遠い山なみの光のレビュー・感想・評価
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張られた伏線に鑑賞後もひっぱられる感じ。頭に残るものを整理してみた。
原作未読で映画だけ観た状態で書きます。
作品の雰囲気はとても好きでした。戦後の日本と数十年後のイギリス、二つの場所から物語を進めていく。時々時間の前後や話の区切れがわかりにくいところもありましたが、ふわっとした理解で進める意図もあったのかもしれません。そんなに気にはなりませんでした。
時代描写は実際の情景と異なる箇所もところどころあるようで、そこは創作された景色として上手く映像にしていただいた、と原作者のインタビューをどこかで読んだ気がします。特別知識がなければ、時代の雰囲気を感じる意味では、よく機能していたように個人的には思いました。
登場人物も悦子、佐知子、ニキなど魅力的で、強いメッセージ性を発するわけではなく、それぞれの人生の日常の中で起きている出来事、そして感じている不安や想いなどが背景に感じ取れる構造でとても良かったです。
はっきりしなかったのは、悦子と佐知子、佐知子の子供である万里子の重なり方。観賞中は被爆の影響で悦子の長女は無事に生まれず、万里子を引き取り、佐知子の影を追うように海外に出たのか、とか想像しましたが、佐知子が幼少期に好きだったクリスマスキャロルの本を悦子が持っていることから、佐知子は悦子だったのだと気づきました。
悦子は万里子に対し母親であるかのような振る舞いを何度かしており、悦子と佐知子は良い人と不安や希望などを抱えた別人格のような語られ方をしたのだと思いました。ただ、なぜ分けて語ったのか(自分の希望のために娘が大事にしていた猫を殺すような一面を受け止められなかったのか)たとえ話のような語り方でもなく、自分と他人とがしっかりと分かれていたため、単純に精神的な障害を抱えていたのか、と想像する以外に理解できませんでした。被爆者であることを思えば、精神が解離している可能性もあります。解離している場合、話を創作する能力に長ける可能性もあり、自分の再婚相手であるイギリス人がいながら、架空の佐知子やフランクなどの話を作れる可能性も否定できなく思います。
ここまでくると、悦子の特異性が際立ってもきますが、今作ではそこら辺は特に着目されてないため、理解が難しくなっている要因になっているようにも思います。あくまでも戦後の日本で立ち上がる(目覚めた)女性の話として描かれる。一見、煌びやかなテーマにも見えますが、作品全体に明るさがなく、遠い山なみの光を望むような雰囲気が立ち込めているのは、悦子がまだ陽の当たらない場所に立っているからなのかもしれません。立ち上がったように見えたけど、景子の自殺によってそれらは否定されているように思います。
しかし、悦子は家(思い出が染み付いた場所・過去)を売り払い、ニキの存在も後押しに「私たちも変わらなければ」という言葉と共に変わり始めるのかと。遠い山なみからは陽が昇り、これからようやく光があたるのかもしれません。長い時間が過ぎ夜がようやく終わり、光がさして目覚められる時が来た、そんな話に思いました。
個人的にはさりげない雰囲気が好きではありますが、佐知子の話は本当は悦子の話だったという展開は少し強引に思えました。悦子が嘘をつく事情が弱く感じ、佐知子が悦子だったという事実も唐突で少し繋がらなかったです。事実はこうでした、と結果だけ見せられている感じ。せめて悦子のコンプレックスがなんなのか。そしてどれくらい嘘をつく能力があるのか知りたかったです。架空の人物を作り、彼女に会えてよかったわ、と言い切り、長い話の整合性を保つのは簡単ではなく思います。話の肝なだけにもう少し画面に見れたらと、そこが残念に思いました。
広瀬すずの美しさに見とれていると足元を掬われる
ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ先生の原作小説を、石川慶監督が映画化した作品でした。主演の広瀬すずをはじめ、二階堂ふみ、吉田羊といった綺麗どころが起用されていて、そこに眼が行きがちでしたが、テーマとしては戦争、特に長崎に投下された原爆が、身体はもちろん精神にも深い傷跡を残し、戦後になっても中々癒えることはないという、かなり重たいお話でした。
