秒速5センチメートルのレビュー・感想・評価
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ボイジャー(1号・2号)な恋
原作である 新海誠監督:アニメ作品(2007年アニメ)は観ていなかったので、これを機に配信で鑑賞しました。
原作3部作とは違い、本作の構成では、第二部(高校生時)は不要。
本作導入部は、とても奇麗な映像でした。
本作での 駅での"最後のシーン(朝)"のカット割りはアニメ版よりも優れており
アニメ版への"手法オマージュ"として、最高のアンサーになっていました。〈演出賞〉
アニメ版テーマ曲「One more time,One more chance(山崎まさよしさん)」の本作での扱い方がよく考え抜かれており
更に、エンディング曲「1991(米津玄師さん)」では、新海誠監督へのリスペクトを感じられました。
アニメ以上に"年代毎の男女の立ち位置の距離感"がよく表現されていて、監督の演出の素晴らしさが光っていました。
高校時の彼女(花苗)を左利きにしてくれたのは、鑑賞者が2名の女学生を混同させない様にとの監督の配慮なのだと思いました。
19時に待ち合わせ。。。親としては 終電を心配してしまいます。 中学生たちには無用でしょうが。。。
今年7月にボーイスカウトで行った「みなと科学館(虎ノ門)プラネタリュウム」がでてきて うれしかったし
このくだりは アニメ版にないだけに とても良い脚本でした。
最近では「3I/アトラス」が非常に問題になっていますが、小惑星「1991VG」が登場させたので、
新海誠ワールドを感じさせながらのタイムリーな感じがありよかった。
本作のお陰で、作品を観ずにいた 新海誠監督作品(2007年アニメ)を観賞する事になったのだが、
これほど素晴らしい作品(アニメ)を観る機会を作ってくれたのが、本作の最大の利点だった。
アニメ版を観る前に 本作実写版を観る事が出来たのは、順番的にも非常に良かったのだと思う。
おかげで、新海誠監督の偉大さを実感しました。
こんなに素晴らしい作品(アニメ版)を観る機会を作ってくれた 本作に感謝したい。
タイトルの意味を知って、なるほどと思う。
きっとこの先も大丈夫だと思う、絶対
泣く気満々で行ったけど、期待に違わず泣けました。
2007年公開のアニメは、映画の映像のようでしたが、今日のはアニメのような雰囲気の映画でした。米津玄師の「1991」をはじめ,劇中の音楽もとても良かったです.
また,とにかく俳優陣が素晴らしかったです。特に 森七菜と明里の子供時代の二人が特に良かった。
帰ってから、prime videoでアニメ版をもう一度観てみました。映画はアニメをほぼ包含しており、時間が1時間くらい長くなっています。膨らませたところは、小惑星1991EVの話と,これでもかというくらいの、すれ違いシーンの連続の部分で、戦後に流行った『君の名は』みたいです。すこしやりすぎの気がしました.
貴樹(松村北斗)には,小川館長(吉岡秀隆)に告白して号泣した後に,理紗(木竜麻生)にきちんと向き合ってほしかったです.そして,二人で踏切を渡っているときに,むこうから明里が来てすれ違うのだけど,振り返らないでエンディングだとよかったのに.
ところで,ちょうどいま新海誠監督を見出した大槻貴宏(ポレポレ東中野代表)が,東京新聞朝刊の「私の東京物語」を連載していますけど,やはり,新海誠は天才ですね.
杞憂だった!大好きな映画の誕生に感謝
森七菜にやられた!
