敵のレビュー・感想・評価
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タイトルから想像した話とは違った
2025年劇場鑑賞19本目。
エンドロール後映像無し、音だけあり。
引退したフランス文学の元教授が、収入と貯金を割って生活費が底を尽きる日をエックスデーと呼びながら暮らしている日常を最初描きながら、徐々に虚実入り混じる構成になっていきます。
あらすじでは敵が現れる、とあったので、カラスや野良猫なのか、詐欺集団なのか(こうなるとビーキーパー)、隣人なのかと色々想像したのですが、思ったより敵でした。いやそういう敵なんかい。
虚実の虚の部分は悪夢といってもいい内容で、そのパートになると調子の悪いボイラーのようなブァァァァンという音が爆音でかかり、不穏感が増していたのですが、最後付近の不穏でもないシーンでもかかっていて、この場面は実は何か恐ろしい事が起きているのかと思ったのですが、スクリーンを出て支配人がいたので「まさか工事とかやってます?」と聞いたら「うるさかったでしょうか?申し訳ございません」ですって。おい!ふざけんな!金返せ!
支度
おじいさんが色々なものを失っていく物語?
家族(妻)、仕事、健康、女。そういうものを加齢とともに失っていく一方で、失いたくないという願望が歪んだ形で夢に現れる。
妻、教え子、そしてガツガツ鍋をむさぼり食う若年編集者らと鍋を囲むシーンはそれらがいっぺんに凝縮した場面だった。
おじいさんが独居生活を営む淡々とした日常描写が大半を占めるが、主演の長塚京三の演技力や歳を重ねたからこそ味わい深くなる魅力、画面作りの丁寧さなども相まって退屈だという印象は全く無かった。
作中「敵は急に現れる」と語られているが、確かにその通りで老いやさまざまな喪失を迎えるその時まで人はそれに気付かないものだ。
最終的に彼が自死を選んだか否かは描写されていないが、年齢を考えても比較的健康な様子だった冬から季節が移った春には既に亡くなっていたのでおそらく自死を選んだのだろう。生きるためだけに生きることに彼は結局耐えられなかったのだ。
追記
この映画、結構話題作だと思っていたんですが私の県ではTOHOや109、イオンシネマの上映はなくミニシアターだけが上映していました。意外でした。
八十に近づくと三人の女がやって来た!愉しみました。
敵
静謐な老後を過ごす独居老人であるはずが、
既に無くなっている欲望が突然やって来る。
やがて、寝ていたはずの欲望を現実化をできないと、妄想として実現し、
欲求が更に拡大化する。
その結果、
死んだ妻を甦らせ、浮気者と罵倒され!
元生徒を贔屓したことを、アカハラと指摘され!
行き付けのバーの学生女給に好意をもったら、300万円を持ち逃げされる!
終活して紳士面して過ごしていても下心が往年を回顧し暴かれて行く、
その結末は、
かの静謐な生活音はなく、平穏を無くした混沌と妄想の中で自死へと進んで行く…
唯一、老という敵を回避ではなく真正面に立ち向かった時に開放感を気付いたように見えた…
その執着心は、
古い住居にまだ生きずかせているところが、筒井らしい。
オッサンって助平です。
同感です!
