どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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家族の記録
統合失調症の有病率は約1%と言われており、100人にひとりは統合失調症を患っている可能性があるので、身近にそのような人がいることも十分にあり得ますが、適切な医療を受けることで改善できることが理解されていないことも多いのかもしれません。
現代はYouTubeなどで専門家による統合失調症に関する正しい情報も入手しやすい時代ですが、高齢者など情報へのアクセス手段が限られていると、古い固定観念のままということもあり得るかもしれません。
映画の後半でビートルズの曲が流れてきますが、40数年生きてきて、ビートルズがこんなにも心に染みたのは、この映画が初めてです。
多くの人に見てほしい、そして考えてほしい映画です。
「どうすればよかったか?」って? すぐ受診しろよって話。 認めたく...
統合失調症の家族を持つものとして
①弟が統合失調症を患っています。
統合失調症は昔は精神分裂症という名前で、精神分裂症=(今は禁止用語になっていますが、昔は普通に使っていた)“キ○○イ”というイメージで見ていられました。
弟は私がシンガポール駐在中に発症したのですが、帰国してみると「手遅れ(と最初に入院した精神病院の医師に言われた)」の状態で、質問をしただけでしたたかに殴られました。
当時住んでいたのは奈良県の片田舎の旧村、父母は戦前(昭和初期)生まれのザ・昭和人。
母によると父は体裁を気にかけて弟を医者に連れて行かなかったそうです。
だから、この映画の内容は他人事だとは思えず冷静な判断は出来ないかもしれない。
②「どうすればよかったか?」。後で悔やんでも仕方のないことだし、家族にとっても答えが出せない問いかけではありますが、やはり弟の姿を見る度にその問いを繰り返さずにはいられなくなります。(現在は施設に入っております。)
③私も最初は統合失調症に対する認識が乏しく、暴力を振るう弟を力で屈服させたら大人しくなるのではないか、と馬鹿な事を考えて大喧嘩をし、後々敵視されて“増悪”したときは集中砲火を浴びるようになり、家を出ていく羽目になりました。
もっと統合失調症について学べばよかったと後悔しています。自分のためにも弟のためにも。
③統合失調症と一言で云っても、人によって症状は千差万別。そこにその人が元々持っている性格も投影されるので、一言で「こう対処すればよい」と言えないのも難しいところです。
本作の監督のお姉さんは、医者に診て貰えなかったのはが両親が断固として拒否していたのが原因で、二人が折れてからは素直に(と思うけれども)医者に行ったようだし薬もちゃんと呑んでおられたようだ。遅かったかもしれないけれども晩年は穏やかに過ごされたように思う。
私の弟は元々頑固者で人の言うことを素直に聞かない(B型だから?)し、人に注意されたり怒られるとその人を避けたり反発する性格だったうえ、病識が無かった(これは統合失調症患者によくみられる傾向)ので、こっそり好きなジュースに入れて呑ませたりして結構苦労しました。
市の福祉課の親切な職員さんのお陰で施設に入ることが出来、やっと素直に薬も呑んでくれるようになり、煙突の様にふかしていたタバコも止めて穏やかに過ごせるようになっています。
発症から実に30年近く掛かりました。
我が家族にも(父は弟が施設に入る前に他界しましたが)やっと平穏な日々がやって来ましたが、それでも弟は一生をほぼ無駄に過ごしてしまったように思われて(統合失調症の人でも社会復帰して自立して働いておられる方はおられるのに)、自分はこうして好きな映画を観て人生を楽しんでいるのを考えると後悔の念が時々は浮かびます。
「自分がもう少し真剣に向き合っていたら(正直、逃げていた時期もありましたから)」「あの時どうすればよかっただろう」と…
最近さすがにそう思う回数はかなり減ってきましたが、本作を観て再度来し方を振り返りました…
間違いだったのかな
あえて酷い親であったと言いたい
監督の藤野知明氏は1966年生まれ。
お姉さんはぼほ私と同じ年齢だと思う。
時代背景を考えると両親の姉に行なったこと、行なわなかったことは同情できる、というのが優しい態度なのだろう。
しかし、
