最後の乗客のレビュー・感想・評価
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つらければ忘れてもいい、という選択肢がある優しい世界
蒼暗い空、せり上がり砕ける波、寄せる白波と砂浜に「あれから10年後」の文字、クロスフェードで重なる港湾の遠景、震災と津波のあとで放棄された海辺の廃墟。オープニングの1分あまりの映像と波の音にぐっと引き込まれる。撮影監督は佐々木靖之(「真利子哲也監督「ディストラクション・ベイビーズ」、瀬々敬久監督「最低。」、濱口竜介監督「寝ても覚めても」、菊地健雄監督「ディアーディアー」など)。
監督・脚本・編集の堀江貴は宮城県仙台市出身だが、2011年3月はニューヨークにいて東日本大震災を経験していない。そんな自分が被災者にかかわる映画を作ってよいのかと悩んでいた時期、福島県出身でつらい思いをした若い女性と追悼式で出会い、彼女が3月11日を迎えるたび震災の話を聞かずにすむよう敢えて海外に出ていたと話すのを聞いたことが、本作のきっかけになったという。
作品のタイプとしては、ミステリアスな要素をはらむヒューマンドラマと言えるだろうか。主人公と他者にまつわる“自意識”と“視点”がミステリーの仕掛けとして機能していて、この仕掛けを用いた映画としてはホラージャンルで外国の有名作品2本がすぐに思い浮かぶが、タイトルを挙げるだけでネタバレになるので伏せておく。本編55分という短さも、適度な驚きと静かな感動に貢献していると感じた。
堀江監督は自省を込めて、「震災を忘れない!」と声高に叫ぶことが逆に人を傷つけていた可能性もあると気づいたと述べており、そんな気づきがこの「最後の乗客」には込められている。被災者に限った話ではなく、つらい経験をしてそれを思い出すたびに苦しむのであれば、忘れるという選択肢もあるということ。「忘れない!」という言葉が呪縛になってしまうより、忘れる自由もあるほうが優しい世界に違いない。
親子の絆の大切さ
前半の展開で散りばめた要素を後半の情感にきっちり結びつけるという、作劇上の巧緻さが光る一作
人気のない深夜の街で客待ちする運転手、怪談めいた噂話、その怪談を連想させるような謎めいた女性と親子、これらが次々と登場する序盤から中盤にかけての疾走感はかなりのもので、物語の先が知りたくてついミステリアスな部分に目を奪われてしまいます。その一方で、本作が真に描こうとしているものも、冒頭から様々な形で示唆(暗示)してみせるという巧みさ。
偶然出会った親子が向かう先、そして運転手自身の過去…。結末にかけて情感に強く訴えてくる作品でありながら、諸々の要素が一つに寄り集まって一つの真実を浮かび上がらせていきます。
いざ事の真相が明らかになった時点から本作が紡いでいくのは、「あの時」を経ても忘れえない物語。そこには間違いなく、「こういう物語があってほしい」という祈りにも似た痛切な思いも含まれています。
伝えたいメッセージがあるという強烈な思いが伝わってくると同時に、中編映画として十分に面白い作品に仕上げたい、という作り手側の映画というものに向き合う誠実さを感じました。
エンドロールに登場する「あるものたち」。これこそが、まさに「忘れえぬ物語を語る」語り手そのものであると言え、鑑賞感をさらに情感溢れるものにしていました。作中のある女性の位置づけが少し分かりにくいと言えなくもないんだけど、そこは山田太一原作のある作品がヒントになるはず!
ハートフル奇妙な物語
東日本大震災被災者鎮魂映画
ミステリーかと思えば・・・
ある港町のタクシードライバーの間で、深夜に人気のない歩道に若い女が現れるとの噂がささやかれていた。ある夜、いつも通り閑散とした所を流していた遠藤は、噂となっている歩道で若いサングラスとマスクの女性を乗せた。車を発進させてしばらく走ると、路上に小さな女の子と母親の2人が飛び出してきて、その母娘も浜町が目的地というので、仕方なく同乗させることになった。奇妙な客を乗せ、タクシーを目的地へ向けて走らせようとするが、エンジンが掛からず・・・さてどうなる、という話。
東日本大震災の10年後、生きてる時に言えなかった、できなかった事を、幽霊同士で語り合う物語?
生存してるのはみずきだけだよね?
ミステリーかと思えば、幽霊物語でした。
ま、短いし、こういうのも目新しいから、悪くなかったけど。
「深夜のタクシーが乗せたのは3人の乗客と秘密」
というキャッチコピーと、東日本大震災関連のストーリーらしい、という情報以外の予備知識なしで観に行きました。
単館系の自主製作映画で、東京の映画館でも上映終了しているタイミングにも関わらず、近所の映画館でまだ演っていて、観られてラッキーでした! 50分台の短い映画ですが、見応え十分の良作だと思います。見逃した方は、きっと何処かでリバイバル上映がある気がするので、セカンドチャンスに是非どうぞ。
正直、「カメ止め」や「侍タイムスリッパー」のようなとても良くできた痛快娯楽作ではないですが、作者の描きたいメッセージや、そこに行き着くための多少のヒネリを含んだストーリー展開はしっかりしていると思いました。あまり予備知識を入れずに、映画館のスクリーンで素直に物語に向き合い、何を感じるか、にフォーカスすれば、この映画の価値が感じられると思います。
自分は震災発生時、仙台に住んでいてある意味当事者ではあるのですが、幸い身近な誰かを亡くすような経験はしていないので、たまに「あの時はさー」という感じで軽く口に出したりすることもあります。しかし、本当につらい思いをして心にトラウマ(傷)を抱えてしまった人にとっては、思い出すこと自体が容易ではないでしょう。
「よく『あの日を忘れない』とか、簡単に言うけど、こっちは忘れたくても忘れられないんだよ!」とか、「誰かを亡くしたことをできることなら忘れたいけど、その人自体や想い出を忘れたい訳じゃないんだよ」とか、色々な気持ちやケースがあることでしょう。
作者が描いたのは、「災害」やその後の人生に対する想いや気持ちのカタチは様々あり、時期や人、立場によってそれぞれ違うけど、そういった当事者の気持を想像してみたり、それと向き合い、折り合いをつけていく過程を描いた一つの物語。この寓話的ストーリーは、そういった想いを巡らすための入口、一つのキッカケを提供するモノとして作られたのだろうと思いました。
やっと観れた。
自分が亡くなったことに気づかないと、次に進めない…とても、悲しいストーリーだった。
かといって、救われない訳ではない。
赤川次郎の小説『午前0時のわすれもの』が原作の、大林宣彦監督作品『あした』を知っていると、より楽しめると思います。
また、東日本大震災の年に開催された、文化放送のお祭り「浜祭」で、大竹まことさんが、涙ながらに語った、被災地から会いに来てくれたリスナーのエピソードを思い出し、じぃーんとしてしまいました。
仙台の海沿いの町。タクシー運転手と乗客…のように見える、数名の物語...
