名もなき者 A COMPLETE UNKNOWNのレビュー・感想・評価
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ディランのカッコ良さを描いてほしかった
ボブ・ディランのファンです。
予告編でティモシー・シャラメのかなりの再現度を観て映画を楽しみにしていました。
正直一本の映画としては、かなりつまらなかったです。
ボブ・ディランを知らない方なら尚更そう感じると思います。
特に脚本が悪すぎます。
主軸で描きたいものがなんなのかはっきりせず、ディランの私生活にばかり終始していて、別に描かなくてもいいような女性関係や人間関係の部分が、かなり雑音になってしまっています。
実際そうだったのかもしれませんが「ディランってこんなやつだったの?」と大好きな歌と共に綴られ、別に見たくない部分だったなと思いました。
田舎から出てきた才能ある若者の成長譚として描きたい感じはするものの、ミュージシャンとしてのシーンは感情移入する間もなく進んでしまいます。
特に、ラストのニューポート・フォーク・フェスティバルでのシーンは、こんなテンションの上がらないライク・ア・ローリングストーンを聴いたのは初めてという気持ちになりました。
ディラン本人のドキュメンタリー「ノー・ディレクション・ホーム」を観た方が彼のカッコ良さは伝わると思います。
ティモシーの演技力、歌、他の出演者の再現度の高さは評価できるので星2をつけました。
これだけ役者が揃っていたのにもっと良く描けなかったのかと残念でなりません。
ニューヨークに降り立ってから伝説のフェスまての短い期間の映画
ボブ・ディランはあまりよく知らないが、曲は色んな人がカバーしていて聞いたことがある。ほんとがが知ってる歌でそれだけで楽しくなる。
時代背景もあって当時を知る人がみたらとても懐かしく思うだろう。知らない人はあの感じは理解できないのかも。
人の気持ちが読めないのか分かっているのにやっちゃうのか、周りにいたら困った人だ。
ラストのフェスでは一説によると涙ぐんでたとかという話もあるが、だとしたらボブ・ディランちょっと見方が変わってくる。
全体的にボブ・ディランの詩の世界観が出ていてジョーン・バエズのモニカ・バルバロの歌声がとても心地よい。
ストーリーとしては、エルビスやロケットマン、ボヘミアンラプソディみたいな波乱の展開って感じではなかった。
ちょっと、もう・・
エレクトリック転向?の罵声の中、ノッてる少数のお客さん、パンク誕生もこんな感じ?音楽映画はこういうファンへの刷り込みが在るから、敵わんよなぁ。
娯楽作を多数手がけたマンゴールド監督の編集、バッサバッサ。知ってるだろ?解るよね?コレは良いのか悪いのか。
エドワードノートンがイイ人過ぎる・・エルファニング、キュート〜初音映莉子さんは出演を知らなかった、凄い役。
追記 3月7日IMAX 音が良いのは当たり前ですが、あまり新たな気付きは無かった。タバコ2本と1本の違い、つくづくノートンイイ人、ジョニーキャッシュは自分も危ないと思ったんだろうか?位。
追記2 3月8日ユーチューブのサッカリンチャンネルで今作を取り上げていたので視聴。史実と脚色の部分とか興味深い。ディラン本人が出していた要望も在る。面白いのが本物とキャストの歌の比較、シャラメの美声がよく解ります。
ディランの音楽に浸かる…
1965
手に負えないほどの魅力の体現
気骨な精神の尖りと若さ
やりたいことと求められることとのギャップに葛藤し憂う表情
魅惑的な女性たちに囲まれ気まぐれに彷徨う独特な色気
器用だったり不器用だったり
優しかったりつっけんどんだったり
素直だったり嘘つきだったり
天然なわがままさが手に負えないほどの魅力を放ち人を虜にするボブ
彼そのものを体現していたティモシー・シャラメがとにかく素晴らしい
もじゃもじゃ頭、ギターを担ぐ猫背な後ろ姿もぴったり似合わせ、歌声、ギター、ハーモニカも心をざわざわ響かせ鳥肌が立った
ボブ・ディランをまた聴きたくなってしまう人が続出するだろうね
港のフェンス越しの二人の切なすぎる感じ、始まりと終わりのwカットにはいろいろあっても変わらない彼の核のような思いがみえ胸が詰まる名シーンだ
詩のなかに投影される彼の意思、メロディにあらわれる感情に動かされるライブ感もたまらず
物語を追いながら懐かしい気持ちまでこっそり呼び起こされるうち熱い涙がポロリの傑作でした
ぜひいい音で、劇場で
よかった・・・でも長かった。
それでもライク・ア・ローリング・ストーンが好きだ!