( ^ω^ )
敵
筒井康隆の同名小説を、「桐島、部活やめるってよ」「騙し絵の牙」の吉田大八監督が映画化。
穏やかな生活を送っていた独居老人の主人公の前に、ある日「敵」が現れる物語を、モノクロの映像で描いた。
大学教授の職をリタイアし、妻には先立たれ、祖父の代から続く日本家屋にひとり暮らす、渡辺儀助77歳。
毎朝決まった時間に起床し、料理は自分でつくり、衣類や使う文房具一つに至るまでを丹念に扱う。
時には気の置けないわずかな友人と酒を酌み交わし、教え子を招いてディナーも振る舞う。
この生活スタイルで預貯金があと何年持つかを計算しながら、日常は平和に過ぎていった。
そんな穏やかな時間を過ごす儀助だったが、ある日、書斎のパソコンの画面に「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくる。
主人公の儀助役を12年ぶりの映画主演になる長塚京三が演じるほか、教え子役を瀧内公美、亡くなった妻役を黒沢あすか、バーで出会った大学生役を河合優実がそれぞれ演じ、松尾諭、松尾貴史、カトウシンスケ、中島歩らが脇を固める。2024年・第37回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、東京グランプリ/東京都知事賞、最優秀監督賞(吉田大八)、最優秀男優賞(長塚京三)の3冠に輝いた。
敵
2023/日本
配給:ハピネットファントム・スタジオ、ギークピクチュアズ
筒井康隆感、長塚京三感
老教授の満足感ある日常が綴られる前半、大した展開も無いが、モノクロの画面で小気味良いカッティングで目が離せず、既に今年度上位の傑作を確信して見入ってしまう。その日常は後半になるに従い静かに崩されていくが、その崩され方もまた心地よい。
筒井康隆の本作原作は未読なれど、現在60歳の我の年代では「時をかける少女」のみならず多数の映像作品も含めて基本知識は身に付いている。ご馳走様でした。
長塚京三はインテリ感、ロケセット家屋に住んでる感、きっちり家事やる感、教え子に好かれる感、ちょっとエロいこと考えてる感含めてぴったりミートしていて早くも主演男優賞候補。黒沢あすかのセリフにはムフフなマタゾウでした。「由布子の天秤」瀧内公美に河合優実、中島歩、満足感のある配役でした。アップリンク吉祥寺にて鑑賞、狭い小屋ながら9割りの入りでした。
tekinomikata
人生後半の課題
こういう映画が好きな愛好家がいるのでしょうね。東京国際映画祭で3冠受賞作ですし。
でも私にはかなり難解でした。残念ながらお勧めは出来ないです。
渡辺儀助氏が自死を選んだとは思うのですがその様子は描かれていませんし、どのように発見されたかも教えてくれず、次の展開で関係者が集まり遺言書を公開しています。
それまでは彼の現実か夢か痴呆による妄想かの世界に付き合わされます。それはそれで良いのですが彼の死は確かに現実ですのでその最期が解らないと置いてきぼりにされた感じです。
敵とは?メール?北から?黒い顔?銃撃?
何も教えてくれません。見る側に任せるにしても映像が具体的で想像は難しいです。
渡辺氏がプライド高く、自分を律して、人に頼らず、自分を安売りせず、理屈ぽく生きているが、教え子に邪な想いを寄せながら彼女から今ならハラスメントだとなじられたり、若い娘に相手にされ舞い上がた後に騙されて金を取られたり、亡き妻に叱られて、それを後悔して詫びている。
端から見たら何やってんだ、てなもんです。
歳を取ること、受け入れることの難しさと大切さを言っているのかなぁ。
世間や社会を敵と見ず暮らして行くことかなぁと思いました。
これから63歳の自分が人生で向き合う課題です。
モノクロの映像に引き込まれました
長塚京三の色気
確も色気のある人というものは(特に男性)
この作品の渡辺教授(長塚京三)のように
常に身だしなみを整え、ユーモアを忘れず
食事にもひと手間かけ慎ましやかに
でも美味しいものを食す。
夢精はすれど(あの年齢でもするんですかね笑)
卑しい性欲なんておくびにも出さない。
んなわけあるかい!(笑)
されど
年下好きを自他ともに認める個人としては
ある意味初めてこの80歳近い老人に
色気を感じ魅力を感じました。
「敵」とはなにか。
渡辺教授にとっては20年もやもめ生活を
送り続けていたことで
孤独や老い(痴呆かと思ったが)が「敵」とし
彼を襲ったのかなと思った。
個人的には、実はあの井戸の件だけは
事実だったりすると面白いなと思う。
妄想には現実が投影される
デヴィッド・リンチの訃報が流れた日にこの映画を観ることが出来たのはある種の運命なのか?
