名もなき者 A COMPLETE UNKNOWNのレビュー・感想・評価
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ただ、風に吹かれただけ
私の読み違いをしていたらごめんなさい。洋楽ばかり聴くけど歌詞は理解出来ず、歌詞の理解が無ければ、ボブ・ディランの歌は半分も理解出来てない事になるから。ここから下は、ボブ・ディランに対してではなく、あくまでも、この映画の理解です。
クライマックスのフェスでロックを歌い、大ブーイングを受けたボブ・ディラン。でもそうなることは判っていたかのよう。判っていても、ブーイングを喰らってモノを投げつけられても、それに逆らい続けて歌い通したのは何故か。それは彼が変わらず風に逆らって歌い続けただけでは無いでしょうか。
「逆らって」というと語弊があるかもしれませんが、時代の不安の中で歌ったのが「風に吹かれて」。童謡や唱歌が季節の歌を歌うように、時代に即した歌を歌うのも、ありのままの歌の在り方。だから当然のように時代に応じて「風に吹かれて」という歌が生まれたのではないか。
では、クライマックスのフェスでのロックはどうか。ボブ・ディランの心情はどうか。人気が上がり、ファンに囲まれ、歌をせがまれ、それを喜ぶどころか、なんだか辟易としたような、うんざりしているようなボブ・ディラン。だからフェスで歌った。「もう農場で働くのはゴメンだ」と。もう「風に吹かれて」のような歌は時代が違う。「時代は変わる」と歌えば、みんなも喜んで一緒に歌ったではないか。「手を貸せないのなら、新しい事からどいてくれ。時代は変わっているのだから」と。だから新しいロックを歌った。何が悪い?
・・・ていうのが私が映画で見た限りの理解なのですが、ボブ・ディランは実在の人で、映画はノンフィクションだし、評論家や多くのファン、そしてご本人の意向と全然違ってたらごめんなさい。私はこのような理解で「実に面白い映画だ」と思いました。
女性のところに泊まっても、変わらずギターを握って歌い続ける。ジョーン・バエズと共に歌う姿は正に男女の睦み合いのようで、元?恋人の彼女が幻滅して去って行くのも無理からぬ所。とにかく人気を得ることも、お金を稼ぐことも、ましてや文学賞にも興味が無い(表彰は拒否したそうですね)彼が目指したのは、冒頭のように変わらずエンディングでも訪れたウディ・ガスリーのようでありたかった、ということでしょうか。
ふと思い出してボブ・ディランの楽曲を聴いてみるのですが、やっぱり歌詞が理解出来ないとダメですね。歌声がとても味わい深いんですけどね。和訳を追ってみてもネィティブじゃないと感覚的に理解し得ない気がする。ただ、ジョーン・バエズさんの柔らかく伸びやかな歌声がとても好きです。アルバムはどこを探しても見かけないのでアップルストアから音源を入手しました。かのレッド・ツェッペリンも彼女の曲をコピー(パクリ?)したそうで、それで興味を引いてチェックしたのですが、ボブ・ディランとの繋がりはよく知らなかった。また、ジョーンさんの「ドナ・ドナ」は絶品です。
あと、役者さんについてですが、気が付くと、またしてもティモシー・シャラメさんを見てしまったw 私が見た限りで「砂の惑星」「チョコレート工場」とまったく違う色彩を演じ分ける百面相。これまで映画界で次々と名優達が名を連ねてきたけど、彼もまた新たな時代の風なのでしょうか。今後の活躍をお祈りいたします。
キャストの生歌唱が圧巻、音楽映画として見応えあり
当時のボブ・ディランをリアルタイムで見聞きした世代ではないし、好んで聴いてきたわけでもないので一般常識程度にしか彼の曲を知らない、そんな私だがティモシー・シャラメとエドワード・ノートン目当てで観に行った。
これは、ある程度ディランの知識があること前提で作られているのかな……と思われるくだりがちらほら。詳しい人なら、シャラメの寄せ具合を個人的に評価したり、さらっと流された登場人物について「あーあの人が出てきた」とか「あの笛はあれだな」とニンマリしたりという楽しみ方ができるのだろう。
残念ながらそういう方向性の味わい方はできなかった私だが、ディランがブレイクした時代の空気、そして彼が評価されている理由がこの伝記映画の内容としては短い5年間の物語に詰まっていて、彼のエポックメーカーたる所以を感じることはできた。
それにしても、ティモシー・シャラメの芸達者振りには驚くしかない。歌唱シーンは全てシャラメ自身が歌い、事前録音ではなく撮影現場の生の音源が使われているという。
5年半トレーニングしたからといって、誰もがボブ・ディランを名乗って遜色のない歌唱と演奏をものにできるわけではない。それだけの努力に加えて、これまでの彼の演技の経験が、演奏にオーラをまとわせることに一役買っているように思えた。
ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロの歌声も素晴らしい。役が決まった時点では、歌も演奏も未経験だったという。いやいや……信じられない。
エドワード・ノートンも、フォークの大御所然とした美声をさらっと披露する。ピート・シーガー役は元々ベネディクト・カンバーバッチが演じる予定だったが、スケジュールの問題でノートンに変更になったという。出演時間は多くはないが、実力派が当てられるところにシーガーという人物の重要性を感じる。
