最後の乗客のレビュー・感想・評価
全99件中、1~20件目を表示
つらければ忘れてもいい、という選択肢がある優しい世界
蒼暗い空、せり上がり砕ける波、寄せる白波と砂浜に「あれから10年後」の文字、クロスフェードで重なる港湾の遠景、震災と津波のあとで放棄された海辺の廃墟。オープニングの1分あまりの映像と波の音にぐっと引き込まれる。撮影監督は佐々木靖之(「真利子哲也監督「ディストラクション・ベイビーズ」、瀬々敬久監督「最低。」、濱口竜介監督「寝ても覚めても」、菊地健雄監督「ディアーディアー」など)。
監督・脚本・編集の堀江貴は宮城県仙台市出身だが、2011年3月はニューヨークにいて東日本大震災を経験していない。そんな自分が被災者にかかわる映画を作ってよいのかと悩んでいた時期、福島県出身でつらい思いをした若い女性と追悼式で出会い、彼女が3月11日を迎えるたび震災の話を聞かずにすむよう敢えて海外に出ていたと話すのを聞いたことが、本作のきっかけになったという。
作品のタイプとしては、ミステリアスな要素をはらむヒューマンドラマと言えるだろうか。主人公と他者にまつわる“自意識”と“視点”がミステリーの仕掛けとして機能していて、この仕掛けを用いた映画としてはホラージャンルで外国の有名作品2本がすぐに思い浮かぶが、タイトルを挙げるだけでネタバレになるので伏せておく。本編55分という短さも、適度な驚きと静かな感動に貢献していると感じた。
堀江監督は自省を込めて、「震災を忘れない!」と声高に叫ぶことが逆に人を傷つけていた可能性もあると気づいたと述べており、そんな気づきがこの「最後の乗客」には込められている。被災者に限った話ではなく、つらい経験をしてそれを思い出すたびに苦しむのであれば、忘れるという選択肢もあるということ。「忘れない!」という言葉が呪縛になってしまうより、忘れる自由もあるほうが優しい世界に違いない。
タイトル
夜に少し時間があったので何か観ようとサブスク漁る。
55分ミステリ!これならさっくり観れそう。
基本、あらすじなのは見ないのでミステリという前置きだけ。
タイトルが細い線で出てくる。
なんだか小説を読み始めるような感覚。そして海の波。小さな波、茶色い波、そして一際大きな波が押し寄せる。
それから10年後…あ!あの話が題材だ!
あるタクシー運転手「浜町」に女子大生くらいの女が出るらしい。
そんな話を笑い飛ばして、終電に乗り遅れた人もいるだろうから。と男は車を走らせる。
黒帽子とマスクの女を拾ってしまい、これは〜と思っていたらまた子連れの女が必死の顔で被さるように止めてくる。
そのはずみで黒帽子の女が娘のミズキと分かる。
飛び込んできた女性は小さな子供を連れてやはり「浜町」へ。
何故か親子を訝しむミズキ。
何故か止まる車、捕まらない他の車、誰も何も通らない1本道に佇んで会話が始まる。
ふと、小さな少女がいなくなり探す母親とミズキ。
母親は慰霊碑を見つけ、ミズキは過去のサプライズだった父への想いを込めた手紙を投函する。
「最後の乗客は誰ですか?」
東日本大震災で死んでしまったことを思い出す。
そこでミズキのターンとなる。
「私よりその親子の方が大事だったの?」
「急に1人にされて…」
きっと性に合わない夜の仕事をして、どんな思いでリスカをしたのか。あまり似合わない濃いメイク。
もちろん震災で亡くなった方々、その後の方々にはニュースを見ていて心が痛んだ。復興を願った。人の死というのは常に背中にくっついている。先にトラックで死亡したタケちゃんにもたくさん涙を流しやるせない思いをした人も多いのだろう。
人間は「自分が」「周りの人が」確実に死ぬという事を現実として受け入れるのが難しいと思う。
だから、死んでいても気づかなかったり故人を忘れられなかったりする。
その辺は宗教感などもあるので個人的な思いですが。
父を責めるミズキに共感できず少しモヤモヤした。
でも、そのモヤモヤの中にも大勢の方々が「驚異的な大災害」として多く亡くなり、その鎮魂の義が毎年行われて防災意識が強くなるという頻繁に告げられる周囲に敏感になるのかもしれない。それが忘れたくても周囲が忘れさせてくれないのだろう。大事な時に拗れて別れ、大事な時に突然失った唯一の肉親を奪った事実。
覚えている、忘れる、それらを心に落とし込み消化させて生きていく事が得意ではない人も多いのだろう。
がんばれがんばれ〜ミズキなら大丈夫!
