遠い山なみの光のレビュー・感想・評価
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評価が 難しいわい。(;´・ω・)
おかしいなと思ったのは 子供が行方不明なのに
探しに行ったのは 妊婦だけ ┐(´ー`)┌
おっさん達 酒を飲んでる場合でわないだしょ。(゙ `-´)/
とにかく 推しの二大女優の 美顔が 大スクリーンで
見ることができたので 幸せ💛でした。
考えさせられる ストーリーでした。
やはり終幕の展開の唐突感につきます。
ノーベル賞作家カズオーイシグロの長編デビュー作が、40年以上の時を経て日本・イギリス・ポーランドの3カ国合作による国際共同製作で映画化。5歳で渡英し、その後、英国籍を取得したイシグロが生まれ故郷の長崎を描いた物語です。行間に多くの謎を残す原作の雰囲気はそのままに、独自の解釈で現代にも通じるテーマを引き出した石川慶監督の手腕にうならされた。広瀬すずが主演を務めました。
●ストーリー
1980年代、イギリス。日本人の母とイギリス人の父の間に生まれロンドンで暮らすニキ(カミラ・アイコ)は、大学を中退し、ライターをこなしながら作家を目指していました。 ある日、彼女は戦後長崎から渡英してきた母・悦子(吉田羊)の半生を作品にしたいと考え、異父姉が亡くなって以来疎遠になっていた実家を訪ねます。そこでは夫と長女を亡くした悦子が、思い出の詰まった家にひとり暮らしていました。
かつて長崎で原爆を経験した悦子は戦後イギリスに渡りましたが、ニキは母の過去について聞いたことがありませんでした。悦子はニキと数日間を一緒に過ごすなかで、近頃よく見るという夢の内容を語りはじめます。それは戦後間もない30年前、妊娠中だった若き日の悦子(広瀬すず)が、渡英前に暮らしていた戦後復興期の活気溢れる長崎で知り合った奔放で謎めいた女性・佐知子(二階堂ふみ)とその娘の万里子(鈴木奢桜)の夢だったのです。そして米兵の恋人と渡米する予定という佐知子に、悦子は憧れを抱くようになったというのです。
初めて聞く母の話に心揺さぶられるニキ。しかし、何かがおかしいのです。彼女は悦子の語る物語に秘められた<嘘>に気付き始め、やがて思いがけない真実にたどり着きます─。
●解説
物語は、悦子が二郎と離婚した後に英国人夫との間にもうけた次女・ニキに半生を語る形で進んでいきます。もうすぐ売りに出す家での2人のやりとりと回想が繰り返される中、長女・景子の自死が明らかになるのです。悦子の回想には曖昧な記憶や夢も混ざり始め、物語はミステリーの色が濃くなっていきます。
ポイントは、30年前、悦子が佐知子という女性と出会ったこと。夫(松下洸平)と団地暮らしの悦子と、幼い娘とバラックに住みつき、アメリカ兵と交際し、アメリカ移住を計画している佐知子。戦後日本女性の明暗を体現するような2人でしたが、長崎での被爆経験や国際結婚など、お互いの人生はどこか似かよっていたことが、本作を包む謎に対する大きな伏線となっていました。
小さな世界を徹底的に見つめ、大きな歴史を描き出す。原作者のカズオ・イシグロはその手法を徹底させることを常としてきましたが、そのため映像化の難しい語りの仕掛けも凝らされています。悦子は単に過去を回想しているわけではないのです。そこには自殺した長女の景子、そして原爆の悲劇が影を落とします。共有困難な罪の意識は、「愚行録」で長編デビューした監督石川慶の追い求める主題でもありました。
●サブストーリーとして世代間の対立が描かれる
本作の物語のなかでは、義父緒方(三浦友和)の存在が異彩を放っています。軍国主義の信奉者である元小学校校長が、教え子で、戦後の新思想に感化された教諭松田(渡辺大知)を訪れ、松田が教育雑誌に書いた自分への非難の真意を糾明します。
次第に激していく2人の男性の立ち話を通して、世代間の対立が浮き彫りとなるのです。短い出演ながら、時代に取り残される人物の複雑な機微を、三浦が見事に演じています。それと同時に、対立と葛藤に基づく男性たちが、連帯を基調とする女性だちと対を成していることにも気づかされることでしょう。
ここで対立の原因となるのは日本の敗戦と長崎の原爆投下。しかし歴史小説ではありません。この人類史的事件を物語の境界線の向こうに置いたまま、特別に言及はしていないことが本作の特徴です。この状況を主人公がどのように生き抜いたのか、魂の輪郭を見せるだけでした。そして心身に前時代の遺恨を持ちながら時代の転換に直面した人々の葛藤が浮き彫りになったのです。
●ストーリーの問題点
ネタバレになるのでズバリ指摘できませんが、もし本作にも登場する子猫が、突然なんの説明もなく、別なシーンで子犬に変わっていたら、観客はすごい違和感を作品全体に感じてしまうことでしょう。それが本作が抱える原作ストーリー上の問題点なのです。
