「京都アニメーションのスタッフが「悪意」と「対立」に真正面から向き合った魂の映画版。」小林さんちのメイドラゴン さみしがりやの竜 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
京都アニメーションのスタッフが「悪意」と「対立」に真正面から向き合った魂の映画版。
あの悲劇の7月18日から、気づくともう丸6年になる。
そのあいだ、京都アニメーションは、
地道に自分たちの出来ることをやってきた。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン、
Free!、ツルネ、ユーフォ、メイドラゴン。
手掛けてきた作品の続編を丹念に作り、
ふたたび力をたくわえてきた。
今回のメイドラゴン劇場版でも、第二期同様、
第一期で監督だった故・武本康弘が、
「シリーズ監督」としてクレジットされている。
シリーズを受けついだ石原監督にとって、
本作はまさしく「弔い合戦」であり、
京アニ継承と再生の証でもあるだろう。
山田尚子監督は、結局、京アニを離れた。
彼女は『平家物語』でアートアニメを作り、
『きみの色』で、いかにも京アニ的な世界を
悪も対立もない、優しくて静かな世界として
描き直してみせた。
彼女は、いまもきっと後悔と葛藤の中にいる。
『メイドラゴン』の中核にあるのは、
二大勢力の対決と闘い、犠牲と赦しの物語だ。
おそらく今作は、あの事件後初めて、
京アニが本格的に「悪」と「対立」を
全力で描いた作品となる。
(メイドラゴン2期のイルル登場篇は、
そこそこ荒れてたけどあくまで個人の話だった)
僕は、絵コンテのひとコマ、ひとコマから、
スタッフ全員の想いと願いを感じ取った。
彼らの煩悶と苦悩、悲哀と慟哭を。
彼らの諦念と内省、渇望と祈りを。
理不尽で圧倒的な暴力に対する、
絶望と哀しみ。愛する者を喪った苦しみ。
抑えきれない怒り。はらしがたい恨み。
彼らは、自らのなかで6年間抱えてきた
そういった想いと真正面から向き合い、
この作品のなかでなんらかの形で
こたえようともがいている。
簡単に答えの出る話ではもちろんない。
本作の魔術師にせよ、強制的に復讐の牙を
奪われ、敗残することにはなったが、
龍に対する憎しみが失せたわけではない。
なぜ人は憎しみを抱き、相手を攻撃するのか。
なぜ世界は対立し、争いごとは絶えないのか。
なぜ奪われた側の復讐は、禁じられるのか。
うちに抱えた苦悩が癒される日はくるのか。
おそらくそれは当事者にとっては、
あまりに切実で、あまりに切迫していて、
あまりに何年経とうが生々しすぎるがゆえに、
考えるだけでもつらいし、吐き気すら催す、
強烈なトラウマであり続けているに相違ない。
ましてやそれを作品に昇華するとなれば、
どれだけの覚悟と強い想いが必要だったか。
想像するだけで、ぎゅっと胸が苦しくなる。
メイドラゴンには、原作があるし、
今回の物語も、概ねそれに準拠している。
少なくとも、自ら結末を作り出す必要はない。
その意味では、原作に身体を預けて、
無心に作業できる部分もあっただろう。
とはいえ、僕はやはり京アニは凄いと思う。
ただただ「凄い」と敬意を表するしかない。
自らの体験した暴虐と破壊を乗り越えて、
「悪意」や「戦い」を描いた作品と再び
向かい合ってみせた、その勇気と覚悟に。
それを、これだけハイレヴェルな作品へと
昇華させてみせた、彼らの技術と能力に。
僕たちは、改めて想いを致す必要がある。
これは、理不尽な悪意と破壊的な暴力を
その身で受けたガチの「当事者」の作った、
現時点での「レスポンス」でもあるのだ。
彼らは知っている。
巨大な龍の吐息の恐ろしさを。
彼らは知っている。
巻き込まれた人間の非力さを。
彼らは知っている。
喪った命の重さと哀しみの深さを。
そのうえでなお、この理想主義的ともいえる
「調停」と「癒し」の物語を形にしたこと。
「赦し」を物語のなかできちんと示したこと。
僕はそのことに、最大限の敬意を表したい。
僕にとって「メイドラゴン」劇場版は、
