どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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論理的思考とは
いくら医者や学者であっても、人は全ての物事を客観的に見ることができないのですね。1980年代はまだ精神病が社会的に偏見を受けていたので、身内(娘)の恥を隠す行動はとても理解できました。
統合失調症の発症のメカニズムは分かりませんが、先天的であれ後天的であれ現実を認めることは容易ではありませんよね。その人間の心理を身内が主観的に撮影した作品だから、観客の関心をひくのだと思います。監督の苦悩を自分に置き換えることができる、、、今や国民的な疾患である鬱病や認知症でも似た様なことが起こり得るかもしれません。
他人のことは『ああだこうだ』好き勝手に言えますが、いざ自分がなってみたら客観的に物事を捉えることができるだろうか?事実を認めたくないのではないだろうか?
人間は論理的思考を完璧に習得するのは難しいかもしれません。
ファミリーヒストリー
衝撃を受けた!
重い、けれど心に刺さる。
どうすれば、、とともに原因は何かが頭を巡った、大体分かるけれど。
けれども、どうしようもなかったか、、
ひたすらお姉さんが可哀想、両親は気の毒。
どうなるのか、観ていてずっとドキドキしていた。
〝合う薬〟があって良かった!
お姉さんの表情が劇的に変わった。
監督の弟さん偉い!よく撮り続けてくれた。
子供時代、お姉さんからもらった愛が映画制作のパワーになったのだろうな。
お姉さんを助けたいって。
それにしても時の流れは残酷、みんな、歳を取った。
お姉さんの最後の安らかな顔に救われる。
〝どうすればよかったか?〟秀逸なタイトル。
これはNHKのとは違う、もうひとつの〝ファミリーヒストリー〟だ。
タイトルなし(ネタバレ)
初めに、このレビューを書くにあたっても、映画の冒頭で出てきた誰かを責めるということはここでもしないようにしたい。
だが、あんなに口を真一文字にした険しい表情しかしなかったお姉さんが、お母さんが認知症になったことでお姉さんが病院へ入院し退院すると、料理をし始めたり、カメラにピースで笑顔を向けるようになった姿を見ると、どうしても適切な治療は必要に感じてしまう。
そのためにも、家族の理解はもちろん、家族が安心して治療させられる医療機関の整備も、今の社会では必要に感じる。
この映画でより、精神医学についての関心や理解が広まっていくことを望みたい。
これは統合失調症の話ではない
タイトルなし(ネタバレ)
鑑賞して一日経ち,あの家庭においては最大限の結果だったのでは?と思えてきました.
近年は「親ガチャ」という表現がありますが,まさに最悪の親たちで,あの話しぶりを聴いていると知性や愛情など微塵も感じられず,非論理的な見栄や保身や責任転嫁ばかり感じイラつきながら観ておりました.科学から最も遠い思考体系ではないか!と.
しかし弟(監督)は膠着した状況にもかかわらず,姉への愛情を持ち,粘り強くできることを成し遂げました.私などにはとてもできません.
寛解とは言えずとも姉が食事の支度をしたり弟に手を振る姿が見れるとは...
「どうすればよかったか?」との問いには,あれ以上できることなどなかったでしょうと.
弟が為したことに対し反論も対案も誰にもできないと思います.
私はこの映画を,姉へのレクイエム,そして両親への復讐,と捉えました.
ところで晩年の母親は認知症ではなく統合失調症ではなかったのでしょうか?
最近では精神疾患が腸内細菌叢と深く関わっていることが明らかになっています.
腸内細菌叢は母親から子供に受け継がれます.
