薬が効き一見正常に見えるともう治ったものと思い私を家から追い出しました。病院の先生は遺伝による原因が有るとおっしゃいましたが 私は誰しもがストレスを感じると、発症する可能性が有ると考えます。症状は人それぞれです。ごく軽く一見ちょっとおかしな人程度に見える人もいます。今回の映画のお父さん お母さんも少なからずかかっていたのでは?まず すればよかった事はお姉さんに薬を飲ます事です。統合失調症は脳内科学物質の異常分泌です。薬を飲めば割と直ぐ収まります。その為にはお父さん お母さんのカウンセリングを受けさせ、お姉さんの診察を受けさせる。もしくは、弟さんがお姉さんの映像を医師に見せ診察を受けさせられない事情を理解して貰い診察出来なくても薬を処方してくれる医者を探す事です。北海道という地理的にもかなり難しいとは思いますが やるべきです。またお姉さんに、あれこれ質問してはいけません。私の担当医は行くと薬飲んでますか?強迫観念はありませんか?だけです。診察は1分もかからず終わります。私の場合 父に追い出され、1人になり薬を飲み続けたのは良い事だったかと思います。薬は25年間飲みつづけ最近やっと普段は飲まず、今日はテンションが、高いなと思った時だけ飲んでいます。まだ通院は続いています。また気をつけなければならないのは食事です。本人任せにすると不健康極まりない事になります。誰かがちゃんと野菜中心で、栄養のバランスが取れているか気にかけてくれる人が必要です。でないと免疫力が落ちて病気になりがちです。私も乳がんになりました。今は 統合失調症のコントロール 乳がんも克服し、起業して幸せに暮らしています。それには長い時間が掛かる事を覚悟して下さい。もう一度いいます。誰しもがストレスにより掛かりうる病気です。
お姉さんが笑ってて良かった
映画館を出た時は、誰も救われない話だ、と思って胸が痛くなった。
でも、最後にお姉さんが穏やかに笑ってて、良かった。
お姉さんは弟が好きなんだと思う。
帰る弟に笑顔で手を振って見送る姉。
カメラを向けるとおどけてみせる姉。
具合が悪い時でも弟には怒鳴ってないように見えたし
答えられる時には答えてた。
母に対する特別な感情も弟の前では口にした(みたい)。
どうすればよかったのか、は第三者への問いではなく
当事者が問い続けてもどうにもできなかった日々そのもの、なのかな。
当事者は監督だけでなく、父も母も、当の姉も。
怒鳴り続けてて喋りっぱなしだった姉に心の平静が訪れて、
花火の爆音も笑って楽しめて、
父と一緒に海を撮って、
その時間が訪れて、良かったと思った。
あとは、家族が話をかぶせて喋ってるもんだから、一方の話しか聞き取れなくって。機会があればもう一度観ようかなと思います。
こういう家族もあるんだな
優秀だった8歳上の姉は、両親の影響により医師を目指し大学の医学部に進学した。その姉が、ある日突然、訳のわからないことを叫びだした。統合失調症が疑われたが、医師の父と母は病気だと認めず、精神科の受診を拒んだ。そのことに疑問を持った弟は両親を説得したが、両親は変わらず、わだかまりを抱えたまま実家を離れた。
姉の発症から18年後、映像制作を学んだ弟は帰省するたびに家族の様子を撮影し記録した。家族にカメラを向けながら両親と対話し、姉に声をかけ続けたが、母が認知症になり83歳で亡くなり、姉も肺ガンで・・・そんな弟(藤野監督)の家族を記録したドキュメンタリー作品。
これを観て何を感じれば良いのだろうか。
弟として、早く姉を病院に入院させたかったんだろう、というのはわかるし、両親が共に医者であり、論文に固執するような研究者だったようだから、何かのプライドで、精神科の受診を拒んだのだろう。最後まで観てもそこはよくわからなかった。
統合失調症の患者を見た事がなかったので、こんな感じなんだ、というのは勉強になった。
