遠い山なみの光のレビュー・感想・評価
全400件中、121~140件目を表示
余韻に包まれる芸術的な映像美
◇合わせ鏡の中の私はあなた
ノーベル文学賞作家カズオイシグロの優しい語り口が好きです。特に、映像化された『#日の名残り #TheRemainsoftheDay 』、『#わたしを離さないで #NeverLetMeGo 』は、小説も映画も私にとって思い入れ深い作品です。
カズオ・イシグロの小説は、曖昧な記憶や思い込みを通して人間の弱さやすれ違いを静かに描くのが特徴です。登場人物の心理を投影するような風景の描写が映像向きなのかもしれません。
彼の最初の長編小説である『遠い山なみの光』も、母から娘へと語られる回想劇を装いながら、記憶の構築過程そのものを提示しています。映画でも、記憶がいかに不安定で、現実と虚構の境界がいかに曖昧であるか、静謐な映像と余白の多い構成で巧みに表現しています。
母親が娘に語る物語には、自分ともう一人の女とその娘が登場します。1980年代のイギリスと1950年代の長崎という時空を越えた合わせ鏡のような物語構造。鏡の中にいるのは、過去の自分という他者なのです。
記憶によって成り立っている自分という意識の連続体。その自我の根幹を成す記憶の中身が、無意識に潜む罪責やズレを含んでいることを知らず知らず隠蔽しようとするものです。
そんな人間心理の有り様を考えながら、物語を“追う”のではなく、語り手の心の深層をさまよう体験へと誘われているように感じました。気がつけば、語り手の意識の合わせ鏡の中に、私自身の自我も写り込んでいるような、自分自身の意識と記憶を解体再構成しているような奇妙な感覚に覆われます。この映画は意識の深淵を覗かせてくれるようです。
気合の入った力作、完成度の高い作品
広瀬すずの美麗さと存在感に終始見惚れる!
原爆を投下された長崎で戦後を生き抜き、その後、渡英したひとりの女性・悦子の半生を、彼女の口述から悦子の娘・ニキが綴っていく。
長崎時代に知り合った謎の女性・佐知子、その娘・万里子、そして悦子の夫・二郎などが登場して、長崎での生活が語られていくが、全体的にその生活を支える人間模様が謎めいており、ひた隠しされた「何か」が見え隠れして不穏当な雰囲気が漂う。そして終盤、その「何か」の正体が明かされて──。
うーん、お恥ずかしながら今ひとつ理解できないまま上映終了。「何か」はわかったものの、そこから生じた真実が何を指し示すのかが、よくわかっていない模様。
多分に戦後長崎の歴史的背景とその文脈を、私が知識として持っていないからだろう。ひとまず解説レビュー等を見て知識を補完したうえで、サブスク化したら改めて鑑賞したいと思った次第。
追記)
ふと思い至ったことがあったので追記。
吉田羊(悦子)の回想は、二つの時代を混ぜ合わせての嘘を構築していたのか。
子を産む前の広瀬すず(悦子)と、万里子(景子)と二階堂ふみ(佐知子/悦子)母娘。被爆した者としての差別に遭いながら果敢に生き抜き、渡英に漕ぎ着いてようやく幸せを掴みかけたが、景子の自死が大きな影を落としている。
回想での、広瀬すず(悦子)が万里子に優しく接している様は、後悔の念だからだろうか物悲しく切ない。
時代の変化がもたらすもの
美しい映像は薄く弱い灯りの下描かれていて、くっきりとしない輪郭の描き方が後に見せるストーリーの行方を暗示するように、強い感情を描いているのに敢えておぼろげに映しているかのようだった。
二人の女優の作り込んだ演技が素晴らしい。長崎で窮屈な思いを抱きながら生きている戦後の女性をしっかり演じている。
クライマックス近く、あっけに取られる事になるのだが、原作未読のため、映像ではなく原作ではどのように描かれているのか興味が湧いた。戦後日本は常識も正義も変わり、被爆地域はさらに被爆者を見る目もあり閉塞感から逃げ出したいと思う人もいたのだろうと想像。忘れることが出来ない過去を生き、それでも将来を生きるために皆必死だったに違いない…思いを馳せる最後だった。
3人の女優がいい演技
原作者のカズオ・イシグロがノーベル文学賞を取ったことは知っていましたが読んでおらず解釈が間違っているかもしれませんが心に残るいい映画でした。