笑顔でそう言う事しか父にはできない。何故ならこの世にはいないから。
「なら父ちゃんと一緒にくるか?」ドキッとした。
おいおい、それはダメだよ〜
しかし、ぼろぼろになった娘を守る義務がある。
笑いながら2人で歩く。
消える親子、消えるタケちゃん。
助手席には娘を乗せて父は走り始める。
楽しそうにおにぎりを食べる。このおにぎりがアルミホイルで包まれているのがたまらなく良い。
娘を乗せながら父はまだ連れて行けないと心で呟く。
父は最後の乗客である娘を再び明るい場所へと運んでいく。タクシーの目的地、娘の行きたい所へ運転手は送り届ける。
代わりに辛い思い出は全部持っていくから。
娘は浜辺で目を覚ます。穏やかな表情。背後は同じく穏やかな波。
想いを伝え、お守りも渡せ、おにぎりを食べ笑って語る。
生と死の狭間で親子の絆を取り戻せ、それは愛しい娘の新しい光のもと確かに連れていった父の愛。
エンドロールの写真が苦しい。
小さな子供とミズキの会話やタケちゃんとの会話など、拾い損ねたピースも多々あり55分と短さでも少し間延びした感もあったかな。
消えないものだって確かにあると思った
僅か55分の自主制作映画なんだけど、良い映画でした。
東日本大震災の被災地で、深夜に流しをしていたタクシーが、幽霊らしき若い女性の乗客を乗せたことから、物語は始まっていく。
震災は被災者から沢山のものを奪ってしまったけれど、消えないものだって、確かにある、と思った。
あの日のこと
14年目の3月11日に観賞
2万2228人。
死んでも死に切れなかった2万2228人の人たちと
生きても生きても、いまだに生ききれない 生き残った人たちが
かの地にはこんなにたくさんいたのだと、この映画は見せてくれました。
6人の登場人物がそれを教えてくれました。
・・・・・・・・・・・・・
僕もあの地震の時には、
苦労して3日目に仙台に入った。
叔父叔母と従兄弟の一家がそこにはいる。
寒風吹きすさぶ歩道で、ジャンパーを着た従兄弟を見つけてひたすら固く僕たちは抱擁した。
「僕の軽自動車に誰を乗せて、そして誰を乗せないか」
「子供たちとその母親を乗せるのか」
「子供たちとその母親は乗せないで老人たちを乗せるのか」
僕は決断をしなくてはならなかったのです。
救急車にも消防車にも燃料が枯渇し、医者の車も動けない。
ガソリンがすべて売り切れで、どこも閉店している中、こっそりと隠して出発地で調達したガソリン。荷台の毛布の下には赤い灯油缶2つに40リットルのガソリンを「帰途用」に隠し持っている事を黙って
ガソリンを分けてもらえませんか!という必死の形相の人たちを僕は振り切って
仙台を脱出した。
福一の煙が仙台まで来ていたから、とにかく西を目指した。
まさかの自分が「トリアージ」をする事になるとは。
僕は生まれて初めて布団の中でのたうち回って 呻き声で苦しみ、しばらくの間 PTSDに苦しんだ。
年寄りたちを乗せて新潟へ逃げた。
・・・・・・・・・・・・・
瓦礫の下や海岸から回収された膨大な数の「写真」を、綺麗に洗浄して展示して持ち主や遺族に返すボランティア活動の記録。
これ、大著の記録集を熟読したことがあります。
本作の巻末エンドロールでは、それらの写真を映していましたね。確かにかの地で生きていた人々の証拠が、胸を打ちます。
誰かを助けるためにUターンして亡くなった方。
「てんでんこ」で振り切って逃げたのにダメだった方。
手を離してしまって水に飲まれる妻の目を見てしまった方。
僕ごときのちっぽけなトラウマなど 、どうだっていい事だ。
・・・・・・・・・・・・・
会いたかった人の幽霊に会うって、とても大切な事なのだそうです。
赤いポストは直筆の手紙で、
風の電話ボックスは話しかける生の声で、
そしてバス停は、あの人に会える浜に東北の人たちを連れていってくれます。
生きている人と死んだ人が大勢住む町、東北。
慰めと希望が与えられますように。
みんなが長生きできますように。
·
ファンタジー
あの世の話し。
娘さんは何度もリストカットして自殺未遂をしているみたいだけど、死後の人と話してるって事は娘さんも亡くなって父と話しているんだろうか?
