敵のレビュー・感想・評価
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老いは子羊のようにやって来てライオンのように去って行いく
〔PERFECT DAYS(2023年)〕での『平山』の暮らしぶりを「知足」とするなら、
本作の主人公『渡辺儀助(長塚京三)』は「高等遊民」とでもすれば良いか。
決まった時間に起き、用を足し、等の基本ルーチンは共通も、
料理は手ずから、
朝食後にはミルで挽いた粉でコーヒーを淹れる。
祖父の代からの古民家に住み、
食材は高級スーパーで調達、
調理器具も凝ったもの、
こだわりの食器を使い、
ディレッタントと表現したい暮らしぶり。
妻は二十年も前に無くし、
大学教授の職も随分と前に辞してはいても、
当時の教え子たちが
折にふれ訪ってくれるので
無聊を託つことなない。
年金に加え、泰斗であった仏文、
とりわけ演劇についての稿料で
当座の生活は賄える。
葬式代をのぞいた全ての預金が尽きた時は、
自分が死ぬ時と知己には嘯く。
あと数年先までは何の憂いも無い日常に思えた。
しかし、そんな彼にも「老い」はひたひたと迫って来る。
仕事で使うパソコンに表示されるスパムメールは
「またか」と余裕を以って即刻削除。
にもかかわらず、リアルな人間関係では
学究の徒にありがちな初心な側面を見せ、
あっさりカモにされてしまう。
夢とも現とも付かぬ幻視を体験し、
悪夢に目を覚ますことも度々。
目を掛けていた女性の教え子との関係性も、
自身の中での葛藤が顕わに。
ついには亡くしたハズの妻の姿まで見えるように。
そこで改めて自覚するのは、
傍に居て当然として扱って来た彼女への慚愧の念。
そんな折「敵について」と題されたメールが配信され、
何の気なしに開封したことから、
『儀助』の意識は更に混濁して行く。
「食」は暮らしの基本と言われるが、
日々の食事が変化することで、
体力や頭脳が衰えていく様を目の当たりにし、
近しい年齢の自分には他人事とは思えない。
後半の描写は
不条理滝な要素は強いものの、
当事者にとってはリアルな体験なのかもしれぬと気づいた時に、
自分の中で怖気をふるってしまう。
『筒井康隆』の原作は既読も、
映像化された時に、これほどの衝撃を感受けたのは、
偏に御年七十九歳の『長塚京三』が、
筋肉の落ちた体を画面にさらけ出しての熱演したことの賜物と感服。
自分の老いた体躯を多くの目に晒す役者魂にも賛辞を贈りつつ、
プロフィールを確認すれば
猶更、彼が本編に適役だったかを再認識する。
「敵」をある昭和人から見る
私は72歳男性です。「敵」映画を見て。昭和の中高生の頃、星新一や筒井康隆などを読んでいた。SFショートショート風でいうと[夢が現実を食った話]とも見えました?映画の最後で、現実に小屋に敵に反撃するため包丁や双眼鏡が出てくるところあり。夢に焦点を当てると、最初現実で教え子の訪問や下血して医者に行ったり、と1回の出来事から話が夢のほうへ話として膨らんでいく。亡くなった妻や教え子の女子、無礼な出版社の新人が都合よく一緒に食事するシーンがある。それらが主人公を非難、追い詰めていく。夢は後悔や非難される悔しさ、何かに追いかけられる事が多い。寝るごとに話が繋がっていく。老人になれば、人との関係はなくなっていき、誰にも必要とされないので、妄想が現実となっていく。ただ、老人のくせに性欲があったりして、こんな事考えているのかと思われるので、人にはお勧めしない映画である。
敵はそんな近くにいたかゴルァ!!!