特別な日
不思議なファンタジー
予告で見て気になったのと、なぜかこの作品、劇場のクーポンの割引対象外で「定価で見せるほどそんなに面白いの?クソつまらなかったらただじゃおかねーぞ!」って感じで見に行きましたが個人的には短編の割に見終わった後にそれなりの満足感がある作品でした。
ま、ネタバレ的なところはセリフを思い返していくとすぐわかってしまう感じではありましたが、視点や角度を変えるといろんな見方ができて、あの世界は娘が見てた夢なのか、娘が父に会いに行ったのか、実は父が娘に会いに行ったのか、父が娘を「まだ死ぬには早い!」と助けに来たのか、娘以外は実は全員わかった上であの世界線を娘のために演じたのか、そんな感じに見終わったあとにいろいろと考察を膨らますことができます。
それと娘が震災のことを忘れたいのに世間は「あの日を忘れない」とか言って、私はもう忘れたいのに私はあの日を特別の日になんかしないと言っていたところは、なるほど、被災者の家族にはそういう思いの人たちもいるんだよなということを気づかされました。
よく言いがちなあの日を忘れない、復興復興!は、もちろん大事なのだけどそればかりではない違う視点から見た寄り添いや思いやり方があるのだなと思いました。
あとは死んだ後の死後の世界とかあるのかは死んだことがないためわからないため、まあ、死んでしまったらやっぱりもうその人には会えないわけで。
自分は年齢的にもまだ近しい人が亡くなったりしてないし親も亡くなっていない。けど、今後そういった近い人が亡くなるとやはりあの時こう言っておけばよかったとか、そういうことを思う日がくるかもしれない。だからやっぱり近しい人とは何気ない話も感謝の気持ちもちゃんと言葉にして伝えておかなくちゃいけないかな、なんてそんなことを思った。
そして何よりびっくりしたのは川崎麻世に似てる主役のお父さん何か見たことあると思ったら、今話題のあの作品の方でしたね!ちょうどあちらの作品を見たばかりだったので「あー!」ってなりました(笑)
とりあえず大きなどんでん返しがあるわけではなく、自分的には泣ける感じもなかったです。あまり期待もしていなかったので。
でもなんだかなぜか不思議と悪くはない作品だよなと思いました。
タイトルの意味が明らかになる終盤で「えっ?」と意表を衝かれながら...
久しぶりに映画を観て涙しました🥲
「不思議な」ドキュメンタリー見ているよう
ミステリー仕立てではあるが、冒頭の描写をみただけでどんな映画か分かってしまうし、展開もベタだが、バスの停まらないバス停、いなくなった人たちに送る手紙を投函するポスト、犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑、「あれ」の遺構があちらこちらに残るその場所で展開されるドラマは、まだ終わらないあの日のドキュメンタリーを見ているような感覚になる。
母子が必死で「ハママツ」までいってくれるタクシーを探して遠藤と出会うシーンは、迫りくる危険に、切羽詰まった尋常でない緊迫感がものすごく現実味がありました。
あの母子や遠藤のような人たちは実際まだまだいて、自覚がないまま彷徨っているのだろうと思った。
娘があのポストに投函した封筒が父のタクシーに届けられて、「ちゃんと届くんだ」と感慨深いものがあった。
遠藤は実は母子をハママツに連れて行かず、安全なところに行こうとしていたことが分かり、亡くなったのは母子のせいでなかったのがせめてもの救い。
映画としてみれば、もういくつかひねりがあればよかったと思うが、13年経過したあの場所と、そこにいたひとたちの不思議な記録と思うところが大きくて、13年後の「今」を遺せたことで良いような気になりました。
エンドタイトルの、ぼろぼろで滲みだらけの、平和で幸せな写真の数々。
いろんな感情が湧いてきて胸がいっぱいでした。
悲しみに満ちた小品
鑑賞動機:『侍タイムスリッパー』での好演が記憶に新しい冨家ノリマサ氏9割、何かあるらしい1割。
最初「ハママツ」と聞こえてしまい、そんな長距離乗せるの?と思ったのは秘密だ。「ハママチ」ね。
侍の面影は微塵も無い普通のおっちゃん冨家さんだが、すんなり入る。仕掛けはあくまでもストーリーを引き立てるためのものとして、機能していた。タイトルは途中で回収されるけれど、最後まで観るとまた違う意図も見えるような気がする。
泣く理由は?
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