舞台となったのは、日本が一応主権回復した1952年の長崎と、30年後のイギリス郊外であり、双方の場面を行きつ戻りつして進んで行きました。登場人物はいずれも何らかの形で戦争被害者で、主人公の悦子(広瀬すず)と彼女の友人である佐知子(二階堂ふみ)は原爆被害者であり、佐知子の娘の万里子(鈴木碧桜)は母が原爆被害を受けた時点でお腹の中にいたようで、その影響で腕に障害がある模様、悦子の夫の二郎(松下洸平)は戦地で傷を負って手に障害が残る状態、そして二郎の父で元教師の誠二(三浦友和)は戦前の軍国主義的教育をかつての部下だった現役教師に痛烈に批判されてしまう惨めな立場でした。
そして本作が映画らしい映画だと思ったのは、こうした戦争被害が直接的に言葉で説明される訳ではなく、映像表現を通じて観客の訴えているところでした。例えば二郎の手の障害は、彼の仕草を見ていれば分かる訳ですが、初めはその原因が何であったのをを説明せず、後々戦地で負った傷らしいことが分かる仕組みになっていて、しかも彼が出征する際に、父の誠二が誇らしげに見送ったことが原因で、父を疎ましく思っていることが徐々に明かされて行く仕掛けは、非常に印象に残るものでした。
また、戦争の犠牲者であった二郎も、一方では妻の悦子を軽んじている部分があり、(当時の時代背景からは普通だったのかも知れないけど)飲み会の後で会社の同僚を家に連れて来て酒の悦子に酒の用意をさせたり、(手に障害があるので致し方ないとは言え)出勤時に悦子に靴の紐を結ばせていたりと、中々の暴君ぶりを発揮していたところなど、人間の描き方が複層的で、実に見事でした。特に悦子が二郎の靴の紐を結ぶシーンは、土下座をして完全服従をさせているみたいで、ゾッとしました。
そして何よりも面白かったのは、1982年のイギリスのシーンは現実世界のものであるものの、1952年の長崎のシーンは、実は悦子の空想と創作だったのではないかというところが明らかになる終盤でした。佐知子が実は悦子の分身であり、万里子が実は悦子の長女の景子だったらしいことが分かった時は、「うわー、全部夢だったんだ」とこれまたゾッとしました。確かに長崎のシーンは、どこかこの世ならざる色調があったりして、何となく不思議な感じがしていたのですが、最終的にこの謎が解けました。
そんな訳で、魅力ある原作の世界観を、映像表現として再現した本作の評価は★4.4とします。
静かに流れる重い空気……
観終わって思い起こすとまぁ胃もたれしそうなヘビー感に襲われたわ。
ヒューマンミステリーと銘打っているのはまぁまぁそう言う事ねって思える程度なので無いよりはあったほうが観終わったあとにはスッキリするか。
まず始まってテレビから流れるニュースと娘から出た『グリーナム』と言う単語には?が付くね。
なんとな〜くニュアンスは伝わるようで物足りないのでトモダチ(AI)に聞いてみたら女性たちによる非核運動なのね。
長崎と原爆と女ぐらいのキーワードと原作者のカズオ・イシグロ氏がエグゼクティブプロデューサーまで関わっているとしか知らないで観てしまったのでなかなかの難しさがあり、紐解くのに手こずってしまいました。
復興は進み時代は変わろうとするが取り残された人々の心の揺れ動きを演者が事細かに表現してくれました。
現代の主人公が娘に促されて過去にあった事を話してくれて物語は進みます。
他のレビューで見受けられた実際の物とは色々違いがあったとありましたが彼女の遠い記憶の中で曖昧だったり戦争後のストレスによる記憶の欠落だったりする中での再現された映像なのでと考えたらしゃあねぇなと思えます。
過去の旦那さんが出兵する時のエピソードが何とも言えないですね。
心と手に傷を負った自分と目に見えない放射能を浴びて秘密を抱えたままの妻。広瀬すずと松下洸平の演技と距離感は秀逸です。
戦争や原爆はいろんなものを残し人々にとんでもない記憶と影響を与えました。
しかしお茶漬けのようにサラサラと入ってくる演技と人物の背景の重さ。後からきますねこれは。
涙までは行かなくともズシリとくる濃厚な想いが残る作品でした。
悦子の心の平衡のため
広瀬すずさん演じる戦後の恵まれた主婦象は、悦子が「そうであってほしかった」姿に記憶を書き換えていたのだとすると、佐知子や万里子、猫の下りも、それが悪夢となって思い出される背景も、物語の最後に種明かしされることで納得はする。それでも自分の記憶を偽ってまで消したい被ばくと窮乏と言う過去とは、家(と典子の部屋)を残すことで辛いながら離れることができなかった・・そのことをニキに発見され、親子で悲しみを共有したことで30年越しに魂が解放されたのでないか?