イシグロの小説に特徴的な記憶の曖昧さは、本作では中心的な主題です。イシグロの小説で欠かせないのが、主人公にかかわる事実を歪曲する登場人物たちの存在です。このような人物が登場するのは、単純に登場人物の過去を描くのではなく、登場人物の視線から、彼らが理解している過去を見せるためなのです。
語り得ない何かを語ることは困難がつきまといます。それは現実から離れて、夢の不条理に接近せざるをえません。1人の女性が3人に分裂するロバート・アルトマンの「三人の女」のように、本作も、吉田から広瀬、広瀬から二階堂へと分裂する女性のドラマともいえます。
映像化にあたって、1980年代のイギリスと戦後間もない長崎と、二つの時代をきちんと作り込んで対比させたことで、物語の現在性は際立ちました。一方でその明瞭さが、終幕の展開に唐突感を抱かせることにもなったのです。
注意してみてほしいところは、原作の翻訳にはないリアルな長崎弁を話す悦子と、往年の映画女優のような語り口の佐知子。ふたりのやりとりにわずかに生じる違和感の正体が、明らかになっていくことです。
原作では、悦子と佐知子、そして悦子の長女と万里子に隠された秘密が暗示されますが、悦子がどこまで過去を隠しているのか、あるいは再構成しているかの判断は、読者に委ねられているのです。その記述は、主観的に過去を回想する主体の分離と統合によって、読者を混乱させかねないところがありました。
石川監督は映画化にあたり、本作の抱える矛盾点をいかに軟着陸させるか、苦心の跡が垣間見られます。
さらに原爆投下当時の恐怖と人々に残された傷、被爆者に対する差別などの社会派的要素を織り交ぜながら、全くぎこちなさを感じさせないのだ。「愚行録」などでも目にした石川監督の得意技だといえるでしょう。
それでも個人的には、終幕の展開の唐突感は克服できませんでした。
●監督・出演者について
エグゼクティブプロデューサーも務めたイシグロとの対話を重ね、石川監督が書き上げた脚本は、原作の終盤で悦子が話すつじつまの合わない事実を大胆に解釈しています。結末に向かってだんだんと増していく不穏さは、石川監督が「愚行録」や「ある男」でも描いてきた、人間の心にまつわる謎の表出です。その展開は、悦子と佐知子が体現する女性の自立というテーマにもつながっていきます。
時代の大転換期を何とか生き抜いた人が、当時を振り返った時、一体何を思うのか。そうしたことがつぶさに見えてくる作品です。戦後という価値観が劇的に変化した時代をたくましく生きようとした女の物語として、やがて時代を超えてつながる母と娘の物語としても、ラストにほのかな希望を感じさせてくれます。戦後80年の年に公開された意義は、きっと大きいことでしょう。
さらに、作品の格調を一段階高めているのが、80年代の悦子を演じる吉田羊です。
「なぜ今まで英語のセリフを話す作品に出演しなかったのか」と驚くほど自然なアクセントと、「日の名残り」で熱演したエマ・トンプソンのように激情の温度を調節する演技。ある意味で「三人一役」の本作で、他の俳優たちの特徴をつかんで役に込めた努力の跡は、まさに名優と呼びたくなります。
●撮影について
セットで撮影された映像にVFXで風景を合成した戦後長崎の映像は、特徴を捉えつつも、どこでもないような雰囲気を醸し出ています。リアリティーに固執せず、イシグロ自身の思い出が投影された原作の長崎の姿が、巧みに再現されていたのです。
昭和を知る人なら誰もがどこか自分の記憶や心象風景と重なる作品だったのでは
長崎市生まれの昭和世代。風呂の無いアパート育ち。子どもの頃はまだ腕に被爆のケロイドのある人などもめずらしくなかった。原爆や戦争でおじいさんと二人暮らしの子どもとかも近所に普通にいた。比較的線路に近い所に住んでいたので、たまに列車に若い女性が飛び込んだということもあった。他にも捨て猫、夜店のことなど、幻想的であった、この映画のスクリーンの世界は、そのまま自分の原体験の記憶と、とってもリンクする。また教師として平和学習をした中で、被爆後河原に廃材を集めてバラックをつくり生活していた方の体験を聞いたり、そのような写真をみる機会も多かった。原作者のイシグロ氏は、5歳ぐらいまでしか長崎市にいなかったと思うのだが、なぜそんな感覚がわかるのだろう!と思う。今年の夏公開された「長崎ー閃光の陰で」も拝見したが、この映画の方がより「原爆」「戦後」ということを強く感じられた。本当に映画らしい映画を久しぶりに見た気がした。
ちなみに昭和26年に製造された路面電車は、現在も現役としてがんばっています(201号、202号)。
種明かし的展開など不要だったのでは?