久しぶりに試写会に参加して、ボブ・ディランの映画「名もなき者」を見てきました。
アルバム「追憶のハイウェイ61」で「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聞いて以来の大ファンですが、このアルバムにこんなエピソードがあったのは知りませんでした。
まずは、映画ファンとして本作品を見た感想ですが、ボブ・ディランを知らない人にとっては、ちょっと難しいと言うか退屈な作品になるのかな・・・・
本作品は、ボブ・ディランがデビューするきっかけとなる所から、ある意味、フォークギターからエレキギターに持ち替えた所までのお話です。
あの頃の時代背景などを知った上で見ると大変に見応えがあると思いますが、しかし、この手の作品をみて感じることですが、私自身も若い頃、俳優やミュージシャンに憧れて頑張ってきた頃があり、成れなかった自分がいて、夢を叶えた人の活躍が羨ましく思える事がありますが、しかし、夢を叶えても、それなりの格闘があるんですよね。
主演のディラン役のティモシー。シャラメは、実にボブ・ディランに成りきっていましたね。ボブ・ディランが時折みせる、刺すような目つきを完璧に再現している。
他の役者さんも関係者の役を実に自然に演じきっていて、なかなか見応えがありました。
しかし、ボブ・ディランが、フォークからエレキに持ち替えてもディランはディランと言う見方を持っていましたが、当時はやはりあれだけ騒ぎになるんですね。
しかし、誰が何と言おうとも、俺は「ライク・ア・ローリング・ストーン」が好きだ!
強いて本作品に注文をつけたいのは、「風に吹かれて」にせよ、「時代は変る」にせよ「ミスター・タンブリン・マン」にせよ、この曲が出来たエピソードがもっとしっかり欲しかったかな・・・・
私が19歳の時、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと一緒に日本武道館のステージに立ち、「戦争の親玉」を唄う前にボブ・ディランが、MCで、「次は「戦争の親玉」を唄うよ、この曲はプロテストソングさ、今でも唄っているよ」と言って唄い出した事を思い出しました。
しかし、まだまだ、伝説になるには早い過ぎるぜ、ボブ・ディラン!
何時までも答えなんかみつけずに、歌い続けてくれ!
時代は巡り、懐古も巡る中、一人の若者は「規定されない自分」を模索していた
2025.2.28 字幕 イオンシネマ京都桂川(Dolby Atmos)
2024年のアメリカ映画(141分、G)
原作はイライジャ・ウォルドのノンフィクション『Dylan Goes Electric!』
実在のミュージシャン、ボブ・ディランの若き頃を描いた音楽伝記映画
監督はジェームズ・マンゴールド
脚本はジェームズ・マンゴールド&ジェイ・コックス
物語の舞台は、1961年のニューヨーク
憧れのフォークシンガー、ウディ・ガスリー(スクート・マクネイリー)に会うために上京したボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)だったが、ウディは病気のためにニュージャージーにて療養していると聞かされる
ヒッチハイクで乗り継いで病院に向かったボブは、ようやくウディと会うことができた
だが、彼はハンチントン病に冒されていて、まともに話をすることもできなかった
傍には親友のフォークシンガー、ピート・シーガー(エドワード・ノートン)がいて、彼は自分の曲をウディに聴かせていた
ピートは「何をしにここまで来たのか」とボブに問い、彼は「煌めきを掴むために来た」と答える
そして、ウディのために作った曲をそこで演奏する
ピートは彼の才能を確信し、ライブハウスに立たせる
ピートのマネージャーのアルバート(ダン・フォグラー)も彼の才能に気づき、それから本格的な音楽活動が始まっていった
物語は、小さなレコード会社からやがてコロンビア・レコードと仕事をするようになる様子が描かれ、当初は古い曲のカバーばかりをやらされていた
だが、実績を積んでいった彼は、やがて自分の曲も演奏できるようになり、フォークフェスの舞台に立つようになる
その頃になると、フォークシンガーとして大人気のジョーン・バエズ(モニカ・バルボロ)と共演するようになり、さらに共作をしたり、楽曲提供をしたりするようになっていく
また、プライベートでも教会のコンサートで知り合ったシルヴィ(エル・ファニング)と恋仲になるなど、充実した人生を歩んでいるように思えた