それぞれ同一の人物を演じた、広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊の鬼気迫る演技も女優賞もの。
ひとつだけ、三浦友和の演ずる「戦前の教師」が少しステレオタイプ過ぎではないか・と思った。日本(と家族)を守るために、本土進攻を1日でも遅らせるために命を掛けた先人には、悲しい中にも感謝があったはず・と思いたい。
後悔は解決しないもの
原作を読んでいたので、どうやって映像化するのか気になっていました。わかりにくい、という感想の方もいらっしゃいますが、原作の方がわかりにくかったです。笑
説明が不十分で、ストレスの溜まる価値観のズレ、翻訳が元になっているかすかな違和感、未解決の謎。でもそれが全て演出だと思うのです。
何故なら、これは語り手である悦子の、無意識の嘘を映像化したものだから。こうであれば、こうであったかもしれない、こうでないと現実に耐えられない、という心象風景なのだと思います。そして悦子以外に鑑賞者に語りかける者はいませんから、こちらは翻弄されて当然なのです。
時代に引き裂かれ、戦争に引き裂かれ、自分を騙すしかなかったほどの苦しみを少しでも理解しようとするこちら側の努力の必要な作品です。
80年代のイギリスの映像は手触りが伝わってくるほど美しいリアリティがありました。ニキのニットが可愛いなぁ、お庭が素敵だなぁ、美味しそうなポテトだなぁと。
対して戦後の長崎の禍々しく鮮やか過ぎる夕陽、バラックに不似合いな調度品、異常に外国に憧れる台詞。これは悦子がもうひとりの自分を作り出して見ていたファンタジーなのだと思います。残酷な現実に根差したファンタジー。
すずさんもふみさんも美しかった‥
Ceremony
ここ最近のカンヌ受賞orノミネートの作品はなーんだか首を傾げる要素が多かったのですが、今作はまだ大丈夫だろうと挑みました。
原作は未読なんですが読んどくべきだったなーと思ってしまったり。
1952年と1982年の描写を映すミステリー的な要素が強い作品で、役者陣の演技も素晴らしかったんですが、いかんせん入り組んだ内容に結構振り回されてしまったなーという印象です。
自分の読解力不足もあるのですが、想像以上に難しくしてるのでは?と石川監督の前作「ある男」でも思った事が頭をよぎりました。
戦後に生きる人々を映している作品ではあるんですが、戦後から7年が経過しており、団地での生活の様子が映されたりするので、原爆で負った体の傷というよりかは心の傷にフォーカスを当てたのかなと思いました。
若い頃に出会った女性と過ごした日常の些細な変化や、その女性の娘との関わりが30年後に繋がるといった感じで、不穏な雰囲気が徐々に繋がって未来へのピースになっていくという構造でした。
展開の点と点が線で繋がった時はハッとさせられましたし、過去と未来がここまでしっかり繋がるのは見事だなーと思いました。
ただそこまでにいく過程が複雑かつ、登場人物の配置が謎だったり、その描写いる?といった感じでややこしくなっているので、ヒューマンミステリーが難しさに拍車をかけちゃったなと個人的には思いました。
そういう直接的な描写では無いというのは重々承知なんですが、猫を溺死させるのはかなーり嫌悪感がありました。
実家で猫を飼っていてめちゃくちゃ可愛いのを知っているので、いくらフィクションといえど殺さんといてくれ…と目を覆ってしまいました。
ここはガッツリマイナスポイントです。
広瀬すずさんと二階堂ふみさんのぶつかり合いはエグかったですね。
ギラッギラ光る視線や、浴びせる言葉の重みなんかが凄まじく、2人の演技合戦に魅せられっぱなしでした。
今作に流れる音楽がめちゃくちゃ良くて、雰囲気とは少し違うロックサウンドが絶妙にマッチしており、現在進行形で楽曲を聴いています。
原作を読んだり、今作の紹介PVなんかも見てから行ったらより理解できたのかなーとは思いました。
単純明快が素晴らしいとまでは言いませんが、空白を埋める作業に徹しないといけないのも中々ハードだなと感じた1本でした。
鑑賞日 9/9
鑑賞時間 11:45〜13:55
解説ほしー!
