秒速5センチメートルのレビュー・感想・評価
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秒速で散ってゆく切ない恋、喪失感がたまらない!
新海誠の代表作の一つ実写版「秒速5センチメートル」を
今日は早速観ましたよ!
彼のアニメ作品は、今タイトル作以降に”言の葉の庭”、”君の名は。”と続きます。
どれも観てますがやはり今作は心にグッとくるものがありますね。
実写版ですが、アニメ作と比べると 展開順序が異なります。
アニメで描かれていない部分も多くあり、私的には頷く所もあればちょっと違うかなと感ずるところもありました。
アニメ展開と同じところはやっぱり良かったです。一番は特にコスモナウトにあたる種子島編ですね。夕方校舎での待ち伏せや、バイクで二人走る所、お店の前でジュ-ス飲んだり。澄田花苗:役(森七菜さん)の表情といい、片思いに散ってゆく涙。ここはとっても表情良かったかなと感じましたね。
2番が、JRが本気で全面協力したでしょうと思われる雪の岩舟駅編ですね。
篠原明里:役(幼少期:白山乃愛さん)がとても可愛くて表情も良かったです。
そして彼 遠野貴樹:役(幼少期:上田悠斗さん)が鹿児島へ引っ越す前に彼女に会いに行くところ。駅舎の戸を開けたらそこに彼女が待ってて。
ここですよね、秒速の心温まる思いを感じ取れる場面は。
でもこの後の桜の木まで行くのは ちょっとね違うかな。実際ならすっごく暗いし寒いし。雪も深いでしょう。
イイ感じにしたいとは思うのですが メッチャ 樹へのライティングが有り得ないかな。でもまぁいいか、抱擁する所があるしね ・・・と言う事で。
二人の影の重なり、そしてグッと抱きしめる所。中学生同志が何を深夜にしてるねんって親御さん心配の声もそっちのけでww。 純愛そのもの感じます。
3番が水野理紗:役(木竜麻生さん)との別れ。この恋は最初から始まってはいない・・・。
「1000回にわたるメールのやり取りをしたとしても、心は1センチほどしか近づけなかった」この名セリフは言って欲しかったけどね、惜しい。
同時に遠野 (松村北斗さん)と篠原 明里(高畑充希さん)の遠くに置き去りにしていたお互いの思いが馳せる恋。この恋はもう一度 互いに振り返る・・・。ここね 相手を懐かしく思い返す恋となってて、時遅く過ぎ去って行く想いとなって表れてます。 山崎まさよしさんの歌が上手く盛り上げてますね。
そして 秒速の真骨頂名場面。踏切で最後に二人すれ違ってゆく サクラの花びらと一緒に散ってゆく恋ですよ。
流れがアニメと異なる感じも有ったので想いが変わっちゃうかなと心配したけど、最後は グッと喪失感が来てたまらない!!
とっても良かったです。
初見の方には厳しいかもなので
アニメ作は観といた方がいいでしょう。
劇場内 カップルばっかりで大賑わい!
(これ別れる話なんだけどナ)
興味ある方は 是非劇場へ どうぞ!
見た人に聞きたいことが
子ども時代の新月の説明シーンで、後ろに月映ってましたか?
新月なのに月がガッツリ映っていた気がして。それが気になって寝れません。あれは街灯の灯りなのか普通に月だったのか。。
映画はとても素晴らしく大満足でした♪
アニメ版からの改変が、功を奏しているとは思えない
新海誠のアニメーションの絵は、どちらかと言うと、シャープでクリアな印象があるのだが、それを実写化したこの作品は、そうした印象とは対照的に、紗がかかったような、ぼんやりと霞んだような画面作りになっていて、アニメとは異なる柔らかで温かい雰囲気を醸し出している。
また、アニメでは、時系列順の3章構成となっていた物語が、本作では、29歳の主人公が過去を回想する形で描かれているだけでなく、主人公が、プラネタリウムに転職したり、小惑星が衝突する予定日にヒロインと再会する約束をしていたりと、アニメには無かったエピソードも付け加えられている。
このように、この実写版は、オリジナルのアニメ版とは「似て非なるもの」になっているのだが、それでは、そうした改変が功を奏しているのかと言えば、残念ながら、そうとは思えない。
第一に、アニメでは、第3章に登場しただけの29歳の主人公(松村北斗)が、本作では、全編を通しての主人公になっているにも関わらず、彼が、一体何を考えているのかが、よく分からないのである。特に、彼が、職場の同僚や恋人と距離を置いている理由が不明確なため、単に、社会性が欠如した、煮え切らない男にしか見えなかったのは残念で、ここは、小・中学生の時に好きだった少女への想いを今でも引きずっているということを、もう少しはっきりと描くべきだったのではないだろうか?
第二に、アニメでは、第2章の主人公だった女子高生(森七菜)の片思いが、彼女が好きだった相手の回想として描かれているため、その「切なさ」が今一つ伝わってこないのである。確かに、彼女の心情も説明されてはいるのだが、彼女が感じた失恋の辛さや、それでも相手を想い続けようという決意が、アニメほどには胸に響かなかった。
第三に、アニメでは、ラストで登場しただけのヒロイン(高畑充希)が、本作ではダブル主演のような位置付けで描かれているため、てっきり、彼女も、小・中学生の時に好きだった少年のことを今でも好きなのだと思ってしまったのだが、それが完全にミスリードなのである。実際、彼女は、他の男性と結婚していて、かつての少年がプラネタリウムに勤めていることを知っても、会いに行こうとはしないのだが、ラストでそのことが明らかになると、今までの気の持たせ方は何だったのかと、拍子抜けしてしまった。これだったら、桜の木の下での再会の約束も、主人公だけがそこに行った描写も、そもそも必要なかったのではないだろうか?