全編にあふれるフォークソングとディランの歌が、彼らのパフォーマンスによってとても新鮮に聞こえ、フォークのよさもディランのロックの新しさも感覚的に分かったような気分にさせてくれた。
しかしまあ、ディランの恋愛スタイルはかなりアレですな。どこまで事実通りかは知らないが。
私はすっかりシルヴィの目線になってしまって、結構きつかった。居候している彼女の部屋にジョーン・バエズを連れ込み、その後帰宅したシルヴィを平然と出迎えるところなどは、なんやこいつ……という目で見ていた。別れたバエズのもとにふらりとやってきてこれみよがしに作曲作業をするところなんかは、冷静に見れば結構イタい。これ、ディラン設定で顔がシャラメだから絵的に許されるやつね(バエズには許されてなかったが)。
確かに、若き日のディラン本人もなかなかのイケメンではある。シャラメは顔の造作はそこまで似てはいないが、眼差しの強さやそこに宿る影は本質的にディランと同じであるように見えた。
物語自体は、割とあっさり流れていく印象を受けた。確かに彼が時代を拓いたことは伝わってはきたが、一方で彼の内面が主観で描かれることはほとんどない印象だ。
彼の無名時代については、ウディ・ガスリーに傾倒していること、かつてサーカス団と共に過ごした時期があったこと(これは調べてみると事実ではないようだが)、本名はボブ・ディランではないことといったほのめかし程度の描写があるのみ。名曲が生まれるきっかけ的なエピソードはない。シーガーとは音楽性において袂を分かったようで、その時の2人の関係の変化はドラマとしては面白そうなのだがそれもない。ノートンの使い方がもったいないように思えた。
ディランに関する知見の少ない私から見れば、映画の中のディランは最初から天才で、天賦の才を世間に認めさせるだけの行動力と運の強さもある人間だった。その彼が5年という短期間でサクサク成功し(たように映画の中では見え)、ロックへ路線変更してゆく(本人はただ良いと思った音楽をやっているだけなのだろうが)が、その過程や心の動きにあまり深入りしない語り方は、いささかカタルシスに欠けた(物語の面だけの話。キャストの歌唱は別)。モデルとなった本人が健在なので、内面に切り込んで解釈をほどこすことは遠慮したのだろうか。
一方で、赤狩りやキューバ危機、ケネディ大統領暗殺といった出来事から感じるあの時代の空気感、その中で生きていた人々にディランのプロテストソングが刺さるのは何となくわかる気がした。
人間ディランの内面のドラマとしては若干物足りないが、ミュージシャン・ディランのすごさや魅力は十二分に伝わってくる、そんな映画。
奴らの敷物に泥を
若き日のボブ・ディランをティモシー・シャラメが演じる。5年ほどトレーニングを重ね、吹き替え無しでこの役に臨んだとか。
時に恋人関係にあったジョーン・バエズ( モニカ・バルバロ )とのデュエットシーンはシンガーそのもの。モニカ・バルバロもまた歌が巧い。
フォーク歌手ピート・シーガー( 「 花はどこへ行った 」作詞作曲 )をエドワード・ノートンが魅力的に演じる。
ピート・シーガーの自宅に招かれたボブ・ディランが、翌朝ギターを抱え歌を口ずさむシーンがいい。
エル・ファニングが恋人のスージー・ロトロ( 本作ではシルヴィ )を可憐に演じる。
世間から注目されるようになったボブ・ディランが、自分らしさを失いたくないと苦悶する姿がリアル。
ー モンタレー・フォーク・フェスティバル
映画館での鑑賞
一つの時代
ボブ・デュランのひとつの時代を描いてるのだが、個人的に彼にハマらず生きてきたものにおいて、心を揺さぶられる思いはできなかった。
苦悩する姿よりも彼本来の心のあり様と環境に翻弄される1人の男の生活を垣間見せてもらった。
天才の半生
ミュージシャンとして初のノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの半生を描いた作品。
私は、ボブ・ディランについて何も知識が無い状態で鑑賞した。
数年前にQUEENのフレディマーキュリーの一生を描いたボヘミアン・ラプソディーが上映され、その時も私はほぼ知識が無い状態で鑑賞したが、心から楽しむことができた。
わずか10ドルを握りしめてニューヨークから始まった旅であったが、抜群の才能とカリスマ性を持ったボブは周囲の人間にも恵まれ、順調に音楽界のスターダムを駆け上がっていく。その中での苦悩や成長を描いたストーリー。
ノンフィクション映画によくある波乱万丈の涙あり映画ではない。音楽の方向性を転換するボブに時代がついていけなかった。後にそれは大衆から認められたという天才のストーリーである。
歌唱シーンが多く、ボブ・ディランの歌を堪能できる時間が多く設けられている。はじめて聞いた私でもいい曲だなと感じることができた。
フレディのように、人間臭さや情熱的なところは少ない。上品な作りとなっている。たとえば、観客を感情移入させるような主人公のコンプレックスのようなものは描かれない。人情劇を期待するとかなり薄味に感じられるだろう。
それでも、こうした歴史的偉人を映画を通して学べることは素晴らしいことである。
痛快ッ!最高!