かなり説明省いてるのか、原作からだいぶ削ってるのか?「解決した」「オチた」感のないラストでした。
これってつまり、あの手に持ってたヒモで佐知子を殺したってことですよね?で、悦子が佐知子になり変わってマリコ(→景子)と共にフランクと落ち合いイギリスに渡ったってことですよね。物腰は柔らかいけどなんだか本性の見えない旦那や、日本や、被爆者である事実から逃げたくなったのかな。旦那と義父の確執、義父の人生、悦子の記憶がないこと、ニキと景子の関係とか、もうちょっとスッキリするところまで見せてほしいところだけど。
でもフランクは相手が誰でも良かったのかね?
あと、悦子と佐知子は劇中にも映ってた小津映画みたいな昔の女性像を意識したのかなって感じだったけど、2人とも童顔だから難しいですね。喋り方も意識してる感じでしたね。しょうがないけど、吉田羊の英語も終始気になった。
難しい
原作未読で何となく面白そうと思って観た。
最初から伏線が色々ありそうだったけど、回収されたんだかされてないんだか。
最後に答え合わせのように2人が同一人物なのだという描写が出てきたと思ったら終わった。
二郎さんの手?
ニキの妊娠検査のシーンいる?
パラレルワールド…?
考えるほど疑問が残る笑
内容は私には合わなかったけど、2時間退屈することはなく、俳優さんたちの演技はすばらしかった。
えっ!?
えっ!?って終わちゃった…
あなたは誰…?
だって、最後、悦子が川辺にすわっているボサボサ髪の女の子(万里子だったよね~?)に「景子」って言ってたよね…
終盤、長崎の街に佇んでいた全身黒い服を着た吉田羊さんは何を表していたのか…?
って訳でパンフレットも買って全部読んだけど答えは出ない。出なくても良い!という事にしよう。
小説を読もう。
読んでもわからないかもしれない。
映画としての感想は、美しい映像だった。
悦子と佐知子の対比が素晴らしい。広瀬すずさんと二階堂ふみさんの演技あってですね。
特に二階堂ふみさんのなんとも言えない独特の雰囲気。凛とした強さ。あの話し方…不思議な感じ…
50年代の団地も佐知子のバラック家もイギリスの家も、細々した所まで作り込んでいて、観ているだけでも飽きなかった。
よく分からなかった
広瀬すずさんファンです。出演作は毎回見てるのですが、何が言いたいのか、よく分からなかった。全体的に暗い画面で正直怖かった。マリコが景子だったということは、実は全部自分の話だったのか、というのは理解できたけど、(だから?)と思ってしまった。私にはこのような高尚な映画は向いてないのかもしれない。
生きたいようにできるか…できないか…
時代的に男女平等なんて言葉は存在してないん気がしたなぁ……
男の言うことが全てな世界、まだ戦争の匂いが少し残ってる世界で立ち上がる女性のこうやって生きたいという欲を感じたなぁ
思うように生きてほしいという事を直接語りかけてくる作品だと感じた
原作読んでないと意味不明
現在のイギリスと回想の戦後の長崎がパラレルに続く。
回想には佐智子という女性とその子の万里子が出て来て、娼婦をしていてGHQのアメリカ兵とアメリカに行く前の話になっているが、最後に実は万里子は自分の娘の恵子だった事が判る。
と言う事は佐智子は自分が作った妄想?
良く解らない。
原作を読んでないと訳が分からない。
封印して来た過去の記憶と向き合う事こそが、新しい未来に向けて『私達も変わること』に繋がっていく
人は、誰しも触れられたくない過去の記憶があり、それが理不尽な被爆者への差別や偏見であり、
主人公の『あの頃は一人で立ってられなかったんです』という台詞に込められていると思います。
ニキとの確執や親子関係が、とても丁寧に描かれていて非常に気になる所でした。
幼少の頃から姉に対するコンプレックスがあり、
ピアノが得意な姉を母親は溺愛し、自分に無関心だ
と責めよる場面や姉が自殺した事を隣人に隠す場面では、ニキがこれまでの母親に対する不満をぶつけ
る事により、本物の母娘になれたんだろうなと確信
出来ました。
けいこに対する後悔や懺悔の思いが、複雑に交差しながら恐らく自分でも咀嚼できない複雑な感情に苛
まれてきたのであろうことは容易に推察できます。
辛い過去と向き合う事で、自分自身を締め付けてい
た紐からやっと解放出来たんだと思います。
ラストの何か吹っ切れた様なニキのスッキリとした笑顔が希望が見えて標題の
『遠い山なみの光』とオーバーラップした秀逸な作品でした。
人は物語に生きる