で、どうすればよかったか?、は両親が子供に良かれと思ってした事なら、周りがとやかく言う事じゃないんだろう。経済的な援助は両親がしていたようだし。
こんな家族も有るんだろう、くらいの感想。
正解などない現実
すごかった
お姉さんが統合失調症を長期に渡って患う。お姉さん本人もお父さんもお母さんもめちゃくちゃ頭がよくて、それが悪い方に働く。せっかくお医者さんが見つかったのに、その人の論文をお父さんが読んで気に入らないと言って受診させない。うちなら誰であろうと医者ならとりあえず頼るのだけど、そこでそんなことする? ご夫婦ともに研究者であり、我々一般人とは次元の違う考えで生きているようだ。
お母さんが認知症で統合失調症みたいになっている時がもう地獄だ。家に二人もいる。その後やっと精神病院に入院したら3か月で良くなるので、本当につらい。ほぼ人生を棒に振ってしまった。薬が効いて状態がよくなると、ひょうきんな性格が表れて、表情もかわいらしくて、そもそも素敵な人だったことが判明する。ご本人もさぞつらかったことだろう。ガンになってからもそれほど悲しい様子は見せない。カメラの前ではそうしなかっただけかもしれないが、ガンよりも統合失調症が回復したことによる安息が強いのだろうか。
家の中に物が多すぎる。ピアノは誰も弾いてなさそうだし、ピアノの上に石膏像が何体もある。断捨離はあまりしない方がいいと常々思っているのだけど、この家は不用品を半分に減らした方がいい。
お姉さんが、太ったり痩せたり体重が大暴れだ。
ラストでお父さんが、長男にけっこう詰められていて、反論したり言い合いになるかと思ったら、受け入れていた。間違いでなかったら素直に肯定する、そういうところは研究者らしくてかっこいい。ちょっと『哀れなるものたち』のウィレム・デフォーを感じた。
途中で長男が、お姉さんに「親にされて許せないことがあるよね」みたいに話す場面がある。それが一体何なのかは不明なままだ。
老いによる光
正月明けの平日にもかかわらず、7割も埋まった劇場から本作の注目度の高さが伺える。小規模公開でも素晴らしい作品にはちゃんと劇場に人が入る。「侍タイムスリッパー」に引き続き、映画館好きとしては嬉しい気持ちでいっぱいになる。
「どうすればよかったか?」
始まりと終わりでこのタイトルの感じ方が大きく変わる。悔いが残っている言葉。藤野監督はまだ傷が癒えておらず、なんなら現在進行形で傷を負っているようにも思える。見る前はどうすれば家族は幸せになれるのか?を考える作品かと思っていた。だけど違った。始まってすぐその考えは打ち消される。
答えを見つけることを目的としていない。当たり前だが、家族には多種多様、それぞれの幸せがあり、やり方がある。それを他人がとやかく口出しすべきではない。明言しているわけではないが、火のないところから煙を立てようとする現代人に対する提言のように思えた。
ドキュメンタリーは基本、客観的に撮影したものばかり。観客は監督と同じ目線に立ち、真相をおったり、問題に目を向けたりしていく。ただ本作は、監督自身が経験したことであり、考えは客観的でありながらも主観的に撮影しているため、監督までもがドキュメンタリーの中の人物となっている。
家族だから当たり前だと思われるかもしれないが、カメラの反対側の様子がこんなにも伝わってくる作品は、未だかつて見たことがない。監督は20年もの間家族を記録し続けたが、観客はその家族の記録と監督の葛藤や苦しみを見ることになる。冒頭のナレーションから様々な思いが一同に伝わってくる。
姉が放った言葉ですごく印象的なものがある。
「だめだっつうの だめだっつうの」
彼女は自分が言った言葉に対して過度に否定を続ける。頭と心が一気に表面化されたシーン。何かと戦っている、何かに苦しめられている。姉が誰かと話しているかのようだが、その正体はわからない。ただただ追い詰められ続け、ひたすらに否定を続ける。