そんな彼の転機をなったのが、JFKの暗殺事件、キューバ危機などの社会情勢で、この世が変わっていくことを敏感に察知していく
歌う内容も徐々に変わっていき、さらに楽器の進化なども起こってくる
ツアーを共にしているボビー・ニューワース(ウィル・ハリソン)などの影響も受けていくボブは、やがてエレキギターを演奏するようになっていく
だが、フォークフェスの主催者サイドは彼にフォークソングを歌ってもらいたくて、ファンもそれを望んでいると譲らない
そして、1965年のニューポートのフォークフェスの日が訪れるのである
映画は、ボブ・ディランがエレキギターを握るまでという感じになっていて、スターアムに駆け上がりながらも、自分自身は「誰もが望んでいない自分でありたい」と葛藤していく様子を描いていく
タイトルの「A Complete Unknown」は、「完全なる無名」という意味で、何者であると規定されるところから最も遠い存在を意味している
ボブは、人の敷いたレールに乗ることを拒み、変わりゆく時代を敏感に感じ取りながら、自分の表現も変えていく
そうしたものが時代を築いたものと衝突することになり、恩人だったピートと対立していく事になってしまう
ラストのフェスでは演奏を辞めさせようとするピートが描かれ、彼の妻トシ(初音映莉子)がそれを止めるシーンが描かれる
ピートの中でも認めざるを得ないものがあって、それでもこの場で求められるものは違うと感じていた
そこでボブはピートの顔を立ててフォークソングを披露するのだが、それが今生の別れのような描かれ方になっていたのは印象的だったと感じた
いずれにせよ、ボブ・ディランの世代ではない私が観ても大丈夫な作品で、知っている人なら尚更当時の記憶が蘇るように思う
かなりの著名なフォークシンガーやアーティストが登場するので、フリークとかぶれに取っては至福の140分なのだろう
楽曲のほぼ全てを演者が歌唱していることもあって、ライブの臨場感とかリアリティも再現されているので、そう言った部分を楽しみにしている人にとっても満足のゆく作品だったのではないか、と感じた
ティモシーの歌がすごい👏
高校生の頃にボブ・ディランを聴きまくってた時期があったから、名曲が生まれる瞬間や語り草になってるニューポートフォークフェスティバルに立ち会ってる気分になり、ワクワクした
予告を観たときにボブ・ディラン本人の楽曲を使ってるのかと思っていたが、ティモシーが全て歌ってた!驚き!素晴らしかった
ファンなら良いかも⁉️
変人で女好き、でも芯は強い
ボブ・ディランの事は、存在は知っていても楽曲はほとんど知らず、どっかで耳にした事あるなという認識の曲がいくつかある程度。それでもティモシー・シャラメのなりきりぶりに感服。というかティモシーもそうだが、ジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロやピート・シーガー役のエドワード・ノートンといった、実在人物を演じたキャスト全員が自分の肉声で歌っているというのも凄い。昔から好きだったが、やっぱりノートンはいい役者だ。
特筆したいのはディランの楽曲に歌詞字幕を付けている点。そんな事で?と思うかもしれないが、著作権事情で歌詞が出ない作品も少なくない中、これはホントに有難い。
デビュー直前の1961年から始まり、シンガーソングライターとして名を成すも、フォークだけの歌手として括られるのに辟易し、65年のニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキギターをかき鳴らすまでを描く本作。実際のディランはなんとなく変わり者というイメージを抱いていたが、本作での彼もやっぱりそう。とっつきにくくて女にだらしない。でも早世したミュージシャンのようにドラッグや酒で身を滅ぼすことなく、寝る間も惜しんでひたすら作曲活動に励む。ジャンルに囚われたくないと、ナイーブそうに見えて芯が通っているディランを描くのに、『3時10分、決断のとき』、『フォードvsフェラーリ』などタフで渋い作品を撮らせたら天下一品のジェームズ・マンゴールド監督はハマっていた。前作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』の酷さは何だったのか…
ディランをこよなく愛するファンが本作をどう評価するかは分からない。でもディランをよく知らない自分は楽しめたし、彼の曲はどれも身に染みた。
ボブ・ディランのことをもっと知りたくなる!