観客を当事者にしてしまうタイトルの秀逸さ
タイトルを「どうすればよかったか?」とすることで、ほとんどの受け手は、映画を通じて見せつけられる、不運で不条理な出来事を自らの課題として考えさせられる。
正解の無いこの課題に、観客それぞれが自分の答えを出すということが監督が求めていることだと理解しました。
実態としては、自慢の娘が統合失調症になったことを恥じる気持ちがある両親が、娘の異変に気が付かないふりをして、異変が起きる前と同じような生活を娘や自分たち自身に強いていたというものだったと感じました。
家族全員が高学歴なので、交わされる会話は、ボキャブラリーに富んだものではあるが、何ら発展性のないもので、たくさんの音をやり取りしているに過ぎないのは、シュールなコントのようでした。
一言で言えばハイソサエティーなネグレクトです。
発症から20年以上を経て標準治療を受けるようになり、会話の体をなすようになった娘の様子を見ると、両親のせいで発症後の可能性を根こそぎ奪われてきたんだなと悲しくなりました。
家庭で起きた問題を家庭内に閉じ、社会化できないと、このような悲劇を生むことがいくつもあります。
自分だけでは解決できないことがあることを悟ること、適度に他人に頼ること、自分はそう考えて対処しようと、改めて思いました。
「最後に聞きたいんだけど、もし機会があるならどうすれば一番よかったと思う?」
父と、母と、統合失調症を患った8歳上の姉と、弟(監督藤野知明)。弟は、早い段階で姉の異変に気付いているし、両親が姉の障害になっていることにも絶望し、この現実を記録していずれ将来は映像化することを決意している。そのくらいしか、自身が姉にしてあげられることがないと察している。なら無理してでも病院に、と他人が言うのは容易いだろう。無理だったと思う。こんな世間体を気にする両親に抵抗するのは。そしてどんどんドツボにハマっていく家族。悲劇的でいたたまれない。せめて、現実を受け止める冷静さと判断力を持った弟がいたことが、この家族のストッパーであったと思う。おそらく、弟という常識の存在が、残りの家族の崩壊を食い止めていたのだろう。父は、見栄(カメラの前でいつもお気に入りのシャツを着ているのがその表れだ)や体裁(娘を外に出そうとしない)で凝り固められ、母は、旦那の意見に異を唱えることさえせず、娘の尊厳を無視していることに気づかない。娘は、心と体が一体じゃない自分を自分自身ではどうしようもないジレンマを抱え、自分自身をコントロールする術さえ知らず、おそらく自分が何者かさえも分からなくなっている。警戒、妄想からくる発狂と無表情。これがわが身、我が家族であったらどれほど困難な人生を送ることだろう。
最後に弟は、この記録を映画にすることの承諾を父に訊ねる。
「最後に聞きたいんだけど、もし機会があるならどうすれば一番よかったと思う?」
父は答える。
「失敗したとは思っていないね」
その言葉を聞いた時に僕は、怒りを覚えた。だからと言って今さら何もできない(他人だからなおさらそうだが)無力さに打ちのめされた。
終映後、公開後ずいぶん経っているのに半分を超える席が埋められた劇場は、だれも言葉を発することなく無言だった。
最初は
「これは治療を受けさせずに隠す親が悪い!!!」と思いました。
でも後から考えると、この時代の精神病院とは「頭がおかしくなってしまった人が行くところ」という間違った認識が強かった。誰かが精神病院に入院したなんて聞くと、もうあの人は廃人になってしまったんだくらいに思っていた。
今は情報もたくさん発信され、精神の病についてテレビ番組で特集されることもあり、正しい認識が広がってきているけど…
もしかしたら両親はそうするしかなかったのか…?