さらに、劇中、主人公とヒロインは、書店や居酒屋やプラネタリウムで遭遇しそうになったり、共に、先生(宮﨑あおい)やプラネタリウムの館長(吉岡秀隆)と親しい関係にあるのだが、そういう「会えそうで会えない」展開は、最後に「ようやく会える」からこそ活きるのであって、そうでないならば、こういった展開そのものが必要なかったのではないかとも思ってしまった。
それから、この実写版では、アニメ版で腑に落ちなかったことに、答えを示してくれるのではないかと期待したのだが、それもなかったことにも落胆せざるを得なかった。それは、主人公が、種子島に行った後も、どうしてヒロインと連絡を取り合わなかったのかということで、それが、桜の木の下で、「好きだ」と書いた手紙を手渡すことができなかったからだとしても、キスをした時点で、お互いの気持ちは十分に確認し合えたのではないかと思えるのである。
いずれにしても、この実写版だけならば、それなりに楽しめる作品だったのかもしれないが、アニメ版と比べてしまうと、色々なところが残念に思えてしまう、そんな映画だった。
泣けて泣けて
しかし、中学生を夜の辺鄙な駅で待ち合わせさせる、どうやら原作にもあるらしい設定は絶対に看過できない。雪が降らなくても、都内から3時間もかかる場所で待ち合わせって、置き手紙で親が納得する? 私が中学生の母親だったら気が狂うね。その風景とそのときの約束が物語的に必要だったのだろうが、そのためにそういう設定をでっちあげる原作者を私は認めないっす。イヤです。
1991
公開初日初回に観賞。
私はアニメの方があんまり好きではなくて…じゃあなんで実写の方は観るんだよって、それは奥山由之監督で松村北斗主演で米津玄師が主題歌だからです。観てよかったよ。
初恋を大人になってもずーっと引き摺ってる男の話かな…って思うんだけど、中学生の頃彼女と交わした約束が、いつの間にか呪いのように彼を繋ぎ止めて、そこから抜け出したらようやく時間が動き出したって感じ?なんかね、彼も苦しかったのかもしれないけど周りの女の子たちも相当苦しいよ…。
個人的にいちばん刺さったのは高校生の頃の貴樹(青木柚)と花苗(森七菜)のパートで、なんか全然違う方向向いてる男の子に恋する女の子の切なさがめちゃくちゃ伝わってきまして最高でした。一緒に帰りたくて待ち伏せしてたのに偶然を装う感じとか、ちょっとでも可愛い自分で居たくて前髪直してるところとか、ヨーグルッペ飲みながら吸っていたストローを口から離した時に出る音気にしたりとかさ…全部がなんか身に覚えがあるような甘酸っぱさなんだよ。2人でカラオケ行って話しただれかの恋の話も、バイクが壊れて歩いて帰った長い道のりも、一方通行すぎる想いが溢れて泣いちゃうところもさ…その全部に胸が痛くて泣きそうになっちゃった。日焼けしてる森七菜ちゃん可愛かった。
逆に物語の肝となる小学生~中学生パートはどうにも親目線で観てしまうところがあって苦手なんだけど、アニメ版と違ってモノローグがだいぶ少なくなってたのが功を奏したのと、桜の木の前のキスまでで留めてくれたのでなんとか耐えられた感じかな。さすがにあのシーン入れないと大人パートに繋げられないもんね。
大人パートではアニメにない部分も付け足されていて、貴樹は上司の久保田(岡部たかし)から紹介され科学館のプログラマーとして働くことになるんだけど、そこでプラネタリウムのプログラミングと音声解説まですることになるんだよね。ボイジャー1号と2号がそれぞれ別々の道を行くって話すところがとても好きでした。松村北斗くんの声もいいんだよな〜。
お互いがお互いのニアミスに気付きながらも待ち合わせ場所に行く貴樹と行かない明里(高畑充希)。なんだかこの対比が男と女だよな〜って思いつつボイジャー1号2号を想起させるのは上手いな〜と思った。
桜の木まで歩いた雪に残る足跡が、あの頃と違って1人分になっていたのも切なかったし、桜の木から落ちる花びらと雪が重なって綺麗で切なくて…なるほどこれが秒速5センチメートルなんですね。
エンドロールの1991もめちゃくちゃ沁みたなぁ…やっぱり米津玄師の楽曲で物語が更に完成される気がする。忘れたくない綺麗な場面が頭の中に次々に浮かんできて、更に余韻に浸ることができました。いい映画でした。
2007「秒速5センチメートル」との比較
アニメ版は新海誠監督の作品であり、内容補完のため監督自身が小説も書いています。今回の実写版はてっきり、その小説をベースにしていると思っていましたが、終盤にかなりの改編が加えられていて、結末の印象が大きく異なっていました。
大人の都合で生じた別離を、少女は受け容れたが、少年はいつまでも受け容れられず、辞職した時点(30歳)でようやく吹っ切れて前に進み始める。
…といったお話のはずが、再会の約束や、ニアミスが不自然に(あるいは奇跡として)組み込まれていて再び後退。アカリちゃんがなんか悪者。もうストーリー が別物なので、気が付いたのなら会えばいいじゃん、て感じ。でもそうなると「One more time, One more chance」の世界観から外れてしまいますね(笑)
