「ストーリーなんてどうでもいい。ただ河合優実と伊東蒼の凄みに浸る。」今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は LukeRacewalkerさんの映画レビュー(感想・評価)
ストーリーなんてどうでもいい。ただ河合優実と伊東蒼の凄みに浸る。
・・・と言ってしまうのはもちろん極論であるばかりか、単なる推しの戯言にしか聞こえないだろう。
それは百も承知で、恐らく今の時代に、この年代で、ここまで鬼気迫る演技を見せてくれる役者は他に見当たらないから、そしてそういう役者たちにこの役が与えられ、演出者とともに創りあげた時間が稀有としか言えないから、それを映画館という空間で味わえたのは僥倖だった。
以前に書いたかも知れないけれど、僕の思う「いい映画」、言い換えると★5点満点中4.5★の映画とは、「何度繰り返しても飽きずに滲みるシーン」を持っている映画か、ずっと永く忘れられない「印象」を刻印していった映画か、のどちらか、もしくは両方だ。
そしてきっと僕のものの見方や生き方や感じ方に大きな影響を残しただろう、と思えるものが★5つの満点となる。つまり、生涯ベスト10に入る、みたいなやつだ。
この『今日の空が~』は、間違いなく4.5だった。
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鑑賞前に原作は例によって読んでいないので、それとのイメージや世界観のズレは関知しない。
むしろ『今日の空が~』という、いかにもライノベ風のタイトルには近づきたくないなぁと思いつつ、河合優実と伊東蒼が出ていると言う最低限の情報から、観ないわけにはいかないと思っていた。
ところが4月下旬に大手劇場で公開以降、ぐずぐずしていて気がついたら終映。
しばらくは映画ドットコムでも検索にヒットしない日々が続いたあと、下高井戸シネマで上映との情報を得て慌てて乗り込む。
これは『アブラハム渓谷』とまったく同じw
最初の15分は、あ、いかん、やっぱりイタい男の子と変わった女の子のラブコメかいな・・・と誤解する。特にあざといほどイケてない大学生の小西徹(演:萩原利久)の、ほとんど自己を語らない(セリフが極端に少ない)得体の知れなさに(この調子で最後まで行きそうだったら席を立ちたい・・・)とさえ思い、多少苛つく。
そこへ桜田花(演:河合優実)が少しずつ絡み始めてセリフ量が急増してくる。
リズムの良いキャッチボールが始まる。
一方、軽音のギター&ボーカリストで、小西の銭湯清掃バイト仲間として登場した「さっちゃん」(演:伊東蒼)のキャラ設定と演技力が揺るぎなくて、どう絡んでいくか楽しみながら小西とのキャッチボールを楽しむ。
そう言えば、伊東蒼という天才を目の当たりにしたのは『湯を沸かすほどの熱い愛』の鮎子だった。あの映画は宮沢りえと杉咲花を観に行ったつもりだったが、当時10歳前後の伊東蒼に驚愕した覚えがある。
そしてこの伊東蒼が驚異の長台詞の告白の演技をブチかますに至って、 恐らく5分ほどもあったのではないだろうか、息を呑みながら完膚なきまでに叩きのめされた。
このシーン、役者の演技とともに、あえてさっちゃんの顔を明るく撮らない撮影、照明を含めた演出のすべてが、自分史上最高に思える。
何度も観返したい。観返す価値がある。
河合優実の上手さは、もうわかっている。わかっているのに、こちらにもブチのめされる。
自然に、呼吸するように台詞を吐き、受け、投げ返す。
しかし何と言っても、またしてもやられた、と感嘆したのは、亡き父から咲(「さっちゃん」)への手紙を読んでくれと小西に手渡し、最初だけ聞いてから「きついわ・・・」と声もなく泣き崩れる、その「崩れ方」である。
座っていながら、腰から力が抜けてぐにゃりと横に崩れ、タオルで顔を覆って仰向けになって泣きじゃくったあと、しばしおいて「どうぞ・・・」と先を読むように促す。
こんな所作をどうやったら創造できるのだろう。
そして、次に続いていく河合の長台詞の言葉たちが、連射された矢のようにひゅんにゅん飛んできて僕の胸に刺さり続ける。
しかし、台詞回しも演出もキャラもプロットも、不思議な浮遊感を持った作品だ。
極論すると、冒頭に言った通り、ストーリーを追ってもまったく意味がない。
これは、物語展開を理屈で一生懸命に読み取る作品ではない。
アーティスティックなフリをしているようであって、そうではない。けれど、迎合したわかりやすさもない。
脚本も書き、演出を付けた監督はあざといのか?と思うけれど、河合と伊東(とそれぞれが演じた役)には誠実だ。でないと、あれだけの役者たちは役を演じきることができない。制作側の誤魔化しが利く役者たちではない。
それを思うと、古田新太が忽然と発する爺いの魂が思いのほか効いている。オムライスの不得意な喫茶店のマスターもそうだが、彼らが居ると居ないとでは(特に古田は)萩原、河合、伊東をめぐる三角形の外側に引かれた補助線のようであるし、三角錐を立体視させてくれる陰影のようでもある。でないと、三人の関係が平板なものになってしまう。
下高井戸シネマでも上映期間は限定的だ。しかしこれだけ良い作品なら、いずれまた期間限定でどこかでリバイバル上映してくれるだろう。
もちろんそのうち配信で観られるだろうけれど、やはりこれはもう一度スクリーンで観たい。