名もなき者 A COMPLETE UNKNOWNのレビュー・感想・評価
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歌そのものがドラマ
とにかくティモシー・シャラメがセクシーにギターを弾く、その歌と目つきを楽しみました。
一見物語性は薄く、ドラマ的起伏はないに等しい坦々とした作品に思えるのですが、その薄いドラマを歌とシャラメで補完してるとでもいおうか。
歌そのものがドラマ。
コロナ禍で閉じこもっていた間にギターと歌を猛練習したシャラメ自身の演奏を作中に使っているらしく、単なるモノマネではない「歌に魂を込めた」本物のミュージシャンにしか見えない、不思議な魅力に満ちたフィルムに仕上がっていたように思えました。
ジャンルに囚われず常に新しい音を探していたディランと、当時のフォークを取り巻く状況を歴史俯瞰的に見せた、ドキュメンタリー的な音楽史ドラマとしてとてもよくできていたかと。
特にキューバ危機の世相再現はすごかった。
ボヘミアン・ラプソディ(2018)、エルヴィス(2022)と、ア...
ボヘミアン・ラプソディ(2018)、エルヴィス(2022)と、アメリカンアーティスト、ミュージシャン物語は面白かったので観に行きました。ただボブ・ディラン氏を良くは知らず、遠い昔の曲「学生街の喫茶店」の歌詞に出てきた人。くらいのイメージでした。それでも著名な方ですから、観に行けば「ああ、なんだ、この曲はボブ・ディランだったんだ」と思わせてくれるだろうと心配はしていませんでした。
が、結果的にそう思わせる曲は劇中、一曲しかなく、ボブ・ディランをよく知っている方はもうどんどん入り込めて行ける映画かと思いますが、世代違い&事前学習していないと、「いい歌を聞けた」で終わってしまい、且つ、前述の二者ほどにはストーリーの起承転結にインパクトが薄く、ミュージシャン物の映画として、最後にグッと来て欲しい高揚感が湧きにくかったのが正直なところです。
ボブ・ディラン氏の人生は平凡な我々とは比べ物にならないのはわかっていますが、映画題材の観点で、実際もこの物語通りだったとするなら、もう少し映画なりの脚色をしても良かったのではと。
ただ、ボブ・ディラン氏の曲や人間関係を少しだけも事前学習していけば、若い世代の方でも楽しめると思います。知らなかったけど流れる曲は良かったですし、ティモシー・シャラメは吹き替え無しだったなら、歌、かなり上手でした。
時代は変わるのだから
シャラメとノートンとモニカ・バルバロ(バエズ)の演技と歌と声がよかったからか、ディランの音楽の歌詞に心を射られたからか、それとも「私は皿回し芸人に回される皿ではない」と言って去ったシルヴィの気持ちに寄り添ったからか、胸が痛くなる映画だった。
エンタメ分野の話には、自由を求め束縛を嫌いながらも多くの人に承認されたいアーティストの思い、アーティストを売り出す側の思惑、ある意味勝手なファンの要求という三つの関係が必ず絡み合う。それがこの映画でもそうだったのでドキドキして心臓によくなかった。
華奢なシャラメが体重をかなり増やした今回は、猫背で嫌な部分もたっぷり出して大人の俳優だった。ピートの妻役トシを演じたハツネエリコさんがとてもよかった。ノートンは上手い!彼が出ると安心しながらどんな方向へ?とワクワクする。今回は彼の歌能力!仲間への優しい気持ち!若手の発掘!ディランへの対応!全てがノートンならではで、いいキャスティングだと思った。
ボブディラン好きにはとってもオススメ!