配給会社 東風のポッドキャストで監督の藤野さんが
「この映画は受け入れ難い事実に直面した時に人がどう反応するかを記録したものなのだと気づきました。」
とおっしゃっていました。
しかし家庭の中は閉ざされていて、その家独特のルールがあったり、(私の家では父親の暴力が酷かった)ある意味恐ろしい場所になりうるんだと思いました。
とても見応えがあり考えさせられる映画でした。
ちゃんと「映画」だ
個人の雑感です。話題になり近所の映画館でも上映されることになり、久々にシアターでの鑑賞。平日昼間、スクリーン3キャパ60程度で8割ほどの入。かなり壮絶な映画なんだろうと身構えるが、前半は想像以上に淡々と何事もない家族の風景が進む。
必要最低限のナレーションはいあるものの、ドキュメンタリーにありがちな余計な説明がなく、お父さんの喋る言葉も聞き取れないのだが、不思議と退屈ではなく、緊張感もあり引き込まれる。お父さんの家はすっごい金もちだな、とか、お姉さんとても美人だな、髪の毛がクシャクシャで若いときの戸川純みたいだなぁ、とか思いながらじっと見る。還暦でもまだ美人。普通に世に出てればさぞモテただろうなぁ。
投薬であっさり症状は改善するのだが不思議と「ほらだから早く見せてればよかったのに」という感情にはならず、全てがこれはこれで良かったのかもとさえ思えてくる。葬式のシーンではこらえきれず号泣、周りの人たちも泣いてた。そしてエンディングロール後の車内からのお姉さんの手を振る姿でまた号泣。一度も退屈しなかった。これは日曜の昼テレビでやってるようなドキュメントではなくちゃんと「映画」になっている。(面白かった〜)っていう感想ではないが、久々に心が何かで満たされた。
愛情深く、一見、家庭が安定している
愛情があるから父も母も娘を守っているし、大事に関わっていると思う。弟も父と母から大切にされてるから大学も留年できているし、恵まれた家庭環境で、虐待される家庭とは全然違う。支援対象とならなかったから、他者の介入が無かった。
弟も親に甘えている。でもお姉ちゃんを普通にしたいとの気持ちもある。お父さんもお母さんも子供を大切に育てていたドキュメンタリーだと思う。子育てを否定するのは他者なのか?子育ての結果は誰が感じるもの?子供本人と思う。病気の理解につながるので医療系の学生さん達には見てほしい。この両親は子供達2人を大事に思っているのは間違いない。
精神分裂症から統合失調症へ
統合失調症の治療が確立され始めたのは1950年代からで、それまでは発病者への差別はおろか家族への差別もあり、姉弟すら結婚が破談することも希ではなかった時代だった。
現在では治療も進歩して発症者の多くが社会復帰し、社会的な支援体制も確立しつつある。
発症した長女は、ひどい自傷他害は見受けられず家族からの虐待もない。
比較的穏やかな暮らしが想像された。
監督である弟は被害者であると思う。
多感な時期に優しかった姉が変貌し、日々生命の危機を感じながら暮らすストレスたるや、想像を絶する。
障害者がいる家庭のいわゆる「きょうだい問題」をまともに受けてしまった弟。
監督としてこの映画を撮ったことで、折り合いがついたことを切に願う。
もう少し早く治療していれば…。
考えさせられる
場末の映画館でノスタルジーに浸りながら観始めたが、最初から強烈で心がザワザワして、とても落ち着かない気分でした。
100人に1人と言われる統合失調症ですが、まさこさんに症状があらわれた時に精神科で然るべき対応をしていれば、人生の空白はなかったのにと両親のどちらが主導した結果なのか考えながら観てました。
最初は頑なな母親に怒りが沸きましたが、告別式での父親のスピーチにありがちな家庭環境が透けて見えて、これは共犯なんだなと思いました。
家庭の中で子供は大人になっても意見を受け入れられにくい、それはまだ大人の実績がないからか、子供の面影をそこに見るのか。
エンディングの後の映像で、外で待っているまさこさんがピースをした後に丸を手で形取った姿で我慢できず大号泣でした。
まさこさんが治療を受けていたらと悔しい思いが止まらないです。
最後に、カメラを向けられたまさこさんがモデルみたいなポーズをした時、とても可愛くて素敵だと思いました。
20年間なにも変わっていない
流れぬ水はどんどん腐る、と思ったけれど……
原一男監督『ゆきゆきて、神軍』をちょっと思い起こさせるような緊迫感があり、力のある、質の高いドキュメンタリー作品だと感じました。
ほかの鑑賞者の方もそうだと思いますが、ぼくはこの映画を見ていて、とてもしんどくなってしまいました。
外の空気が入ってこない、外部と交流がないということは本当にこわいことです。
この閉塞的な家庭環境を見ていると、「流れない水は、どんどんと腐っていくのだな」とそんな考えが頭に浮かびました。
