名もなき者 A COMPLETE UNKNOWNのレビュー・感想・評価
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苔むすくらいなら擦り切れるほうがまし
いつまでも「風に吹かれて」を求めて来る周りに反発するディラン。
ニューポート・フォーク・フェスティバルで、エレキギターを携えてステージに上がり、観客からはブーイングを浴びせられるシーンなんか、もうシビれます。
その時の曲が、ライク・ア・ローリング・ストーンというのも出来過ぎ。
ボブ・ディランの初期の歌を聴きたくなった
1 音楽家ボブ・ディランの前半生を描く。
2 映画は1961年に何者でもないディランが病で歌えなくなったウディ・ガスリーを訪ねるところから始まる。そこでウディと見舞いに来ていたピート・シンガーに自作の歌を披露し、キャリアの切っ掛けとなる。この場面は、あたかも立会人の下で、プロテストソングの魂を古老から新人に受け継がれるようなシーンに思えた。
3 ディランはデビュー後、数年のうちに時代の寵児となった。キューバ危機やケネディ大統領の暗殺で国内が浮き足立つ中でも、ジョーン・バエズとともにギターを掻き鳴らし歌いつづけた。公民権運動において、彼等の歌のメッセージが人心に届けられた。ディランは、歌の言葉で時代の変革を説く一方、自身の音楽性に変化を求めた。アコギをエレキに変え、音楽活動はオーソドックスなフォークソングから幅を広げた。そこに世間がディランに求めることとディランのやりたいことにズレが生じ軋轢となった。劇中、フォークフェスにおいて、ディランのバンド演奏中に観客が批難し、ディランが訣別宣言したエピソードが語られた。
4 本作は、ディランの前半生を映画化した。生存しているだけに始末の仕方が難しいが、青年期に絞ったのは賢明であった。音楽家としての彼の武器は鋭いメッセージ。それを何かの紙の余白でもかまうことなく常に書きつづけた。こうして生まれたメッセージが60年代という時代に吹いていた変革の風と合致し、彼は望まないのに時代の代弁者とされた。彼はただウディガスリーを敬愛し、やりたい音楽を創り、去って行った彼女と生活したかった。それだけであった。
5 映画の暗めの色調や室内の美術といった道具だてや演奏シーンは時代の雰囲気で出て良かった。また、本作の主要メンバーであるボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ピート・シンガーのそっくりぶりは見事であった。シャラメは台詞に演奏や歌唱と頑張った。ノートンの好人物ぶりも良かった。
すばらしい映画でした。でも…
本当にすばらしい出来栄えの映画だとおもいます。
でも、受け手の感性と知識がなければ、その魅力も半減するという代表作です。
まず、ボブ・ディランのことをよく知らない。風にふかれてぐらいしか曲がわからない。
それと、時代背景がよく分かっていない。後からああだったかと思い返せても、映画は止まらないから、あれよあれよという間に進んでしまう。本だったら、読み返すこともできるけどね。
自分の問題だから、作品になんの罪もない。
ただひとつだけひどく印象に残ったのは、恋人の心の動き。
美人の女優さんの演技がすばらしかったと思う。
価値観、世界観、住む世界の違うものどうしが惹かれ合うといのは、恋の常識かもしれないが、懸命な彼女は、後ろ髪をひかれながらも、彼のもとを去る。
涙です。
しっかりボブ・ディランのことを勉強してから、もう一度みてみたい映画でした。
作品は本当によくできた、すばらしいものだったと思います。
ボブ・ディランに生きうつしっ❣️
ティモシー・シャラメ素晴らしいっ❣️
ボブ・ディランに生きうつし😳(本物のBob Dylan見たことないけど…)
アカデミー主演男優賞獲らせてあげたかったなぁ💚
にしても、この冬は良い映画がいっぱい過ぎます。
Bob Dylanを映画で、することは。
答えは風に吹かれて…
ボブ・ディラン、シンガーソングライターで初めてノーベル文学賞を受賞した人だ。
今作、1961年〜65年。ディランが、ギター1本片手にミネソタからNYに出て来て、瞬く間にフォーク世界より時代の寵児となり、瞬く間にロックサウンド世界に疾走していく。
その5年間を切り取った音楽青春映画である。
J・マンゴールド監督作。
ある人の特定の時間についての物語であり、歌で多くの事が伝えられる世界についての物語だとも述べている。
この時代のエネルギー、バイタリティが横溢する映像。時代の熱が伝わってくる描写。
この時代、アメリカは激動の時代。黒人公民権運動の高まり、JFK大統領就任と暗殺、キューバ危機…
65年にはベトナム戦争にさらに足を踏み込む北爆が始まる。
そんな時代にディランは世界に姿を現してくる。
素晴らしいのは俳優陣の歌唱力。ティモシーシャラメが存外に良かった。相当なトレーニングをし、ディランになりきっている。ジョーンバエズを演じるモニカ・バルバロ、エドワード・ノートンらが歌う力。音楽と歌詞が渾然一体となり物語を駆動させる。
バエズ演じるモニカ・バルバロもアカデミーにノミネートされている。その歌唱力には驚いた。トップガン・マーヴェリックにも出演、注目される女優の1人。