単なるコミック版の切り出しではない。
京都アニメーションが辿る再生と復活への
輝かしき道程における、大切な里程標である。
― ― ― ―
今回の劇場版は、メイドラゴンの世界観に則って、カンナと父親の関係性やドラゴン同士の対立を描くものでありつつも、もっと普遍的で汎世界的なテーマを扱っている。
ネグレクトの問題。毒親の問題。
遺棄児童と親への愛情(執着)の問題。
犠牲と復讐、報復の連鎖の問題。
間近に迫る戦争の問題。
僕たちは、TVを通じて馴染んだキャラクターたちに感情を移入させながら、現実世界でいま起こっている重大かつ喫緊の問題に、自然と想いを馳せるように誘導される。
たしかにここは、生身の人間が空から落ちてもキノコがクッションになって死なないような世界であり、ドラゴン同士が全力でぶつかり合っても誰一人犠牲すら出ない世界であって、ずいぶんと都合のよい「ショックアブソーバーのきいた」世界観ではあるのだが、「シミュレーション」の場としてはむしろ最適の場だともいえる。
ちょっとした火種が、大災害へと膨らんでいく恐ろしさ。
そこに介入して火を煽ってくる「悪意」と「謀略」の存在。
絶望的に価値観の噛み合わない親と子の確執と軋轢。
それを見守る周辺と「実父」の間で起きる、子供をめぐる綱引き。
僕たちは、一定の不死性を担保された世界で、こういった根本的な諸問題に対する原作者・クール教信者の見解と、それをアニメ化する石原監督の見解、その指示に従って絵に落とし込んでいくスタッフの想いを順次、追体験していくことになる。
そこで出される回答は、先にも述べたとおり、多少なりとも理想論的すぎるきらいはあるけれど、アニメで理想論を語らなかったらどこで語るんだともいえるわけで、実際、こんなふうに親子が和解できて、対立する部族が戦闘を回避できるのなら、それに越したことはないだろう。
仲間たちは懸念しつつも実父の元に娘を返し、
実父は娘を縛り付けず、仲間たちの元に戻す。
暗躍した魔術師は断罪・処刑されることなく、
力だけを奪われた状態で、野に放置される。
そこで提示されるのは、たとえかつて対立し、憎しみ合った相手柄でも「赦し合う」ことはできるという「まっとうな価値観」である。あるいは、いつまでも憎しみに囚われていたら未来は開かれないよという、「悟りの境地」の勧めでもある。
ある意味では手垢のついた理念ではあっても、あの試練をくぐり抜けてきた京都アニメーションのスタッフが、全身全霊を込めて全力で語る理念であるがゆえに、ひたすらに尊い。
あの彼らがいうのなら、そうなんだろうな、と素直に思える。
少なくとも、僕はそう思いながらこの映画を観た。
― ― ― ―
●冒頭の演出がよくたくらまれている。
もくもくとした雲に、ドラゴンの姿が見えて、
お、トールかな? と思わせて、
実は7頭くらいいるのがわかり、
ああ、レギュラーの龍たちか、と思わせて、
実は何十頭と百鬼夜行のごとく、群れで飛んでいるのがわかる。
今回の話が日常回ではなくファンタジー回であり、ふだんの話から広げてドラゴンのいる異世界の話に発展させることを、「出し方」だけで示している巧い演出だ。
●ついでにいうと、メイドラゴンのキャラ絵と一緒にfhána(『涙のパレード』)が流れると、ああメイドラゴンの世界に戻ってきたんだなと、強烈に印象づけられる。
●タイトルロールの短いキャラクター紹介だけで、だいたいの一期と二期の様子を思い出させる丁寧な紹介の仕方は、『響け!ユーフォニアム』映画版のタイトルロールと共通する。
石原監督ってこういうところ、本当にいつも気配りがきいているよね。
●ふだん、手やひざ下や立ち位置の演出で心情表現を見せるイメージの強い京アニだが、今回は「瞳」の動きや視線の向け方で感情を表わす「王道」の演出が随所で見られた。まっすぐ見つめてくるカンナちゃんの瞳。相手を凝視する小林さんの横顔の瞳。キャラによって異なるドラゴンの瞳。
●今回の「主演」といってもいい、カンナちゃん役の長縄まりあ。