この間、国宝で歌舞伎の家のお嬢さん役で光る演技を見せたと思ったら今度はあんなに初々しく高校生ができるのが素晴らしい。カブに乗りサーフィンをする姿がピッタリ。そして活発な女の子からのギャップ萌え、伝えたい言葉も飲み込みながら、恋する乙女っぽくヨーグルトのブリックパックをキュッと吸って飲む姿にノックアウトです。
まず森七菜が届かぬ思いに泣くシーンが切なすぎて涙がポロポロ。
収まったら今度は、子どもだから引っ越すしかない選択肢のない2人の状況と子役の女の子の演技でうるうる。プラネタリウムで吉岡秀隆出してくるのは反則技だ。吉岡秀隆出してきたらもう泣きスイッチ入っちゃうんだから。そこに松村北斗のあのナチュラルな演技。つられて胸が熱くなって涙腺が緩む。
アニメ版の美しい絵のイメージを崩さないよう、綺麗な景色が続いていく。列車は絵を超えた。本物の列車なので、鉄道の乗り継ぎもすごくリアル、昔の車両を使ってるようで再現度が完璧。
今の列車とホームに隙間はないが、昔の列車とホームの間には隙間がある、この比較にもキュンとさせられた。
どこもかしこも綺麗な映像で聖地巡りしたくなる。
タイミング的に今やってる朝ドラのばけばけのお父さん役の岡部たかしの落ち武者の髪型を思い出してちょっと最初の方は笑けました。
高畑充希が芳根京子だったらもっと入り込めたのでは?夫と海外に行っても憎らしくならなかったのでは?と少し頭をよぎりました。子役の女の子が成長したら芳根京子?という完璧にかわいい顔だったから。
人生で出会う5万語の言葉で何を選ぶか、考えさせられ、これまでとこれからの人生と照らし合わせ言葉を探した。
この映画はこれまでとこれからの物語なんだなあ…
それにしても、やはりこの映画には山崎まさよしの曲が外せない。ちゃんとイヤフォンから漏れてくる音やカラオケでかけたりしてちょいちょい出しながら、ラストにちゃんとかけてくれてホッとした。
米津玄師の曲も悪くはないが不協和音がしんどい現在と未来を想像させる。
このストーリーは過去の美しくも切ない思い出に焦点を当てて山崎まさよしのあの曲が流れて桜の花びらが巻い落ちるのが一番の見せ場。
アニメのようにそのまま終わってくれても良かった。
米津玄師の方の曲が挿入歌でも良かったかな。
とはいえ実写版は実写版の良さがあり、全体的には大満足な仕上がりでした。
脇に吉岡秀隆と宮崎あおいを配したことでクオリティも上がっているし。
大好きな映画がどんな仕上がりになるかずっと気にしていたけど杞憂でよかった。
天気の子ハリウッド版は永遠に完成しなくて良い気がするけど…
男の恋愛は名前をつけて保存、女の恋愛は上書き保存とよく言うけれど、女でも過去の男性が忘れられない人もいる。
男女問わず、そんな過去を大切にしたい人には大いにおすすめな作品の完成だ!
秒速5センチメートルジャーネー
【所感】
※ネタバレ注意報
アニメ版は未見です。
全体的に、映像はCMやプロモーション映像のような雰囲気、
そしてノスタルジックな粗い映像。美しいとは思います。
でも、美しさばかりが続くと、次第に眠気を誘うようでもあり、
物語は平坦で、盛り上がりや弱く、映画に惹かれる点が弱く感じられました。
主人公の未練や女々しさには共感できず、
「わざわざ実写化しなくてもよかったのでは」と思ってしまいました。
松村北斗は、妙なヘアスタイルで、違和感。滑舌はよいですね。
若い時の江口洋介に似ています。
高畑充希はミスキャストと思いきや、後半でなるほどね。
森七菜さんは、国宝では損な役回りでしたが、今回は好演でした。
ただし、彼女の登場シーンは物語の流れに大きく寄与しておらず、
なくても成立したように思います。子役の2人は好感度ばつぐん。
全体としては、映像美に支えられたポエムのような映画である一方、
救いのない展開にもどかしさを覚え、
せっかく夢や希望を求めて映画館に来ているのに、というような後味でした。
それでも、もともとのアニメ版を見てから、
あらためて本作を振り返ると、
もともと描こうとした主旨が理解できるかもしれません。
機会があれば、原点であるアニメ版も見てみたいと思います。
いや、見ます。いま、DVD、Amazonで注文しました。
10/16 酔爺
こんなにそばに居るのに
ちょっとした疑問と蛇足がなければ満点
以前、新海誠監督の原作アニメはVODで観ていたんだけれど、
正直、その厨ニ病的ベタ甘センチメンタルは
直視に堪えず、思わず早送り多発。
でも、
監督自身によるノベライズは
とくに「大人の部」の背景を増強していて
落ち着いて読め、けっこう面白かったので、
もしかしたらワンチャン、と思って観に行ったのであります。
* * *
実写版は、アニメ版を換骨奪胎、順序を並べ替え、
ノベライズ版で語られた背景を、表に出していて。
これは、とっても理にかなっていて自然。
さらに実写版は、独自の設定を加えていたんだけれど、
それはある一点を除いて納得のいくもので。
その一点とは、
種子島の花苗(かなえ)のお姉ちゃん。
アニメにも小説にも名前は出てこないけど、実写では「みどり」(宮崎あおい)。
その彼女が、
11年前の種子島では高校の先生だったのに、
紀伊國屋書店の店員さんになっていたんであります。
なんで??