音楽伝記映画で私が感銘をうけたのは、ボヘミアンラプソディー。クィーンのフレディマーキュリーの半生を代表曲とともに描いた傑作だった。
今作はまた違った味わいを持つ秀作。
ディランの5年間、そこからの疾走、ジャンルの壁を破り、時代の壁を乗り越え、さらに走り続ける。
たどり着いた場所から、また次の場所へ…
天賦の才をもつものは、周囲との軋轢を生んでしまいがちだがこの映画でも同様である。
劇中、ディランは『風に吹かれて』をずっと歌い続けろ、とでも言うのか、とフォークの世界からロックへも向かう。
ディランを見出した恩人とも言えるピートシーガーのもとからも離れていく。
その後も周知の通り、時代は変わる、ライク・ア・ローリングストーンなど、名曲を生み出していく。
世界で最も知られているであろう『風に吹かれて』の歌詞は哲学的でもあり、普遍的で胸に残る。
どれほど道を歩めば 人として認められるのだろう
どのくらい白い鳩は飛び続ければ 砂浜で安らげるのだろう
どれだけの砲弾が飛び交えば 殺戮をやめさせることができるのだろう
…
人はどれほどの時間を過ごせば 自由の身になれるのだろう
人にどれだけ多くの耳があれば 悲しみの声が聞こえるのだろう
友よ その答えは風に吹かれている
苦手なジャンルでしたが…
ボブ・ディランについては全く知らず、ティモシー・シャラメが主演ということだけで観てきました。
普段サメだのゾンビだので大喜びしているアホの私にはちょっと合わなかったです。それでもティモシーの歌声、ギターの演奏は素晴らしかったし、他の出演者の歌も同様に、心を揺さぶられるものがありました。あと、エル・ファニングの演技もとても良かったです。そういえば、「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」もこの2人でしたね。本作のエルも最高だったので、彼女には今後もティモシーと結ばれない役をやってもらいましょう(笑)
ティモシー、アカデミー賞逃してしまいましたね…。「デューン2」もあったのでどっちかで取るのだろうと思っていましたが。それでも本作における彼の演技は素晴らしく、感情の機微を体現していたと思います。ボブ・ディランのことは全く知りませんが、ティモシー=ボブなのだと、自然と思える説得力がありました。
最後のフェスのシーンですが、あれってメタル系のフェスで例えるなら、Slipknotがトリで素顔晒してアイドルグループさながら踊って歌い始めるようなもんですよね。(ちょっと違う気が…)スゲーな、ボブ。
歌詞が突き刺さります
ボブ・ディラン
お名前を知ってるぐらいと、歌手でノーベル文学賞を受賞されたのに驚きましたが、受賞式を出席されなかったということでまたびっくりしたのを覚えています
それぐらいが私の知識で、少し勉強してから鑑賞しなければと思いました
検索したり、YouTubeみたりしましたが、あまり情報が豊富でないように思いました
そんな少ない情報の中でも、ティモシーシャラメの演技良かったと思います
ティモシーシャラメ扮するボブ・ディランの歌う そのリリックがすごく突き刺さりました
何でしょう
観てる途中から
もう一度観たいと思いました
ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、シルヴィ、ジョーンの背景をもっと把握して もう一度観たいと思いました
Bob Dylanを知らずとも
伝記映画は、観客の予備知識で見方が変わる。若者であっても、Bob Dylanの熱狂者であれば、彼の曲も歴史も周知の事実。あれが足りない、これが足りないって批評になりガチ。一方、Bobと同世代であっても音楽に興味がない人は、歌詞の中身までは知らず、本作でBobや曲の背景に初めて触れるのだろう。
自分はその点中途半端で、曲は散々聞いているが、自分が生まれる前のBobの歴史なんて知らない。自分の知ってるBob Dylanは完全にオジサンだが、デビュー時は演じたTimothée Chalamet並のハンサムボーイだったなんて、初めて知った。エレキへの転向を批判される件は、吉田拓郎氏が語っていた経験と酷似して興味深かった。
本作で最も感銘を受けたのはやはり、Timothéeの歌唱。聴き比べてしまうと、声はそっくりではないかもしれないが、雰囲気は抜群でTimothée Dylanとして客を呼べそうなレベル。Joan Baezを演じたMonica Barbaroの歌唱も美しく、Baez作品をYouTubeで漁ってしまった。
本作は、曲を作り出す衝動に突き動かされる天才の青春をよく映し出していて、音楽映画としての完成度も高く、Bob Dylanを知らない人でも愉しめる。気が向いた時にしかパートナーの幸せを祈れない自己チュウは世間的な幸せとは無縁そうだけど、直ぐに次の相手が見つかるBobに世間的な幸せなんて必要なさそうと思った映画。
素晴らしかった
ボブ・デュランは世代ではなく、アルバムを3枚しか聴いてこなかった。みうらじゅんさん世代のものだ。特に何の思い入れもなく見たのだけどめちゃくちゃ面白いし、曲も演奏も素晴らしい。特にいいのは歌詞が字幕で出ることだ。名曲を惜しみなくたっぷりやる。また、見せ方もよくて、作曲やレコーディングでちょろっと聴かせて、おお!と思わせておいてライブでドカンとやる。2時間半もあるので、飽きるかと思ったらすっごく楽しいまま終わる。