途中までずっと「阿波連さんははかれない」の阿波連さんの声とマジでそっくりだな、と思いながら聴いていた。すなわち、水瀬いのりだと勘違いしながら聴いていた(笑)。
言い換えれば、長縄まりあはほぼ水瀬いのりの「互換的存在」ということであり、水瀬いのりがあまりにドヤコンガしすぎていると、役をぜんぶ長縄ちゃんに取られてしまうということですね。
●そういや、イルルちゃん役の嶺内ともみって一身上の都合により廃業していて、今回から杉浦しおりって声優さんに変わっているのだが、観ているあいだは全く気付かず。あの特徴的なしゃべり方を、ほぼ完璧にコピーしていた。ほんと声優さんってすごいなと思う。
●カンナちゃんのお父さんキムンカムイ役の立木文彦は、いつものザ・立木文彦。変身した姿にドラゴン要素がほとんどなくて、まんま『ベルセルク』のゾッド様で笑う。
ちなみに人間体のときの得体の知れない顔立ちに何かすげえ見覚えがあるなあと思ったら、小川幸辰(おがわ甘藍)の描く悪い大人の顔だった(笑)。襟ぐりの開いたセーターもかなり気持ち悪い。
一方で、異世界の居城がイングランドやアイルランドの古城を思わせることや、図体の大きさや豪放磊落な感じなど、『Fate』のイスカンダルを思わせるところも。
●小林さんの異世界訪問は、明らかに『不思議の国のアリス』を意識した作りだった。食虫植物群や巨大昆虫群は『ナウシカ』や『メイドインアビス』っぽいけど、ぜんぜん命の危険を感じさせないところは童話系ファンタジー風。
●電子通信機器が異世界でちゃんと機能するのみならず、それが状況を大きく左右する展開をぜんぶ「魔法でなんとかした」って言い切っちゃうのは大分ずるい感じもあるが、逆にものすごくシンプルで古典的なアイディアすぎて、なんとなく許せてしまった。
むしろ、異世界で小林さんとトールがはぐれてから出逢うまでの「なんとかなるさ」的な展開のほうは、さすがに適当すぎる気がしたけど……。あれだけ「私に小林さんを守れるでしょうか?」とかやけにシリアスに言っといて、いきなり「しまった!」はないんじゃないだろうか(笑)。運が悪けりゃ、あのあいだに小林さん100回くらい死んでると思うよ。
●ドラゴンが長命で魔法が使えて強大である一方で、どこまでもイノセントな存在であるがゆえに、騙されやすく環境に影響されやすい、というのは、本作の裏テーマであるのと同時に、シリーズ全体の裏テーマでもある気がする。
「ドラゴンは意外とチョロい」という日常ネタを、彼らの強大さと並置して見せ続けることによって生まれる「違和」こそが、メイドラゴンという作品の「根幹」を成していると言ってもよいのでは。
●アーザードは、この物語の「悪意」と「恨み」を一手に引き受ける重大なキャラクターで、作画スタッフもバリバリに力が入っていたし、島﨑信長も魂のこもった演技をしていて素晴らしかった。メイドラゴンの続編があれば、今後も登場するとのことで楽しみ。
●飛び交う綿毛や一面のススキ原に、ついつい『CLANNAD』の光の玉や菜の花畑の幻影を見る、ダメでキモい鍵っ子おじさんの私。
でも、カンナがお父さんにしがみついて泣くシーンに関しては、泣かせにかかっているのはわかったのだが、単なる放置児童の実親依存に過ぎないような気もして、正直あまり心が動きませんでした。すいません。
●最初と最後でカッコウの托卵の話が強調されていたが、あれって「託してる」というよりはオーメンのダミアンみたいに「乗っ取っている」こわい話なので、あんまりこの話と関連付けて語られるのはしっくりこなかったかも。
●エンディングの歌、最初「あれ髙橋真梨子か?」と思ったが、高音の演歌調のヴィヴラートで小林幸子だと気づいた。で、途中で「ああ、小林つながりなのか! でもそれだけなのか??」と思ってたら、敵役で出てきたババアのドラゴンの声までやっていたことがクレジットでわかってびっくり。パンフを見るかぎり、エイプリルフール企画で縁が出来ての参加ということらしいが、なんていうか、意外といい曲でした(笑)。石川さゆりのアニソンもそうだけど、妙に言葉に感情をこめてる感じが他のアニソンにないテイストで新鮮。