今でこそ科学的に被爆は子供に遺伝しないと言われているが、この当時は...
私には難解すぎでした。
ぼぉーっと観てました
相変わらず、作品を観賞しながら別の事を考えてしまう悪いクセが今回も出てしまう。
広瀬すずは、CM等のセリフの発音で、私の中で時々、耳に引っ掛かる音がある(カ行かなぁ~?)のだが、方言だとあまり気にならないのね〜(口を縦に開かず喋るのは相変わらずだけど)。とか、三浦友和が70代になって、こういう役を演じている姿は想像していなかったなぁ~等など。
それはそうと、女優人は皆さん素晴らしかった。それにやっぱり本編の女優は綺麗なのが良い。
皆さんとても美しかった。
特にこのストーリーのように、虚像と実像、嘘と誠、今と昔などが混沌と映し出される画面は、俳優が綺麗な方が生きてくると思う。
小説は読んでいないが、思ったほど分かりにくくも難しくもなかった。
躊躇していたが、観て良かった。
変わりゆく時代の中で、縛られる運命を身体に刻んでしまった人、変わりきれない人、変わって生きたいと願っている人。
終盤「そういうことね〜」と妙に納得しながら、ぼぉーっと視終わった作品だった。
反芻するほどに心に響く
戦後をイメージするとき
朝ドラを思い浮かべてしまうのは
僕だけではないだろう。
明るく朗らかな性格の少女が成長するも
戦争により家族や大切な人を失い
焼野原で過酷な生活を経て
復興する日本で夢を叶えていく…。
そんな展開をデフォルトとしながら
数々の名作が作られてきた。
本作の舞台は戦後の長崎。
広瀬すず演じる悦子は妊娠しており
朝ドラの主人公のような
主人公然としたキャラクターとして
懸命に生きている、
というのが冒頭での印象だったが、
見終わったときに
その印象はガラリと変わった。
母はなぜ長崎を離れてロンドンに来たのか?