原爆のように衝撃的な出来事による喪失体験、罪意識、恐怖で人間を一生苦しめる。その苦痛に耐えられず空虚感を抱えてしまう。それとは真逆に人生を前を向いて生きようともする。絶望と希望の葛藤を広瀬すずと二階堂ふみ2人の女優が見事に見せてくれていて、さらに葛藤の先の未来を吉田羊が英語で演じていてこれがまた素晴らしい。それぞれがその内面にあるものをしっかりと表現できていたように思いました。良いキャスティングでした。ニキが姉や母に対して不信感、疑問を持っていたが最後に希望を持って生きていけそうでほっとしました。
今世界では各地で悲惨な戦争、紛争が起きています、命をぶつけ合って戦い死んでしまう人がいて、生き残った人々の心の中に悲しみ、苦しみ、憎悪など様々な形でずっと残ります。戦後80年の今、忘れてはいけないことをあらためて思いました。
心の傷を抱えながらも生きる女性
この物語に出てくる男性はずるく弱い。
ニキの不倫相手は、奥さんといつまでも別れない。長崎を広島と言い間違え、ニキの話を真剣に聞いていない。悦子の夫の二郎は、もし、私が被爆していたら、結婚しなかったか?の問いに、ちゃんと答えない。二郎の父で元校長の緒方は、かつての教え子に戦前教育の罪深さを指摘されても、受け入れることが出来ない。一方、悦子は外国軍人と再婚し渡英して二人姉妹を育てるも、長女は自死で亡くしている。異国の地で、心に傷を抱えながらも前向きに生きようとする悦子さんに、たくましさを感じた。
うっすらと見えてくる、希望のようなもの。
映画「遠い山なみの光」を観てきました。原作未読だったのでかなり戸惑った。ストーリーの重心が意図的にずらされ、感情移入しにくい作り方。むしろ、観客に安直な共感を許さない、そんな意志を感じたよ。たぶんそれでミステリー扱いされたんだろうけどさ。
いつも思うけど、過去と繋がっていない未来なんてない。でもどこまで囚われるべきなんだろう。答えのない世界。さておき。
広瀬すず、二階堂ふみという当代きっての演技派のやりとりは、ひりひりして目が離せない。加えて吉田羊だ。リアリティがすごかった。蜘蛛や猫のエピソードが、物語に強い陰影を与える。とにかく、息を飲むようなシーンの連続です。これから観る人が羨ましい。だけど★★★★☆です。彼女をどうか許してあげて。
ストーリーは二の次、それよりも・・・
約25分の短編映画『点』をU-NEXTで観て衝撃的な感動を受けた、石川慶監督作品だけに、あの抒情的な静止画カット、光と影のコントラストの効いた画像、意味ありげな間、サスペンス的な不安さ、が長編でしかもロンドンと日本の交錯で観ることができると思い、観ました。
案の定、ストーリーは二の次、まさに映像と静止画の美、抒情さを感じられた映画でした。最後の辺りで、ストーリー的にはあれ??どういうこと??となって、エンドロールの間に考えをめぐらしても、わからないのまま、ジエンド(特に二階堂ふみ演じた女性は実物だっのか、主人公がみごもっていた子どもはニキだったのかどうか、怪しい年配女性は幻影だったのか・・・わからない・・・考えれば考えるほど矛盾するので、考えるのをやめました)。
石川慶監督作品に、ストーリーテリングは期待していなかったので、こうした映画になる可能性ありと思っていたので、まぁ、わからないままでもいいやってなってます。そうえば、私にとっての衝撃作品『点』は、ストーリー的なもの”何も起きない”(少なくとも表層的には)。
ストーリが知りたければ、原作読めばいい思う次第。それよりも、石川慶監督の静止画カット、映像美、カットつなぎの間、これは確かにこの作品にも息づいていて、単なるサスペンスストーリをつくる気はない、徹底的な感性へのこだわりを感じます。
吉田羊の英語は良かった
エンタメとしてでなく芸術としてなら
ノーベル賞の文学賞の作家の長編小説デビュー作品を自分でエグゼクティブプロデューサーとして映画製作にタッチしているだけで凄いです。
しかし観に来た横並びの客は寝ていて大いびき。私は原作未読で難解なストーリーに加えて、戦後の女性の精神的解放に主眼があるみたいですけど、あんまり得意な題材ではないので苦しみながら観ていました。
広瀬すず、二階堂ふみに吉田羊まで揃う作品はそうないのでと思って観ていました。ドキドキ、ワクワクを求めて観ていたらつまらないでしょう。
純文学を紐解く映画を求めているなら本人がプロデューサーなんだから良き作品になっていると思います。
人の苦しみがここまでくるとは
悦子には(きっと自分のことを真理子と悦子が語る場面にはあるが)2面性の顔があって優しく子供に接することができる悦子、残酷なことをし、残酷な言葉をかける悦子がいたと考えます。