ボブディラン好きな人は楽しめるんだと思う………結構びっくりするくらい刺さらなかった……
ボブディランの曲を事前に聞いてから見るか、主演の歌を沢山聴きに行く気持ちで見るか、という感じ…
マジで楽曲のシーンが多すぎて、多分楽曲が好きな人は楽しめたんだと思う。主演も歌うまかったし。ただ、全く楽曲を知らないのでひたすら知らんカバー曲を聞かされてしんどかった……
1960年代のフォークと、その時代の空気が満喫できる音楽映画
ドラマは、ディランが敬愛するミュージシャン、ウディガスリーが入院したという新聞記事だけを頼りに、ヒッチハイクで病院を訪ねるところから始まります。
主人公のがむしゃらな行動力、自分の音楽を聴かせたいという熱量が伝わって、秀逸なオープニングです。
その後、ピートシーガーの後押しもあってその存在が知られ、売れていきます。ピートは、自分勝手なミュージシャンが多い中、唯一とも言える人格者で、見ていてほっとする存在です。
この辺りの描写は、無駄な説明がなく、ほぼ音楽とその歌詞で、流れがわかるようになっています。
自分のやりたい音楽と、皆の求める音楽とが乖離していくとき、どう行動するか?
ここが最大のクライマックスであり、それを乗り越えたところで現在の彼が存在している。
そう納得させるエンディングでした。
徹底した上目遣いのティモシーシャラメ
風来坊
ディランのカッコ良さを描いてほしかった
ボブ・ディランのファンです。
予告編でティモシー・シャラメのかなりの再現度を観て映画を楽しみにしていました。
正直一本の映画としては、かなりつまらなかったです。
ボブ・ディランを知らない方なら尚更そう感じると思います。
特に脚本が悪すぎます。
主軸で描きたいものがなんなのかはっきりせず、ディランの私生活にばかり終始していて、別に描かなくてもいいような女性関係や人間関係の部分が、かなり雑音になってしまっています。
実際そうだったのかもしれませんが「ディランってこんなやつだったの?」と大好きな歌と共に綴られ、別に見たくない部分だったなと思いました。
田舎から出てきた才能ある若者の成長譚として描きたい感じはするものの、ミュージシャンとしてのシーンは感情移入する間もなく進んでしまいます。
特に、ラストのニューポート・フォーク・フェスティバルでのシーンは、こんなテンションの上がらないライク・ア・ローリングストーンを聴いたのは初めてという気持ちになりました。
ディラン本人のドキュメンタリー「ノー・ディレクション・ホーム」を観た方が彼のカッコ良さは伝わると思います。
ティモシーの演技力、歌、他の出演者の再現度の高さは評価できるので星2をつけました。
これだけ役者が揃っていたのにもっと良く描けなかったのかと残念でなりません。
ニューヨークに降り立ってから伝説のフェスまての短い期間の映画
ボブ・ディランはあまりよく知らないが、曲は色んな人がカバーしていて聞いたことがある。ほんとがが知ってる歌でそれだけで楽しくなる。
時代背景もあって当時を知る人がみたらとても懐かしく思うだろう。知らない人はあの感じは理解できないのかも。
人の気持ちが読めないのか分かっているのにやっちゃうのか、周りにいたら困った人だ。
ラストのフェスでは一説によると涙ぐんでたとかという話もあるが、だとしたらボブ・ディランちょっと見方が変わってくる。
全体的にボブ・ディランの詩の世界観が出ていてジョーン・バエズのモニカ・バルバロの歌声がとても心地よい。
ストーリーとしては、エルビスやロケットマン、ボヘミアンラプソディみたいな波乱の展開って感じではなかった。
ちょっと、もう・・
エレクトリック転向?の罵声の中、ノッてる少数のお客さん、パンク誕生もこんな感じ?音楽映画はこういうファンへの刷り込みが在るから、敵わんよなぁ。
娯楽作を多数手がけたマンゴールド監督の編集、バッサバッサ。知ってるだろ?解るよね?コレは良いのか悪いのか。
エドワードノートンがイイ人過ぎる・・エルファニング、キュート〜初音映莉子さんは出演を知らなかった、凄い役。