せめて、再会の約束は無しにして、アニメ版の後日譚として、吹っ切れたあとの偶然の再会を描いてくれた方が納得できたかも。
アニメ版の「桜花抄」「コスモナウト」に該当する部分は実写化大成功。全体的に画も音もキャストも素晴らしかったので、改編さえなければアニメ版を超えていたように思います。
〈追記〉
今回 アニメ版を観返してみて謎が一つ解けました。何故 文通が途絶えたか? お互いに手紙が届くのを待っている描写があり不思議でした。おそらく、朝帰りしたアカリが両親の怒りを買い、手紙を隠すなど何らかの妨害があったのでしょう。そう考えるとスッキリします。
彼にとっての。追記4
一部で物凄く濃いファンの多い原作アニメ。散文的な原作の隙間を埋めるのであればやり方は無数にあるだろう。今作は奥山由之監督にとっての一つの回答と受けとらざるを得ず、それは個々の原作ファンにとって必ずしも最適解とは限らない。マタゾウにとっても。一本の新作として見ることはできず曇り切ったすりガラスを通して鑑賞。結論として、アリではあるけど俺のぢゃなかった。
まず大人になった明里を生身の存在として描くこと、更に2人の間に出会いそうな仕掛けを幾つか設けたのもチャレンジだ。しかし俺の明里ぢゃなかった訳だ笑笑。以下、それは置いておきましょう。将来会う約束をしていたという伏線を導入したのもンー。俺的には来てても来てなくても、意味が違ってきちゃうのよ。OMTOMCは月とキャベツのテーマとしての半ばメタ導入。ちょっとアレ思い出した、韓国人カップルがニューヨークで会う話。
小学生明里の白山乃愛ちゃんは絶品。森七菜もちゃんと高校生に見えたし、高畑充希も大人明里として違和感なく。松村北斗も漫画のような鼻筋と暗い顔で貴樹になっていた。そのほか男女とも役者には不満は無い。中田青渚はも少しでて欲しかった。
しかし貴樹はプラネタリウムで嗚咽してはいかん。そこまで館長に甘えてはいかん、あの場はあくまで静かに受け止めなくてはな。
奥山由之監督、アットザベンチよりは全然映画になってたと思うけど、今のところは弟さんの奥山大史さんの方が達者に感じた。兄弟で切磋琢磨してください。
あと、最近映画やテレビでプラネタリウム扱うの多いなあと感じた。みんな星は好きなんだな。
追記 「大丈夫」という言葉は「自信を失って大丈夫に見えない人に投げる言葉」ではないだろうか。
追記2 宮﨑あおいに勧められた「月とキャベツ」を見てどこに感動したのかわからないと言っていた高畑充希、これは伏線なのかなあ。「月とキャベツ」見てみないと。
追記3 皆さんのレビューを読んで色々思い直したりしますが、結局大人の明里が出てきても彼女がなぜ初恋を終わらせられたのかが少しも描かれていない点が唐突などんでん返し感を産んでおいらを置き去りにしたのかなと。そんなことはどうでもいいんですけどね。
しかしアニメ版同様だけど貴樹は種子島でなぜ過去に閉じこもってしまったんだろう…。
追記4 原作との最も大きな違いは、手紙が交換日記になったことではないか。手紙の場合、どちらからともなく途切れたり出し直したりもあるだろうが、交換日記は明確に途切れる。明里から来なくなったことで内気な貴樹は出せなくなってしまったと。…しかしどんだけ好きなんだ俺。
話題性のみで観に行かない方がいいかもしれません
【良かった点】
・俳優さんの演技 特に明里の子供時代の子役さんが素晴らしい
・音楽 主題歌や劇中歌はもちろん、まさかBUMP OF CHICKENが聞けるとは思ってもいなかった
【気になる点】
・冗長なシーンの多さ 音楽プラス風景、若しくは表情のみのようなシーンが多すぎる
・学生時代の遠野の役者さんがあまりに松村さんに似ておらず、同一人物としてみられない
・One More Timeのシーン 歌詞にあて書きしたようなシーンで、原作ファンに対し、これが観たかったんでしよ?という感じを受けてしまった
曲も随所で使いすぎているように感じる
・松村さんの演じる遠野が、夜明けのすべてとキャラも台詞の感じも被りすぎていて、ちょっと遠野としてよりそちらを意識してしまった
彼女のパニック障害のシーンも有り、尚のこと共通点を感じてしまう
正直かなり前半は眠くなりました。学生時代も長すぎる気はします。
豪華な歌手、俳優陣でしたが、それに見合いきれていない脚本だった気がします。
同日上映のホウセンカの方は脚本がかなり良かった分、比べてしまいました。そちらの方がよっぽど泣けました。
映画館でというより、配信でもいいかなと思います。
遠野君はグレてました
映画の中の遠野貴樹は小学校の頃好きだった女の子と離れ離れになった結果、高校でタバコを吸う不良高校生になりました。なにこれ?文だけ見たらやばいやつ
映画の要所要所は素晴らしく名作になる可能性があったのに、全体としては散文としていて意味不明、原作にはない要素を出し、それも機能していない。一番許せないのはOne more time, One more chance をラストのシーンで流さなかったこと、何やってんの?