恥ずかしながら、ボブ・ディランは名前を知ってるノーベル賞受賞者ってぐらいしか把握してないままにティモシーの演技見たさに映画を観た。
結果、もっとボブ・ディランのことを知りたくなったし、彼が産み出した曲を聴きたくなった。
ティモシーは訛りがある喋り方で、役のために増量もして、スクリーンにいたのはティモシー・シャラメじゃなくて、ボブ・ディランだったと思う。本当に演技力がすごい。
「フォークの神様」と言われるボブ・ディラン、
有名になればなるほど、ボブが歌いたいものと聴き手がボブに求めるものの乖離が如実になってくる。
今で言うところの「解釈違い」なんだろうか。
「私の推してるボブはそんな歌歌いません!!!」
まるでそう言うかのような「ファン」の怒号、それでも歌うボブ。現代の推し活も考えさせられる場面があった。
エルが演じるシルヴィの役どころが切なくてしょうがなかった。有名な人の側にいるって尋常じゃないほど大変だよね…
伝記物として往年のスターの全てを描くのではなく、若かりし頃に特化した分、ストーリーがしっかりしてて、濃密な2時間20分だった!
音響の良い映画館でこそ観たい映画
またなジョーン
こないだサーチライトプレミア試写会に招待して頂きました🎬
本当に感謝です😁
ボブ・ディランを演じたティモシー・シャラメの演技は本物でしたね🤔
私はディランをよく知りませんが、それでも歌い方や仕草、喋り方などを似せているのはわかりましたよ。
歌唱シーンはシャラメが実際に歌っているということですが、違和感ないパフォーマンス😀
これはアカデミー主演男優賞、十分狙えます👍
ディランの恋人シルヴィにはエル・ファニング😀
エルの瞳はくりっとしてチャーミングですな🙂
破天荒な彼に振り回される感じがうまくでてました🤔
ディランを見出すピートにはエドワード・ノートン🙂
彼の演技は定評がありますが、今回は出番はそこそこながらも確かな存在感を発揮👍
「ファイト・クラブ」の頃から、私は彼が好きです😀
同業者でディランと複雑な関係になるジョーンにはモニカ・バルバロ🙂
彼女は流れる黒髪に、優しさと強さを併せ持つ瞳が印象的🤔
ディランとは一言では言い表せない関係になるのですが、この2人なら妙に納得してしまうような演技でした👍
本編上映後に嬉しいことにマンゴールド監督の登壇があったのですが…最後の撮影タイムにスマホカメラがおかしくなって、撮った写真が保存されないという事態に😰
しかし記憶には刻み込まれました💪
アカデミー賞8部門ノミネートされていますが
「監督賞」「主演男優賞」「助演女優賞」
あたりは堅いと、独断予想します🫡
シャラメのファンのみならず、伝記映画ファンもきっと楽しめるでしょう👍
一般公開は2月28日ですよ🖐️
猛スピードで自らを変革していく天才とその周辺に迫った音楽映画の傑作
しみじみと心に染みた。何度も胸が熱くなり、そっと涙した。ここ数年流行っているミュージシャンの伝記映画の中でも、これはズバ抜けた傑作だ。
劇中歌は延べ40曲以上に及ぶオールヒットパレードだが、天才が生んだ歴史的名曲とかその波乱の人生とかをことさら誇示はしない。ごく当たり前にさらりと描いているところがいい。声高に触れて回るのが憚られ、心の裡に温めておきたくなる作品だ。配給会社のヒトには申し訳ないけど(笑)。
この映画は1961年、まだ無名のボブ・ディランがウディ・ガスリーを病院に見舞うところから始まり、フォークシンガーとしての成功を経て、1965年ニューポート・フォーク・フェスティバルで劇的にロックへと転向するまでを描く。みうらじゅん氏いわく「ファンにとっては『桃太郎』ぐらいの有名な(笑)」この5年間を、本作はどうさばいてみせたか。
まず第一に目を惹いたのは、ボブ・ディランという「気まぐれで変わり者の天才の物語」を、劇的なエピソードを羅列したりこれ見よがしに演出するのではなく、芸達者な役者たちによる一種の「アンサンブル・ドラマ」として仕上げてみせたことだ。そして、ここではミュージシャンの伝記ものにお決まりの「酒・女・ドラッグ・妊娠」といった問題は深掘りされないか、いっさい描かれない。
こうした演出は、監督と名コンビを組むフェドン・パパマイケル撮影によるシネマスコープ画面の見事な肌触りとも相俟って、1960年代NYのフォーク・シーンそのものに焦点を当て、時代の空気感を彷彿とさせてくれる。
そこで演技に目をやると、まずディラン役のティモシー・シャラメをはじめ、ジョーン・バエズ、ピート・シーガー、ジョニー・キャッシュといったレジェンドたちを演じる各人が自らの声で歌っており、その歌唱力で自然と観る者を納得させてしまうのがスゴイ!
