「ティモシー・シャラメのカリスマ性に、ボブ・ディランの後光がさす‼️」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
ティモシー・シャラメのカリスマ性に、ボブ・ディランの後光がさす‼️
ティモシー・シャラメの歌唱が素晴らしくエンディングでは涙を抑えられなかった。
秀作、アカデミー賞をたくさんとっててほしい。
この映画はティモシー・シャラメの立志伝と勘違いしまいそうになった。
それほどの熱意と迫力でシャラメはボブ・ディランを演じたが、
主役は、語られるべきはボブ・ディランその人なので、
勘違いしてしまいそうでした。
ノーベル文学賞の受賞を知らされたボブ・ディランは、
こう自問したと言う。
「自分の音楽は、文学なのか?」
「尊敬するシェイクスピアやパール・バックやヘェミングウェイと並べられる
…………文学なのだろうか?」と、
しばし考えたそうだ。
ボブ・デュランの曲の詩を読むと、
彼が詩人であることがよくわかる。
多くのノーベル文学賞受賞者で、ディランの歌ほどに読まれる
有名な作家は一人もいないだろう。
歌(詩とメロディ)を通して、数十億人と繋がっている。
ディランは詩人、そしてその詩は、新聞やテレビや写真より
心に直接に訴えかける。
音楽は言語の違いを、国境をたやすく跳びこえる。
この映画はディランの1961年~1965年(19歳から24歳)
を取り出して、
ギター一本しか持たずにニューークへ出てきた無名の青年が、
ターニングポイントを迎える1965年の
《ニューポート・フォークフェスティバル》で、
ボブは聴衆を裏切る・・・と原作者のイライジャ・ヴォルドの、
「ボブ・ディラン裏切りの夏」という著作で書いている。
聴衆が求めるものは、いつまで経っても変わらず、
「風に吹かれて」を歌うボブ・ディランであって、
彼が成長することも、変化することも、ロックの大音量で
エレキギターをかき鳴らすことも許されない。
ボブ・ディランは一つの決断した。
「マギーズ・ファーム」と「ライク・ア・ローリングストーン」を、
エレキギターを掻き鳴らしてボブは叫ぶように歌い上げた。
ブーイングの聴衆を呑み込み、ファンは興奮して拍手喝采の嵐‼️
こうしてボブのロックンロールは、受け入れられたのだが、
ピートを裏切ったようで、ボブの顔色は曇ったままだ。
デュランは苦しんでいた。
悩んでいた。
「フォークの貴公子」と呼ばれて枠にはめられている自分に
耐えきれなくなったのだ。
しかし彼は答えを出したのだ。
そんなファンの要求に、屈する事なく、
《彼が出した答え》
ファンの求めるものを提供するのではなく、
ファンを時代の流れに沿ってリードして行くこと。
デュランの進む方向、
それこそが、時代と共に生きる事だから、
キューバ危機を乗り越えて、
ケネディは暗殺され、
時代は変わったけれど、
現在と変わらず同じに、人々は貧困と差別と病苦に苦しんでいる。
彼の60年に渡る音楽家としての
《常にスターであり続ける魅力》
それは常に新しく変わる事だと思う。
音楽性が変化して更新されることにあるだろう。
ジョーン・バエズの事を、現役の歌手だと思う人は誰もいない。
ベトナム戦争に反対して「花はどこへ行った」で一世を風靡したが、
今はもう忘れられた歌手でしかない。
けれどもボブ・デュランは、83歳の今も先駆者であり、現役の歌手だ。
フォークシンガーという縛りを、重荷に思い、もっと広いステージを
目指して、エレキギターに持ち変える瞬間の決断を、
1965年のニューポート・ロック・フェスティバルを、
一つの大きな《大きなムーブメン》であり、
《ターニングポイント》であり、
ボブ・デュランが、持続可能なミュージシャン、詩人であり、
伝道師であり、つまり文学者としての
スタートラインについた日なのだ。
ラストのロックとも言える大音量のステージは、圧巻で素晴らしく
涙を堪えることが出来なかった。
そしてディランは心根の優しい青年で、
尊敬するウディ・ガスリーの病床を見舞い、励まし、
チカラを貸してくれた恩人のピート・シーガーの願いを
できる限りに叶える。
エドワード・ノートンが、人柄の良いピートをきめ細かく好演している。
ジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロはシャラメに負けない迫力の歌唱力。
バエズがデュランの曲を本人より早くテレビで歌ったり、
目先のきくやり手として描かれている。
恋人のシルヴィ(久しぶりのエル・ファニング)は、時代と共に疾走していく
ディランに置いていかれる寂しさに耐えられない女性だった。
最後にボブ・ディランのメッセージを書こう。
『ティモシー・シャラメは素晴らしい役者だから
信頼している。
映画を観た後には、本(ボブ・ディラン 裏切りの夏)を
読んでみてくれ。』
ディランに置いていかれる寂しさに耐えられない女性だった。⇒シルヴィア(スージー・ロトロ)は2011年に亡くなっているそうですが、それでも彼女の名前を(映画ではスージーからシルヴィアに)変えさせたボブ・ディランの思いは?
