「自分で意味づけができる作品」敵 邦画野郎さんの映画レビュー(感想・評価)
自分で意味づけができる作品
予告でとても気になったので見てみました。
予告で予想していた通りの内容で自分としてはとても良かったと思います。
前半の長塚京三さんが朝起きてごはん作って食べて歯磨きしてコーヒーの豆を挽いてコーヒーを飲む、スーパーで買い物をする、昼飯や夕食を作るというこのルーティンをセリフもなくモノクロ映像で淡々と映し出すところはなんだか不思議にずっと見ていられるものでした。長塚さんがすごく細くて背が高い感じがなんとなく松重豊さんに通じるものがあり飯を淡々と食う姿が孤独のグルメの吾郎さんにも見えたり、その出てくる飯がなんだかすごく美味しそうに見えたり飯テロ要素もある作品です。
そんな中、徐々に切り替わっていき、いつのまにか見ているこちらも飲み込まれている後半の世界観については見る側の想像力が求められると感じました。
あくまで私が感じたいくつかの点を書かせていただきますが「敵」という存在を意識し出して非現実な夢を見るようになってくくだりは、あのゆっくり流れていくような毎日が夏休みな感じの生活の中で先生は日常に何かしらの刺激を求めていたのではないだろうかと思います。その心境の現れがあの夢なのかなと。一見、真面目そうに見えるが作中の様子や会話で見えてくる先生の変態性がありました。あの年の老人の独居の人にしては老いを感じないような几帳面さ、近所を双眼鏡で覗きをしたりする面、真摯に振る舞いながら女の子や教え子の女性に下心を持つ面、そう思っていながら紳士ぶるけど実は想像しながら1人でしていることを夢で白状してみたり。
このような感じからあの非現実さは先生の中に何かしらの刺激を求めていたのだろうなと思いました。
もう一つ考えられるのは認知でボケが入ってきてその妄想を映し出していたのか。作中でも非現実な世界がクライマックスを迎えて、そこから日常に戻ったらすぐポックリ逝っちゃったので。
あとは犬のうんこのじいさん、あの人も認知が入ってきていてボケていて自分でうんこをあそこにしてそれをあの女性のせいだと思い込んでいたのかなとか思いました。
ラストシーンの双眼鏡に映っていたのは誰なのかマジでなんなのかはわかりませんでしたが
とにかく後半は意味がわからない分、様々な考察ができるような作品になっていると思います。
私もこの作品を見た他の方がどのように感じたのかを少し見てみたいと思います。