女の扱いがひどい。シルヴィという素晴らしい彼女がいるのに、ジェーン・バエズを彼女の留守中に呼び込んで彼女の部屋でやる。ヒモのくせに。また、ジェーンとデュエットしている時、ジェーンはボブの目をのぞき込むかのようにガン見しているのに、ボブはそっぽを向いている。でも曲や演奏がいいのでこっちまでぽーっとなる。
当時はジャンルの壁が考えられないほど分厚かったようだ。そんな壁を破ろうとするボブを煽りに煽るのがジョニー・キャッシュで、そういう人大好きだ。
高田渡が好きです
まだ幼かった頃親父のカーラジオから流れてくる音楽にジャンルはなかった
なかったと言うよりも幼かったから知らなかっただけなのだけど
それから薄々と音楽のジャンルがわかるようになり自分はフォークやロックが好きなのだなと思うようになっていった
しかし映画が好きなこともありありとあらゆるジャンルの音楽を聴くようになりました
彼のことはあまりよく知らない
もちろん曲は聴いたことはあります
ただね、彼の歌詞を読んだことがなかった
海外の曲のほとんどを歌詞の内容も知らずに今までその雰囲気だけで聴いてきました
だから彼がなぜそれほどに崇拝されるほどの人気があるのか分からなかったし考えたこともなかった
彼の歌詞はシンプルで分かりやすい
そして威圧感がない
「俺についてこい」とか言いそうにない
不思議なことを不思議だと言い
おかしな事をおかしいと言う
いたってシンプルなのだ
ブルーハーツを思い出す
金子みすゞを思い出す
そして周りが勝手に騒ぎ担ぎ上げようとする
でもきっと、彼は風になってどこかへ行ってしまうのかも
彼の歌をちゃんと聴く機会をありがとうございます
自分を生きる
既成概念を実際に打破して行く。多分ご本人はそんなことは意図していなかったのではと思いました。ただただ自分を生きて行くということだったのではと感じました。最近においても例えばノーベル賞の授賞式に出席しなかったのは、今も自分の人生を生きていることの証だと思います。自分を生きる人は真実に幸せな人だと思います。人や立場によっては我儘に思われることもあるけれど、結局それは旧来の自分を保身する事であり、人目を気にした視野の狭い、それこそ自己中心的なことなんだと思います。ビジネスや自分の社会的立ち位置中心的なことなんだといつか気づく時が来るのかもと思います。
PS: 自分を生きることは日本では未だに難しいことかもしれませんが、音楽だけでなくどんなフィールドでもこの映画のようにブレークスルーを起こせる可能性があるという事だと思います。
フォークを定義したがる奴ら
ティモシー・シャラメはディランになりきっているし、エル・ファニングも素敵なのですが、イマイチ心に響かなかったのは期待値が大きすぎたからか。最後のフェスでなぜあそこまで罵声を浴びるのかが理解しにくかったです。「アコギが善でエレキが悪」という構図がわからないまま物語が進んでいくので、後半は曲だけがBGMとして流れていく感じでした。あと、存命中の偉人に対する忖度みたいなものもあったのでしょうが、演出が手堅すぎて何の意外性も無かったような印象。「ソーシャルネットワーク」みたいな「訴訟上等!」みたいな気骨を期待してしまいました。エンドクレジットで「ノーベル賞の授賞式には出席しなかった」という文言だけ少し遅れて出てくるのも嫌らしかったたです(笑)。
音楽映画にハズレなし
ドキュメンタリーであったり、歌手(バンド)を主人公に据えた伝記的なフィクションであったりしても、音楽(ポピュラー音楽)を主題にした映画にハズレはほとんどない。
それは、ヒット曲そのものに魅力があるため、たとえ映画の中で描かれる物語が薄いものだとしてもそれを補って余りある映画として完成するからだ。
本作も、ディランの初期ヒット曲が多数流れ、おそらくご本人は基本的に協力しない中、既に知られている物語をなぞった体の映画だと思う。
しかし、ディランの歌そのものに魅力があり、主演俳優をはじめ、違和感なくその世界を再現している。合格点の出来栄えといえる。
映画を見る分には、若き日のディランの生き方はそれほどドラマチックなものでもなく、中盤はダレた印象も受けた。
ジョーン・バエズと深い仲だったというのは初めて知ったのだが、そのほかガールフレンドとの関係なども描かれるが、ディランの深い人間性を感じるようなシーンはほぼなく、ドラマ的には深みも見せ場もないなあ…と思いながら見ていた。
しかし、映画のクライマックスとなる、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキサウンドをフィーチャーしたことで大ブーイングを受けながらも「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌う場面。あそこはひきつけられた。
あれを見るだけでもこの映画の価値はある、と思った。
帰りに売店でパンフレットを買おうと思ったら、品切れだった。封切られたばかりというのに、配給元は何をやっているんだ?!