琥珀糖さま
他の方宛のコメントなので、ここに引用するのは不適切だと思いますが、お礼を言わせてください。
「前から思っていた事を、書きます。
自分の意見はレビューに全て書くのが、自分の考えです。
そこで完結しなければ、レビューは編集します。
少し意見が違うと思います。」
私もずっと思っていて、伝えられなかったことです。
何度か悲しい思いをしたので、代弁してもらえたみたいでうれしかったです😊
琥珀糖さんこんばんは
誰かが代読したというスピーチ、検索して私も読んでみました
教えてくださりありがとうございます
「何を考えてるのか分かりにくい人物」ではあると思いますが、ノーベル文学賞はすごいことと理解しつつも、世の中にはもっと大事なことがあるんだというようなメッセージにも感じました
まさに、そのスピーチも心に突き刺さりました
こちらにダウトの返信させていただきますね!フィリップシーモアホフマン、好きな俳優さんなのに自殺なんて悲しすぎます。長い爪が生理的嫌悪でした💦
ミニシアターとか雰囲気は好きですがダニの温床でしょうね!笑
S&Gは最後罵り合いだったんですか。あの美しいコーラスを歌う口からそれを聞きたくないですよね。何度かの再結成は同窓会のようなものかと思ったんですが、片手で握手しながらもう片方の手で殴るみたいなのは嫌ですね。
コメントありがとうございました。ティモシー・シャラメの歌が最高だったし、ボブ・ディランを少しだけど知る事が出来て、満足です。
すごい詞を書くのはポール・サイモンもですけど、S&G解散時のごたごたは知らないんです。期間限定で(?)何度か(?)再結成もしているようですが、そんなひどい揉め方だったんですか。
コメントありがとうございます!
ノーベル賞のスピーチ読んでみました。映画の中でもシェイクスピアを引用したセリフがあったので、ボブディランという人は読書家でもあるんやなと思っていたのですが、このスピーチで謙虚でいかに音楽に真剣に向き合っているか彼の人となりが伝わってきました。映画のタバコ吸ってお酒飲んで〜というイメージとは違いボブディランという人の頭の中は音楽でいっぱいなんでしょうね。読んでみてよかったです!
コメントありがとうございます!
スピーチ読んできました!彼がカミュも読んでいたのは驚きでした。ボブの歌が多くの考察や議論を起こしたのであれば、それはもう文学と言って良いのかもしれません。作中、ボブの「フォークかカントリーかは重要ではない」みたいなセリフがあったように、手段の違いはあれど、本質的に彼は詩人であり、哲学者なんだろうと思いました。
そして、シェイクスピア然り、文学かどうかは他人が勝手に決めることなのでしょうね。素敵なスピーチでした✨
琥珀糖さん、コメントありがとうございます。私が言いたかったのは琥珀糖さんのコメント通りで、思想が固定化せず変遷しているということでした。上手く言語化できなかったのですがスッキリしました。ありがとうございます。
もしレビューが消えてなかったら、4桁くらい映画をご覧になってる琥珀糖さんが…🙀。
今年のアカデミーは去年より予想が難しいから、本当に誰が取っても「え〜🤨?」ってなりたくて観てますwww
琥珀糖さんの知的なレビュー、沢山のファンが読みたがってますよ…😭
えー、琥珀糖さんがアノーラを見ないとはw。いえ、自由ですが、みなさんのレビューで新たな見方ができました。「哀れなるものたち」以来の、女性へのエールも感じましたよ。あんなにエロくしなくても…とは思いましたがw
ある漫画家さんが、ウィアーザワールドでの苦虫を噛み潰した様なディランカワイイと言っていたのですが、迎合せず常に異物であろうとする姿勢の一つなんですかね。シャラメはよく表現出来てると思いました。