作品全般がモノクロの映像を採用していた。
昨今では、色彩カラフルな日常で生きる現代人にとって、白黒の濃淡だけの世界は、
グレースケール効果として、スマホアプリへの依存度軽減などを、
期待するものとして利用される。
つまり、現代人にとってモノクロ映像は、
辛い世界、つまらない世界と受け取られかねないもの。
そのモノクロ映像で、序盤の儀助先生の日常生活を数十分にわたり、
淡々と描写するシーンが続き、冒頭から一瞬、脱落しそうになったが、
丁寧に丹念に儀助先生の日常ルーティンを描写してたので、意外と見入ることができた。
モノクロの、視聴継続にマイナス効果をもたらす要素を、
繰り返すルーティン動画の覗き見という、
Youtubeで不思議と再生回数が回るプラス要素により、
マイナスを相殺してくる。昨年の「PERFECT DAYS」を想起するような、
手法選択に感心した。
フランス文学のインテリ学者が主人公。長塚京三のイメージにピッタリな配役。
中盤から、幻覚と現実の境界があやふやになっていき、
主人公も観客も、不安と動揺が大きくなっていく。
主人公の仏文学者は、おそらく70過ぎのおじいさんだが、
「体の老い」と共に「経済面の不安」も、
幻覚を見る要因になっていると推測できる。
このじいさんの半分、いや、6割程度の私ですら、
この2つの要素は、少なからず毎日感じている。
ウォーキング1つするにしても、路地を数十分歩く事すら不安を抱くため、
路地ではなく、公園や競技場の周回に留めるほどに。
小さい方も、大きい方も、途中で用を足したくなる心配があるからである。
これは、実際に年老いてみないと、意外と実感できない感覚である。
映画1本見ることですら不安を抱く。開場直前まで待って催すかどうか判断する。
2時間映画ならまだしも、2.5時間だと、膀胱の具合が平静を保てるか、
自信が無いのである。
老いとは、病気を患ったりというものではなく、
体を、自分の意のままにコントロールできなくなる事。
もう四十半ばでコントロールできない。ああ不安だ。
ちなみに、同年代のオードリーのANNラジオの話題を少し。
映画の膀胱耐久の話。
特番収録時の膀胱耐久の話。
M-1審査員時に装着した尿漏れパットの話。
ラジオ体操に参加しラジオ体操第二はジャンプが多すぎて膝がもたない話。
体を張るロケで念入りにストレッチしないと危険な話。
肉が食えなくなってきた話。
脂っこいものが食えなくなった話。
稼いだ金は墓場に全部詰め込んでもらいたい話。
嫁のラーメン煮卵トッピングは命を削られるのと同じな話。
買いたいものが何もない話。
相方が浮気したら「敵はそんな近くにいたかゴルァ」と叫んでしまった話。
老いるって嫌だね。
11時40分、このままで!
“ゆきさん”にくすぐられて頓挫した感想を書くことに…
主人公のようなインテリは瀧内久美の眼差し対して、ついカッコをつけてしまう。“寂しからずや道を説く君”である。能書きなんかいいから私を抱いてと歌った与謝野晶子である。送ってくる秋波にドギマギするばかりだから、妄想で“イってしまった”後は下着のウエット感が虚しい、哀しい。
さて、本題の“敵”だが、インテリらしい最期を目論むも、容赦なく迫ってくる死には抗えず、妄想を肥大させるだけで、“北”からなんていうのも、暗示などではない。つまり、穿った見方をせずに敵=死なのだと私は解釈する。
だが、早々に、論客を自負する諸氏が、真顔で、それは老いである、孤独である、痴呆である、漠たる不安の総体である云々と、哲学的考察をかざしてマウントを取ってくるのだろうが、浅薄だと揶揄されても 自説はまげない。
晩年の岡本太郎のエピソードで、夜中にがばっと起きあがり、ブルブルと死の恐怖に戦慄するというくだりがあったが、なんびとたりとも、その恐怖をまぬかれぬ。キレイには死ねない。敵は容赦ない。
むしろ、生真面目な生活態度を送りながら時々みせる主人公の間抜けな行為でクスリと笑わせてくれるほうが、面白かったし、老境を深刻ぶって考え過ぎるのも如何なものか。
江国滋の句にこうある。『おい癌め酌み交わさうぜ秋の酒』自らの病を嗤うヤケクソのブラックユーモアなのだが、アルコールが末期癌にしみわたるだろうなー。
映画の主人公の対極いる自分のような自堕落な人間は、諧謔をもって死に際にじたばたしたいと思ったりするのです。
老後の男性一人暮らしの理想系かと思いきや
長塚京三は自殺未遂のシーンで本当は亡くなっていたんでしょうか。その後は「アザーズ」のように死者の世界から見た生者と、亡霊が入り乱れた世界が展開されていく。
敵とは死なのか老いなのか?