ボブディランに詳しいわけでは無いけれど
作中に出てくる曲はどれも名曲ばかり。
かけだしのボブが鼻歌でのちの名曲を生み出すシーンや、
ギターを弾きながらしっくり来る歌詞を探したりしている所は
歴史的な場面を目撃したような高揚感がある。
意外だったのは主役のボブディランと同じくらい
周りの大人や恋人たちが魅力的に描かれていて、描写も多かった事。
ボブディランは孤高の天才というイメージが強いけど、
周りの助けや影響なしには生まれなかった存在なのだと
再認識した。
ただその周りの人たちに対するボブの態度は天才そのもので、
常に自分最優先で自分を曲げないし、かなり勝手。
クライマックスのライブシーン、
ミュージシャンの映画なら超盛り上がる最高のライブを見せそうなのに
この映画では客は大ブーイングで周りは大混乱。
でもボブはその状況を全く恐れない。
それが観ていて痛快だったし、元気を貰えた!
ホボ·ディラン♡モニカ・バルバロの歌唱が素晴らしい
2007年のアイム·ノット·ゼアを何回か見直してから映画館へ。それだけ期待して、楽しみにしていました。ウッディアレン監督の映画レイニーデイ・イン・ニューヨークで共演していたティモシー・シャラメ君とエル・ファニングちゃん😎
ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランを懐古的な気持ちで観に来たご高齢の人が多かった印象。
ボブ・ディランの伝記映画としては、ほぼほぼ想定内の1960年代前半のお話。
ザ・バンドも出てこないし、All along the watchtower のジミヘンも出てこない。
反逆児 ボブ・ディランになりきるのはシャラメ君にはなかなか高いハードルで、相当プレッシャーだったと思いました。披露しなくてはならないたくさんの曲の練習も相当大変だったろうと思うけど、やっぱり天才だね。
「レイルロード·ビル」の替え歌も。
ボブ・ディラン。相当ひねくれ者で、ヒトの神経を逆なでする。生意気そうなシャラメ君にピッタリな役。
アイム・ノット・ゼアに書いたレビューをここでちょっと引用します。
【少年が病室のウディ・ガスリーを見舞うシーンがあり、病室のウディ・ガスリー役の寝ているだけの役の人はほんとにソックリさんだった。
それと、前半にフォーク時代の解説者アリス役としてインタビューに答えるジュリアン・ムーアの雰囲気がジョーン・バエズの雰囲気にとてもあっていて良かった🤩
ティモシーシャラメとエルファニング、モニカバルバロの名もなき者 A Complete Unknown を観る前に見直しました。
スージー・ロトロ役のエルちゃんはさておき、モニカバルバロのジョーン・バエズ役がしっくりくるのかが気になって仕方がありません。】
結論から申しあげると、モニカ・バルバロの歌唱は素晴らしかった🤩ジョーン・バエズの澄んだ声。とてもよく似ていた。ただ、声に艶(色気)があって、相当に歌が達者なのがチラリ。The house of rizing sun は相当こぶしが廻ってた。ジョーン・バエズにしてはカラダが肉感的すぎるのよ。雰囲気や顔は似てなかったが、Don't think twice, it's alright (くよくよするなよ)が好きなので、二人のデュエットシーンはとてもよかった。あとからハモるモニカバルバロお見事👍アカデミー賞助演女優賞ノミネートはすごく納得。
ピートシーガー役のエドワード・ノートンがとても似ていた。こちらもアカデミー賞助演男優賞ノミネートすごく納得。ものすごく切なくなってしまった。バンジョーの弾き語りも上手かった。ただ、病室でバンジョー弾くなんて非常識すぎる💢ピート・シーガーの奥さんが日系人だったとは。トシ役の初音映莉子さん。坂下千里子に似てるなぁと思って観てた。
病床のウディ・ガスリー役は似てなかった。
しかし、この映画、開始早々に入院中のウディ・ガスリーを見舞い、ウディ・ガスリーに捧げる歌のシーンから始まり、ラストもウディ・ガスリーから貰ったブルースハープを病床のウディ・ガスリーに付き返すのだ。
裏切り者〜
ウォーク・ザ・ライン/君に続く道の監督なのに、ジョニー・キャッシュ役がいまいちだったのは残念。1965年のニューポートフォークフェスティバルにはジョニー・キャッシュは出てないらしいからそこはご愛嬌なのだろう。
若いティモシー・シャラメファンはモテモテ シャラメ君の 二股交際篇かよ!って思っただけかもしれないが、エルちゃんの無言の涙はやっぱり無敵😎
名は知らなくとも曲で印象を与える
ボブ・ディランと聞いても名前は知っているけどよく知らないという人は多いのでは無いだろうか。