この作品のキーとなる部分は「マルホランド・ドライブ」と共通しているように思える。
それは、「主人公の夢(あるいは妄想)を通して、その主人公の現実を知ることが出来る」という点だ。
妄想はその人の現実が投影される。その人が何を考え、何を感じ、何を欲しがり、何を怖がり、そして何を後悔しているかが反映される。そしてそれらが時に誇張され、時に矮小化され、時に変形して、夢や妄想に現れる。
この映画でも、主人公の妄想を通して、主人公がどんな人間で、これまでどんな人生を歩んできたのかが推察出来るようになっている。
なので、「どこまでが現実でどこからが妄想なのか」を考えることはあまり意味を持たない。どちらも描いているものは同じだからだ。
現実パート(それすらもどこまでが現実かはわからないが)を非常に丁寧に描いていてとてもリアリティを持たせているので、そのおかげで妄想パートが非常にエッジが効いていてエキサイティングなものたらしめている。
また、役者陣の演技もとても光っている。主役の長塚京三はもちろんのことだが、最近乗りに乗っている若手女優代表格の河合優実がまた抜群に良い。
2025年はまだ始まったばかりだが、早くも今年のベスト映画候補になりそうな一本であった。
敵は誰か己の人生か。
敵とは
相変わらず文学作品との相性が良いのか、原作の筒井康隆の何とも奇妙な世界観がバッチリ映像化!!
しかも前半はモノクロ映像も相まって、小津安二郎の映画のように構図から所作からビシッと決まってカッコいい映像になっています。
前半は妻に先立たれた元大学教授の隠居生活の日常ルーティンを映しているだけなのに全く飽きないのはこの映像の力に寄るものでしょう!
後半はザ・筒井ワールド全開で、現実か妄想か区別がつかなくなっていく様をおどろおどろしく描いています。
アンソニー・ホプキンス主演の「ファーザー」のような認知症疑似体験映画のような怖さ!
また、このおどろおどろしさは塚本晋也監督作に通じるところもあり、双眼鏡を使ったヒッチコックの「裏窓」モチーフもあり、映画フリークス映画になっているのも吉田大八監督作だなぁという印象でした。
長塚京三さん以外考えられないキャスティング!
基本的にはコミカルなシーンも多く、私が観た劇場ではかなり笑いが起こっていた。色んな考察も出来てお腹が空く映画です。面白かったです。
吉田大八監督が問う自己認識の深淵
吉田大八監督の新作である『敵』。公開2日目の夕方の回に鑑賞したが、ほぼ満席の状態で、私は最前列の少し左側から観ることとなった。この「歪んだ画角」での鑑賞が、むしろ映画の本質に合っていたように思える。なぜなら、本作自体が人間の「主観的な現実」の歪みを描いた作品だからだ。
映画は、長塚京三演じる老齢の元大学教授の日常を淡々と映し出す。丁寧に一人暮らしをし、教え子や編集者から尊敬を受ける彼の姿は、知的エリートの晩年として理想的に見える。
しかし物語が進むにつれ、その世界が主人公の主観によって大きく歪められていることがわかってくる。この主観的な現実と客観的な現実の境界が曖昧になる描写は、私たち自身の内面とも通じるテーマを提起していると感じた。
映画を観ながら、自分の思考や日常生活の中での「主観的現実」の歪みを強く意識させられた。主人公が想像と現実を混在させる姿は、フェイクニュースや情報の信憑性に揺れる現代社会に重なる。自分の認識が正しいか確信できない不安や、周囲の価値観に左右される感覚は誰しも覚えがあるだろう。
こうしたテーマに触れる中で、私は現在読んでいる『おしゃべりな脳』やジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』を思い出した。どちらも人間の内的な声や主観の動きを論じた本だ。
特に、主人公の内的現実が映像を通じて映し出されるこの映画は、まさにこれらの議論と呼応しているように感じた。さらに、筒井康隆の原作が持つ「不条理」や「現実の不確かさ」を忠実に映像化している点も興味深い。
筒井の青春ファンタジーの名作「時をかける少女」もこの映画を観た後では、少女の不安定な自己認識を描いた物語に思えてくる。
吉田監督のこれまでの作品『桐島、部活やめるってよ』や『美しい星』は、正直、私には面白さがよくわからなかった。しかし本作は、自己認識の不確かさというテーマを通じて、私自身の恐怖や不安を刺激し、強烈に引き込まれた。
主人公の境遇が、自分の将来と重なったからかもしれない。いくら自分が知的であると思っていても、確かな自己認識を持つことがどれほど難しいか、この映画は鋭く突きつけてくる。
映画の余韻は、観終わってもなお続いている。主人公の姿が他人事ではなく、自己の中に存在する可能性を感じさせる。そのため、観客にとっても「自分ならどうだろう?」と深く考えさせられる尾を引く映画となっている。
『敵』は、主観的現実と自己認識の不確かさを描いた作品として秀逸である。このテーマに共感する人や、自身の認知の歪みを省みたい人には特におすすめだ。吉田監督の手腕が光る本作は、観る人に強烈な印象を残し、自身の内面を振り返るきっかけを与えてくれるだろう。
筒井ワールド全開!! 温度の無い世界、狂おしい世界、彼の待ち望んでいる世界、縁側とラスト映像に混乱から解き放たれ確信を得た。
夏なのに暑さは感じられず
聞こえる秋の鳥の鳴き声にも
季節の空気も匂いも何も無く
その違和感は鑑賞中続いた。
理由はモノクロだからじゃない。
何かが違う…
現実と幻覚?残像?
