「スティグマ どうすればよかったか、そしてどうすべきか。」どうすればよかったか? レントさんの映画レビュー(感想・評価)
スティグマ どうすればよかったか、そしてどうすべきか。
ごくありふれた家族の中のひとりに統合失調症の症状が現れる。その事態に家族がどう向き合ったのか、何をして何をしなかったのか。本作はどうしてこうなったかではなくどうすればよかったのか、そしてどうすべきかと問いかける。ごく私的な家族の記録から普遍的な意味を持つ本作のテーマが浮き彫りになる。
本作の監督の姉が若くして統合失調症を患う。この当時は病名を精神分裂病と言った。この病名からもわかる通り当時の精神病者への世間の偏見はまだまだ根強いものがあった。それこそ過去には病気への無知から乱心者として江戸時代から続く座敷牢に閉じ込めるなどの風習があった。そしてそれは1900年の精神病者監護法により私宅監置として50年後廃止されるまで制度としても存在した。
最初に姉が発症した時、知り合いの専門医に診せたがどこも悪いところがない健康体であり、精神病などというのは娘がかわいそうだと父は言い放った。しかしそれから姉の症状がよくなることはなく弟である監督は家にいることが辛かった。大学進学を機会に家を離れ姉から解放された。その時から二十年以上の歳月が流れる。
二十年以上もの間治療も受けさせてもらえず放置されている姉やその両親の姿を見てさすがに危機感を覚えた監督はこの家族の姿を記録に残すことを思い立つ。この家族の姿を通して社会に何か伝えるべきことがあるはずだと。
監督自ら父や母に問いただす場面がある。母は父の意向には逆らえなかったと言い、逆に父は母の気持ちを考えて治療を受けさせなかったという。あたかも責任を擦り付け合っているかのようにも、またお互いを思いやっているかのようにも見える。
母の死後妹である叔母から聞かされた話では娘がかわいそうだから守ってあげたいという気持ちが母にはあったのではないかという。
果たして本当にそうだろうか。娘のことを一番に考え、娘を守るために治療を受けさせなかったなどと。
精神病であることが世間に知れたら娘がかわいそう、本当にそうだろうか。娘ではなく自分たちがかわいそうだったのではないか。精神病の娘の親、精神病の娘がいる家、世間からそのように見られるのを何よりも恐れていたのではなかったか。だからこそ娘を外に出さないように玄関に鎖をかけてまで家を座敷牢にしたのではなかったか。
いまや医学の進歩による薬物療法により統合失調症の症状は劇的に改善されるようになり普通に社会生活ができるまでに回復できるという。病名も偏見を生まないように精神分裂病から変えられたことで患者の家族の抵抗感も薄れて患者は初期症状で診察を受けられるようになった。だが姉が発症したのは80年代でまだまだ病気に対して偏見があった。両親のとった態度を息子である監督も一方的には責めることはできなかった。監督自身も姉に背を向けて逃げ出したころがあった。
母が亡くなり、姉も亡くなったあと、監督は父に問いかける。どうすればよかったかと。父はあれでよかったと答える。余命いくばくもない父をいまさら責める気にはなれない。
ただこの家族のたどった軌跡を監督は世間に公表する。なぜこの家族は誤ってしまったのか。姉の人生を無駄にしてしまった原因は何だったのか。
スティグマ。精神疾患や身体障害者に対して向けられる偏見という意味だけではなく広くマイノリティに対する偏見という意味を持つ。
精神疾患に対する偏見などなかったなら、精神疾患を患った娘を恥じることなくすぐさま治療を受けさせたなら、姉は人生を棒に振らずに済んだのではないか。
これはこの家族だけに起きた悲劇ではない。過去にも偏見から精神障害者が同じように治療を受けられずに未治療期間が長引いたために手遅れになるケースは後を絶たなかった。
姉が25年目にして初めて入院し投薬を受けたことにより回復した姿を見てどうしてもっと早くにと思った観客は少なくないだろう。しかしそれを今の時代の我々が言っても仕方ないのかもしれない。果たして本作を見ている我々が当時同じ状況に置かれてこの家族のようにしなかったと言い切れるだろうか。
さすがに今の時代これだけ精神医療が発達して偏見も薄れたからこそ精神科への受診者数は増加しているという。逆に統合失調症患者の入院者数は減少しているという。これも薬物療法の成果なのだろう。
これからは統合失調症患者の家族も躊躇なく診察を受けさせることができるだろう。今や国民の四人に一人が精神疾患を患うという。
風をひくように心も風邪をひく、内臓が悪くなるように脳も悪くなる。当たり前のことである。精神病者への偏見は薄れていくだろう。
しかしスティグマは精神病者だけの問題ではない。今の時代、性的マイノリティや移民排斥問題に見るように相変わらずスティグマに苦しめられている人々が存在する。
スティグマにより生きづらさを感じる人々。この姉のように人生を奪われる者は後を絶たない。
仮に自分の家族に性的マイノリティの人間がいたとしてその時この家族のように世間体を気にせずにいられる人間がどれだけいるのだろうか。
本作はどうすればよかったか、そしてどうすべきかと我々見る者に問いかける。スティグマによって人生を奪われた姉のようにいまも人生を奪われる人々を前にして我々はどうすべきかと本作は問いかける。