まあ、そこ以外は、
むしろ原作アニメより小説より
よくなっていると感じてたんであります
――ラスト15分までは。
2009年3月26日、岩舟でのエピソードの後、
アニメでもラストに描かれた小田急の踏切の前の
およそ10分が、
めっちゃ蛇足。
それまでは、
あ、この実写化、大成功じゃん!
と思って、
とくに白山乃愛さんと森七菜さんの演技には、
感動のあまり悶絶していたんだけれど、
その蛇足で萎えた~。
(憶測だけど、これは「話を分かりやすく説明した方がいい」という
プロデューサーのゴリ押しじゃないかと)
* * *
アニメ版は、
さっきも書いたけどとにかく厨ニ病的甘々センチメンタルなんだけれど、
そのビジュアルは目を剥くほど素晴らしかった。
あまりにもリアル、どころか、リアルを超えてさらに美しく。
これぞアニメの存在意義、と高らかに訴えたくなるほどの美しさで。
今回の実写版は、
実写では諸条件が限定されるので撮影が難しいはずなのに、
その「リアルを超えたアニメ」に迫る美しさを「リアル」でやってみせ。
とくに、
種子島のロケット発射シーン。
それはそれは、お見事でありました。
見返すと完成度の高さに驚く。
やはり、実写化映画なので原作に対して脚色された部分は多いですがその点も問題なく上手く解釈されて付け足されているので不快感はありません。
特に良いと感じたのは子役のふたりの演技です、非常に上手に演技しており、良かったです。
原作は3パートに別れてますが、各パートだいたい20%ぐらい付け足されてるでしょうか?
成人パートの60%ぐらい付け足されてると思います。
映画鑑賞後、まぁこんなものかと思いました。
ですが、ここからで帰宅後再度アニメバージョンを鑑賞した結果。
非常に良すぎる付け足しで作品であると認識しました。
各キャラ、各シーン、解釈加えはもちろんありますがどのシーンも実写化にあたりよりキャラクターの心情を表しているようになっていると思いました。
正直映画鑑賞時は80点でした、アニメを振り返ると正直95点です。
もっかい見に行きます。
とってもいい映画です。
ちなみに森七菜さんと幼少期役の上田くんと白山ちゃんの演技がとってもいいです。今後に期待してます。
米津玄師の「1991」が主題歌として完璧なのは前提として、 BUM...
原作の大切な部分を大切にしなかった作品
過去で足を止めてしまった貴樹と歩みを止めなかった明里。遠く離れた二人が偶然踏切ですれちがうことで貴樹は再び歩き出す。これが原作の大切な部分だったと考えている。
ところがこの実写作品は脚本と演出はその部分を大切にしなかった。もしかしたら飲み会やプラネタリウムで偶然会っちゃうのかもというシーンをいくつも作った。公開前の人物相関図を見てそんな展開は止めてくれよと考えていたことを思い出した。
ほんとは「君の名は。」をやりたかったの?大人になって岩舟に向かう場面はもうその場面のための場面であって蛇足じゃないか。
構成が時系列に沿っておらず回想シーンを行ったり来たりするせいで二人の距離感に一貫性がなくなってしまった。
明里が手紙を見直すシーンやパンフレットで貴樹の名前を見るシーン。あれは二人の距離を縮めたかったのだろうか。だとするとテーマが壊れる。それに縮まったのに明里は何もしないの?縮まらないのならなぜ出した?
そもそも明里はどう受け止めたのかがわからなかったが。
大人の貴樹を日常のコミュニケーションも拒否するような社会性を欠いた人間という描写は何のためだったのか。
貴樹と理紗の関係をコミュ障同士の傷の舐め合いかと思わせるような関係で描写したのはなぜなのか。見かけは普通の恋人同士のような関係を作っているのに貴樹がどこかで踏込ませないいるから「心は1センチくらいしか近づけませんでした」という台詞に意味が出てくる。
あんなよくわからない関係ではその言葉に意味があるのか?
大人の明里のキャラクターもわからない。どこか内向的なおどおどした雰囲気を出す必要はあったのだろうか?本屋とか少し特殊な設定にしないで普通の企業のオフィスで働いたほうが貴樹との対比になったのでは?