天門も1曲だけ、届かない気持ち流せや!
いい点はありました、配役です。これは正直90点
残りの10点は大人明里役の人のせいでなくなりました。
まぁ、いい映画でしたよ。カナエが可愛かったから許す
自然な演技・丁寧な演出に拍手
公開日に有休を取って見に行きました。結論、見れて良かった!!
まず演者さんの演技が自然で驚いた。予定調和的でない会話にリアリティが溢れていました。特に青木柚くんと森七菜ちゃんのやり取りが印象的です(あの会話がだぶっちゃう感じとか、言いたいことが最初から出ない感じとか)。この二人凄い!
演出も素敵でした。北斗くん演じる貴樹が約束の日(2009年3月26日)に桜の木を見に行くシーン。明里と会えなかった切なさが凝縮されています。桜も雪も儚いからこそ美しいとする日本人の繊細な心性を思い出しました。貴樹と明里のニアミスが多いのは唯一気になった点ではあったけれど、一つ一つのシーンの繋ぎも丁寧でわざとらしさは感じませんでした。感動しました。
新海誠さんの作品が好きで、その中でも出会いと別れが切実に描写されている「秒速5センチメートル」は特別な作品です。監督さんの作品への愛を感じました。米津さんの1991も良かった!総じて劇場で見るべき作品です。
喪失と愛別離苦を描いた儚く切ない物語。
心は通い合えてるがお互いに近づき合えない貴樹と明里の「物理的な距離」と近くにいるのに思いを伝えられない花苗の貴樹に対する「心理的な距離」といった2つの対比描写があまりにも儚く切なかった。一方は心が通じ合ってるのに会えず、もう一方は近くにいるのに心が届かない。観ているだけでなんだかもどかしく胸が痛くなりました。人間誰しもが経験したことのある喪失と愛別離苦がとても共感できます。
運命の女神はたぶん全裸でハゲだと思う。すれ違ったら二度と捕まえられないから、もしも出逢えたら正面から「がっぷり四つ」でぶつかって離さないようにしよう。
※原作も劇場アニメ版も見ていないので舞台挨拶中継付き実写映画版だけを観たレビューになります。
冒頭は主人公の松村北斗が仕事に忙殺されている大人、ヒロインの高畑充希が書店員として楽し気に働く大人としてスタートします。「子供の頃に交わした約束が大人になってからどう変化するか」という題材は多くの作品になっていますが、子供の頃から成長の段階を踏んで順番に描いていくのが定石ですよね。
ところがどっこい、本作前半部分は小中時代の二人のやり取りと、大人になってから「あれ?なんか大切なこと忘れて生きてないかな?」という場面がバラバラに出て来て、冷静に時系列を頭の中で整理するのに時間を取られてしまいます。
中半は親の転勤で住所が頻繁に変わって物理的に距離が離れてしまう二人が、最後に大事な約束をして抱きう本作一番の名シーンが出てきたり、度々再会の機会があったものの些細な理由で再会できなかったり、二人が無事に再開してハッピーエンドになるのを観客のみんなが願っているだろうなというシーンが続きます。
で、後半なんですが、ここでは観客の願いをぶち壊すシーンが連続するので別の意味で泣けてきます。松村北斗(上田悠斗)が高畑充希(白山乃愛)との約束を思い出して、雪の降る中約束の地に行きますが会う事はできませんでした。高畑充希はプラネタリウムで近接接近しても出会えなかっただけでなく、帰りのバスの中で読んだパンフレットで「遠野貴樹」の名前を確認してもプラネタリウムに戻ってダメ元で会おうという行動もせずに、配偶者とイチャコラして海外へと旅立ってしまうのです。
新海誠原作なので「君の名は。」的なちょっとした後味の悪さは残りますが、少年少女時代を演じた上田悠斗と白山乃愛が掛け値なしの名演技をやりきってくれたのが救いになる作品でした。
縮まらない距離(初日舞台挨拶含む)
アニメーションの実写化は映画を問わず、基本的に歓迎していません。
俳優を使いたい側の理屈はわからないではありませんが、原作の人気に乗っかることで売り出したい側にとって都合が良いばかりで、原作へのリスペクトがあまりにも足りない作品が全てとは言いませんが圧倒的に多いからです。
実写映画が国内の興行収入10位から全て消えた事も致し方ないと思っています。
実写映画を観る時にはスピンオフまたは別作品を観るくらいの気持ちで鑑賞予約をしました。
原作は越えられない。けれど原作にはない、または見つけられなかった欠片のようなものを見つけられる作品だったと思います。
さて、今や国民的人気監督となった新海誠が手がけた伝説的な作品の実写化…私も原作は鑑賞後にこれほど打ちのめされた事がない体験をした思い出深い作品です。
昭和後期・平成前期生まれの世代なら多かれ少なかれ経験したことのある大切な人の転校や別離。私も例に漏れず経験があり、毎年のように仲の良いクラスメイトが次々に転校していき、ある時に転入してきた女の子に恋をしたことがあります。その後、その子はまた転校してしまいました。両片想いであったかは知る良しもありませんが。
(だから原作を観るとママレードボーイ7巻を読んだ時のような救われない感じに気持ちが落ちます)
ちなみに子ども時代ではありませんが、元カノの名前があかりでなかなか心がエグられるものがありますね…彼女はどちらかと言えば水野理紗っぽい感じでしたが(どうでもいい)