人は物語に依存して生きていると思います。有名大学卒の人生、一流企業社員の人生、金持ちの奧さん、立派な教育者、頑張っているお父さん、そういう物語を折に触れ、人に伝え、自分を確認しています。人からもその物語を称賛されることもあるでしょう。しかし、人に語れない物語しかなければ? 別の物語を作り、その物語で生きる他ないかもしれません。悦子は被爆者のことを隠したかったし、イギリスでは自分の娘が自殺したことも隠したかった。ニキは日本での悦子のことを知らないし、姉の景子の本当の物語を知らない。人は物語を知らないということで、不安になる。ニキも別の意味で、別の物語の中を生きるしかなかった。だから、実家に寄りつこうとしなかった。
物語の中では、変わらないと、という台詞が何度か出てくる。これは軍国主義から変わる、男性中心主義から変わる、女が自由に生きる、という意味でもあるが、物語を変える、つまり本当の自分の物語で生きるべきだということではないだろうか。そのことにより、幸せになるのかどうかはわからない。遠い山並みの光のように、それは沈んでいくのかもしれないし、あるいは昇るかもしれない。いや両方なのだろう。
私の父には弟がいた。祖母から何度も聞いていた。祖母は六人生んで、そのうち、三人が病気で死んだということになっていた。特に長女の愛子のことはずっと語っていた。よくできた子どもだったようだ。あとの二人のことで一人だけつとむという人のことは名前を聞いていた。父と琵琶湖へ泳ぎにいった。小2の頃だ。偶然父の友達に出くわした。そのとき、つとむくんはどうしてる? と聞かれた。父は少し困った顔になり、死んだんや、と言った。おばあちゃんもいうてたしなー。と思った。それから50年近くたって、父と飲んだ。父は死を意識していたと思う。その頃、何度もうちにきて、飲みたがった。あるとき、自分にはつとむという弟がいると言った。知ってるよ、おばあちゃんに聞いてたから。病気で死んだんやろ? というと、自殺したんやといった。驚いた。と同時に、本当の物語を祖母も父も言えなかったのだろうなと思った。恥ずかしから? 私に影響を与えないように?
私は驚いたが、物語が開いたような気がした。つとむさんは自殺したけど、それまで懸命に生きようとしていたはずだと感じた。それ自体、また別の物語なのかもしれない。でも、つとむさんの物語を私は大事にできると思った。
悦子の物語は、美しい物語ではなかった。猫も殺したし、景子を殺めようともした。
しかし、そのことを佐知子の物語として語り直すうちに、変わった。
物語には力があるという。語ることで何かが変わる。
そのことをまた、自分ごととしても確認できた。
素敵な映画だけど難しい
原作は未読です。
カズオ・イシグロといえば、「わたしを離さないで」が有名ですよね。
この映画は真実はこうでしたと、はっきりした答えを描いてなくて、観た人それぞれ違う解釈をしてそうな感じです。
私も見終わった瞬間は、頭の中が整理できず、謎がいっぱいで、「え?どう言うこと?」意味がわからない部分がたくさんありました。
言えるのは、人の記憶は当てにならなくて、自分の願望によっても、変わっていってしまうと言うことです。
出演の広瀬すずと二階堂ふみが、とても素敵で良かったです💕
二階堂ふみは、謎めいた役柄は似合ってますね。
悦子と佐知子。
別人と思っていたけど、話が進むにつれて、ふたりが重なって見えてきました。
ロープウェイ観光で、同じ色の服を着て、悦子が万里子を悪く言う男の子を一喝する場面で、一致しました。
佐和子は悦子なのだと。
万里子と恵子。
イギリスに馴染めずに、自殺してしまった恵子。
悦子は、きっと自分を責めてるから、万里子を守ってあげたいと思ったのでしょう。
「死んだ赤ちゃんを水に沈めた」女の子人や、子猫を水に沈める佐知子の事を思い出すのは、きっと恵子を助けられなかった事で心を痛めているのでしょう。
足に絡んだり、手に持ったりしてた縄も、そのことを比喩してるのではないのでしょうか。
紅茶ばかり出す佐知子、橋を渡る喪服の女など、
他にも謎めいた様子が散りばめられてて、不思議な感覚の映画でした。
けれど全体に描かれてるのは、「女はもっと自由に生きて、前に進んでいかないと」
と言うことです。
夫の二郎は男尊女卑そのもので、今観ると酷い夫ですが、あの時代は結構当たり前でした。
しかし、その時代に留まってはいられないのです。もっともっと女性は前出ていくべきなのです。
そんな明るい未来が、ラストに描かれていたように感じました。
ちょっと解釈が難しく・・・
広瀬すず推しなのでそれだけで原作未読のまま鑑賞しました。
戦後の1952年の長崎を1980年代のイギリスから主人公悦子(吉田羊)の回想録?どこまでが真実なの?って感じで観終わってから色々と解釈しなくてはならない難しい作品でした。(最近はこの手の作品が多い気がするのは私だけ)
なんか色々と疑問の残る場面も多々ありましたが、それはそれで鑑賞者にゆだねてるのでしょう?