統合失調症と呼び名が変わったのは2002年。
知らなかったとは言わせない。
私は同時期に地方都市に生きたものとして、時代の空気のせいにはしたくない。
父親は最後の最後まで、25年の過ちを母のせいにし、あまつさえ「娘の人生は充実していた」と正統化をはかる。
監督の親に対する怒りは、親の姉に対する態度のみならず、自分自身への親のあり方に対しても向けられていると抑制的なインタビューの端々から感じられた。
皆、それぞれに辛い想いを抱えて来たのだ、無理もないことだ、というのは簡単だ。
しかし娘を医療につなげなかった責任は両親にあるとあえて言いたい。
親も可哀想なのは当然だ。
しかし最後まで見終えて、親の、特に父親の無責任さは強く指摘すべきだと、最後の父親へのインタビューのあとの監督の「カット、カットしてください」に感じざるを得なかった。
ポイントは弟である監督が、姉のことでよい結果を導けなかった忸怩たる想いだ。
責任の一端を負っている身内としての感情だ。
死顔をさらす背景に、姉と弟の悔しさを感じないではいられない。
20年にわたる苦しみは数ヶ月の入院の投薬で劇的に改善されてしまう。
このあっけなさに対する監督の想いをくみ取らなくてはならない。
この映画は「悲しみ」で終わらせてはならない。
「怒り」を伴って観なくてはならない。
25年は実はあっという間の時間だ。
どうすればよかったのか?
に明確な答えがあるはずがない。
だからこそ、監督の抑制的な言葉の裏の激しい感情を読み取らずにはいられない。
あの簡易な神棚への礼拝が合理性一辺倒でない一家の闇を深く表してしていると感じた。
結論「どうしようもなかった」
公開以来観に行かねば、と思いながら内容の重さに腰がひけており…やっと観てきました。
途中で何度も胸が苦しくなり、緊張で心臓がバクバクし、並のホラー映画より恐ろしく、悲しみで胃がギュッとなるような、なかなかない貴重な映画体験でした。
観てよかった。
この映画を理解するに当たり。
お姉さんが統合失調症を発症した1980年代半ばは、精神病に対する差別や偏見は今よりもずっと酷かったことを心に留めておく必要があります。
キ○ガイ、気○い、などの放送禁止用語がTVなどでもバンバン流れていた時代です。
2000年代になり、確か皇后雅子様(奇しくもお姉さんと同じ名前…)が適応障害になり、そのあたりから鬱病、新型うつなどの病名が広まり、精神疾患への理解がだんだんと広まっていった記憶があります。
ですので初動に関してはこのご両親を責める気にはなれませんでしたし、途中で何度か弟さんが方向転換を試みようとしたにも関わらず頑なに診療を拒否をされたのは、夫婦揃って医師(研究者)ゆえのプライド、また老齢故の頑固さが勝ってしまったのかなと。
大事な娘に精神病の烙印を押すなんて恐ろしくてできない、両親のその優しさが仇になってしまったんだろうと涙が出ました。
医者にも診せず南京錠をかけて監禁、なんて字面だけ読むと鬼畜の所業のように見えてしまいますが、なりゆきでそうするしかなく、いつの間にかその状態が恒常化してしまったというのが映像を見るとよく分かりました。
母親の認知症をきっかけに支援につながれたことは幸いでしたが、監督ご自身、数十年間にわたり老いていく親と病状が悪化していく姉を側で見ているのはどんなに辛かっただろうと想像します。
父親が姉の葬儀で「彼女なりに充実した人生だったと思う」と述べ、お棺に医学論文を入れたシーンはなんとも言えない気持ちになりました。
父親の欺瞞だ、と怒る人もいるかと思いますが、今自分は子育ての真っ最中ですが、自分の至らなかった点を将来子供になじられたとして、素直に謝罪できる自信がありません。
この父親のように「なかったこと」にしてしまう可能性は誰にでもあるかと。
もう一点、母親と仲が良かった妹さん(監督にとっては叔母さんにあたる方)が語るシーン、「あんな風になってしまって、でも身内だからこそ何も言えなかった、口出しできなかった」みたいなことを口にされていて、これにも深く頷きました。
大事な人を傷つけたくなかったり、関係を悪くしたくないから真実を言えない、ってことは往々にしてありますよね。
残酷な見方をすればお姉さまはご両親の判断ミスの犠牲になったと言えますが、監督がこうしてお姉様の人生を撮影し続け、映画として公開されたことで浮かばれる部分もあるかと思います。