誰もが感じる線引き
その狭間の謎は続いた。
彼と敵とその世界を
考えると面白い。
演技陣の冷めた目も気になる。
いい原作、いい制作、いい演技、
いい作品だと思った。
【以下、あくまで個人の解釈】
温度の無い世界の違和感。
現実はFirst 数カットの屋外のみ
その先からは彼の世界
縁側で目覚めるまで彼の中
敵と同居する彼の中…
そう思ったのは縁側以降の
現実と別世界の接点を見たからで
消えた若者と見えない男
消えた若者と納屋のシーン
未来と過去の場面の繋がり
でも…
春になれば…
実は縁側のシーン
それまでの表現と違う
違うから…温度は戻り
違和感は消えた。
消えたから
それとも…
始まりは縁側なのか、と
すでに敵と共存する世界に居て
ずっとそこに居た
そうも考えた。
縁側の後も
彼は春を待つために
ずっとそこに居る。
いまはこの解釈が大きい。
時空を超えた彼の存在
「欲」と「心残り」
「ひとり」と「みんな」
最後の最後のエンドロール
ずっと続くその生活音に
居続ける彼の存在を感じた。
面倒臭い書き方をしたが
いろいろ考えられるほど
面白い映画だった。
※
瀧内ネキか、あすかネキの
しみじみと切なく、身につまされる
「まあ“敵”って、“老い”やそれに伴う“孤独”とか“経済的逼迫”とかでしょ?」と軽く思いながら観ていたが、やっぱり「老い」のラスボス感は半端なかった。
長塚京三演じる主人公は、前半部では「perfect days」での役所広司のように、それを手懐け(たフリをして)、丁寧な充実した暮らしを送っている(ように振る舞っている)。けれど、教え子役の瀧内公美が登場してからは、どんどん虚実が入り混じり、最終的に何が真実なのかもあやふやになることで、彼自身の心の底にある欲望や後悔や捨てきれないプライドがどんどん丸裸にされていく(つまり何も乗り越えられていない)様子が、心底身につまされた。
遺言書もしたため自ら死を選ぶ準備と覚悟を持っているはずの主人公ではあるが、一笑に付す理性を持ちつつもネットの情報に引っ張られたり、庭先に人影を認めると、過剰なまでに取り乱したり、人間ドックをバカにしながら、血便が出るとすかさず受診したりして、「死」に振り回される。
そうした「死」をはじめとして、「コントロールできない恐怖を与えてくる対象=敵」ということが、犬のフンのエピソードや、経済学部出の編集者への攻撃的な態度、そして自分の中の抑えられない性欲(女医、瀧内公美、河合優実、妻)などとしても、様々に描かれる。でも、一番の「敵」は、主人公のラストシーン間近の「春になれば、またみんなに会える」というセリフ通り、「孤独」なのだろうな…と自分は受け取った。
他にも、ことさらに自分の体臭を気にしたり、食事面でも丁寧な暮らしをしていたはずが、無意識のうちに立ったままパンをかじってコーヒー豆を挽いたりという姿に、しみじみと切なさがつのる映画。
だが、それだけ自分に重ねて観させられたということで、作品としての訴える力はすこぶる強い。
ただ、ちょっとオカルトっぽい味付けについて、もしかしたら評価が分かれるかもしれない。
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