原作を観た際にはあまりの衝撃に、当時働いていた職場のアルバイトの男の子が中学時代から付き合っていた彼女にフラれたと落ち込んでいたので「前向きになれるアニメ」として紹介して励ました記憶があります。
大好きな作品ですから期待半分、不安半分でした。
そんな心理が働いたからなのか、序盤の会社で孤独に働く貴樹の姿にあまり入り込めない重い感じがしました。原作が幼少期のエピソードから始まる三部作だっただけに、失礼ながら胃もたれしそうな入り方…のように感じました。
監督は奇しくも撮影時、33歳だった奥山由之監督。
好きな作品であればこそ、批判も評価も自分の眼で観て、耳で聴いてから語りたいと思い映画館に足を運びました。
劇場で観ようと思ったのは当然原作が好きだからもありますが、種子島で出逢う花苗役の森七菜がかわいいからです。
しかし鑑賞して最も驚いたのは幼少期の明里役の白山乃愛(13)…演技も見事でしたが、舞台挨拶での立ち居振る舞い、トークで見せる年頃の女の子の可愛らしさ。
(比べては失礼かもしれませんが、芦田愛菜さんの子役時代を思い出させます。)
私が本作で涙を流したのはやはり転校が決まって、公衆電話から貴樹に電話をするシーンの回想から貴樹との文通、種子島への引っ越し前に雪の日に会いに向かう一連のシーン。
原作でも屈指の切ない場面ですが、語り、手帳に記した文字のやさしさ、吸い込まれるような大きな瞳と戸惑いの表情。良かった。尊い…。
また作品のハイライトでもあるこの再会シーン、幼少期の貴樹役の上田悠斗君の学ラン姿がどうしても不釣り合いなのが特によかったです。
それもそのはず撮影当時(2024年7月〜2025年3月)の彼は小学5年生だったのですから。
子どものうちは女の子の方が早熟という言葉もあるくらい。そんな中でも明里と似た自分の世界を持っていたのですから、原作の貴樹は精神的に少し大人びていたと言えるかも。(だから漫画版の#%#は実写映画版ではなかったことに)
明里役の乃愛さんが、ちょっとリードするような感じの桜の木の前でのキスと抱擁…ここで頬を涙が伝って流れてしまうんです。
で、実写映画版オリジナルの補完ですよ。
吉岡秀隆演じる小川館長が代弁するシーン。
原作にはないエピソードであり、これを蛇足と捉えるか、エッセンスと捉えるかは好みでしょう。
そのために宮﨑あおい演じる輿水美鳥(花苗の姉)と大人になったら明里の絡みも描かれる訳で、原作の切なさである人生のちょっとしたすれ違いと伏線が回収されます。
宮﨑あおいが主役級でなく、こんな落ち着きある役所で器用するとは本当に、一昔前なら考えられない贅沢なキャスティングですね。
約束した2009年3月26日にいない…そんな約束を忘れてしまうくらいに幸せな人生を歩んでいて欲しい。
明里の願いを小川館長は代弁する訳ですが、これは原作で明示されていない部分で実写化の最も伝えたかった部分でしょう。
このために1991EVという地球に衝突する可能性の惑星のエピソードが幼少期の2人に挿入されていた訳で、そんな惑星は実在しない話であり、2007年公開の原作に2009年3月26日というエピソードを付け加えることで物語の拡張と補完を狙ったものと思われます。
(この日付って何か意図や意味があるのかも?)
もちろん、花苗と貴樹がカラオケで曲を流すだけの山崎まさよしの『One more time,one more chance』のBGMも、貴樹が電車の中でイヤホンから音漏れして聴こえてくるこの曲に押し出されるように人混みをかき分けて動き出すシーンも人生の何かを変えた、音楽がその時の気持ちを思い出させてくれる効果を巧みに演出に組み込んだなと思います。
奥山監督は元々フォトグラファー。それもポカリスエットやJR SKISKIなど青春の瞬いシーンを静止画に収めてきた方。CMや米津玄師(感電、KICKBACK)や星野源(創造)のミュージックビデオで動画にも挑戦していて、映画のワンシーンワンシーンが写真やスローモーションで描かれる回想場面はそういったところで培われた技術かと。そうした意味でもこれ以上ない組み合わせだったと思います。
あと初日舞台挨拶について。豪華でしたね。
奥山監督に主要キャスト揃い踏み。高畑充希さんと森七菜さんの場をかき乱すマイペースっぷりに大人の貴樹役をつとめた松村北斗がのっかる(笑)
でもグループの中心でもあったということで周りの人が言い淀んだりした場面でフォローに入ったり、茶々を入れたり、周りに溶け込んでまとめる良い人柄を感じられる場面がありました。
大人の貴樹は寡黙で、人付き合いに関心がなく、そういうキャラなので高校時代を演じた青木柚さんもですがあまり地の自分を出さずに演じるに徹していたのでしょう。青木さんは多分、元から貴樹に近く、松村さんは演技で寄せて演じられるのかも。
松村さんが悠斗くんと乃愛さんと仲良しで、三人で観覧車に乗ったエピソードが微笑ましかったです。
かなり残念な内容
原作と同タイトルではあるものの、脚本、演出がチープであり、実写化=失敗作の流れの作品になってしまった。原作アニメ好きな方は、観に行かないことをオススメします。
明里からのアンサーがとてもいい。でも明里はなぜ?