だが、一度曲が流れるとなんとなく記憶にある曲があるだろう。
本作は「名もなき者」というタイトルの通り、ボブ・ディランやその周りの人物など名前を知らない状態でも一切の説明を介せずに曲を流す事で人物像を説明している。
当時の観衆のように何故この若者からこれほどにも重厚な歌詞が出てくるのかというのを追体験しているかのように印象を与える。
終盤のボブ・ディランのように王道カントリーから新ジャンルへ移行は賛否があるだろう。
カントリーの王道を貫いて滅びるか、近代的要素を取り入れ、時代に合わせて遺していくかをボブ・ディランは伝えようとしたのだろう。
ボブ・ディランを演じたティモシー・シャラメは歌のパフォーマンスは勿論良いのだが時折幼く見えてしまう事がある。歌声はすばらしいが日常会話になると無理に声を寄せているような印象だ。
適役は他にもいるだろう。しかし、ボブ・ディランのようにシャラメという近代的要素を取り入れて、少しでもカントリーを知ってもらおうという製作陣の想いなのかも知れない。
どこまでもミステリアス。でも、魅力的なディラン
1962年のデビュー以来、半世紀以上にわたり人々に多大な影響を与え、アルバム総売上枚数1億2500万枚、グラミー賞11度というアメリカを代表する音楽家ボブ・ディランを描いた伝記映画です。
最近、流行りの伝記映画ではありますが、よくある人生全体のダイジェストではなく、無名時代を経てフォークの中心的人物となり、ロックに転じるまでのごく限られた期間の話が描かれています。年代でいえば1961年から1965年までの5年ほどでしょうか。
タイトルの『A COMPLETE UNKNOWN』は『ライク・ア・ローリングストーン』の歌詞の一節から抜粋したものです。
自分は恥ずかしながら、ディランについては名前を知っている程度で、楽曲についてもほぼ聞いたことがなかったのですが、映画は広く知られたディランのパブリックイメージをてっとり早く掴むことができ、フォーク時代の代表曲もだいたい網羅しているので、私のような初心者にも分かりやすい内容となっています。
感情の起伏がなく、常に冷静で淡々としていて、無表情でありながら相手の心理や世の中の裏側まで見透かすような鋭い眼光が印象的。内面から滲み出る知性と、その独特でミステリアスな雰囲気がカリスマ性を醸し出す。
映画はそんなディランの外形的なイメージそのままに描かれ、内面や感情を深く掘り下げるような描写はほとんどありません。なので、素のデュランがどんな人間だったのか最後まで分からず仕舞い。
ディランは本当に掴みどころのない人物で、それがたとえ恋人であっても実態をはぐらかし、『あなたは本当に嘘ばかりね』と言われても『人の過去は作り物さ。都合のいいこと以外忘れる』と受け流す。
また、『目立つには変わってないと。綺麗かどうかより平凡じゃないことだ』と語り、あえてミステリアスな人物を演じることで、人々により興味を抱かせる。そういったセルフブランディングにも長けていたのだと思います。
映画があえて内面を掘り下げないのも、身近な人間ですら掴みどころのないディランを、製作者が踏み込んで解釈を加えることのリスクを考えたのだろうなと思います。
物語としては、ディランの若かりし頃の話が淡々と描かれており、ミュージシャンにありがちな挫折や破滅もなく、特にドラマティックな演出もなければ、特筆するエピソードもありません。ですが、そんな起伏のなさもかえってディランらしいなと感じます。
音楽的な部分でいえば、ディランの楽曲は歌詞が非常に印象的で、人間心理や世の中の不条理、偏見、差別、戦争といった題材を詩的な表現で詩にしています。ディランは歌手でありながら、ノーベル文学賞を受賞しているのですが、その授賞理由も『新たな詩的表現を創造した』というもので、確かにそれも頷けます。
当時のアメリカはキューバ危機、公民権運動、ケネディ暗殺といった激動の時代であり、そうした当時の世相をうまく捉えながら、フォークが持つ反体制的な姿勢も相まって大衆の心を掴み、社会運動とも結びついて時代を代表するアーティストとして一時代を築いていった。ある意味、この時代が生んだスターといえるのかもしれません。
もっとも当の本人は、自分の歌詞が勝手に解釈され、社会運動などに利用されることをあまりよく思っていなかったようですが。
そして、この映画はティモシー・シャラメの好演が素晴らしかった。写真を見比べればそこまで似ているわけでもないのに、声や表情、姿勢、仕草、雰囲気などはまさに映像で見るディランそのもの。20代でアカデミー賞主演男優賞に2度ノミネートされるのはジェームズ・ディーン以来2人目の快挙らしく、それも納得の好演でした。