何か気に障るようなことがあれば、姉は突然早口で話し始める。だが、そんな彼女の言葉の言い回しはとても母親に似ていた。偶然か必然か。
愛するとは、寄り添うとは。
彼女は幸せだったのか。その答えを知る者はいないのだから、観客である自分たちは何も言うべきでは無い。非難する対象はたくさんいる。だけど、それでは意味が無い。言わない、言えない、どうしようもないということが、この映画の伝えたかったことでは無いだろうか。
老い、そして光。どうにもならないやるせなさで胸がいっぱいになる。そして、監督はいまも考え続ける。
「どうすればよかったか?」
娘の統合失調症を病気と認めない親の狂気
ドキュメンタリー監督の藤野知明さんが自身の家族を撮ったドキュメンタリー。統合失調症を発症した姉、そして彼女を精神科の治療から遠ざけ軟禁した両親を20年にわたって記録した。
医師で研究者の父と母。
姉を病気だと認めない父と母。
藤野監督が両親を説得するも解決せず。
発症から30年以上が経ち、ようやく精神科の受診に同意した両親。3か月の入院後、回復し退院した。
間もなくがんで亡くなった姉の人生を思うと。
タイトルは、困難が起きた時の問いそのものかもしれない。
家業のあるうちの大変さをまず感じた。
天皇家や歌舞伎などの伝統芸能、老舗の旅館や店舗など。
医者は家業ではないけれど、子どもにとって最も身近な親の生き方(性格、価値観、職業観など)は影響力が大きい。
しかし、医者になるのは、ハードル高し。
開業医の子どもが裏口や替え玉受験など騒がれるのは、たいてい医学部、医師国家試験だったりする。
小中成績優秀でした…では太刀打ちできないところがあるんだろうなあ。
障がいに対するとらえ方は、時代により、人により、幅がある。
周囲にどのくらい開示できるかも、それぞれ。
このおうちは、とても閉塞的で、本質的な話し合いをしない。
私の育った家庭も、戦中生まれの両親、私(長女)、弟2人だった。
父権の強さ、弟の発言力のなさが、似てる。
ただ、我が家は、親族や近所にうちの内情が駄々洩れの開放的な家だったので、同じ状況に陥っていたら、違う展開になっていただろう。
父の上を行く祖父も近くに住んでいたし。
家族問題の肝は、周りと繋がることだと思う。
順番として、親は、子どもより、早く死ぬ。
親が子育てで最も重要視することは、子が自立できるようにサポートすることだ。
成人した娘がひとりで外出もできない状況ならば、やはり信頼できる医師に出会うまで受診し、様々な試みをすることが、やるべきことだったのではないだろうか。
自分にとって受け入れがたいことでも(その葛藤は理解できる)、娘のために、事実と対峙する必要があったろう。
超高齢のご両親が、自分たちだけで娘の世話をする姿に、胸が痛んだ。
この映画の価値は、まさしくそこにある。
我が事なら、こんなに冷静に考えられない。
パニックになるし、自分の不運、娘の不幸を受け入れるまで時間もかかる。
こうして、映画として、事前に疑似体験すれば、同じような境遇になった時に、葛藤する時間が少なくなるかもしれない。
観てよかったと心底思った。
世界が今、すごいスピードで変化している。
メンタルを病む人も、これから増えていくだろう。
だからこそ、風邪みたいに、受診して休んですんなり復帰するような、そんな社会になったらいいなと思う。
しかし、人の怒鳴り声って、聞くのしんどいな…。
統合失調症×認知症×脳梗塞×カメラマン
姉の病気より怖いもの
姉の統合失調症について「どうすればよかったか?」と問われれば、早く精神科に受診させるべきだった。その後の落ち着いた様子を見れば、誰にとっても幸せだった。姉のおちゃめな様子を見ると、25年にわたって放置(あえてそう言うが)してきた両親の罪の大きさを思う。
早期受診のために、どうすればよかったか?