身内の恥部を晒すことはなかなか出来ることではありません。
監督の勇気に拍手を送ります。
監督の親に対する断罪
2025年劇場鑑賞54本目。
エンドロール後映像有り。
統合失調症の姉を弟は病院で診てもらいたいのに、なまじっか父親が医学の研究者であったために、必要ないと言って診せず、母親は診せたら父親はプライド折られて死ぬからダメと言って診せようとしない。ついには家に内側から鍵と鎖をかけて母娘共々家から一歩も出なくなってしまうが、あるきっかけで姉に劇的な変化が起こり・・・というドキュメンタリー。
若かったお姉さんが最後おばあちゃんになっていくくらい長い期間のドキュメンタリーで、ここまで出すのよく我慢したなぁ、というのが一つ。
後、タイトルにある断罪云々は、自分がこの映画を見て感じたことで、いやそうじゃない、という解釈も当然あると思います。
自分も福祉関係に勤めていて、それこそ最初は上司に薬は悪で、必ず対話や関わりでなんとかなるんだ、という風に教えられましたが、人によっては多少大人しめにはなるものの、その薬を飲んでいる間は本当に落ち着いていて、別に笑顔もなくなるわけでもないのに、親がなんか元気なくて可哀想とその薬をやめた途端また自傷行為をするようになった方を知っているので、病気なんだから薬飲めばいいじゃん、と自分なんかは思いますので、この監督の親に対する憤りが分かります。
身につまされる
両親の深い愛情を通じて、かつての精神科医療の実体もほの見える?
この日本では、精神障害者は、長らく人間扱いされてこなかったとも言われます。
いまでこそ「統合失調症」という病名ですけれども。
しかし、2002年に呼称変更される以前には、あたかも患者の人格を否定するかのような、差別的・侮蔑的な病名だったことは、周知のことです。
(まだまだ評論子が子供だった頃は、周囲の大人たちが精神科病院を指して、まったく侮蔑的な名称で呼んていたことを覚えてもいます。そのニュアンスから言っても、当時の世評として精神科は、不幸にも精神面が正常でなくなってしまった人を隔離・幽閉するための施設であって、医療者の継続的な管理下で病気を治療する施設という受け止めではなかった)
そうして、お二人とも医学方面の研究者だったという藤野監督のご両親は、そういう精神科医療の(当時の)現状をよくご存じで、それゆえ、件の医師が書いたという論文に難くせをつけてまで(?)、お嬢さま(藤野監督の御姉さま)に医師の確定診断を経ることを避け、精神科病院に入院加療させるという方途に躊躇(ためら)いがあったのではないかと、評論子には思われます。
それは、世間体とか、医学の研究者としてのプライドとかいうものでは、決してなかったと、評論子は受け取りました。
(むしろ、神の御業なのか病を得てしまっても、なお愛娘には、あくまでもひとりの人間として接したいという、ご両親の深い愛情すら感じられる)
「身体の病気も、精神、つまり心の病気も、病気に変わりはありません。早期の治療が望ましいことは、いずれも同じです。しかし、長い間、心の病気は、病気としての正し
い扱いを受けてきませんでした。(すなわち)長い間、精神障害者は、いわれのない差別を受けてきました。精神障害者は危険で隔離すべき対象とされてきたのです。明治の中頃まで、精神障害者への対応は、加持祈祷などの民間療法と私宅監置が中心でした。
1950年に一応の近代立法である精神衛生法が施行されましたが、私宅監置が精神病院への収容に変わっただけで、それまでの精神障害者に対する危険視と隔離の発想は引き継がれました。精神衛生法はその後改正を重ね、精神保健法を経て現在の精神保健福祉法になりました。しかし、長年にわたり精神科病棟の職員配置は一般病床より低く抑えられてきたなど、精神障害者に対する差別は医療の現場にも根強く残っています。閉鎖病棟の多さ、解放処遇の不十分さ、社会的入院など、今後改めなければならない。多くの課題があります。」(「Q&A高齢者・障害者の法律問題」日本弁護士連合会高齢者・障害者の権利に関する委員会編、民事法研究会刊、2005年)
前同書は、また「心の病気は、身体の病気と同じように誰でもかかるかもしれない病気であり、そして心の病気に必要なのは隔離ではなく医療であるという当然のことが、一日も早く社会全体の共通認識となることが望まれます。」とも指摘しています。