ちなみにそのジェームズ・ディーンの伝記映画も制作されるようで今から楽しみです。
巧過ぎる
休日にいつもの映画館で
会員価格1,500円と駐車場代は300円と
何だか最近多い音楽伝記ものだが
ボブディランとあっては観るしかない
ティモシーシャラメって初めてかも
若いのにすごい役者だ 巧い 巧過ぎる
すごく練習したんだろうなぁ
ジョーバエズとの部屋でのコーラスとか
エドワードノートンとのセッションも最高
あと黒人も混じった生テレビでの即興も超クール
エドワードノートンは好きな役者 知的だ
最初気づかなかった 鼻の形を変えていたような
裁判のくだりはよく分からなかった
フォークという型に収めたい体制側と
そのときどきの衝動を表現しようとするパフォーマー
ファンも聞きたいのは風に吹かれてなんだよな
何だかよく分かった
好きだったミュージシャンがどこに行くの…って
思ったことはオラもあるな
その気ミステイクの後の大沢誉志幸とかそうだったな
SOMEDAYの後の佐野元春とかも
あとキャロルの後の永ちゃんもきっとそうだったと思う
革ジャンを脱いでラブソングを歌った
永ちゃんは後楽園を満員にした後で
パッとファミリーを解散して単身渡米もした
アーティストにしかわからない境地なのだろう
で1週回って元に戻った時に同じ曲でも深みが出たりする
全く文句はない出来なのだがマイナス0.5
音楽伝記フォーマットに対しての若干の抵抗
この作品をボブディランは喜んでいるのだろかと
ジョーンバエズにとってはよかっただろう
83歳でまだ新作を出しているみたいなことを聞いた気がする
みうらじゅんの本作レビューないだろか
Like A Rolling Stone
観終わって調べてみると、映画の中で描かれていた様々なエピソードは、創作というより、実際にあったことが散りばめられていたようだ。もちろん、シルビィはこの映画のために造形された人物だし、フィクションの部分も多かったのだろうけれど、ボブ・ディラン自身に関しては、本人がそこに存在しているんじゃないかと思われるほど、ティモシー・シャラメがディランそのものに感じられて、まるでドキュメンタリーのようだった。
創作した歌が世の中に受け入れられるにつれて、自分の気持ちにはお構いなく、大衆からは「フォーク=社会運動」の代表曲としてアイコン化され、孤独感を募らせていく感じがよく伝わってきた。
ピッタリした表現が見つからないが、ボブ・ディランという人は、「0→1」の人というより、「1」を驚くほどに膨らませられる人という感じがした。目にしたもの、耳にしたフレーズ、それが彼の中でミックスされて、結果として生まれた作品は、人々に「私のことを歌ってくれている歌だ」と思わせるような普遍性を帯びる。凡百のアーチストは、それを狙って成し遂げるために、くどかったり、ありふれていたりするのだが、ディランは、あくまでも、その「1」に触れて湧き出たインスピレーションを形にするだけなので、人々には自然に受け止められるし、ディランからすれば、そこに別の意味を持たせられても困惑するだけなのだと思った。
シルビィと、チャイニーズレストランで、映画の感想を語り合う場面が象徴的だ。
シルビィは、「自分探し」や「成長」という言葉を使い、ディランは、あくまでも「変化」を主張して譲らない。
この映画で描かれているのは、彼が求めている生き方自体が、「Like A Rolling Stone」なのだということだろう。(身も蓋もない言い方をすれば、彼は飽きっぽいってことかもしれないけど)
個人的には、フォークフェスの最終日前夜、ピートの出した例え話の齟齬が、とても考えさせられた。
動かないと思ったシーソー(世論や世の中の風潮)をスプーンの数を増やす(賛同者を集める)ことで、動かすという、同じ例え話なのに、ピートは社会変革を目的に置き、ディランは、ジャンルにとらわれない音楽の自由さを思い描いてすれ違う。なんとも切ない瞬間だった。
切ないつながりでいうと、やっとジョーン・バエズに勝てたと思っていたシルビィが、2人の掛け合いを見ながらだんだんと顔を歪ませていくシーンも、切なかった。2人が語りあっている「そこ」に自分は入って行かれない切なさ。それは、恋愛とか抜きでも、感じたことがある人は多いのではないだろうか。ちょっとグッときた。
とにかく、自分が生まれる頃の話なので、描かれている風景や出来事もとても興味が惹かれた。とりわけ、キューバ危機の緊迫感などは、そこまで深刻だったのかというのは、ちょっと衝撃だった。
そんな中、ベトナム戦争については、直接的には出てこないあたりが、当時のアメリカ国内の雰囲気のリアリティだったのか気になるところ。
最高にカッコ良い映画でした!!
