「命を大安売りするヒーロー譚の功罪」劇場版TOKYO MER 走る緊急救命室 南海ミッション こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
命を大安売りするヒーロー譚の功罪
率直に言えば、観客を泣かせ、鼓舞し、使命感に胸を熱くさせるという意味では、極めてエンターテイメントとしてよくできた作品。しかし同時に、医療や防災を多少でもかじった者としては、あまりにも現実感を欠き、「これを医療ドラマと呼んで良いのか」という疑念を拭えない。
まず強調されるのは「命の大安売り」の構造。MERのメンバーが危険を顧みずに現場へ突入するのはシリーズの“お約束”だが、今回は島民までが次々と命を投げ出す。火山弾が降り注ぐ中を走り回り、誰かを助けるために自分を犠牲にしようとする。ドラマとしては胸を打つが、現実の災害対応では「二次被害を増やさないこと」が鉄則であり、自己犠牲はむしろ現場の混乱を拡大する。災害教育の観点から見れば、極めて危うい美談化である。
また、岩石の直撃を受けても生存する人物が描かれる。専門的に言えば、数十キロの岩石が秒速数十メートルで当たれば人体は粉砕され、救命の余地はほとんどない。ここを“奇跡”で済ませるのは、命を救う物語であるはずの作品に逆説的な軽さをもたらしてしまう。
加えて、船の移動が現実離れしている。離島の港を行き来するのも、危険でそれなりに時間がかかると思われるところを数分の演出で済ませる。これでは「島が孤立している」という設定自体が空洞化し、救命の切迫感も虚構に見える。もちろん映画的テンポのために時間圧縮は必要だが、リアリティとご都合主義の境界が崩れると、観客は「これは医療ドラマではなく災害アクション映画だ」と割り切るほかなくなる。
一方で、作品の価値を認めねばならない点もある。シリーズが一貫して掲げる「どんな場所でも命を救う」という理念は、観客に強いメッセージを届ける。現実には不可能であっても、命を諦めない姿を描き続けることは、日本社会における防災意識や医療従事者へのリスペクトを高める効果があるかもしれない。実際、興行成績や観客満足度は高く、世間はリアリティの欠如よりも「感動できるか」を重視している。
総じて、『南海ミッション』は医療ドラマの衣をまとった“ヒーロー映画”である。リアリズムを求めれば粗だらけだが、エンターテイメントとしては成功している。だが、専門家として一言添えるならば、こうした「命の大安売り」的物語が、現実の災害現場において誤った行動を美徳と錯覚させる危険性を孕むことを忘れてはならない。感動の裏にある矛盾を、観客一人ひとりが冷静に咀嚼することが求められている。
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