追記 3月7日IMAX 音が良いのは当たり前ですが、あまり新たな気付きは無かった。タバコ2本と1本の違い、つくづくノートンイイ人、ジョニーキャッシュは自分も危ないと思ったんだろうか?位。
追記2 3月8日ユーチューブのサッカリンチャンネルで今作を取り上げていたので視聴。史実と脚色の部分とか興味深い。ディラン本人が出していた要望も在る。面白いのが本物とキャストの歌の比較、シャラメの美声がよく解ります。
ディランの音楽に浸かる…
1965
手に負えないほどの魅力の体現
気骨な精神の尖りと若さ
やりたいことと求められることとのギャップに葛藤し憂う表情
魅惑的な女性たちに囲まれ気まぐれに彷徨う独特な色気
器用だったり不器用だったり
優しかったりつっけんどんだったり
素直だったり嘘つきだったり
天然なわがままさが手に負えないほどの魅力を放ち人を虜にするボブ
彼そのものを体現していたティモシー・シャラメがとにかく素晴らしい
もじゃもじゃ頭、ギターを担ぐ猫背な後ろ姿もぴったり似合わせ、歌声、ギター、ハーモニカも心をざわざわ響かせ鳥肌が立った
ボブ・ディランをまた聴きたくなってしまう人が続出するだろうね
港のフェンス越しの二人の切なすぎる感じ、始まりと終わりのwカットにはいろいろあっても変わらない彼の核のような思いがみえ胸が詰まる名シーンだ
詩のなかに投影される彼の意思、メロディにあらわれる感情に動かされるライブ感もたまらず
物語を追いながら懐かしい気持ちまでこっそり呼び起こされるうち熱い涙がポロリの傑作でした
ぜひいい音で、劇場で
よかった・・・でも長かった。
それでもライク・ア・ローリング・ストーンが好きだ!
久しぶりに試写会に参加して、ボブ・ディランの映画「名もなき者」を見てきました。
アルバム「追憶のハイウェイ61」で「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聞いて以来の大ファンですが、このアルバムにこんなエピソードがあったのは知りませんでした。
まずは、映画ファンとして本作品を見た感想ですが、ボブ・ディランを知らない人にとっては、ちょっと難しいと言うか退屈な作品になるのかな・・・・
本作品は、ボブ・ディランがデビューするきっかけとなる所から、ある意味、フォークギターからエレキギターに持ち替えた所までのお話です。
あの頃の時代背景などを知った上で見ると大変に見応えがあると思いますが、しかし、この手の作品をみて感じることですが、私自身も若い頃、俳優やミュージシャンに憧れて頑張ってきた頃があり、成れなかった自分がいて、夢を叶えた人の活躍が羨ましく思える事がありますが、しかし、夢を叶えても、それなりの格闘があるんですよね。
主演のディラン役のティモシー。シャラメは、実にボブ・ディランに成りきっていましたね。ボブ・ディランが時折みせる、刺すような目つきを完璧に再現している。
他の役者さんも関係者の役を実に自然に演じきっていて、なかなか見応えがありました。
しかし、ボブ・ディランが、フォークからエレキに持ち替えてもディランはディランと言う見方を持っていましたが、当時はやはりあれだけ騒ぎになるんですね。
しかし、誰が何と言おうとも、俺は「ライク・ア・ローリング・ストーン」が好きだ!
強いて本作品に注文をつけたいのは、「風に吹かれて」にせよ、「時代は変る」にせよ「ミスター・タンブリン・マン」にせよ、この曲が出来たエピソードがもっとしっかり欲しかったかな・・・・
私が19歳の時、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと一緒に日本武道館のステージに立ち、「戦争の親玉」を唄う前にボブ・ディランが、MCで、「次は「戦争の親玉」を唄うよ、この曲はプロテストソングさ、今でも唄っているよ」と言って唄い出した事を思い出しました。
しかし、まだまだ、伝説になるには早い過ぎるぜ、ボブ・ディラン!
何時までも答えなんかみつけずに、歌い続けてくれ!