タイトルにもなっている「どうすればよかったか?」という藤野監督による本作の投げかけ―それは、とりも直さずご家族をめぐる藤野監督の葛藤―も、ここにあったことは、疑いがなかったかとも思います。
(藤野監督のお父様が、「多くの人に観てもらいたい」という本作の公開を快諾なさった真意も、他ではない、そのことにあったことも、明らかだと思います)
それらの点において、本作は、十二分な佳作だったとも、評論子は思います。
(追記)
蛇足を加えれば、評論子の周囲にも統合失調症を患って休職し、今は復職を果たしている方もいらっしゃいます。
今は、良い薬も開発されて、必ずしも難治の疾患ともされてはいないようです。
しかし、それは、あくまでも令和の「今」でのこと。
その尺度で評すると、本作の前提(時代背景)を誤るように思います。
問題作
「どうすればよかった」に正答は存在しない
家族の物語
「家族」
答えは出ているので、題名がしらじらいという論調もありますが、問題なのは何故両親は、弟の懸命な説得に耳をかさず、受診から遠ざけたままにして、状態を悪化させてしまったのかということにつきると思います。
詳しくは書きませんが、家族の情愛やエゴは得てして、冷静な判断を下せなくする機能を果たすということかと思います。そのような事実が、ごろりと観客に提示されているように思いました。それが観客の自らの経験と化学反応を起こし、ある種の共感を呼ぶのだと思いました。
やっかいな存在。その名は「家族」。
それでも、憎み合うだけというわけではなく、いろいろあったけれど、多分それぞれが大切な存在として意識されていることがうかがわれる点でもよかったと思います。
父母ともに優秀な医師の元に生まれた優秀な医学生だった姉。そんなエリート一家もやはり家族故の情愛やエゴは普通の家族と多分変わらない。
ラストシーンが目に焼き付いて離れません。
両親の思いと本人の重圧
本当にどうすればよかったか?
観賞後、家に帰るまでの間に何回ため息をついたことか。
統合失調症を発症したお姉さんを医療から遠ざけ続けたご両親を糾弾するのは簡単だけど、いち観客に過ぎない自分がそれをするのは違う……というのは分かりつつ、でもお母さんの話が通じない様子やお父さんがラストで発したあの一言には「あーっ、なんかもう!なんかもう!」と悶えそうになる。
やっと入院したお姉さんがたったの3ヶ月で劇的に症状が緩和したのも「よかったね」と思いつつ「じゃあ、あの二十年は…」と何ともやるせない気持ちに。
ご両親に、お姉さんに対する愛情や統合失調症に対応しようとする頑張りがあったのは分かるけれども、なんか…なんか…
(病気の早期発見と早期治療)(第三者の介入)これが正解なのは間違いないんですが、もしそれを家族や本人が拒んだときは…。そして自分も当事者だった時は…
本当に「どうすればよかったか?」という問いが頭の中をグルグル回ってため息の連続でしたが、もしアベマの番組か何かで本作品が取り上げられてコメンテーターが強い口調で一刀両断したりしたら「それは違ぇだろ!」と思うのは間違いないでしょうね。
バイアスの恐ろしさ
統合失調症ではないが、発達障害+知的障害、認知症、双極性障害の身内がいるので、全編共感しながら鑑賞した。以下、感じたことを整理したい。
●専門的知識があろうと、バイアスからは逃れられない
「正常である」という認識を拡大させすぎる正常性バイアス、医師(この場合は両親も含む)の持つ知識や権威性を絶対視する権威性バイアスによって、「娘は治療など必要ない」とする両親に悲しみを感じた。両親が最終的に互いに責任をなすりつけあう姿も生々しい。医師として、親としてのプライドが目を曇らせている。
ちなみに昨今はネットの発達で医師の権威性(患者と医者の情報非対称性)は薄らいでいるし、障害や病への理解も進んでいる。そういう時代に生きている自分からすると、お姉さんが生きた時代の流れが悪かった、という点も見逃せない。
●教育虐待、「兄弟児」、ヤングケアラー、毒親、8050問題
いずれも流行りのワードであり、本作と密接に関連している。監督には、次回作でその視点から(今度はより中立の立場で)作品を作ってほしい。
●両親は娘を愛していなかった…わけではない
家父長制的な家族において、愛情とは子どもを管理し、囲い込むこと。父親はそれを忠実に実行したにすぎないのかもしれない。
●私怨を晴らすための作品か?