合同会社everfreeの代表、梶清智志です。
noteでも書いたんですが、久しぶりに映画館に観に行って最高でした。
音響が良いスクリーンだったのでよりLIVE感味わえてよかったです。
映画を観てよかった点をいくつか書いていこうと思います。
まずは音楽!
名曲が出来上がっていく様子が描かれていて、痺れました。
特に「風に吹かれて」。あまりにも有名なこの曲が、こんな感じで出来上がっていって、演奏されていくんだというのが感慨深く、素敵でした。
「LIKE A ROLLING STONE」も。。。
最後のここぞというところでのこの曲。出来上がっていくところと最後の演奏痺れました。
この2曲だけではなく、全てのLIVEシーン、めちゃくちゃ雰囲気出ていてカッコよかったです。僕はフェスを開催するのが夢なので、あのような音楽イベントを開催したいなと映画を見ていて感じました。
そして、個人的に映画中ずっとかっこいいな〜と見とれていたのがバイク。
トライアンフT100がめちゃくちゃかっこいい!欲しい!
バイクもだし、乗っている姿も。音もカッコよかったです。
そして、そして。
この映画でもっとも良かったのは、
それまでの歩みから一気に変える時、反発を喰らうが自分の信念を貫き通すことで、周りが変わっていくということです。
人生を変える時って、理解されにくいことも多いし、周りの反対に会うことも多い。それでも成し遂げたいことなのか?と自分が試されている感じがあります。
劇中でもボブディランがずっと葛藤していて、最後に決断して、自分の思いを貫くシーン、カッコよかったです。
僕も経営者になると決めた時、周りからの反対にも合いましたし、お店を出すときもそう。
それでもやってきたので、この先チャレンジしていく中でも、この精神を貫いて生きていこうと映画をみて改めて思いました。
本当に個人的に素敵な映画だったので、ご興味ある方はぜひご覧になってみてください。
心が波立つような、不思議な揺れるまなざし。
3月12日(水)
骨折した右手小指はまだ付かない。右手小指に当て木をしていると不便でしょうがない。やっと「名もなき者」をTOHOシネマズ日比谷で。
私は、ボブ・ディランよりサイモンとガーファンクルを聴いた。B・ディランのコンサートには行った事がないが、 S&G は1982年の後楽園球場!へも、2009年の東京ドームへも行った。
本作でも描かれていたように、1960年代には新人はトラディショナルな曲のカバーでデビューした。ボブ・ディランも例外ではない。ファーストアルバム13曲中ディランのオリジナル曲は2曲のみで「プリティ・ペギー・オー」や「朝日のあたる家」等をレコーディングしている。(映画中ではジョーン・バエズが「朝日のあたる家」を歌っていた)
S&Gもファーストアルバム「水曜の朝、午前3時」では12曲中P・サイモンのオリジナルは4曲のみであり、ディランの「時代は変わる」(この映画でも歌われている)や「ペギー・オー」をカバーしている。デビュー時にはディランの曲をカバーしていた S&G だったが、B・ディランが「ボクサー」をカバーして自身のアルバムに入れた時、S&Gファンの私はB・ディランに並んだと思った。
あれ?俺は何を書いているんだ?閑話休題
アカデミー賞授賞式の中継を観ていて、この後受賞作を見に行こうと思って時間を調べたら、1時間後に「アノーラ」、2時間後に「名もなき者」がスタートだった。結局、5部門受賞の「アノーラ」を観た。しかし、今回本作鑑賞後、ショーン・ベイカーには申し訳無いが「アノーラ」が1冠(助演男優)、「名もなき者」4冠(作品、監督、主演男優、助演女優)でも良かったと思った。
ティモシー・シャラメは、ボブ・ディランだった
コロナ禍と俳優組合のストの影響で撮了まで約5年かかったらしいが、その間役者は楽器と歌唱の練習が出来たらしい。クレジットではシャラメのギターも、ピート・シーガーを演じたエドワード・ノートンのバンジョーも、ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロの歌も本人の物だった。
多少の音ずれの修正はあったそうだが、最初にウディ・ガスリーと会ってディランが歌う姿は100%シャラメの演奏と歌で全く修正はないとの事。
ティモシー・シャラメのギターと歌は本当に見事だった。
歌う様だけで無く、しゃべり方、所作、一番似ていると思ったのは彼の眼差しである。
また、この作品は「まなざし」の映画だと思った。
ウディ・ガスリーを見るディランのまなざし。
ディランを見るピート・シーガーのまなざし。(映画の最初と最後では意味合いが違う)
ディランを見るジョーン・バエズのまなざし。(初めてディランの歌を聴いた時、彼の書いた詩を読んだ時、ステージで並んで歌う時、ステージ横から彼の歌う姿を見つめる時)