新海作品の秒速はとても美しくて特にコスモナウトの種子島の空や光景がとても好きだったのだけど、男のセンチメンタリズムが強すぎて、そこがちょっとしんどい作品でもあった。しかし、この映画秒速はいい意味で明里からのアンサー作品になっていて、そこはとても効果的だったと思う。
個人的な最大の謎は、なぜ明里は一目会おうとしなかったのか、再会を選ばなかったか、なのだけど、結論としては明里にはまだ貴樹への気持ちがあるからとしか思えない。明里は貴樹と連絡をとろうと思えば取ることは可能な状況でも貴樹が望んだような「元気だった?久しぶり」程度の再会をあえて選ぼうとしない。これは、自分の気持ちが動揺するのが怖いからだと思う。新婚なのか配偶者と一緒に転勤についていく設定の明里は、今このタイミングで貴樹との再会を恐れたのだろう。明里は、貴樹がプラネタリウムのプログラミングに関わるような社会人として成功している一面を知っているわけだから、「自分と会うことで貴樹を振り回したくない」と思い上がっているとは考えにくい。むしろ自分のほうに未だ未練があるからこそ、ただ懐かしいからといって「元気だった?久しぶり」とできなかったんじゃないか。
で、もう一つの謎、なぜあれほど強くて綺麗な絆があった二人は疎遠になったか、なのだけど、これは致命的に二人に言葉と約束が欠けたからだと思う。貴樹が書いた手紙は渡せぬままで、貴樹は明確に「好き」という一言を伝えてない。そのまま遠距離に突入したことによって、特別な相手としての貴樹はそのまま心に置いたまま、思い出というよりもむしろ自分自身の掛け替えのない一時期として生かしたまま、求められるがままに他の男とつきあうことを拒絶させなかったのだろう。貴樹と明里が何故、好きだと伝え合うことを避けたかと言えば、そもそも「好きだ」という言葉は相手を振り向かせるために必要な言葉で、それは森七菜扮する花苗には告白して振り向かせなければならないため必要な言葉だったが、貴樹と明里は違う、相手を振り向かせることは必要なかった。ただお互いが一緒にいる時間があればよかった。だからあえて、「好きだ」と伝え合うことは彼らにはマストでなかったのだと思う。結果論的に言えば、「好きだ」という言葉は相手のために言うべき言葉だったと思う。思い上がりだろうと、相手が欲している言葉を吐くことが愛情だったはず。それは勿論お互いにとって。貴樹も明里も、掛け替えのない相手と結ばれないという罰?を受けることになるから。でもまあ若いから仕方ないか。
日本の四季がとても美しい。そしてキャストも可愛らしくて、森七菜さんはちょっといじらしくて素敵だったな、あのいじらしさに心動かされない貴樹というキャラクターは、明里と離れてからずっとここではないどこかを生きているような、なかなかに重い生を歩んだようにみえた。貴樹にとっての明里はむしろ呪いだったようで、明里は「わたしを呪いにしないで」と叫んでいるような作品だったと思う。個人的には、自分を好いてくれる花苗を好きになって高校生活を満喫する貴樹よりも、執着でどこか世捨て人のような貴樹は好きですね。もっとガッツがあれば、明里ちゃんにガツガツ告って、毎年お年玉ためて栃木に通うくらいしたってよかったわけですよ、でも貴樹はそれをしない。その不器用さと鈍重さもまた、人間らしさかな。
秒速のキーとなるエピソードをいかしつつ、明里からのアンサーも示しつつ、新海作品にあった美しさも存分に堪能できる、相当に好きな作品。そして、あそこでかかる山崎まさよしさんのワンモアタイム,ワンモアチャンスはわたしには反則でした。
正直退屈
原作の映画は過去に何度か配信、映画館ともに鑑賞済み
新海作品では近3作以外ではこれが1番好き。なので初日初回に鑑賞
新海監督が絶賛されていたので期待して鑑賞したが、正直私は退屈だった
まず本編の時系列が謎、うろ覚えだけど大人→ちょい小学生→高校生→中学生→大人
とざっくりこんな感じで、予想外でちょっと楽しめたがどういう意図でこんな順番にしたのかよくわからない
あとはアニメでも使われてる山崎まさよしさんのあの曲、使われるシーンが謎すぎる
終わりの交差点のシーンは、あの曲が流れてるのもあって良いラストだと思ってるから、ちょっと許せない
物語の舞台が1980から2009年頃だから、ガラケーやらカラオケの本?とやらも見られたのが新鮮で面白かった。子役の方特に明里ちゃんの子良いね
しかしやっぱり原作のファンだから、ちょいちょい許せない部分があった。リピはないかなあ
正直この作品は一つ一つのシーンが無駄に長いところがあって退屈、アニメ版は上映時間が約60分ほどの短さだからこそ良いと思う。
周りが絶賛してる中申し訳ないけど、結論私は微妙と感じた
新海作品は映画館で何回も見てるから、今回は本当に残念すぎる
月は灯り、君は僕を照す光り。
1991年の春頃、とある小学校に1年早く転校し生活する遠野貴樹と、1年遅く転校してきた篠原明里の出会いと現在の話。
1年違いの転校生同士もあり何か波長が合う貴樹と明里、「また1年後この桜を一緒に見よう」と約束したものの、親の仕事の都合で明里が引っ越すことになり…、2008年を現在とし小学校での出会いから今現在とそれぞれの生活を行き来し見せてく。
原作アニメは未鑑賞、ザックリ書くならコミュニケーションが少し苦手な貴樹と明るく前向きな明里って印象ですかね、作品を観た限りでは。良く言うなら小学校時代に出会った明里を約16年と想うピュアボーイ、悪く言うならいつまでも過去に出会った彼女を忘れられずにいる…、一方明里は前向きで過去の思い出も大事にしつつ振り返らず前へ進むって捉え方でいいでしょうか!?