余韻というか解釈がどうでも取れる作品。
親子の絆の大切さ
前半の展開で散りばめた要素を後半の情感にきっちり結びつけるという、作劇上の巧緻さが光る一作
人気のない深夜の街で客待ちする運転手、怪談めいた噂話、その怪談を連想させるような謎めいた女性と親子、これらが次々と登場する序盤から中盤にかけての疾走感はかなりのもので、物語の先が知りたくてついミステリアスな部分に目を奪われてしまいます。その一方で、本作が真に描こうとしているものも、冒頭から様々な形で示唆(暗示)してみせるという巧みさ。
偶然出会った親子が向かう先、そして運転手自身の過去…。結末にかけて情感に強く訴えてくる作品でありながら、諸々の要素が一つに寄り集まって一つの真実を浮かび上がらせていきます。
いざ事の真相が明らかになった時点から本作が紡いでいくのは、「あの時」を経ても忘れえない物語。そこには間違いなく、「こういう物語があってほしい」という祈りにも似た痛切な思いも含まれています。
伝えたいメッセージがあるという強烈な思いが伝わってくると同時に、中編映画として十分に面白い作品に仕上げたい、という作り手側の映画というものに向き合う誠実さを感じました。
エンドロールに登場する「あるものたち」。これこそが、まさに「忘れえぬ物語を語る」語り手そのものであると言え、鑑賞感をさらに情感溢れるものにしていました。作中のある女性の位置づけが少し分かりにくいと言えなくもないんだけど、そこは山田太一原作のある作品がヒントになるはず!
ハートフル奇妙な物語
東日本大震災被災者鎮魂映画
ミステリーかと思えば・・・
ある港町のタクシードライバーの間で、深夜に人気のない歩道に若い女が現れるとの噂がささやかれていた。ある夜、いつも通り閑散とした所を流していた遠藤は、噂となっている歩道で若いサングラスとマスクの女性を乗せた。車を発進させてしばらく走ると、路上に小さな女の子と母親の2人が飛び出してきて、その母娘も浜町が目的地というので、仕方なく同乗させることになった。奇妙な客を乗せ、タクシーを目的地へ向けて走らせようとするが、エンジンが掛からず・・・さてどうなる、という話。
東日本大震災の10年後、生きてる時に言えなかった、できなかった事を、幽霊同士で語り合う物語?
生存してるのはみずきだけだよね?