ディランにアコギを突き出すジョニー・キャッシュのまなざし。
ディランを見るシルヴィのまなざし。(隣に座った彼を見る時、バエズとのステージを見る時、船着き場で別れる時)
そして、ディランを見るウディ・ガスリーのまなざし。
マンゴールド監督は脚本執筆段階でディラン本人と直接話す機会を得た。擦り合わせが上手く出来ていたのか、完成した脚本を読んだディランの要求はただ一つ、実在したスージー・ロトロの名前を変える事だったという。(映画ではシルヴィア)
実際スージー・ロトロはディランの恋人で、セカンドアルバム「フリーホイーリン」のジャケットに一緒に映っている女性である。映画の中でも自宅等で一緒に写真撮影をするシーンがある。(ロトロは2011年に亡くなったとの事。亡くなっていても名前を変える事を要求したディランの胸中は如何に)
1965年7月25日 エレキギターで武装したボブ・ディランは、ニューポート・フォーク・フェスティバルのステージという戦場で「ライク・ア・ローリング・ストーン」をぶっ放し、自分の作られたイメージを破壊したのである。
なんで、アカデミー賞何にも取れなかったかなぁ。残念。
良かった
・追憶のハイウェイ61の録音で冒頭のオルガンが突発的な理由で入ってたことに驚いた。ギタリストのあの人はずっとオルガンだったんだろうか。ラストも良かった。フォークがアメリカにとって凄く根付いたものなんだと思った。
・冒頭とラストの声の出なくなった歌手のフレーズが印象に残ったのに、思い出せない。ありがとう。さようならみたいな別れの感じだったと思う。とても寂しい気持ちになった。
・ボブディランの才能が凄すぎて、抱えてる苦悩も自分とはかけ離れて感じられて、あまりピンと来なかった。ボブディランではなくて、全然売れないし、才能のないフォーク歌手でラストの一曲だけ響いた人が少しいたみたいな話だったら自分に近い気がするなぁとか想像していた。
・ボブディランが傍若無人に振る舞っていて落ち着いた人って勝手に思ってたのが間違ってたのがわかってよかった。
・あれだけの才能があるからこその孤独というのがあるのだろうけど、無能の孤独は金もないし僻みばかりでそこから抜け出す事からが始まりだみたいなマイナスのループの悲惨のみで、その先にいて恵まれてるのになぁとか思ってしまった。今の自分だからそう見えると思いたい。
アカデミー賞主演男優賞を与えたい
顔も声もボブディランに似ていて、まさにはまり役という感じでびっくり。
1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、アコースティックギターからエレキギターに変えて、ライク・ア・ローリング・ストーンを演奏して大センセーショナルを起こしたシーンには感動した。しかも最後は不本意ながらもアコースティックギターに戻って演奏して、フェスティバルの混乱を一応終息させたシーンには涙が出るほどだった。
ちなみに恋人のシルヴィは、映画の中にも出てきますが、「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」のジャケットの写真、ボブ・ディランと寄り添って歩いているスーズ・ロトロ(スーザン・エリザベス・ロトロ)がモデルです。実際、当時の恋人だったようです。
ボブ・ディランという残像
ボブ・ディランという名前くらいしか知らず、劇中で流れる曲を聴いて確かに聴いたことあるなあというくらいの感じ。本作はそんな人間が見るのがちょうどよかったのかもしれない。
終始シャラメが素敵だった。ノーヘルでバイクに乗るシーンが特にカッコイイ。アーティストの伝記映画だけどその生い立ちは描かれておらず彼の人となりは不明なまま。劇中でも恋人に自分のことを語らず秘密主義的なところも。本作があえて彼をそのように描いてるとも思える。つかみどころのない謎多き人物であるという感じで。
謎多き人物ボブ・ディラン。自分が型にはめられることを拒み続け、自分が携わってきたフォークミュージックという枠組みからも脱却しようとフォークフェスではロック張りの演奏をしてファンから反感を買う。
型にはまりそこに落ち着けば革命は起こせない。常にその場にいることをよしとしない、常に変わり続けようという彼のミュージシャンとしての生きざまが描かれた作品だった。
彼が過去を語りたがらないのも過去に縛られたくない、自分を型にはめる過去から脱却しようとしていたのかもしれない。
彼はけして人々が作り上げた印象のままでは居続けない、人々が彼に印象を抱いたとたんそこに彼はもういない。人々は彼の残像だけを追い続ける。
彼は常に誰でもない、常に進化を続けようとする彼は確かに誰でもない名もなき者なのかもしれない。