そういう面もあると思ったが、それが作品の意義や質を損ねているわけではない。実の弟が記録するのだから、怒りや憎しみが湧いて当然だと思う。「憎んでいないか?」と姉に問うシーンを挟んだのは英断だ(監督自身が怒りを持って撮影していることを表明しているシーンであり、観察者として偏りがあることを示している分誠実だと感じる)。
どうしようもなかったから、この作品ができた
まず、ドキュメンタリー作品というものについての個人的な前提を記載します。
これは、所謂ドキュメンタリーなのだと思うのですが、そのような映画を観るにあたり、「ドキュメンタリー=現実」ではないと思うことが大切だと思うのです。つまり、ある現象や事実を映像化するということは、製作者がそこにある物事を、「個人的な思想」に基づいて映像化しようと「思った」訳ですので、正確にいえば「ある現実を、テーマ性を持って切り取った記録作品」ということなのかな、と思います。そうなると絶対に映像の方向性は恣意的になり、製作者の思想が「編集」というかたちで自然に織り込まれて行きます。そしてもう一つ、「自分がこの人たちだったら」という考え方に取り込まれない方が良いとも思いました。単純に、自分たちはその人たちではないし、例え環境が同じになっても、その人たちにはなり得ないからです。そう思わないと、少なくとも私は「共感」ではなく「同情」(これは共感から最も離れた意味を持ちつつ、最も誤解されやすい感情だと考えます。)を抱いてしまうからです。ニュースでもそうですが、それら製作者の思想を、まるで現実そのもののように取り込むことこそが、昨今のテレビ業界や週刊誌を「叩く」という現象における原因の一つにもなっていうのかな、と思います。あくまで原因の一つだと思うだけですが。まず、こういう前提があるとこの作品は考えやすいかな、と思いました。何故なら、このようなドキュメンタリー作品は「○○が絶対に悪い」という善悪二元論か、「答えがない」という類の答えに行きがちで、モヤモヤしたまま終わってしまい、「なんかすごいものを観た。」で終わってしまうと思ったからです。もちろん、そういう「答えが出ない」系の感想が悪いのではなく、むしろ悩むこと自体が人間として大切なことだと思うので正解なのだと思いますし、善悪二元論も言うまでもなく間違っていない考えだと思うのですが、折角なら「自分なり」の答えは出せた方が良いな、と個人的には考えたため、上記のようなことを長々と書きました。
次に、わたしの感想を、わたしの中にある前提も含めて書かせていただきます。
まず、全体をとおしてわたしが思った、極々個人的な感想は、「どうしようもなかったから、この作品ができたのだろうな。」ということでした。
パッと見、このような事態には誰しもがなるかも知れない、と思ったのですが、わたしとしては、「このような事態」になるには多くの前提がなければならないと思い、自分の中にある前提を解体してみました。
結果として、わたしが最初に思った「このような事態」のほとんどは「統合失調症の家族」と「現実を認められない人間の社会性」という二つの要素だけでした。確かに、統合失調症が家族に症状としてあらわれたら、わたしは単純に「怖い」し「不安になる」し、要するに「どうしよう」と思うのです。それは、監督含め、このご家族にも当てはまると思いました。
一方で、もう一つの「現実を認められない人間の社会性」については、所謂「自分の失敗」を隠すことで周囲への体裁を整えたり、見栄を張ったりするために使うことが多く、恋愛や仕事、家族関係などで上手くいかない時に心の中で自分以外の他人や環境のせいにすることにより露呈するものだとわたしは思っています。
こう思った時に、単純に「統合失調症の家族がいる」という事象と「現実を認められない人間の社会性」というテーマは結びつかないな、とわたしは結論づけました。実際、これは全ての当事者の方々がそうであるとは思いませんが、統合失調症が家族から出て、それを家族で協力し合って治療している方々もいると思うからです。そして、そういう人たちが所謂「善人」だったから家族の病気にも向き合えたとも思いません。つまり、「致し方なかった」というところも多分にあっただろうと思うのです。