色々と解釈出来そうですね。
敵とは
起床して、朝食を作って、豆から挽いたコーヒーを入れて、歯磨きするシーンが淡々と続く。何か「PERFECT DAYS」を観ているような感覚になる。
男の一人暮らしは、臭くて汚くなりそうですが、清潔さを保つには、使ったらすぐ片づけることが重要だなと思いながら観てました。
フランス文学の元教授で、人生経験も豊富な初老の男性。でも、女性への欲望は年老いても全くなくなるものではなく、詐欺に遇ったり夢精したりで、実際には情けないことも多くあるもの。判断力も衰えてくるのでしょうか。
規則正しい生活を送っていたが、老化が進んでだんだん生活が乱れていく。
タイトルの「敵」とは老化やその先に迫って来る死を指しているのでしょうか。
裏・孤独のグルメ。
素晴らしい!長塚京三で主演男優賞は決まり!
若い俳優が活躍する映画界で、久し振りにベテランの味を見せてもらった。一つ一つの動きや演技がとても自然で、演じているのに、演じているように見えない。前半は役所広司のパーフェクトデイズのようだったが、役所より上手い。そこにいるのは、年老いた一人の元大学教授だった。
敵が来るというメールが届いた辺りから、現実と夢の世界の境目がつかなくなり、さらに戦時中の胎児の時の記憶が混ざり込んだようだった。この夢は死の間際に見た夢なのか? 敵とは何か。老いなのか、死なのか、理性でコントロールできない性欲なのか。この作品を見た人と語り合いたいが、その敵は私自身が恐れているものかもしれないと思うと、自分をさらけ出すようで恥ずかしい。夢精した後のパンツを、母親に見つからないように洗って、洗濯機に入れたときと同じぐらい恥ずかしい。
エメロン石鹸はあまり泡立たないイメージ
東京国際映画祭のグランプリと監督・主演の3冠で吉田大八監督は山上たつひこ原作の「羊の木」がすごく面白かったので今回も筒井康隆原作だし期待しまくって観たのだがちょっと肩透かしをくらった。77歳で元大学教授の独居老人が自分で食事を作り食べ歯を磨きというまるで「PERFECT DAYS」な日常ルーティーンが繰り返し描かれ今回は流石にタイトルがタイトルだけにどこで物語が動き始めるのか、ああここで動くのかいや動かない、今度こそ…で動かない。筒井康隆先生が65歳のときに書いた終活物語で私も今その年齢なのでとても身につまされるのである。好きなものを食べたり外で飲んだりは節約せずにわずかなに収入と預貯金と生活費からXデーを計算すべしというのだ。20代でヴィスコンティの「家族の肖像」を繰り返し観た(なんとこの映画のコンテを作れというふざけた課題を出す講師がいた)のだが若者にはこれっぽっちも共感できるわけがなく、夜中に必ず目覚めてしまうこの歳になってやっとバート・ランカスターが演じた老教授の気持ちが分かるようになったことよ。それで肝心の「敵」はというと…夢落ちと妄想をエンドレスに繰り返すメタフィクションなのだ。
そもそも敵とは?