シャラメの好演についてはすでに多くの人が称賛するところなので、ここでは特にピート・シーガー役のエドワード・ノートンを挙げておきたい。彼がこんなに味わい深い役者だったとは、というのが第一印象だ。ピートの、柔和さの中に芯の強さをうかがわせる佇まいがいい。ウディ・ガスリーの枕元で自作曲を披露するディランに「おぬし、やるな!」といった表情を浮かべたり、ディランのステージを袖からニコニコ満足げに見守る様子には、思わずこちらまで顔がほころぶ。「ウィモエ、ンブゥベ」の大合唱シーンはもちろん、パーティ会場や生放送現場で歌うディランにすっとバンジョーを構えてハモっていく時の渋さ、カッコよさといったら。
カッコイイといえば、ジョニー・キャッシュ役のボイド・ホルブルックが「ここぞ」という時にふらっと現われ、ディランの背中を押してくれるのも胸アツ。またジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロは、音楽の神を宿したようなピュアな歌声でたやすくディランの魂と一つになるかと思えば、普段は俗っぽい自信家、野心家なのがユニークだ。
こうした「歌手たち」に比べるとおのずと出番は限られるけれど、極めて印象的だったのが、ディランの恋人役を務めたエル・ファニング。いつもより低めの声で喋り、学生の身でありながら自立した大人の知性と気品を漂わせる。そんな彼女が「時代は変る」を熱唱するディランの姿に別れを直感し、「ミスター・タンブリン・マン」が流れる中で一旦よりを戻すも、彼とジョーン・バエズが「悲しきベイブ」のデュオで魂を重ね合うのを目の当たりにして、彼のもとを永久に去る。この3曲がかかるシーンはあまりに愛しく切なく、涙があふれた。
ついでに言うと、この恋人たちは、付き合い始めの映画館デートでベティ・デイヴィス主演の『情熱の航路』(1942)を観て感想を言い合う。彼女は「より良い自分を主人公は探している」と言い、彼の方は「いや、これまでの自分から何か別の違う存在になるんだ」と反論する。
あとから思えば、この些細な食い違いがその後の二人の生きざまを暗示していたのだな、と気づく。だが、よりを戻した彼は、2本くわえた煙草に火を点けて映画のワンシーンを無邪気に再現してみせる。一方、彼女の方は、同作からセリフ(“Don't let's ask for the moon. We have the stars.”)を引用して彼に別れを告げる。これら一連のエピソードがまた実に映画らしくて心をくすぐる。
ここで再びアンサンブルの演技に話を戻すと、脇役も隅々まで活きていて、見どころが尽きない。
たとえば、マネージャーのアルバート・グロスマン(ダン・フォグラー)はディランと添い寝(?)していたり、フォークフェス主宰者のアラン・ローマックス(ノーバート・レオ・バッツ)と殴り合ったり、と随所で笑いを誘う。またアル・クーパー(チャーリー・ターハン)が「ライク・ア・ローリング・ストーン」の録音セッションに勝手に飛び入りし、戸惑いながらもハモンドオルガンの第一音を発するシーンなど、思わずぞくっとする。さらに、ずっと控えめだったトシ・シーガー(初音映莉子)が、こっちが忘れた頃に例のシーンで突然現れるのもグッとくる……などなど。