もしくはあの時の自分に対し、今の自分があの時の自分にこうしたら良かったのではないかという後悔が生じていたのではないでしょうか、
その顔に自身で気づいていたが、どうすることもできず、イギリスに行けば状況が変わるだろうと悦子は信じていたのかもしれません。
最後の方の場面で、悦子が船に座って、アメリカに行きたくないと言っている子供をみている傍ら、草のつるをもっており「子どもはなんでそれを持っているの?」と疑問形で問いかけている場面がありました。私はそこで子供を殺そうとしていたのではないかと読み取りました。子供も殺されるという考えに一瞬よぎった瞬間でもあったのではないかと思います。子供を無理矢理イギリスに渡英させましたが、あの時の苦しみは癒えるものではなかった。そして、あの時の場面を思い出す日々が続いたのかもしれません。そして子供はその記憶の伏線をなぞり(なぞりたかった訳ではないと思う。顕在化された記憶の中で苦しみ、いつの間にか「草のつた」という苦しみから逃れたくて)、つたに似た紐で首をつって亡くなったと私は捉えました。あくまで、一度映画を観た私の捉え方のため、もし違う見方の方がいたら教えて頂けたら嬉しいです。
難しい作品
現代のイギリスと戦後の日本のシーンが交互に物語が進む。
この先どのように展開してイギリスに行くことになるのか。ずっと考えていましたが、まさかの展開に。戦後の日本のシーンは、悦子は回想する自分で、当時の自分が佐知子ってことでしょうか。
難しい作品ですね。でもとても面白かったですよ。
団地とオムレツとそしてバイオリンと憧れと
不条理、そしてデビッド・リンチ作品が大好きな人なら
あのラストは充分に理解できる良作だったと思います
原作は読んでないけど監督さんには一本取られたなと…
ネタバレになるといけないんであまり書けないけど
戦時下、特に原爆で夢見る女性が惨状下でも生き延びなければならない
過去を打消したくても打ち消さすことができない
実際の日本人の夫は恐らく戦死していて、戦時中に生まれたのが
あの長女なのでしょう
演者さんたちもお見事でした
致命傷から身を守る術としての「嘘」には、「捏造」ではなく「脚色」ということばを充てたい
日本人の母とイギリス人の父を持ち、大学を中退して作家を目指すニキ。彼女は、戦後長崎から渡英してきた母悦子の半生を作品にしたいと考える。娘に乞われ、口を閉ざしてきた過去の記憶を語り始める悦子。それは、戦後復興期の活気溢れる長崎で出会った、佐知子という女性とその幼い娘と過ごしたひと夏の思い出だった。初めて聞く母の話に心揺さぶられるニキ。だが、何かがおかしい。彼女は悦子の語る物語に秘められた<嘘>に気付き始め、やがて思いがけない真実にたどり着く──(公式サイトより)。
痛みを伴った記憶が自分だけの中にある時、それはとらえどころのないぼんやりとした断片的ななにかだが、だれかにそれを伝えるためにことばを与えた瞬間、「断片的ななにか」は形象化され、輪郭を伴った塊になる。
前者によってもたらされる痛みが黴や腐食のようにじわじわと長きにわたって蝕んでくるのに対して、後者のそれは刃物や鈍器のように瞬発的な攻撃性で向かってくる。致命傷から身を守る術としての「嘘」には、「捏造」ではなく「脚色」ということばを充てたいが、本作は戦後の被爆地・長崎で男尊女卑の社会の中で懸命に生きるひとりの女性の「脚色」の物語といえる。
直接的な映像表現や説明的な科白を排し、余白とメタファーに満ちた映画らしい映画で、生活力のある母性にあふれつつもうっすらと影を纏う吉田羊と、九州男児に連れ添い、自責と悲観を抱えながらもまっすぐな眼で母であり女性であることに光を見出そうとする広瀬すずがシームレスに連なっていた見事だった。「わたしとあなたは似ている」と呟く得体のしれない垢抜けた女性を演じた二階堂ふみも良かった。
本原作は、長崎で生まれ、5歳で両親とともにイギリスに移り住んだ原作者のカズオ・イシグロの長編デビュー作で、本作と『忘れられた巨人』というふたつの作品以外の長編小説はすべて著名な文学賞の最終候補になっているという逸話までついている。しかし、デビュー作からかれの特徴である「信頼できない語り手」の原型がすでにここにあることに驚く。
全400件中、121~140件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。