タイトルだけでは、「てき」なのか「かたき」なのかも分からず。あらすじを読んで、「てき」なんだなと解釈したうえで、ちょっと面白そうと思った。時代劇でもないのに、モノクロであることにも興味を持った。
…が、始まってしばらく、ただの老人の日常をモノクロで見せられている。しかも、全部、夢っぽい。こういう言い方は、偏見かもしれないが、男って、いくつになっても現役だな…とも。ずっと、暗い画面を見ていると、やばい、このままじゃ寝てしまうと心配もした。
思っていたよりも、「敵がやって来る」のメッセージが来るまで、時間がかかった。階段で、敵らしき者たちが、うわーっと押し寄せてきた時、恐怖を感じた。これ、カラーだったら、そんなに恐怖を感じなかったかも。モノクロであることの意味は、こういうことなのか?と思った。
見終わっても、いまいち、意味がわからず…。みんなのレビューを読んで、「死」とか「老い」とかって言葉を見て、なんとなく理解した感じかな。
しっかり予習していきました…
どうせ難解で、初見で理解できないだろうとおもって、原作をしっかり読み込んで予習をしました。
そのうえで、敵とは、死のことだと理解したうえで映画を観賞しました。
ただ、原作を読んでも、儀助はどの段階で亡くなったのだろうとはっきりしませんでした。
もしかして、冒頭からすでに亡くなっているのではと思いましたが、確信が持てませんでした。
しかし、映画を観賞して、儀助は冒頭から亡くなっていたと確信しました。
カラーでも全然問題ないと思えるのに、あえてモノクロにしたことと、最後の最後のシーン、一瞬蛇足と思いましたが、儀助の死を象徴する監督の親切と受けとりました。
いやいや、ただあなたが鈍いだけです。やっぱり蛇足だよと、いわれる方も大勢いそうですが…。
それにしても河合優実はよかったね。あんのこといらい気になっていました。
ファンの人たちにはしかられそうですが、かわいすぎず、美人すぎず、ちょうどいいのだよね。蛇足です。
それにしても死を敵とみなしてしまっても、勝てるはずはないから、不毛な戦いとなるよね。
結局、死を恐れおののく老人映画という結論になってしまうのだろうか?
ちょっと、背筋が凍るし、残念に思う。
でも、映画は傑作だと思います。
「敵」は老いとその先にあるもの
見ていてすぐ、認知症か統合失調症の人の、時間経過とともに症状が進んでいくさまなんだろうと思った。
高名な仏文学者で元大学教授、インテリで穏やかで、長身、体格も姿勢も良い絵に描いたようなダンディーな老人が、夏から、変な夢を見るようになり、季節を追うごとに頻度も奇妙さも増していく。
本人も、事実ではなく「夢」だというのは自覚があるが、どこからが現実でどこからが夢なのか、分からなくなってくる。
そして、春が来る頃には、「敵」に追いつかれてしまった。
眼の前で展開する出来事は、老・元教授の、妄想と現実が入り交じった脳内現実なのだろう、今まで生きてきた中の、願望や、後悔、後ろめたさや諸々の感情が半端にリアリティを持って奇妙な形になって現れているよう。
「敵」が北からやってくるというのは、老元教授の中での仮想敵が某北の将軍様の国らしいのがちょっと笑える。
時間の経過とともに、妄想の割合が多くなっているのが分かる。
老元教授の生活が几帳面で丁寧で、掃除も洗濯も手慣れており、特に食生活は自分一人のために朝食にわざわざ魚を焼き、コーヒーは豆から挽いて、ただの昼ごはんのそうめんに、すり鉢で胡麻をすり、冷麺には卵をひとつだけ茹でる。一人の晩酌のためにレバー買ってきて牛乳に浸けて臭み抜いて、ネギ切って串に刺して網出して一人焼き鳥には脱帽。
都会に古くて広い一戸建てを所有、仕事はあるし教え子やら編集者やら、ヒトは来るし、馴染みのバーはあるし悠々自適な、それこそ「Perfect Days」じゃないかと思った。どこまでが彼の脳内現実か分かりませんが。
春になったら、みんなに会える、ってつぶやくが、春のお葬式には一人の教え子の姿もありませんでした。。
もしかして、全部が妄想⁉️。。
老境に差し掛かった人なら、我が事として切実に理解する映画。
若い人には何が何だか❓ だと思います。
長塚京三が、まるで当て書きのようにぴったり、良いキャスティングでした。
そして、お腹が空いている時に見てはいけない映画と思いました。
飯テロですから。
見事!長塚京三
長塚京三という素晴らしい役者が
日本にいたことを、改めて知らせて
もらった映画です。
物語は、77歳の元大学教授
(仏文)の一人暮らしの優雅な日々の
前編と、不穏なメールをきっかけに
襲いかかる夢幻、妄想のシーンが
続く後編で構成されている。
原作者の筒井康隆氏が「映像化は無理だと