さて、第二に心惹かれたのは、歴史的名曲の持つ“強さ”に頼ったり、曲を利用して劇的に煽ったりせず、「ごく自然に聴かせる/見せる」ように努めていた点だ。単なる劇伴として使わない。各シーンの弱さを音楽で補うわけでもない。各曲を「物語そのもの」の1ピースとして取り込み、みごとに機能させているのだ。
「風に吹かれて」「戦争の親玉」「くよくよするなよ」「ライク・ア・ローリング・ストーン」…これら名曲を、ティモシー・シャラメは、鼻にかかったダミ声や崩した歌い回しを模しつつも、一語一語が聞き取れる絶妙な口跡のバランスで歌う。単なる「なりきり演技」ではなく、きちんとシャラメらしさ(!)を主張してくるあたりはさすがだ。
ついでに触れると、彼が絵画の写しや新聞・雑誌の切り抜き、メモ書きなどを床一面にひろげて歌詞を推敲しているショットが出てくるが、ボブ・ディランがいわばゴダールのようにあらゆる事象から「引用」していたことがうかがい知れて興味深い。
ところで映画は、オープニングと同様、ラストシーンで再びウディ・ガスリーの古いレコード音源「ダスティ・オールド・ダスト」を聴かせる。いいようのない郷愁と乾いた希望がさっと拡がる。と同時に「ああ、映画を観たな」という至福に包まれる。鮮やかな幕切れだった。
以上、監督本人による挨拶付きのジャパンプレミア試写会にて鑑賞。
時代は変る追憶のハイウェイ61-65
どんな気分だい?変化は止まらない、新しいものを取り入れ変化することを恐れない脱伝統主義。商業上の法則と芸術的な慣習に根底から挑み変革すること。周囲の期待という重荷といかに折り合いをつけながらそれらを成し遂げるか(芸術・表現の普遍的テーマ命題)?その過程で、自身が何処から来たかという部分に立ち返る。「自分を見つけるのではなく変わるんだ」と言っていたディランが、自分の原点を再発見するまで。月がなくても星があるように、ディランがあらゆる音楽に手を出し幅広い音を鳴らしてもそれらは一種の反射でもあり、光り輝く彼自身の根本にあるウディ・ガスリーなど先人への尊敬の念=その時抱いた音楽を始めた当初の気持ちを思い出す…(※それも行き過ぎるとやはり重荷だが)。だからこそ最後のライブシーンがマンゴールド監督らしくアツいだけじゃなくて、やるせなさもセットで。変革と開拓者、先輩の存在。
周囲の人が自分に求める以外の何かになりたかった激動の5年間!風が吹くように、石が転がるように、いつだってその流れは止められない。時として"嫌なやつ"にも映る彼の周囲が求めるものを拒む進化が速すぎて、シルヴィもジョーン・バエズもみな周囲を置き去りにして、誰一人としてついていけなかった。当時の彼にとって1年前のことは既にもういちいち振り返らない("DONT LOOK BACK")昔のことで、60年代というロック史にとってあまりに重要な時代をハイウェイくらい駆け抜けた伝説のミュージシャン・バンド達は皆、昨今では信じられないくらい早いペースで次々と新譜を出しては驚くべき進化を遂げて決して歩みを止めなかったのだから。コラボレーションなどするわけでなくてもきっと互いの動向は知っていて認め合っていたに違いない、その時代特有の相互作用・化学反応が起こした創作にとってこの上ない奇跡で幸福の時代。転がり続けてブチ壊す!!