私の性格上、貴樹君の感情、性格、不器用さにあまり共感出来ず、もっと素直になって自分を相手に見せたらと思うんだけれど人それぞれ性格があるし、これは作品ですからね。
ただ過去回想の小学生~中学生の描写はずるい!あんな雰囲気と2人の世界観を見せられたら泣く。子供時代~大人までの貴樹のキャスティングも似てて違和感なく良かった、ただ個人的に思ったのは小学生の明里ちゃんが良すぎただけに大人の明里演じた高畑充希さんは嫌いじゃないけれど何か違うなと…ずっと私の中にいたキャスティングは上白石萌歌さんだったかな顔の系統だけで言うなら。
こういう展開でこういうオチになるんだろうなと勝手に予想してたものの全くならず…飲み会、プラネタリウム会場、あの桜の場所で再会で泣く準備は出来たものの…ラストの“踏み切りでのすれ違い”…で2人の性格が出てる様にも見えた。
追記
原作が気になり鑑賞、アニメ版63分実写版121分と1時間以上の差、アニメ版の方がテンポいいし細かい人物像が描かれてないからキレイって印象、見せ方も原作の方が解りやすかったかも。明里の手紙を読むナレーションで入る冒頭から惹き込まれた。
古めかしい。過去に生きるより未来に向かって、生きろよタカキ‼️
家に戻ってすぐに原作アニメの「秒速5センチメートル」を
観直しました。
「桜花抄」はほぼ原作に忠実です。
タカキが雪で遅れに遅れてたどり着いた「岩舟駅構内」
アカリはお握りとおかずと温かいほうじ茶を用意して23時過ぎまで
待っていてくれました。
会えて安堵で、したたるアカリの涙。
(この涙は少なめでした)
駅を追い出されて、大きな桜の木まで行き、キスを交わした。
そして農家の納屋で一晩を過ごします。
(一晩をどこで過ごしたかは描かれませんでした)
そして始発の電車でタカキは帰ります。
「アカリを守るチカラを付けよう、と心に誓って」
タカキにとってアカリに会いに行った13歳の3月の大雪の日。
それはタカキの《人生のピーク》のような《メモリアルな出来事》
彼は最上のもの、愛の陶酔と完結を、若くして見てしまったのです。
それからは余生のような人生を斜に構えて淡々と生きている。
「俺の俺の人生にあれ以上の幸福な時間は2度とこないのだ」
虚無に支配されたような29歳のタカキ。
私はせっかく29歳のタカキ(松下北斗)と、登場しない筈の
アカリ(高畑充希)の日常を描いたのなら、
2人を会わせたかった。
タカキに現実のアカリを見て、29歳になったアカリと正面から
向き合ってほしかった。
2人は何度もすれ違い
2人は何度もニアミスをする。
もうドキドキしました。
線路の遮断機が降りて、電車が通り過ぎて、遮断機が上がったとき
アカリがそこで待っていることを、願いました。
思い出の中の【理想の女性像】
その生身の姿と、タカキは向き合うべきです。
そうしないと、いつまでも思い出を引きずる負け犬みたいな人生ですもの。
脇を固める吉岡秀隆の存在感。
名優は本当に輝くのですね。
宮崎あおいのさりげなさも良かった。
松下北斗と高畑充希は、演じ足りなかったでしょうね。
名作とお墨付きの原作アニメを実写化するに当たり、
改変と冒険を躊躇った優しい奥山由之監督。
原作と同じことをしていても面白くない。
勇気と新展開・・それが欲しかったです。
ONE MORE TIMEはNGなのか
新海誠作品はごく初期のものからほとんど観ていて、『秒速5センチメートル』の原作アニメも好きであるが、この実写版ではエンディングを含めストーリーや登場キャラクターを改変・追加してきている。
しかし、それが不自然ではないほどかなり良くできていると感じた。
むしろ、乱暴に言ってしまえば、初期の荒削りな感じを残していた新海誠オリジナルのアニメーションよりも脚本が洗練されていると感じた。
加えて、キャスティング、役者の演技、演出がかなり良いことで、実写がアニメと別物の映像作品と捉えれば、こちらの方が良いかもしれない(…なんて言ったら新海誠に失礼かも、だし、そもそも原作と二次創作を比較して良し悪しをあげつらうのは好きではない)。
新海誠自身、どちらかと言えば一から十まで独りでこなす「アニメ職人」が性根にある。特に初期の作品はそのスタイルが前面に出た「新海ワールド」のテイストが強いと思えるが、今回の実写作品は、より若い世代の複数のクリエイターたちの重層的な視点と才能を経て、素材としての原作の物語をこうした形で昇華した、という良い見本かもしれない。
コミック→アニメ、アニメ→実写、小説→実写、アニメ→コミカライズ、アニメ→ノベライズ、実写→実写(改)…などなど、二次創作にはいくつものパターンがあるけれど、どのパターンが良い悪いと決めつける愚は犯すべきではない。
