「圧倒的な煌めきの隅と裏にいる人々」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN うぐいすさんの映画レビュー(感想・評価)
圧倒的な煌めきの隅と裏にいる人々
ボブ・ディランのNY進出から、デビューとブレイクを支えた人々と袂を分かつまでの約5年を描く伝記映画。
ボブ・ディランという名前が大きくなるにつれ、彼と楽曲を型にはめようとする周囲とディランとの摩擦が激しくなる様を物語の縦軸としている。対してディランは、駆け出しの頃からアーティストも楽曲も特定のジャンルに分類することをナンセンスだと語り、見聞きしたものや感じたものをスケッチするかのように常に譜面に向き合う、感性に従順で自由な点において不変のアーティストとして描かれている。
正直、ディランファンでも当時のリアタイ世代でもない自分には、実話エピソードの解釈の新しさや、なぜ今ディランの早期だけを描いたのかはわからなかった。商業主義にスタイルを歪められそうになるアーティストの物語はフィクションにも伝記にもドキュメンタリーにも沢山あり、そこへの新しさは感じられなかった。
ただし、本作で両者の軋轢を深めた背景の一つである、作品に検閲が入ったり、聴き手が楽曲に社会問題を投影したり、ポップカルチャーでさえ派閥を謳って縄張り争いをしなければならない60年代アメリカの世相は興味深かった。冷戦の戦線拡大や公民権運動等の社会問題が、個人に対し愛国心や主義主張を明確にすることを迫る状況は、現代において人々の暮らしや社会活動に対し、特定の主張の有無に関わらず男女平等やポリコレやマイノリティ保護に対するチェックが行われる風潮を思い出した。
また、ディランを取り巻く人々が、不満を抱えてステージに上がるディランのパフォーマンスの行方をハラハラしながら見守る様は、お仕事もの作品として見ると緊張感が増す。
余人には制御できない、だが近寄られずにはいられない煌めく存在としてボブ・ディランを描き、その設定に異議を挟ませない圧倒的なパフォーマンスを披露したティモシー・シャラメ氏はじめ、アーティスト役の俳優陣が見事だった。