考え直したりしなくていい、これでいい。フォークシンガーとして時代の寵児となったボブ・ディランがエレキギターに持ち替え"ユダ(裏切り者)"と罵られながら伝説のライブで頂点を極めるまでを描いた本作は、些か表面をなぞる印象(伝記映画として王道な語り口)もあって、モデルとなる伝説的アーティストのミステリアスなベールのその先の核心にまで触れるような踏み込んだ作品ではないけど、作中全ての曲を自ら演奏して歌い上げるティモシー・シャラメの素晴らしいパフォーマンスによって伝説的アーティストである"ボブ・ディラン"と同じ時間を過ごせるような気持ちのいい追憶の作品に仕上がっている。フィールグッドないい気分。
シルヴィの存在が、本作における一種視点人物となっていて、共感できるものになっている。ディランとジョーン・バエズが喧嘩しながらも、ステージ上では同じマイクを分け合って同じ曲をデュエットするのを見ること。自分とは分かり合えない・真似できない、ミュージシャン同士の共通言語で通じ合うこと。あれは確かに目の前で見せつけられるとキツい…(少し『グレイテスト・ショーマン』の図式を思い出したり)。"Don't Think Twice, It's Alright"、"All Day and All of the Night(キンクス)"、"It Ain't Me, Babe"、"Maggie's Farm"(エレキ版かっこよすぎ!)、"It's All Over Now, Baby Blue"など曲がその時々の本編の内容に合っている。これでおしまいなんだ、ベイビー・ブルー。さよなら、出会えてよかった。
LOOK OUT KID (実話も映画も)一世一代のパフォーマンス!シャラメの歌声・歌唱面だけでなく難しい指運びピッキング含む圧巻の演奏面、そして普段の話し声色・喋り方やふとした一挙手一投足まで再現度の高いディランで、ここ数ヶ月で高まるだけ高まっていた期待に応えてくれた。傑作ドキュメンタリー『ドント・ルック・バック』のDVDを久しぶりに引っ張り出して見直していたところだったから、より一層そう思った。これは脚本によるところだけど、インタビュアーなど相手を困らせたり、時に煙に巻くような物言いも。65年になった際の登場シーン格好良すぎ…。たかが4年、されど4年の濃い月日、時代によって髪型を変えるのも無論!温故知新や原点回帰ってわけじゃないけど、変わることに必死で変わってみて見えるものも。
メソッド俳優エドワード・ノートンの物腰柔らかな優しい雰囲気のために逆に奥に見えない怖さみたいなものや、本作の作り的にどうしてもピート・シーガーが主人公と相対する変わらない旧世代的な立場になるのは避けられない。他にも優れたキャストが実在のミュージシャン達を演じてくれるのが興奮!ジョーン・バエズ演じるモニカ・バルバロがHouse of the Rising Sunを、ボイド・ホルブルック演じるジョニー・キャッシュがFolsom Prison Bluesを歌う(ボイド・ホルブルックの歌唱シーン、本編内ではBGM的扱いで重要度低く少し雑に扱われている感否めないが…いい声なのに!)!! 他のサブキャラ脇役も似ている。
RIVISITED ジェームズ・マンゴールド監督のフィルモグラフィーとは、自分の中で土・砂埃や労働者など"茶色"い古き良きアメリカ的なものと相性がいいイメージで、とりわけ近年はそうしたアメリカ人の温かみのあるハートやコア(核)、スピリットを感じさせ魂を掘り起こす題材を扱っている印象があって、本作もまさしくそうした系譜で語るに相応しい(ex.『コップランド』『3時10分、決断の時』『ローガン』『フォードvsフェラーリ』)。何より彼は『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』で(本作にも出ている)ジョニー・キャッシュの伝記映画を経験済みなのだから!だからジョニー・キャッシュの歌唱シーン、本作ではササッと流したのかな?
あと、近年の音楽伝記映画ブームの系譜として語るうえで欠かせないのが、伝記映画のしがらみ。つまり、彼らモデルとなる伝説のアーティスト達は、皆が顔や名前を知っている大きなアイコン・カリスマである一方で、肝心の性格や人柄を知らない(時にそれは作り手・製作陣も同じかもしれない)というギャップ、その乖離をいかに埋めるかという宿命。つまり、-- どういう価値・行動基準を持って、どう言ったらどういう反応をするのか、どこでどういう決断をするのか等 -- キャラクターが見えないという障壁にぶち当たる。その点は本作も同じながら、ディランのインタビューの受け答え同様、彼の心情・気持ち、自らの出自など多くを語らないカリスマ性・神秘性の影に隠してうまく煙に巻いていたと思う。人の過去なんて造り物だから。