このドキュメンタリーを観てわたしが思い出したことは「座敷牢」です。「私宅監置」という言い方もあります。わたしは、その前提として「自宅に牢を作ったり、自宅である人を監置できるような環境(資金力など)がある」ことが第一に挙げられると思っています。このご家族も、お父様の海外でのお仕事に乗じてエジプトなどに家族旅行に行けたり、1950年代から記録映像を残せるほどの資金力に恵まれていることが分かります。また、中盤辺りで統合失調症のお姉さまだけでなくお母さまも、ほぼ1年間自宅から出来いない状態になっているという事実も分かりますが、これも要するに「家族が約1年間自宅から出なくても良いような経済環境」だとも思えてしまいます。監督ご自身も9年間大学に在籍できたり、お姉さまも大学合格まで4浪もできていたりします。例えバイトをして学費を稼いでいても、9年間も大学に通えたりすることはそうないとわたしは思いますし、4回も大学受験をさせてくれることもなかなかないのではないかな、とも思いました。そういう意味で、まずこのご家族は経済的に「恵まれてしまった」と思いました。これが、わたしが考える「どうしようもなかった」理由の一つです。
次にご家族のパーソナルについて、わたしが考えた前提を書きます。まず、上記のような経済状態になれたのはどうしてかというと、単純にお父様とお母さまが大変優秀なお医者さんだったからだと思います。その努力の積み重ねが社会に認められ、結果としてこの家庭を作ったのだと思いました。そのようなお父様とお母さまですので、医学の知識や関連する機器などについては大変詳しく、お年を召してからも論理的に物事をお考えになっていることが分かります。一方、そのようなお二人ですので、自分の人生についてはプライドも持っているでしょうし、「絶対に~だ。」という認知的な歪みもあったのかも知れない、と思いました。そのようなご両親ですので、基本的に成功体験が多く、大体のことは「やればできる」と考えてしまい、お姉さまや監督の言葉や普段の状態にも、ある種鈍感になっていたかも知れません。そして、お姉さまが統合失調症になってもその現実を認められず、何かしら理由や理屈をつけて現実と向き合うことから逃げていたのかも知れません。監督とのインタビューの中で(特にお母さまが)、監督からの強いご指摘に対して極端に話をすり替えようとする場面(お母さまが「じゃあパパに死ねっていうの?」と監督を責め返そうとするなど。)から、わたしはそう考えました。
次にお姉さまですが、映像記録を観たり、監督ご自身のナレーションを聞くと、大変人懐っこく、可愛がられたことが分かります。また、占いを信じたり、たった一つの不安を拡大視してしまうような(学生時代にガンで死んだ同級生を引き合いに出して、お姉さまがかつて「自分はガンかもしれない。」と言っていた、というエピソードを監督ご自身がナレーションされていました。)感受性の高さも伺えます。一方、これらの要素は「夢見がち」で「現実逃避的思考」になりやすかったり、思い込みが強すぎるという、これも一つの認知の歪みであるとも個人的には考えます。それらを踏まえて考えると、お姉さまはもしかすると、優秀なご両親のご期待に応える「べき」だと思い込んで思考的視野狭窄に陥り、占いなどが好きな自分よりも両親という「他人」を自分の人生の中心に据えてしまい自己肯定感が損なわれる要因を作ってしまったのではないでしょうか。更に、何度も受験に失敗し、その感受性の高さにより実習でも上手くいかないことで必要以上に傷付き、「みんなが自分を責めている」と現実をネガティブな方向へ拡大させてしまったのかも知れないと考えました。