そもそも明里を深堀りする必要あったの?貴樹からは遠くて見えない明里に色々あるんだよねーという光景を見せられてもノイズになっているのでは?
突然明里の恋人が出てくるが最後だから慌ててぶっこみましたという感じである。ところでいつからいたの?飲み会の誘われたシーンのときからいたらまずくない?
先生が東京にいてというのも疑問がある。なぜ全く関係ない人ではダメだったのか?飲み会で高校時代のこと思い出とそして花苗の話を出したいから?それは出すべき場面なの?
高校時代のタバコのエピソードは何の意味があったのか。先生と話をするきっかけなら別の理由を作れなかったのか?やんちゃしてましたというエピソードを他で使わないなら意味がない。花苗が真面目だけど翳がある貴樹を好きになりましたではなくて不良少年でしたではどうしても近付けない存在として花苗が気付く対象として壊してないか?
そういえばロケットの打ち上げ。原作では架空の惑星探査機の打ち上げで孤独な旅で何かの暗喩だったのだろう。その替わりにボイジャーを出したのだろうけどそれならあのロケットは何の象徴なの?
最低の演出はプラネタリウムで明里の幻を出して貴樹を泣かせたこと。なんだこれは?神のお告げが降ってきたので貴樹は言われた通り従いますじゃないか。内省による変化を役者の演技だけで作れないから安易な記号化に頼る。ここは泣くところですよと観客に教えている。
二人の距離がわからないまま最後の踏切。もはやこの映画にはこのシーンは必要だったのかというぐらい価値が下がってしまった。
One more time one more chanceも使わないと怒られるから使いましたという感じで使う意味がわからない使い方だった。
エンディングの1991もこの映画のエンディングとしては合ってない。天門の曲のアレンジのほうが良かったのではないか。ちぐはぐな映画の内容にはこれで合っていたのかもしれないが。
映像は霞みがかった絵が多く新海の絵とは違うよね。再現を目指していたのでもないと思うけど。
役者の演技は良かったと思う。与えられた役柄を演じていたという意味ではしっかりしていた。
その点はプラス。
たしかに原作の要素は散りばめられていたが意味は失われていた。
実写独自の部分との繋がりもなく切り貼りとして感動の材料として並べられていた。
結局この映画は恋愛映画の一つとして商業的には成功するのかもしれない。
でも「秒速5センチメートル」の実写化ではない。
実写化してよかった!もう一度みたい!
女は現実の中で生き、男は現実を見ようとしない
原作と実写化どちらも良い
原作にリスペクトを感じ
音楽も映像もどれも素晴らしく、丁寧に描写されている
実写化ならではの表現で表情で多くを語らなくても伝わってくるものがありました
切なさの中にも希望や救いがあるようなそんな気持ちになる映画でした。
原作も実写化もどちらも良い
終盤に引き込まれた!
新開監督のアニメの素晴らしさを再認識した
実写版が悪いと言うことではなく十分よく出来ている。予想では多分がっかりするかと思っていたが、そうではなかった。キャストも違和感なく楽しめた。ただ、アニメ版とは多少ストーリーを付加させてあり、元のアニメはシンプルでそれでいて胸に響いた。
新開監督の夕空は宇宙と一体になっていてアカゲラが宇宙まで風で飛ばされていくあの空の虚空感は何とも言えない寂しさを感じさせていた。
新開監督の感覚は写真を切り取る描き方で動画に一枚の静止画の挿入でより美しく、印象的にしている。
秒速5センチメートルは山崎まさよしのOne more time ,One more Chanceの曲がエンドにフラッシュして流れるがこのアニメ全体がラストのこの曲のためにあったようだと感じた。だから実写版の曲の挿入の仕方は納得出来ない。One more time・・を聴くとアニメが連動して思い出される。それ程、楽曲とアニメは密接であるんじゃないか。
「男は女々しい」という話のどこが面白いのか私には理解できない
「言わなかった」ばかりに……+原作アニメとの比較
本映画観賞後に原作アニメを視聴。
事前知識はほぼゼロの状態で本映画を鑑賞しました。
強いて言えば「原作アニメは人によっては胸糞悪い終わり方」って評判くらいでしょうか?