P.S. だから、例えば『ロケットマン』や『エルヴィス』のように途中で観るのがツラくなることもない。ということで、作品賞は分からないけど、主演男優賞は他の賞レース結果で本命そうな『ブルータリスト』エイドリアン・ブロディを押しのけて受賞する可能性も大アリだと思う。
ジェームズ・マンゴールド監督登壇ジャパンプレミア!『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(The Freewheelin' Bob Dylan)ジャケットみたいな服装で参戦。これを機に言い訳しないでギター改めて挑戦しようかな、なんて自分のリヴィジテッド。
勝手に関連作品『ドント・ルック・バック』『アイム・ノット・ゼア』『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』
※ネタバレ無し感想(レビュー)※
"ティミー"ティモシー・シャラメのパフォーマンス(演技だけでなく歌唱・演奏も!!)が素晴らしく、又、ジェームズ・マンゴールド監督のアメリカ人の魂を掘り起こすような作家性・手腕は本作でも遺憾無く発揮されていました。おかげで60年代というあらゆるミュージシャン達がハイペースに新譜を出しては、決して歩みを止めることなく進化していった奇跡の時代を、神秘的でカリスマ性にあふれるボブ・ディランと追体験して過ごせるような時間があたたかく、たまらなく愛しかったです。鑑賞後にまた観直したいなと思いました。まさしく追憶のハイウェイ61!他にもエドワード・ノートンがピート・シーガーを、モニカ・バルバロがジョーン・バエズを、ボイド・ホルブルックがジョニー・キャッシュを、そしてスクート・マクネイリーがウディ・ガスリーを演じていて、彼らの歌声も必聴です!フォークシンガーとして時代の寵児となったボブ・ディランが、エレキギターに持ち替えて見る景色は、周囲の期待に応える商業性か芸術性か?ぜひとも大きなスクリーンと音響で観て聴いて、そのたどり着いた先に待っている答えを感じ取ってほしいです。
ティモシーに脱帽!
🎬25/2/3 ジャパンプレミアにて鑑賞。
ティモシーの演技力、歌唱力、目力…
とにかく素晴らしかった。
歌い出すと周りの空気が一変する圧倒的存在感。
何度作中の観客と一緒に立ち上がって
拍手しそうになっただろう。
サントラですでに毎日のように楽曲は聴いていたが、
映画館で聴くその感動はひとしおだった。
映画館で何度も観たい作品。
IMAX、Dolby cinema両方で聴き比べたい!
25/2/28追記🎸🎶
『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』公開初日、
池袋グランドシネマサンシャインで鑑賞。
Dolby Atmos とIMAX連続でハシゴ。
(余談だが、夕方デューン2も観たので1日で3回観た!笑)
ボブ•ディランが名声を得て行く過程と
周囲の期待との葛藤をティモシーが見事に演じている。
歌声、ギター、ハーモニカ…全てが彼の演奏とのこと。
どれだけの努力で役を作りあげていったのだろう。
音楽シーンはもちろん、
バイクに乗る姿もとにかく…カッコいい!!!
容姿だけではなく、佇まいが。
乾いた笑い方もクセになる…!
ティモシーの演技を通じて、
ボブ•ディラン唯一無二の周囲を魅了させるパワーを
体感できた事が素晴らしい映画体験だったと感じた。
圧巻のLike a Rolling Stone、
It's All Over Now Baby Blueで涙。
エンドロールで再度流れるLike a Rolling Stoneに号泣、、、。
モニカ•バルバロが演じるジョーン•バエズの歌声も
とても伸びやかで引き込まれる。
そしてエル•ファニング扮する
シルヴィーとの関係は切なくて美しい。
ピートの優しい笑顔や、
彼の妻トシのときおり見せる強い表情。
Jキャッシュのボブを煽る目線と言葉。
お茶目なマネジャーのアルバートはなんだか可愛い。
(ファンタビのジェイコブを思い出しちゃった!)
ボブの周りの人物もそれぞれ魅力的で
視点を変えて何度も味わいたい作品。
ここから一部ネタバレになるが、
ウディにプレゼントするレコードプレーヤーのリボンを
シルヴィーが手伝ってあげるシーンが印象に残った。
その後ウディがそのプレーヤーで
ボブの曲を聴いている所も。
さりげないシーンまでとても丁寧な作品だと感じた。
一番好きなシーンは、
ニューポートフォークフェスティバルへシルヴィーをバイクに乗せて向かい、その後煙草を吸うシーン。
ボブが煙草をニ本咥えて火をつけ、
一本をシルヴィーに渡すシーンが堪らない。
作品の中で2人が序盤で観る「情熱の航路」を模したシーンだが、
その後の港での金網越しの会話も相まって心に残る名シーンだった。
鑑賞後は自分もボブのライブ会場にいたような高揚感と
祭りが終わってしまった切ない気持ちが入り混ざる、
余韻がとても心地よい映画だった。
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