ミステリーかと思えば、幽霊物語でした。
ま、短いし、こういうのも目新しいから、悪くなかったけど。
「深夜のタクシーが乗せたのは3人の乗客と秘密」
というキャッチコピーと、東日本大震災関連のストーリーらしい、という情報以外の予備知識なしで観に行きました。
単館系の自主製作映画で、東京の映画館でも上映終了しているタイミングにも関わらず、近所の映画館でまだ演っていて、観られてラッキーでした! 50分台の短い映画ですが、見応え十分の良作だと思います。見逃した方は、きっと何処かでリバイバル上映がある気がするので、セカンドチャンスに是非どうぞ。
正直、「カメ止め」や「侍タイムスリッパー」のようなとても良くできた痛快娯楽作ではないですが、作者の描きたいメッセージや、そこに行き着くための多少のヒネリを含んだストーリー展開はしっかりしていると思いました。あまり予備知識を入れずに、映画館のスクリーンで素直に物語に向き合い、何を感じるか、にフォーカスすれば、この映画の価値が感じられると思います。
自分は震災発生時、仙台に住んでいてある意味当事者ではあるのですが、幸い身近な誰かを亡くすような経験はしていないので、たまに「あの時はさー」という感じで軽く口に出したりすることもあります。しかし、本当につらい思いをして心にトラウマ(傷)を抱えてしまった人にとっては、思い出すこと自体が容易ではないでしょう。
「よく『あの日を忘れない』とか、簡単に言うけど、こっちは忘れたくても忘れられないんだよ!」とか、「誰かを亡くしたことをできることなら忘れたいけど、その人自体や想い出を忘れたい訳じゃないんだよ」とか、色々な気持ちやケースがあることでしょう。
作者が描いたのは、「災害」やその後の人生に対する想いや気持ちのカタチは様々あり、時期や人、立場によってそれぞれ違うけど、そういった当事者の気持を想像してみたり、それと向き合い、折り合いをつけていく過程を描いた一つの物語。この寓話的ストーリーは、そういった想いを巡らすための入口、一つのキッカケを提供するモノとして作られたのだろうと思いました。
やっと観れた。
自分が亡くなったことに気づかないと、次に進めない…とても、悲しいストーリーだった。
かといって、救われない訳ではない。
赤川次郎の小説『午前0時のわすれもの』が原作の、大林宣彦監督作品『あした』を知っていると、より楽しめると思います。
また、東日本大震災の年に開催された、文化放送のお祭り「浜祭」で、大竹まことさんが、涙ながらに語った、被災地から会いに来てくれたリスナーのエピソードを思い出し、じぃーんとしてしまいました。
仙台の海沿いの町。タクシー運転手と乗客…のように見える、数名の物語...
特別な日
不思議なファンタジー
予告で見て気になったのと、なぜかこの作品、劇場のクーポンの割引対象外で「定価で見せるほどそんなに面白いの?クソつまらなかったらただじゃおかねーぞ!」って感じで見に行きましたが個人的には短編の割に見終わった後にそれなりの満足感がある作品でした。
ま、ネタバレ的なところはセリフを思い返していくとすぐわかってしまう感じではありましたが、視点や角度を変えるといろんな見方ができて、あの世界は娘が見てた夢なのか、娘が父に会いに行ったのか、実は父が娘に会いに行ったのか、父が娘を「まだ死ぬには早い!」と助けに来たのか、娘以外は実は全員わかった上であの世界線を娘のために演じたのか、そんな感じに見終わったあとにいろいろと考察を膨らますことができます。
それと娘が震災のことを忘れたいのに世間は「あの日を忘れない」とか言って、私はもう忘れたいのに私はあの日を特別の日になんかしないと言っていたところは、なるほど、被災者の家族にはそういう思いの人たちもいるんだよなということを気づかされました。
よく言いがちなあの日を忘れない、復興復興!は、もちろん大事なのだけどそればかりではない違う視点から見た寄り添いや思いやり方があるのだなと思いました。
あとは死んだ後の死後の世界とかあるのかは死んだことがないためわからないため、まあ、死んでしまったらやっぱりもうその人には会えないわけで。
自分は年齢的にもまだ近しい人が亡くなったりしてないし親も亡くなっていない。けど、今後そういった近い人が亡くなるとやはりあの時こう言っておけばよかったとか、そういうことを思う日がくるかもしれない。だからやっぱり近しい人とは何気ない話も感謝の気持ちもちゃんと言葉にして伝えておかなくちゃいけないかな、なんてそんなことを思った。
そして何よりびっくりしたのは川崎麻世に似てる主役のお父さん何か見たことあると思ったら、今話題のあの作品の方でしたね!ちょうどあちらの作品を見たばかりだったので「あー!」ってなりました(笑)
とりあえず大きなどんでん返しがあるわけではなく、自分的には泣ける感じもなかったです。あまり期待もしていなかったので。
でもなんだかなぜか不思議と悪くはない作品だよなと思いました。
タイトルの意味が明らかになる終盤で「えっ?」と意表を衝かれながら...
久しぶりに映画を観て涙しました🥲
全99件中、1~20件目を表示