「Like A Rolling Stone」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN sow_miyaさんの映画レビュー(感想・評価)
Like A Rolling Stone
観終わって調べてみると、映画の中で描かれていた様々なエピソードは、創作というより、実際にあったことが散りばめられていたようだ。もちろん、シルビィはこの映画のために造形された人物だし、フィクションの部分も多かったのだろうけれど、ボブ・ディラン自身に関しては、本人がそこに存在しているんじゃないかと思われるほど、ティモシー・シャラメがディランそのものに感じられて、まるでドキュメンタリーのようだった。
創作した歌が世の中に受け入れられるにつれて、自分の気持ちにはお構いなく、大衆からは「フォーク=社会運動」の代表曲としてアイコン化され、孤独感を募らせていく感じがよく伝わってきた。
ピッタリした表現が見つからないが、ボブ・ディランという人は、「0→1」の人というより、「1」を驚くほどに膨らませられる人という感じがした。目にしたもの、耳にしたフレーズ、それが彼の中でミックスされて、結果として生まれた作品は、人々に「私のことを歌ってくれている歌だ」と思わせるような普遍性を帯びる。凡百のアーチストは、それを狙って成し遂げるために、くどかったり、ありふれていたりするのだが、ディランは、あくまでも、その「1」に触れて湧き出たインスピレーションを形にするだけなので、人々には自然に受け止められるし、ディランからすれば、そこに別の意味を持たせられても困惑するだけなのだと思った。
シルビィと、チャイニーズレストランで、映画の感想を語り合う場面が象徴的だ。
シルビィは、「自分探し」や「成長」という言葉を使い、ディランは、あくまでも「変化」を主張して譲らない。
この映画で描かれているのは、彼が求めている生き方自体が、「Like A Rolling Stone」なのだということだろう。(身も蓋もない言い方をすれば、彼は飽きっぽいってことかもしれないけど)
個人的には、フォークフェスの最終日前夜、ピートの出した例え話の齟齬が、とても考えさせられた。
動かないと思ったシーソー(世論や世の中の風潮)をスプーンの数を増やす(賛同者を集める)ことで、動かすという、同じ例え話なのに、ピートは社会変革を目的に置き、ディランは、ジャンルにとらわれない音楽の自由さを思い描いてすれ違う。なんとも切ない瞬間だった。
切ないつながりでいうと、やっとジョーン・バエズに勝てたと思っていたシルビィが、2人の掛け合いを見ながらだんだんと顔を歪ませていくシーンも、切なかった。2人が語りあっている「そこ」に自分は入って行かれない切なさ。それは、恋愛とか抜きでも、感じたことがある人は多いのではないだろうか。ちょっとグッときた。
とにかく、自分が生まれる頃の話なので、描かれている風景や出来事もとても興味が惹かれた。とりわけ、キューバ危機の緊迫感などは、そこまで深刻だったのかというのは、ちょっと衝撃だった。
そんな中、ベトナム戦争については、直接的には出てこないあたりが、当時のアメリカ国内の雰囲気のリアリティだったのか気になるところ。
コメントありがとうございます! 「1」を驚くほどに膨らませられる人……語りにくいことを言語化されてて、なるほど、と思いました。たぶんボブって、語っているテーマだとか、それによって引き起こされる社会変革には、実はそこまで関心のなかった人なんでしょうね(と思わせるような撮り方だったような)。
ボブ・ディランにとって何より大事なのはあくまで音楽で、しかも周囲の固定観念に自分が合わせるようになるのは我慢ならないと。でも、周りのファンは「俺の今の想いを過たず歌ってくれてる!」って思っちゃう。だから勝手に変わられると困惑するというわけですね(笑)……。
共感&コメントありがとうございます。
映画談義は、かなり深いですよね。自分の中に変えられないモノが在ると思わない、ピートシーガーとの対立もソコなんでしょうね。
すわ核戦争!で逃げ出す人々は衝撃でしたね、福島の時はどうだったのか?今さら気になってしまいます。
歌を聴いて会場を去る〜港での別れ、この映画で最もエモいシーンじゃないでしょうか、ガスリー絡みも良かったですが。