姉との主要な接触者たる両親とも医師という同質性の高い環境の中、状況を揺することができた存在は監督ただ一人だったと思う(現にそうなった)が、彼が一時、関東に離れたことも事態を動かせなかった要因になったのかもしれない。「大変なときに逃げたお前に何がわかる」という反発が両親の中になかったか。帰っていきなりカメラを回し始めた行為が、かえって親の心を閉ざす作用はなかっただろうか。
ただ、時間はかかったけど好転させられたのは、監督が母に向き合い、父に向き合い、事態を動かすために話し合ったからだ。間違いない。25年もこの一家を覆ってきた重しに、よくぞ正面から向き合ったと思う。その小道具としてカメラが欠かせなかったのかもしれないが。
それより、親の老いが恐ろしくなった。母の認知症に比例して家の様子が荒れていった。体力、気力がなくなれば、とたんに生活は荒む。こうした光景が今、この国で加速度的に増えている。この社会を覆えば社会が荒む。だから、福祉は大事だし、年金も個人責任にはできない。当然、うちも他人事ではない。
追加)姉の葬儀のシーンが大変印象的だった。父は「彼女は論文を執筆中で、自分が共著として完成させたい」と参列者に挨拶し、棺の顔に一番近い場所に、書きかけの英文論文を置いた。
それが、娘に望んだ有り様を全うさせんとする行為だったとしたら、大変痛ましいことだと率直に思いました。
家族の在り方
映画の冒頭で、これは統合失調症についてのドキュメンタリーではないという旨のテロップが出る。観終わってみると、なるほどと思った。確かにこれは病気についての映画ではない。むしろ病気に対応する周囲の家族についての映画だと思った。
極めて個人的なドキュメンタリーである。にも関わらずこちら側に鋭く突き刺さってきた。それは、この映画が”家族”のあり方というものについて問うているような気がしたからである。
もし、家族の誰かが身体的、精神的に弱っていたら、自分は上手くフォローすることができるだろうか?家族同士できちんと話し合って解決できるだろうか?そんなことを考えさせられた。これは介護の問題にも置き換えられかもしれない。あるいは、子育ての問題に置き換えることもできるかもしれない。
ラストにタイトルの「どうすればよかったか?」という問いが監督から投げかけられる。これは観客に向けた言葉ではない。しかし、まるで自分に言われているような気がした。そして、観終わった今でもその答えを出せないでいる。
ただ、一つ確実に言えるのは、この家族のように「どうすればよかったか?」という後悔だけはしたくないということである。
それにしても、観ている最中は、両親のことが腹立たしくてならなかった。この両親は共に医学研究者で、かなりのインテリである。そんな両親の影響で姉も医学の道を目指した。しかし、思うようにいかず挫折をしてしまう。姉は間違いなく両親のプレッシャーに圧し潰されてしまったのだと思う。
更に、最悪なことに両親は病気が悪化する姉を周囲に相談することもせず部屋に閉じ込めてしまった。この罪は非常に大きい。きちんとそれ相応の対処をしていれば、姉の人生はもっと違うものになっていただろう。姉は完全にこの両親のエゴの犠牲になってしまったのだと思う。
そんな姉のことを唯一理解し、傍に寄り添ってくれるのが、カメラを持った弟=監督である。彼の姉に対する語り掛けは非常に優しい。自分だけは味方だと励まし、常に気遣い、愛情を示し続ける。
しかし、映画を観終わる頃には、彼の言動もどこか悍ましいものに感じられた。実は、この監督も両親と大して変わらないのではないか…という気がしたのだ。
姉の病状が発症したのは約40年前。その時まだ学生だった監督は実家で一緒に暮らしていた。しかし、卒業と同時に家を出て一人暮らしを始めた。そして、映画学校に入ってこのドキュメンタリーの製作をスタートさせたと言う。その間、彼は姉を入院させるよう両親に何度も説得している。しかし、聞き入れてらえず、淡々とカメラを回し続けたのである。
本当に姉のことを思うのであれば、強引にでも彼が病院に連れていくべきだったのではないだろうか。しかし、彼は映画を撮ることを優先させてしまった。
ドキュメンタリーは常に真実を伝えているとは限らない。そこには必ず作り手の恣意的な視点が入るからである。
本作を観る限り、両親が姉を追い詰めたように見える。しかし、その傍で弟である監督は一体何をしていたのかというと、それを撮影していたのである。そのことについて、この監督はどう考えているのだろうか。弟としてよりも作家としてのエゴが勝ってしまった…ということなのだろうか。
受診して合う薬が見つかって三か月後に退院し、様子が変わった姉の姿を...
凄い映画
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