スクリーンに映し出される病気の症状は時として激越なものがあり不安にも襲われましたが、それよりも恐ろしいのは、やるべきことがはっきりしているのにもかかわらず、両親がそれに目を背け続けていることでした。その理由はプライドや世間体なのでしょうか。権威主義的傾向の強い親ほどこういうふうになるのかもしれないなと考えたりもしました。
そして、この家族はタフだなぁ、とも。
あんな状態を何十年も続けられるのだから。一歩間違えると取り返しのつかないことになりかねない修羅場を何度も経験したことでしょう。
しかし、そのタフさが問題を長引かせたとも言えるのではないでしょうか。
それに、本当に家族のことを思えば、早期解決を考えたなら、本作の監督=弟さんも、行政に頼るなど多方面に相談するべきではなかったのか。電話相談なんかではなく、役所などに足を運んで担当者と顔を合わせてどんどん話をするべきではなかったのかと思いました。
また、こんなことも感じました。
だんだんと症状が増悪するお姉さんは、髪も乱れ、狂人の様相を呈していたけれど、その表情はどこか安らいでいるようにも見えました。まるで悟った聖人のように。
ぼくはその表情を見て「人間は解決できない問題があるとき病気の中に逃げることがある」という、むかし読んだ文章を思い出しました。
――と、ここまで書いて、少しほかの方のレビューを読んでみたところ、「あーっ」と、また気づかされました。
ぼくは、あの両親や弟の責任を追求するような見方ばかりしていて、時代を考慮することに欠けていました。その点が足りなかった。
たしかにお姉さんが発症した当時は、いまとはちがい精神疾患や精神医療に対して様々な偏見がまだまだ根強く存在している時代だったなぁ、と。
ぼくも若いころ、不安障害で精神科にお世話になりましたが、やはり受診するまでなかなか踏ん切りがつかなかったことを覚えています。
精神病院や精神科を受診することは、自ら「まっとうな人間でない」ことを認めるようなものであり、恥ずべきことだ、と思っていたところがあったからです。
ましてや入院なんてことになると……。身体の拘束や虐待が行われることも少なくなかったかもしれないし。
そんな時代背景であったのだということをよくよく考えなおすと、この家族への見方も少し変わりました。両親の葛藤も少しは理解できるような、非難ばかりもできないような、そんな気持ちに変化してきた。
というわけで、今回も自分のものの見方の浅さを痛感したのですが、うーん、……それでもやっぱり両親の責任は大きいなぁ、と思ってしまいます。
追記
ハンディ・カメラ(と言っていいのかな?)で撮った家族の記録が全国公開され、多くの観客が鑑賞することになった本作。
大むかしに、ヴィム・ヴェンダース監督が「テクノロジーの発達により、いまに誰でも映画を撮れるようになる」と語っていたことを思い出しました。
本当にそうですね。その気になればスマホでも映画が撮れる。すごい時代になったもんだと思うと同時に、未来を予見するヴェンダース監督の慧眼に感心させられました。
当然ですが、現実です。
壮絶な、家族の記録
冒頭、音声のみが流れますが
それが一番最初の記録だそうです。
丁度、
知りあいの内科医が、メンタル不安定だったのですが、いよいよ症状が出てきて入院された所でした。その内科医も、ご両親も医師だったので、このドキュメンタリー映画と重なり、ぜひ観たいと思いました。
驚いたのは、弟である監督も
お姉さんの事で精神的に病んでいた事、
当然、そうなりますよね…
10代の少年期に、姉に襲われたらどうしようもないから反撃して、そうすると殺してしまうかもしれないけど仕方ない、とまで考えていて。
安心できるはずの「家」が
全く安心出来ない場所なんて、辛すぎます
メンタルやられますよね。
そんな少年時代を過ごし
全く進歩しない実家の危機を変えるべく
映像を撮り続ける後の監督である弟。
昔の8ミリの映像に(監督が生まれる前の映像)
とても裕福な家庭
知的なご両親が映っています。
監督は1966年生まれ、私も同世代です
全く私とは生活環境が違う…
監督も将来は研究者になるかも、と幼い頃考えていたそうです。
やっぱり環境が与える影響って、凄いですね。
そういう環境の家庭だったんですね、
お姉さんは疑う事なく医師になる道を選んだけど、結果的には、
どうやら合っていなかったのでしょうね
4浪して医大生に、
座学?が終了し
研究実習が始まり最初の症状が出たそうです
それからのお姉さんの症状は壮絶です
印象的だったのは…
夜中の大声、
母親が部屋に入って行って、それでも止まない声
で、普通の顔をして部屋から出てくる母親
異常が日常で
異常を異常と認識しない両親
お姉さんを病院に連れて行かない理由を
母親は「お父さん」のせいにして
父親は「お母さん」のせいに
でも、冒頭の音声で
「どうしてよ!?私の家族に精神分裂症なんか!?」って、母親が叫んでたんですよね…
どっちだったんでしょうか?