自分はけしてあなたたちが知ってるボブ・ディランのままでい続けることはないのだ。常に自分は変わり続けているのだから。劇中彼がバイクで走るシーンは俺は常にそこにはとどまらない、俺は走り続けるという彼の思いが描かれていたように思う。走り続ける彼に追いつけないファンたちは彼に失望させられるかもしれない。それでも彼は走り続ける。そして恋人のシルヴィも彼を追うことをあきらめ自ら去ってゆく。
人々がけして追いつけない彼は常に時代の先端をひた走る。
最後に彼に多大な影響を与えた恩師ウディ・ガスリーのもとをバイクで走り去るシーンはまさに彼からの脱却を象徴するシーンでジンときた。
革新と保守
ギター1本のフォーク弾き語りから、エレキギターをかきならす姿に葛藤と革新を感じた。しかし、最後にはフォークも披露し、過去の自分も否定していないところが良かった。カッコいい生き方
伝記映画としては★★★★★ディランのファンとしては★
デューンシリーズで見ていたシャラメが有名でもありノーベル賞に代表されるように
生きる伝説として評価されているディランをどう演じるか期待していた。確かに歌も演奏もディラン本人の録音を使ったのかと思うほど似せてきており、おそらく容貌や話し方などもそっくりに仕上げてきたという意味ではデューンと全く異質な役柄を見事演じきったシャラメの演技は流石というしかない。
ただ、かつて遠い昔にディランのアルバムをレコードで買って、カセットテープに録音、ウォークマンでくりかえし聞いていた身からすれば、ごくごく表面的な部分に軽くふれたに過ぎないなの印象が残った。
そしてディランの素晴らしさは彼の創作なかでも詩の素晴らしさにあると思うのだがどうやってあの音楽が生み出されたかについては触れられることはなく消化不良感が残った。というか彼の反戦歌を期待して集まったファンを前にあえてそういった歌を歌おうとしないディランに対してはA complete Unkownの真逆でA complete Well-known は「完全なる有名人」としての振る舞いであって残念な気持ちが強かった。ミュージシャンとしてはお金を払って時間の都合をつけて集まったファンの期待を裏切るような事をするのはもってのほかだろうと思うが、ディランが歌いたがらないのを知りながらフェスに呼んで反戦歌を歌わそうとするピート・シガーやら、その曲はしたくないというのを無理矢理に「風に吹かれて」をデュエットするジョーン・バエズについてもシンガーとして尊敬していたのがちょっと嫌いになりました。その「風に吹かれて」がエンドロールで流れるあたりもブラックジョークかよと思いました。
名もなき者という意味ではシルウ”ィ・ルッソとして登場したジャケット写真にもなった女性のその後であったりが気になりました。にしてもあのジャケット写真幸せそうで見ているだけで暖かい気持ちにさせてくれます。
聖人君子でもなんでもないディランやその周りの伝説のシンガーたちをありのままに描いたという意味では良いできだと思うのですがディランのファンだっただけに後味の悪さが残りました。
熱演は間違いないけれど。
出演者自身がきちんと演奏して歌唱もしている、という熱演っぷり。
ただ物語としては無名の若者が功なり名を遂げるというだけ。
アコギからエレキに持ち替える事がクライマックスだとなんともね。
ただ、個人的にはダミ声の歌手の時代しか知らないジョニーキャッシュのカッコいいことといったら!
シャラメのステージシーンよりキャッシュの登場カットが印象に残っていたりします。
ディランのメンターの一人ということなのでしょうがガスリーよりターニングポイントになってるように見えたかも。
フォーク歌手というレッテルを貼られるのを嫌う・・・
「映画で一言:名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」
劇場公開日翌日にみてきた、若き日のボブディランの映画。兼ねてから公言しているように私は吉田拓郎のファンだが、拓郎が憧れた歌手がボブディラン。1970年、和製ボブディランとしてデビューしたのが拓郎だった。
なので、あまりボブディランのことは知らないが、どこかで拓郎を想定しながら映画を観ていた。ボブディランのことをそんなに知らない人にはわかりやすい映画だったし、拓郎さんがいかに、メジャーデビュー以来、ボブディランのことを意識していたか、すごくよくわかった。「フォーク歌手というレッテルを貼られるのを嫌う」っていうのもボブディランの受けうりだったのだと実感した(笑)
という映画だが、やはり吹き替えなしで、若き日のボブディランを演じきったティモシー・シャラメはかっこよかった。あのデユーンと同じ役者とは思えないくらい、ボブディランになりきっていた。少し顔がきれいすぎたけれど、サングラスで歌っている姿はボブディランそのものだった。★は3.7かな。ちょっと甘めの採点です。
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