そして監督ご自身について、大変家族思いで、特にお姉さまに対しては強い愛情を感じました。一方で、映像作品を志したところからも、やはり感受性が高いことも推測できます。お父様やお母さまへインタビューする際に、たまに感情が乗ってお姉さまへのご両親の所業を尋問口調で責めるところからも伺えました。わたしが気になったのは、監督ご自身がお姉さまに何度も話し掛けるある場面で「パパとママに復讐したい?」という趣旨の質問をしたことです。お姉さまは何も答えなかったのですが、これは監督ご自身がご両親に絶対的に非があることを確信するとともに、お姉さまも「絶対に」ご両親のことを恨んでいると「思い込んでいる」ように思えてしまい、個人的に認知の歪みであると考えます。しかし、それでも結局、監督ご自身が2008年まで四半世紀もそのようなご家族の状況を打開できなかったのは、当然ながらお姉さまだけでなくお母さま、そしてお父様も含めてご家族を愛していたからだと思います。それと、9年間大学で、その後は神奈川で就職するなどして、家族の抱える事実からある意味で最も「逃避していた」という事実(これは監督ご自身がナレーションで「とにかく家にいたくなかった。」という趣旨を神奈川への就職について話す件で話しているので、そう推測しました。)による罪悪感も、なかなか踏み出せなかった要因なのかも知れないと思います。
上記のようなご家族のパーソナルがあった結果、お姉さまは統合失調症になり、ご両親はそれを否定して家に軟禁し、監督ご自身もなかなか踏み出せないまま、25年もの歳月が流れてしまったのかも知れません。
これが、わたしが考える「どうしようもなかった」理由のもう一つです。
以上のことは、しかし、一つ一つはよくある状況、よくいる人たちだと思います。わたし自身も、極端な考え方をしたり、無遠慮に人の心に踏み込もうとしたり、自分本位なところの多い人間なのですが、こういう状態にはなっていません。また、上記の条件二つが「表面的に」当てはまったとしても、そうならないご家族などたくさんいるのでしょう。
わたしが考えるに、上記にある「環境」と「家族という構成員のパーソナル」は、拳銃でいうところの「銃筒」や「弾倉」、「トリガー」を構成する「誘因」でしかなく、最終的にそのトリガーを「引く」のは、言語化出来ない、その家族そのものが持つ「個性」なのではないかと考えます。ですが、逆に言えばそれらの個性を持っていても上記のような「誘因」を防いでいければ、違う未来もあるのかも知れません。
ですので、誠に勝手ながら自分のことだけ想定して考えると、「経済的環境は社会に助けを貰わないと生きていけない程度の生活をして、家族ともなるべく向き合いつつ、しっかり自分の人生を自分のものとして生きるのが大切なのかも知れない。」という結論に至りました。
作品の終盤、お母さまとお姉さまは亡くなってしまいます。もしかすると、お姉さまはずっと軟禁され、ちゃんと運動する機会に恵まれなかったことが肺がんの遠因の一つかも知れませんし、お母さまの認知症もお姉さまのお世話による心労がたたった結果かもしれません。お父様と監督が最後に対峙するリビングには家族の象徴であったソファはなくなり、一時期は汚くなった部屋も綺麗になり(寂しくもなり)ました。監督の叔母は「(お姉さまを)愛しているから閉じ込めたのではないか。」という趣旨をインタビューで語り、お父様も「失敗したとは思わない。」(成功と失敗が価値基準ということですね。)と、自分たちの半生を映像化することに意外なほどあっさりと快諾しました。そこに何の落ち度もないかのような実父の笑顔に、年を経てすっかり丸くなった監督は、疲れとも後悔とも、諦めとも分からない風情を背中に宿しながら「カット」と言い、画面が暗転します。
わたしは、この作品が「お姉さまの生きた証を残す」ための作品であると同時に「ご両親への復讐」なのだとも思いましたが、ひょっとすると、「監督ご自身が何も出来なかった自分なりの贖罪行為であり、懺悔の具現化」なのかな、と最後は思いました。なので、とても強烈な作家性が感じられ、その執念ともいえるものに呆然としましたが、個人的にはご両親だけでなく家族という構成員の一人であった監督ご自身についての心情を見せていただきたかったため、星を一つの半分除きました。
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