東京都心のシネコン、平日昼間の回は入りは4分の1くらいで年齢層は高かった。200円高いDolby-ATMOS版で見たが、その必要はなかった感じ。
名も無き私へ 気分はどう?
かつてフォークの神様こと、岡林信康が、エレキギターを使うバンドを引き連れて、ステージに上がったことがあるそうです。全くウケなかったそうです。そのバンドとは、はっぴぃえんど。後の邦楽業界に、少なからず影響を残すメンバーが、そこにいたわけです。
時代は、変わるものですね。
ボブ兄さんに、ほとんど興味のない私です。強いて言えば、清志郎が、無理やり日本語カバーした曲、聴いていたな。(そう云えば、清志郎も駆け出しの頃、アコギとウッドベースだけで活動してましたね。)そんなわけで、逆に抵抗なく映画を観ていました。
たださ、あのフェスに、私が御見物として参加していたら、どうだろう。変わりゆく時代について行けたかな。称賛とブーイング、どちらに組したかな。
その答えは、風の中。風が知っているだけかな。
カッコ良すぎて、真似のしようもありません。赤狩り、公民権運動、ベトナム戦争、そして大統領暗殺。そんな激動の時代から逃げることなく、唄い続ける、問い続ける。決して留まらない。他者におもねることもない。
まるで、転がり続ける石のように。
ところで最近のアメリカの音楽業界、フォークとか、カントリーとかジャンルを超えた、ボーダーレスなスタイルの曲が増えているそうです。そもそも、ジャンル分けして、レッテル貼り付けて、区分けしているほうが、オールドタイプだよね。とはいえ、やはりエンタメには、自分の見たいもの、聴きたいものを期待しちゃうわけです。他者に期待を押し付けて、自分に期待しない、そんな名も無き私に、ボブ兄さんの名曲が問いかけます。
気分はどうだい?。
追記)
どれだけ弾が 飛び出せば
それが 過ちだと気づくの?
どれだけ人が 死んだなら
それが 過ちだと気づくの?
先程、動画配信にて、若き日のボブ兄さんをチェック。ノーベル賞とか関係なく、英語が解せるヒトなら、みんな聞いたことあるだろう、このフレーズ。
どうしてヒトは、変わらないんですかね。
時代は変わろうとしているのに…
極上のアイドル映画
1960年代と言えばカウンターカルチャーが生まれようとしていた時代で、伝統と言うのが崩れかけていた時代。
その中から出てきたのがボブ・ディラン。
クライマックスでエレキギターを手にするのはボブ・ディランにとっては普通だけど、その前の世代に取っては大問題ってストーリーは、別段大したことない。
でもこの映画の魅力は役者たちに尽きる。エドワード・ノートンは過去の役柄のイメージとは真逆の人当たりの良い中年を演じきっていて、彼の演技の振れ幅に心底感心した。
ティモシー・シャラメに至ってはトム・クルーズを超える美男俳優で演技力は抜群。今まさに乗りに乗ってる彼にとって、この企画は彼の魅力を最大限に引き出している事に成功した。
トライアンフのボンネビルT100に跨るシャラメの後ろにはギターか可愛い女の子。
イケメンだけどちょっと寂しそうな表情を浮かべ、どこか頼りない雰囲気を醸し出しながら、その時代を憂う詩を語る美声を披露する。これには女の子は絶対放っておけないでしょう。
エドワード・ノートンが完全に引き立て役になってしまった終盤はちょっと可哀想なくらい。
昔のアイドル映画は中身空っぽで、アイドルは下手な演技が当たり前だったけど、サーチライトはこの映画でアート映画レベルに引き上げてしまった。
これは見事で究極のアイドル映画です。
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