「美しさに酔って、核心を見失った映画」秒速5センチメートル こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
美しさに酔って、核心を見失った映画
久しぶりにスクリーンで宮﨑あおいを見た。
年齢を重ねていた。当たり前だが、宮﨑あおいも歳をとるのだと実感した。
そして、同じ時間を生きてきた僕らもまた、あの「秒速5センチメートル」という映画の登場人物と同じように歳をとった。だからこそ、この実写版には期待してしまった。アニメ版が描いた“時間に置いていかれる痛み”を、いまの時代でどう再構築するのか。その答えを見たかった。
結果的に、私はこの実写版に期待しすぎたのだと思う。
アニメ版が放ったあの「痛みの静寂」、時間と記憶がすれ違っていく切実な美しさ――それを現代的な映像技術で再解釈する、という触れ込みを聞いた時、誰だって胸が高鳴るだろう。だが、結果的にこの映画は、美学を再現することに成功したが、情緒の再構築には失敗した。新海誠の作品世界を“表層的な映像詩”として理解したまま、構造的な悲しみの仕組みを見落としてしまった印象だ。
まず、時代感の扱いが中途半端だ。アニメ版が2000年代前半の通信文化――手紙、PHS、ガラケー、そしてドコモタワー(ドコモ代々木ビル)の風景――を象徴的に配置し、「つながらない時代の痛み」を描いたのに対し、実写版はスマホ時代との折り合いをつけきれない。
登場人物の持つ端末がauのezwebだったり、背景にドコモタワーがそびえていたりと、時代をまたぐ“過渡期”のリアリティは確かに正確だ。だが、観客にそれを意識させる導線がない。つまり、作り手の中では「通信の変遷」が物語の重要な背骨であるはずなのに、それが映画のリズムとして立ち上がってこない。結果、「懐かしさ」と「古臭さ」のあいだで宙吊りになった。
そして、もっと致命的なのは、「言葉の間」に宿る情緒が抜け落ちていること。
アニメ版で新海監督が描いた“間”――数秒の沈黙、メールを打ちかけて消す指の動き、降りしきる雪の音――には、観る者が自分の過去を投影できる余白があった。ところが実写版では、説明的なセリフと演技がその余白を埋めてしまう。監督は誠実に物語を再現しているのだが、観客が想像で埋める余地を失った瞬間に、この作品は単なる失恋映画に後退した。
映像は、確かに美しい。光の粒子の描き方、風の質感、夕暮れに沈む街の空気――どれも一級品だ。だが、その美しさがどこか“義務的”。これは、Instagram以後の映像感覚の罠でもある。すべてが美しいが、どこにも焦点がない。美しさを重ねれば重ねるほど、物語の輪郭がぼやけていく。新海監督作品の本質は「風景の美」ではなく、「風景の中に取り残された人間の孤独」である。そこを履き違えている限り、どれだけカメラが精密でも、観客の心をえぐることはできない。
もちろん、実写化そのものを否定する気はない。
むしろ、新しい世代に“秒速”の世界観を伝えるという意味では、意義はある。俳優たちの演技も悪くない。ただ、どこか「誰もがわかる感動」に寄せようとした結果、原作が持つ繊細な温度差が失われた。
秒速5センチメートルというタイトルは、「桜の花びらが落ちる速度=人が別れを受け入れる速度」の隠喩だ。だが実写版の貴樹と明里は、あまりに説明的に“別れを受け入れて”しまう。観客に「この二人はもう戻らない」と悟らせる構成があまりに直線的で、詩ではなく報告書のようになっている。
結局のところ、この映画は「思い出を再現する映画」にはなっても、「思い出を更新する映画」にはならなかった。つまり、過去の名作に敬意を払いながらも、その“痛み”を現代の文脈に翻訳しきれなかったということ。映像の美と音楽の感傷に酔いしれたまま、肝心の“秒速”――人の心が変わる速度――を見失ってしまった。
共感ありがとうございます!
自分はアニメ版未鑑賞なのですが、多くの皆さんがアニメ版と実写版を比較検証していて、その方が一層楽しめる作品だと理解したので、後追いでアニメ版も鑑賞してみます。
こひくきさま
共感ありがとうございます🙂
誤解を恐れずに言えば、18年前のアニメ版『秒速5センチメートル』の存在は、ある意味「初恋の人」なのではないかと思っています。
宮﨑駿監督が新海誠監督を認めたように、新海誠監督が奥山由之監督を認めていることが、何よりだと思います🫡
見事な考察だと思います。私は逆に実写化に対して2000年代かなり幻滅をした経験があり、最初から期待をしていなかった分だけ評価が高くなりましたが。
原作『秒速ーー』はあのバブルの終わりの桜の舞い散るような華やかでいて、おっしゃるようにまだ手書きの手紙や長電話の許されなかった、直接個人に連絡をできないアナログとデジタルの境だったんですよね。そして便利になったはずなのに、直接つながれるはずなのに再びつながらない…二人の「時間」と「距離」は一度近づいて、また離れて、もう一度近づいたけれど、今度は便利さの中でまたどんどんと離れていく二人の「時間」と「距離」がもどかしさであり、作品の切なさでもある由縁。また3つの時代で区切られた三部構成だからこそより意識させられたのかもしれませんね。実写版は一つなぎで描こうとすることでそこに、何度も入り繰りになることで少々複雑になった感じはあります。
仮に原作を星5.0とするなら、作品としての出来だけではなく、その一方でどうしてもそこに観客が感情移入をするためのピースが、観客自身が重ねるかしないと距離が近づけきれなかった感じがしますね。
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