またもちろん、「忠実な再現」が唯一の正義ではなかろう。要はクリエイティビティが遺憾なく発揮されれば良いだけの話だ。
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松村北斗はアイドルグループ出身ながら、朝ドラ『カムカムエヴリバディ』や映画『夜明けのすべて』『First Kiss』などで確かな存在感を見せてきた。
濃いキャラの多い若手俳優たちの中でちょっとおとなしいというか、一種の透明感というか、無個性という個性が監督から珍重されるのかもしれない。
しかし台詞語りは巧みであり、自然な会話の間(ま)やキャッチボールを演じられる器用な人だ。
つまり、こういう静謐な作品で流れを乱さずにしっかりと存在していることができる。
一方、この作品でどうしても観たかったのは白山乃愛だ。
直近の第9回東宝シンデレラオーディション(2022)で最年少グランプリを受賞した逸材である。
当方『Dr. チョコレート』も『ゆりあ先生の赤い糸』も『ふしぎ駄菓子屋銭天堂』も観ていないのでスクリーンで初めて演技を観るのを楽しみにしていた。
やはり長澤まさみ、上白石萌音・萌歌、浜辺美波など錚々たる女優を輩出しているオーディションのグランプリ受賞者だけあって堂々たるものですな。
ちょっと脱線するが、映画会社の視点で見れば、こんなに小さい頃から気長に育成するのは相当な覚悟がいるはずだ。だから東宝シンデレラというのは「普通の子役」を選ぶオーディションではない気がする。開催年も不定期に5~6年は空けているし、芸能プロダクションやTV局が消費するようなタレントを毎年のように量産する指向とは一線を画している。
実力のある(素質のある)良い女優が、時間を掛けてしっかりと花咲く。これは日本映画製作システムの失ってはならない美風だろう。
また、森七菜がどんどんブレークしている。
今年だけでもすでに『フロントライン』『国宝』で大きな存在感を示しているが、この『秒速5センチメートル』では化粧っ気がなく(メイクも最低限?)髪もボサボサの種子島のサーファー高校生がなんとも素晴らしくハマっていた。
思いの届かない男の子の後ろをとぼとぼ歩きながら、立ち止まって泣き始めるシーンは見事だった。
ただ、ひょっとしたら、長じた篠原明里役の高畑充希と、逆の配役でも良かったかもしれない。
遠野の元同僚・元恋人の水野を演った木竜麻生も良いし、中年の色気が出始めた宮﨑あおいも良い。
そう考えると、すごいラインナップですな。
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『秒速5センチメートル』は新海誠の心象風景、しかもかなり内向きで後ろ向きの男の表象だ。
すれ違い、噛み合わない男女のラブストーリーでもあるけれど、基本的には遠野貴樹(演:松村北斗)のいつまでも吹っ切れない過去のナラティブであって、最後に科学館長(演:吉岡秀隆)をカウンセラーめいた相手として泣きながら思いを吐露する。
それは約束の日に約束の地を訪れたが、約束の人(明里)には会えなかった、会いたかった、という告白であったが、館長は
「そこに座っていた人(明里)が言っていました。『私は行きません。相手の人(貴樹)が過去を引きずる人ではないと信じているから』と」(概要)
と伝える。
このエピソードに、もし男女の心理の性差があると仮定するなら、男性は過去に拘るが女性は吹っ切れて前に進める、とも取れる。それは案外、特に男性の側からすると共鳴する点があるのかもしれない。
まったく話が逸れるようで恐縮だが、いつぞやのTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』でのリスナー投稿で、エピソード内容は異なるけれど同様に20年以上前の過去のすれ違いと後悔と憧憬を胸に、かつての恋人に会いたいという淡い気持ちを持つ男性の投稿が紹介されていた。
このとき、安住アナと組んでいる中澤有美子アナが
「・・・そーですねー・・・控えめに言って、こういうの大嫌いです」
と一刀両断したのには爆笑してしまった。
もちろん中澤アナの個性なのかもしれないが、ひょっとしたら女性の感性として、こういう男性側の一方的でロマンチックな(キモい?)思い込みはNGなのかもしれない。
だから、中澤アナは新海作品がキライかもしれないし、『秒速5センチメートル』は大嫌いかもしれないww
なんとも変なオチで恐縮です・・・・
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