結論から言えばかなり読後感のいいシナリオに仕上がっていて、
各キャラにもそれなりに感情移入できる程面白かったです。
基本的には「好き」と「すれ違い」というテーマをベースに、
主人公の「後悔や吐き出せない想いとどう向き合うか」という問いに一つ答えを軽ーく示唆して物語をキチンと閉じていました。
原作アニメとの比較として、主に社会人パートが
「かなり駆け足になっている」
「ヒロインの1人である明里の気持ちが語られずに終わる」
という語り口だった原作アニメに、
複数のオリジナルキャラをそれぞれ別々に貴樹と明里に出会わせて2人の気持ちを深掘りさせたり、
殆ど出番のなかった既存のキャラとの対話シーンを増やす事で2人の心情に説得力を持たせていたと思います。
また、とあるキャラと貴樹と明里の2人に(別々の時間軸で)出会わせる事で「伝言ゲーム」という展開ではありますが、
2人の印象を原作より良く見えるように描写になっていました。
気になった事と言えば原作にもいた輿水先生、
地元を出て教師として就職→色々思う所があって結局教師として地元に出戻り→貴樹が上京して就職して30歳になる頃には再び上京して書店のイベントを企画する等の仕事に転職し、明里と一緒に仕事をする
…とフラフラし過ぎではないですかね?w
高校生編で出てきた時も「思う所があったから地元に戻ってきた」って話にあんまり説得力がなくなっちゃうんですよね……
あと貴樹が喫煙してた話はなんか意味ありました??
普通に「彼も弓道部に所属する中で心にモヤモヤを抱えている事を輿水先生に看破されて人生相談に乗る」で良くないですか?
特に「未成年の喫煙」を扱うならそれなりの重みで扱ってほしかったですし、
あれだけ軽いなら他の理由で先生の身の上話を話す方が自然に感じました(というか喫煙に対する処分がタバコ没収しか描かれないのが逆に不自然です)
あとは地下鉄でヘッドホンから音漏れしてる山崎まさよしの「One more time, One more chance」を貴樹が聞く事で「何か」を思い出し行動するというシーン、
さすがにあの静かな曲調のあの曲をあんなチンマリしたヘッドホンからあの距離でハッキリ聞き取れますかね?w
目の前のおっさんが聞こえてしまうのはまだ分かりますが地下鉄ってただでさえ環境音がうるさくて、多分あのおっさんにも曲まで判別できてるとしたら多分あのヘッドホンつけたにーちゃんは他のロックとか聞いたら耳ぶっ壊れると思いますw
と、最後に細かいところにケチをつけましたが、
かなり良くできた実写映画になってたと思いますし、
「アニメの実写化」としてもかなり上手い改変だったなぁと思います。
今年見た映画の中でもオススメ暫定TOP5には入る一本でした。
やっぱり短編アニメはアニメのままがいいです。
なんとなく、全編、もやもやするような映画だった。
子供時代のエピソードは初々しくて可愛らしく、胸熱で良かったと思うが、高校以降の潤いのない、こいつ何のために生きてるんだ然とした佇まいには観ていて辟易してしまった。映画の終わりには遅まきながら大人になったようだが、あまりに遅すぎませんか?令和の30歳が皆が皆こんな幼い30歳でないことを祈りたい気持ちです。子役の女の子可愛かったですね、それが唯一の収穫かな。
【アニメ版を見返しての追記】
たまに居るんですね、時が解決しない人が。
女性は前に進んでいるのに
男性は時間だけ過ぎて、心を置き去りにして、空虚な何十年という日々を過ごし、苦しさを笑顔で紛らわしながら、他人に接し、知らないうちに何人ものひと(女性)を傷つけてる。あなたのその思いが消火(昇華)しきれないことで泣いてる人(女性)がいる。
悪気はないんだし、こういう男性はいるんだろうとは思うが自分とは相容れない人間だなと感じた。
要するに共感できないということですかね。
単調で主題がぶれている
遠山貴樹の心理描写を描き、それに振り切ってやってほしかった。
森なな単体は素晴らしかったのだけれども、遠山を主題におくのであれば全体の流れでみるとピュアすぎる印象に見えたため鹿児島時代はノイズだと感じた。
人とのコミュニケーションの難しさを確か原作では上手く花びらの落ちるスピードにかけて表現できていたはずだが本作では描ききれていないのでは?
またイメージ的に高畑さんはミスキャストにも思えた。ピュアだけど垢抜けた少し清楚美女が正解だと思ったのに対し、高畑さんはクラシカルさが滲み出ていて
なんかのれなかった。
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