思ったが、すべてに渡り映像化してもらった」
と絶賛。
僕は小説は読んでないので詳細はわからないけど
ユーモア、老いへの恐怖、愛欲への僅かな執着を
とにかく長塚さんが自然に見事に演じる。
身長181、ソルボンヌ大学留学、現在79歳の
この俳優にぴったり、堂々の主演作だ。
もちろん監督の吉田大八の力はいうまでもない。
「敵」とは何か。
本作を観た人と話をしたくなる映画です。
老いを研ぎ澄ます。
夢
どう感じてよいか…難しい作品
モノトーンの映像で現実と妄想の線引きがなく、不思議な感覚になる作品でした。やがて迎える死への『寂しさ』と『淋しさ』の狭間の孤独と欲望が『敵』という形で表現されてのは興味深い視点でした。自分が77歳になったら理解できるのでしょうかね。
何はともあれ、叱られたい爺さんなんだなあと思った
2025.1.21 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(108分、G)
原作は筒井道隆の同盟小説
Xデーを設定した元大学教授の晩年を描いたスリラー映画
監督&脚本は吉田大八
物語の舞台は、都内某所
フランス文学の権威でもある元大学教授の渡辺儀助(長塚京三)は、妻・信子(黒沢あすか)に先立たれて以来、ずっと一人暮らしをしてきた
彼は、預貯金と年金、日々のランニングコストを計算し、「Xデー」なるものを自分で設定していた
ある日、儀助が物置を整理していると、荷物が崩れて色んなものが散乱してしまった
教え子の小道具屋・椛島(松尾諭)に荷物を整理してもらっていると、彼は庭に枯れた井戸があることに気づく
頼んでもいないのに、椛島は何としても復活させたいと意気込んで、知り合いの井戸掘り名人に声をかけると息巻いてしまう
その後、夏も盛った頃、儀助のところに教え子の靖子(瀧内公美)がやってきた
約束を取り付けていたとのことだったが、儀助は曜日を勘違いしていたようで、簡単な食事とワインでフランス文学談義で時間を過ごすことになった
酔っ払った靖子はソファで寝てしまい、儀助は良からぬことを考えるものの、彼女はあっさりと終電に乗って帰ってしまった
また、別の日には、行きつけのバー「夜間飛行」にて教え子のデザイナー・湯島(松尾貴史)と飲んでいると、バーの姪っ子の大学生・歩美(河合優実)を紹介される
彼女もフランス文学を専攻していて、別の機会に文学談義をする機会を持つことになる
だが、その際に彼女が学費を滞納していることがわかり、再び儀助の中で良からぬ考えが生まれてしまうのであった
映画は、そんな日常を過ごしている儀助の元に、迷惑メールが頻繁に届く様子が描かれていく
「当選しました」とか、「お金を受け取ってください」とか、「どこかで暴動が起きて危険です」みたいなものまで多彩だった
当初は無視していたものの、しまいには「敵について」という意味不明なものまで送られてくるようになった
儀助は意にも介さなかったが、ある日を境に「敵」について思いを巡らせることになり、いつしか自分の中の一部のようなものになってしまっていたのである
原作未読なので比較はできないが、映画を観た感じだと、ほとんどが老人の妄想なのかな、と思った
大体のシーンは夢だったという感じに描かれていて、椛島や湯島のパートは現実っぽく思えるのだが、それらも全部妄想か何かであるように思う
Xデーを決めたものの、そこに向かうに従って怖くなってしまうし、破壊的な願望に身を投じてしまう
儀助の時代の仮想的な「敵」は「北(中露)」のことだが、最終的に自分を破壊してくれるものは「暴力」だと考えているのかな、と思った
いずれにせよ、フランス文学について全く知らないと会話劇を流すことになると思うものの、そこまで支障を感じたりはしなかった
予告編で強調される「敵メール」も、儀助の日常を壊すもののメタファーの一つに過ぎず、それゆえに前半の「超日常パート」というものがあるように思えた
このシーンを退屈と思うかは人それぞれだと思うが、興味深く観察をすると、妄想との対比としてのルーティンが見えてくる
彼の日常のほとんどがルーティンワークで、外的な刺激以外はそれを乱すものがない
だが、一度それらを乱されると苛立つ性格をしていて、特に筆を止められる時の態度に顕著なものが出ていた
そう言ったことも相手の前では出さないのだが、こと妄想になると自由になるけど、最後まで行かないところに彼の弱さというものがあるのだろう
経験則から紡がれる妄想は最後まで行き着くけど、そうではないものは続きを描けない
そう言ったところに儀助の限界と性癖が隠れているのかな、と感じた
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