時代は巡り、懐古も巡る中、一人の若者は「規定されない自分」を模索していた
2025.2.28 字幕 イオンシネマ京都桂川(Dolby Atmos)
2024年のアメリカ映画(141分、G)
原作はイライジャ・ウォルドのノンフィクション『Dylan Goes Electric!』
実在のミュージシャン、ボブ・ディランの若き頃を描いた音楽伝記映画
監督はジェームズ・マンゴールド
脚本はジェームズ・マンゴールド&ジェイ・コックス
物語の舞台は、1961年のニューヨーク
憧れのフォークシンガー、ウディ・ガスリー(スクート・マクネイリー)に会うために上京したボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)だったが、ウディは病気のためにニュージャージーにて療養していると聞かされる
ヒッチハイクで乗り継いで病院に向かったボブは、ようやくウディと会うことができた
だが、彼はハンチントン病に冒されていて、まともに話をすることもできなかった
傍には親友のフォークシンガー、ピート・シーガー(エドワード・ノートン)がいて、彼は自分の曲をウディに聴かせていた
ピートは「何をしにここまで来たのか」とボブに問い、彼は「煌めきを掴むために来た」と答える
そして、ウディのために作った曲をそこで演奏する
ピートは彼の才能を確信し、ライブハウスに立たせる
ピートのマネージャーのアルバート(ダン・フォグラー)も彼の才能に気づき、それから本格的な音楽活動が始まっていった
物語は、小さなレコード会社からやがてコロンビア・レコードと仕事をするようになる様子が描かれ、当初は古い曲のカバーばかりをやらされていた
だが、実績を積んでいった彼は、やがて自分の曲も演奏できるようになり、フォークフェスの舞台に立つようになる
その頃になると、フォークシンガーとして大人気のジョーン・バエズ(モニカ・バルボロ)と共演するようになり、さらに共作をしたり、楽曲提供をしたりするようになっていく
また、プライベートでも教会のコンサートで知り合ったシルヴィ(エル・ファニング)と恋仲になるなど、充実した人生を歩んでいるように思えた
そんな彼の転機をなったのが、JFKの暗殺事件、キューバ危機などの社会情勢で、この世が変わっていくことを敏感に察知していく
歌う内容も徐々に変わっていき、さらに楽器の進化なども起こってくる
ツアーを共にしているボビー・ニューワース(ウィル・ハリソン)などの影響も受けていくボブは、やがてエレキギターを演奏するようになっていく
だが、フォークフェスの主催者サイドは彼にフォークソングを歌ってもらいたくて、ファンもそれを望んでいると譲らない
そして、1965年のニューポートのフォークフェスの日が訪れるのである
映画は、ボブ・ディランがエレキギターを握るまでという感じになっていて、スターアムに駆け上がりながらも、自分自身は「誰もが望んでいない自分でありたい」と葛藤していく様子を描いていく
タイトルの「A Complete Unknown」は、「完全なる無名」という意味で、何者であると規定されるところから最も遠い存在を意味している
ボブは、人の敷いたレールに乗ることを拒み、変わりゆく時代を敏感に感じ取りながら、自分の表現も変えていく
そうしたものが時代を築いたものと衝突することになり、恩人だったピートと対立していく事になってしまう
ラストのフェスでは演奏を辞めさせようとするピートが描かれ、彼の妻トシ(初音映莉子)がそれを止めるシーンが描かれる
ピートの中でも認めざるを得ないものがあって、それでもこの場で求められるものは違うと感じていた
そこでボブはピートの顔を立ててフォークソングを披露するのだが、それが今生の別れのような描かれ方になっていたのは印象的だったと感じた
いずれにせよ、ボブ・ディランの世代ではない私が観ても大丈夫な作品で、知っている人なら尚更当時の記憶が蘇るように思う
かなりの著名なフォークシンガーやアーティストが登場するので、フリークとかぶれに取っては至福の140分なのだろう
楽曲のほぼ全てを演者が歌唱していることもあって、ライブの臨場感とかリアリティも再現されているので、そう言った部分を楽しみにしている人にとっても満足のゆく作品だったのではないか、と感じた
全392件中、361~380件目を表示