この疑問を悦子に投げかける娘ニキの視点で
本作は悦子の語り部により長崎での物語が展開し
やがて衝撃の真実が明らかになる。
“衝撃の真実”により
それまでの物語が一変するため
僕自身、映画館を出た後、
時間をかけて頭の中で物語として
再構築していったのだが
反芻すればするほどに
心が震えるような感動が沸き起こった。
ということで、今回は
作中では明確に描かれなかった
悦子の物語を紐解きながら
本作が挑戦した映画的アプローチを
過去の名作と共に解説していきたい。
続きはnoteにて
原爆の光は希望の光へ
サラリーマンの夫と団地で暮らす平凡な主婦・悦子と、川辺の貧相な小屋で幼い娘と暮らすシングルマザー佐和子。二人の友情が、約30年後の悦子の回想でミステリアスに紐解かれていくヒューマンドラマである。
どうして悦子が長崎からイギリスに渡ったのか?その経緯を悦子が作家志望の二女ニキに話して聞かせる…という体で物語は展開されていく。
しかして、そこで語られる悦子と佐和子、彼女の幼い娘・万里子との触れ合いはラストで意外な結末を迎える。
ただ、自分は中盤くらいから、ある程度予想できてしまったこともあり、この結末にそこまでの大きな衝撃を受けなかった。
悦子と佐和子は性格も生き方も正反対であるが、よく似ている部分もある。母親である点、映画女優に憧れている点、被爆者である点。そうした様々な要素を併せ考えると、自然とこの結末は予想できた。
とはいえ、自分は本作の全てを理解できたわけではない。幾つか不明な点が残り、観終わった後には少し戸惑いも覚えた。
まず、長女・景子の死の経緯である。ピアニストとして将来有望視されていたはずの彼女が、どうして不幸な死に至ったのか。きっとそこには彼女なりの苦悩があったはずであるが、そこが完全にオミットされているのでよく分からない。
また、悦子とイギリス人の夫の関係も写真を通して分かる程度で、詳しくは分からない。
更に、ニキには不倫中の恋人がいるようだが、彼との関係も序盤で少し語られるのみで、以降は完全に舞台袖に追いやられてしまい、何とも中途半端な扱いで気になってしまった。
中途半端と言えば、悦子の義父にまつわるエピソードも、メインの悦子と佐和子のドラマとは完全に別枠の扱いという感じで散漫な印象を持った。
原作はカズオ・イシグロの同名小説(未読)で、それを「ある男」の石井慶が監督、脚本を務めて撮り上げている。原作を読めばこの辺りはスッキリするのかもしれないが、少なくとも映画単体としてはどうにも消化不良感が残る内容だった。観る側が色々と想像しながら補完する必要がある。
一方で、被爆者である悦子の苦しみと悲しみは観ているこちらにしっかりと伝わって来て、そこについては見応えを感じた。
実際、長崎における被爆者に対する差別は、熊井啓監督の「地の群れ」などを観るとよく分かるが、相当ひどいものであった。人としての尊厳をはく奪され、一般社会から断絶した暮らしを強いられていた。
本作でも悦子は夫に負い目を感じていたし、佐和子と万里子はコミュニティから完全に孤立していた。もしかしたら本当はもっとひどい目に遭っていたかもしれない。しかし、悦子はそんな過去を正直に語ることが出来ず、結果としてオブラートに包むような形で今回のような”創作”された告白をしたのかもしれない。
そんな暗い戦後の話が続く映画だが、展望台の悦子と佐和子のシーンは唯一清々しく観れる場面で印象に残った。彼女たちにとっての、更に言えば当時を生きた女性たちにとっての希望と未来が感じられ感動的だった。
キャストでは、悦子を演じた広瀬すずの凛とした佇まいが印象に残った。全編抑制を利かせた演技を貫き、昭和の慎ましやかな女性像を見事に体現している。
佐和子を演じた二階堂ふみも影を持ったキャラを上手く表現していた。
後年の悦子を演じた吉田羊は全編英語のセリフに挑戦しており、これが思いのほか自然体で驚かされた。後から知ったが、撮影前にイギリスに語学留学したということである。その成果が見事に発揮されていると思った。
わかりにくい
あっ
全てにおいて事実を明らかにせず、観客の想像に委ね推理させる映画
ピアノや英語も習っていた良家の子女だった主人公が、愚かな軍部や政治家が始めた戦争によって、身籠っていた時に長崎に落とされた原爆で被爆し、家族・家すべてを失い、夫は戦死し、戦後を生きる為に外人に身を売り、子育てしていた
その後イギリスが好きだった彼女は、イギリス人のオンリーとなり結婚を望むも、子連れ婚に男の親の反対があり、ようやく結婚しイギリスに渡り、夫との間にも娘を授かり幸せに暮らしていた、そんな彼女自身が話した回想録
映画の中で一寸安心したのが、ある母親が乳飲み子を川に沈めて殺したという暗示部があるので、娘の大好きだった猫を夫がイギリスには連れてゆくなと言われ、娘が離そうとしないので、主人公が川に沈めて殺そうとしたシーンが、実は殺さずに一緒に連れて行っていたという事を、後でこれもハッキリとは示さず、判る人には判るように描き、全てに謎めいた設定の映画でした
原作者のイシグロ氏の母親も、10代後半で長崎で被爆しており、戦争の不条理を元教師の姿に重ねた反戦映画で、原作を読んだ人の意見が聞きたい、原作を読んでみたくなる映画でした
ただ「涙溢れる感動のヒューマンミステリー」とチラシにありましたが、涙は出ませんでした!