いや、どちらも、なのかな…?
お葬式で
「彼女なりに充実していたろう」と言っていた父親
そうであろうと思いたかったんだと思う。
叔母さんは
「まこちゃんは本当に天使のような子供だったけど、少し神経質だった」って。
こうなってしまったけど、家族としては仕方なかった、、的な事を言っておられてびっくりしたけど、それは息子である監督の気持ちを汲み取って、ご両親を庇った発言なのかな、と後から思いました。
最後のインタビューで父親が
「失敗はしていない」と言っていて
娘のことは愛してはいたけれど
そういう人種の人だと感じました。
もしくは
息子には後悔してるなんて懺悔するのは
父の権威があって言えないのかな…
その方が、人間らしいと思いました。
【"自覚無き、両親による治療無き監禁”今作は、精神疾患を患った娘を、医者である父と研究者の母が家に閉じこめた20年を記録した、恐ろしきも哀しき鬱ドキュメンタリーである。】
ー ご存じの通り、日本には”恥”という文化がある。武士階級から始まった文化だが、徐々に庶民まで広まって行った。
故に、古来、日本では精神疾患に罹った者を地下牢などに隠したりしてきた。その流れで1900年に「精神病者監護法」が施行された。”看護”ではなく、”監護”である。その後、この法律は名を変えて来たが、1965年まで続いていた。
無くなった主な理由は、人権と、精神病院の普及である。
だが、今作では恐ろしい事に現代の"自覚無き、両親による治療無き監禁”が、ドキュメンタリー映画として記録されているのである。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作は、ハッキリ言って恐ろしいし、哀しいし、観ていて気が滅入るし、精神状態が安定していない方は観ない方が良いのではないかと思った程、重い作品である。
・自分に対し面倒見がよく優秀だった姉が、医学部在籍時代に精神状態がおかしく成る。だが、医者である父と、研究者の母は、その事実を認めずに20年近くが経過する。今作の監督であり、弟でもある藤野は、映像制作を学び、自宅に頻繁に帰り、姉と両親の姿を映し続ける。そして、両親に今の状態はオカシイと説得し続けるのである。
・だが、両親、特に母親は発症時に精神病院に行き、問題ないと言われたと真面目な顔で言い続けるのである。そして、”姉の様子がオカシクなったのは変な奴が来るからだ”。”とか訳の分からない事を延々とカメラに向かって話す。観ていて滅入る。この人は、自覚無き治療無き監禁を20年以上して来たのだと思うと、恐ろしくなる。
母が、認知症気味というナレーションも入るが、常軌を逸している。
・父親も、強くは反駁しないが、娘の状態を観ても医者に連れて行こうとはしないのである。
・そして、母が亡くなり、ステージ4の癌に侵された娘は、漸く治療に行き精神的に落ち着いた様子の映像が流される。故に哀しいのである。何故に、発症時に心療内科医に連れて行かなかったのかと思うからである。
<そして、還暦を迎えた姉は亡くなる。藤野監督は残った父にこの映画の制作の許可を得る際に父の考えを聞くのである。
その時に、初めて老いて腰の曲がった父は、”妻に引きずられて、恥の概念があったために心療内科に連れて行かなかった事”を認めるのである。
今作で描かれたような家庭は、まだあるのだろうか・・。心療内科に通院している人の数が激増しているストレスフルな、現在の日本において。
今作は、精神疾患を患った娘を、医者である父と研究者の母が家に閉じこめた20年を記録した、恐ろしくも哀しき鬱ドキュメンタリーなのである。>
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