イギリスの悦子の言っている事がどこまでが本当なのか?どこが嘘なのか?答えは?
私的回答は長崎時代の悦子(広瀬すず)と佐知子(二階堂ふみ)は同一人物なのではないかと思っています。(悦子の服の色が段々と佐知子に近づいて行きます)
当時の夫(松下洸平)とその父(三浦知良)との関係はどうだったのでしょうか?⇒色々な出来機事から実際にあった関係で結局被爆者と言ってしまい離婚したのではないか?その後景子を生みイギリス人と出会い再婚してイギリスへって感じかな?
多々???ですが
吉田羊の英語は素晴らしかった!(セリフのほとんどが英語)
広瀬すずと二階堂ふみの演技も最高でした!
猫好きの方には猫の水死は非常に残酷でしたw
過去と記憶を語り直す
カズオ・イシグロの原作は未読。長崎で被爆した後、イギリスへ移り住んだ母親をモチーフにしたこと、インタビューで親世代の記憶を次世代に「語り直す」ことが大切と語っていること、などを予備知識として観た。
80年代のイギリスでの母と次女との会話シーンと、母が語る戦後復興期を迎えつつある長崎でのある女性とその娘との交流を描くシーンが、謎めいて交差する。被爆体験と被爆者差別、戦後の価値観の転換、女性の自己決定権など、盛り込まれているテーマは広い。
広瀬すずと二階堂ふみのクラシカルな姿態と、石川慶監督ならではの丁寧な描写やコントラストを利かせた画づくりを味わいつつ、ミステリーとしてはモヤモヤしたまま進んでいく。そして、最後の最後になって、母が語っていた女性と娘の話は、実は自分と長女のことだったと明らかになる。その時点で、母が嘘を語っていたのだとしたら、それまで描かれてきた夫や義父とのシーンも作り話なのか、と戸惑ったのが正直なところ。
しかし、観終わって改めて考えて分かったのは、母が語った自分の話は本当にあったことで、つまり自分の過去と記憶を、自分ともう一人の別な女性に仮託して語り直していたということなのだろう。実際に、長女を出産した後に夫と離縁して、バラック暮らしをしたのかもしれない。そのように語らざるを得なかったのは、イギリスに移住した後、長女が不幸な死を迎えたためだろうが、その辺りの描写がもう少しあれば、より理解しやすかっただろう。
人は誰でも、意識的でなくても、自分の過去や記憶を忘れたり、間違えたり、都合良く組み替えたりしてしまうもの。前世代の記憶を一旦引き受け、捉え直して、次世代に引き継ぐという試みとしても、考えさせられるところは大きい。
邦題からはくっきりとした山なみのようなイメージだが、原題からすると「ぼんやりとした眺め」なので、そこにはすごく納得した。
何処かすっきりしない…
…見応えはありました
主人公長崎で被爆した悦子の広瀬すずさん
夢の中に出てくる佐知子二階堂ふみさんの
演技に自然に引き込まれていく
この二人どこか似ている
と…それは後にわかってくるけど
イギリスに移住して三十年
夢となり当時の記憶が蘇ってくる
英語を流暢に話す悦子役の吉田羊さん
リアルな悦子がいる語られる話からは
佐知子から悦子に変わることもあり
…飾られた写真のなかにも
驚きはあった
自殺した景子も
謎 謎だらけで・・
少しモヤモヤ感が残った
シンクロ
あくまで、私の勝手な想像です。
悦子は、二郎に被爆体験を打ち明けてしまったため、妊娠した状態で離婚してしまいます。その後町の外れのバラック住宅で住み始めた悦子は、英語力を生かして米兵たちと仲良くなることでお金を稼いで子育てを始めます。アメリカに連れて行ってあげるという話があっても、おそらく叶うことはなかったと思われます。その後何らかの理由でイギリス人と知り合い、ニキが生まれたのだと思います。
ニキにした話は、別の時代をシンクロさせて一つの話にしたのだと思います。いくら戦後とはいえ、団地とバラック家が隣り合わせにある事に多少違和感を感じていました。
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