戦争映画と思わせて~
レイトショー強化月間
この作品 ただの戦争回顧映画かと思いきや
とんでもない ホラーサスペンスでしたよ
実は、 三浦友和目当て。
ギャラの嵩みそうな役者の中、
けっこうな分量が割かれていたのも
興味深い。
渡辺大知とのシーンでは戦中の教育者の
心情を 緻密に演じていて、さすがに
一筋縄ではいかない
うーむ。上手いぞ
それと 初見の役者としては 子役の鈴木碧桜が
良かった。
彼女の演技力が無かったら ここまでの
ホラーサスペンス味は醸されなかっただろう。
先月見た「美しい夏」でも感じたのだが
ここ数年 映画制作の中の「カラリスト」の
仕事の比重がとても大きく感じる
この作品も 主に佐知子と万里子の
居住エリア周辺での色調補正・
画像エフェクト&音響効果で
怖さ倍増。
あと 本編ストーリー以外では
匂いたつようなオムレツ調理の
シーン。
あえてだし巻き玉子ではなく
フライパンで作るオムレツ。
なるほど あの時代バイオリンを
習えるだけの資力のある
家庭環境に育ったんだなぁと
主人公の背景が伺える。
※エンドロールでスタッフを
チェックしたら飯島奈美のクレジットが!
もう、すぐわかるよね!
どおりでロンドンに帰る娘に
持たせる瓶詰は佃煮とかではなく
「チャツネ」 !!
この辺も芸の細かさが出ている。
実はこの作品
札幌市内の映画館全てで
(あのシアターキノ・サツゲキでも!)
上映しているというとても珍しいケースだった
こんなことってあるんだな
そんなに 皆が見たがる映画なのか!!
まあ、面白かったけど。
是非、レイトショーで見ることをおすすめしたい
93点☆4.3
今作はとても敷居が高く、完全に理解するには原作を読まないと追いつかない点が多く、軽い気持ちで観るような作品ではないことが評価に繋がらないという点で、残念な想いがある。
ノーベル賞作家カズオ・イシグロの長編デビュー作『A Pale View of Hills』を、石川慶監督(『ある男』で日本アカデミー賞作品賞受賞)が映画化。
主演の広瀬すずは、今年すでに三本の主演作をこなし、本作でも繊細な感情の揺らぎを体現。
謎めいた女性を妖艶に演じる二階堂ふみ、老年期の主人公を重厚に演じ切る吉田羊が脇を固める。
舞台は、カズオ・イシグロの出生地でもある原爆の記憶が残る1950年代の長崎と、1980年代のイギリス。
二つの時代を往還しながら、母娘の絆と秘められた嘘を描き出す叙事詩的な物語。
家長制度が色濃く残り、女性が家庭に縛られていた時代。
戦後復興の兆しを見せる長崎で、主人公・悦子(広瀬すず)は謎めいた女性・佐知子(二階堂ふみ)と娘・万里子と出会う。
佐知子は表向きは軽やかで自由だが、その奥には生き抜くための必死の覚悟と、現状を打ち破ろうとする烈しい衝動を秘めている。
その姿に触れることで、悦子は「自分の幸せとは何か」という問いに直面していく。
一方、1980年代のイギリス。
悦子の次女ニキは、姉の死をきっかけに母の過去を探る。
物語は時間軸を行き来し、人物の背景や時代の文脈が複雑に交錯する。
そのため一度の鑑賞では全てを掴みきれないかもしれない。
しかし、その難解さこそが悦子という女性の複雑な生き様を映し出す装置となっている。
石川監督の演出は、単なる「悲しみを隠す嘘」という枠を超え、あの時代を生きた女性たちの孤独と強靭さを鮮烈に描く。
佐知子の正体、悦子の選択、原爆の傷跡が残る街での暮らし、姉との関係、なぜ長崎を離れなければ行けなかったのか、次女ニキが辿り着いた真実とは。
嘘が明るみになり絡み合う瞬間、大きな愛に包まれ優しい風が吹く。
「どうして嘘をつくの?」と問いかける娘ニキ
それは、もう二度と大切な人を失いたくないから。
壮絶な人生を生き抜いた母の、娘を想う偽りの物語の先に、光を見る。
影の鏡像
謎は謎のまま置いていかれた
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