遠い山なみの光のレビュー・感想・評価
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衣装を楽しむ
広瀬すずも二階堂ふみも綺麗でかわいいし吉田羊も悪くはない
ストーリーがわかりにくいし
戦後海外で生き抜いた女性増を描きたかったのか、戦後の女性の自由がなく生きにくさというところを描きたかったのか、それとも、戦争のせいで失った過去の栄光の苦難も入れたかったのか、
無理やり詰め込み過ぎた感があって、それをわざわざミステリー仕立てにする必要があったのかな
わざわざ不協和音を流してちょっと不気味なシーンもあって
もしかしたら、原作を読めばなにか打開できて、面白みが湧くのだろうか
この映画の楽しみといえば、戦後の衣装だろう
わざわざ当時の装苑と言う手芸雑誌から型を取り当時の衣装を仕立てたと言う
とても主人公達に似合っている素敵な装いであった
そして、新婚夫婦の部屋のしつらい
足踏みミシンやレトロな雰囲気の家電や部屋の雰囲気
広瀬すずの作るお弁当のオムレツ⇨じゅ〜っと卵に火が通る音と美味しそうに焼き上がるシーンがなんとも言えない
また、吉田羊がお料理をするシーンの海外の可愛いキッチンなんかも目が離せない
そう、この映画はストーリーではなく、映像を楽しむ映画だと思うと退屈しない
ストーリーとしてはやや残念だが、映像として楽しめるところが多いので⭐️3つ
映画は観ないとわからない!
遠い日の記憶
こういう映画が好きなら
昨年「敵」という映画を見てこのサイトでもレビューしましたが、なんとなくその映画に似ていました。(私の中では)
見ていくにつれ何が真実で何が嘘(記憶が塗り替えられたもの)なのかわからなくなり、はっきりとした答えも提供してくれません。
小説はもっとあいまいになっているみたいですが、この映画ではあいまいな中でもあるひとつの答えに観客を導こうとしています。
しかし、その導かれた答えの答え合わせをするのは私の限られた記憶では無理でした。
もっとも、もう一度見ればその答え合わせができるのかと言われれば、そこまでの描写が映画では描かれてなかったようにも思います。
全ては藪の中。
こういう映画、わたしは嫌いではありません。
悦子さん… 怖いよ…
観てきました。・・・しかも、2回。
予備知識なしで観たので、最後に「は? え⁉︎」となりまして。
モヤモヤしてたら、妻が同じ日の違う回に行くというので、私も一緒に行って、もう1回 観てきました。
2回観ると、いろいろと伏線があったことも分かりましたし、全体像がやっと見えてきました。
なるほど、深いですね。
”信頼できない語り手”による戦後の物語。
終戦による「価値観の変化」
戦時中の「苦い記憶」
被爆が生んだ「人生の障壁」
様々な事情が絡み合って「ここに居ても希望はない」と、海外移住に望みを託す主人公。
子どもや、子どもが大切にしているものを踏み躙ってでもと渡航のチャンスに縋りつく様は、鬼気迫るものがありました。
そして、イギリスでそれなりの幸せを得たはずなのに…
共に渡英した長女は、それに背を向けて世を去る。
主人公はその責任が自身にあることを認識しているが故に、悪夢にうなされる。
そして、昔のことを次女ニキに語るにあたり、一連の出来事を自分ではない「あのひと」のこととして語ってしまう。
そうでないことは知っているはず。
でも、そうであって欲しい、私のことではないと思いたい。
今の「冷静な私」は、思い出話の中では「常識ある主婦」の視点で一連の出来事を観察している。
でも、本当は…
うん、おもしろかったです。
2度目を観て自分なりの解釈ですっきり
1回目を観終わってもやもや
色々とレビューを参考にしてから2回目の鑑賞鑑賞
あ〜やはり
佐和子は悦子で、万里子は恵子
そして昔の記憶は全て置き換えって考えると全部つじつまがあって納得
まあ一般受けしない映画だが、いい映画だったな〜
やっぱ映画はこうでなきゃ
しかし、2回観て2回とも泣けたのは未だに謎である
追記
その後、毎日新聞の論評を読んでさらに深まりもう一回観たいと思った
監督下手?
タイトルなし(ネタバレ)
80年代の英国。
ロンドンで暮らすニキ(カミラ・アイコ)が久しぶりに母親・悦子(吉田羊)のもとに帰って来た。
悦子が、一人で暮らす家を処分することにしたからだ。
こんな際にもかかわらず(こんな際だからかもしれないが)、作家を目指す(目指そうとしている)ニキは、悦子から長崎時代の彼女の話を聞き出すことにした・・・
といったところからはじまる物語。
悦子の口から出てくる長崎の話は、戦後7年、1952年の夏の話だった。
新しく建ったアパートに暮らす悦子(広瀬すず)。
彼女は、恩師緒方(三浦友和)の息子・二郎(松下洸平)と結婚し、妊娠していた。
ある日、悦子は河原でいじめられている小学生低学年ぐらいの女児を見つけ、女児の暮らす家へと連れて行った。
その家は、悦子の部屋の窓から見える、河原の掘っ立て小屋だった。
その掘っ立て小屋には派手な格好の女性が暮らしていて、時折、駐留兵が訪れることを悦子はみていた。
果たして、現れた母親(二階堂ふみ)は見るからに派手な格好をしていた。
佐知子と名乗り、女児の名は真理子と紹介する。
悦子と佐知子と名乗った女性との間に奇妙な友情のようなものが芽生え、あるとき、互いが被曝していることを知る・・・
日本映画っぽくない雰囲気の映画。
巻頭から謎や違和感が充満している。
あらすじに書きそびれたが、
ニキは悦子と死別した英国人夫との間の子どもであること、
ニキの上には景子という姉がいたが自殺してしまったこと、
が冒頭で示される。
観終わっての感想は、(以下、ネタバレ含む)
「『マルホランド・ドライブ』か!」でした。
というのも、『マルホランド・ドライブ』を観た後の映画サークルの合評会で、『これ(マルホランド・ドライブ)って、一人の女性を二人の女優に分けて描いただけなんじゃない?』と発言して、周りを驚愕させたことを思い出したから。
(ネタバレここまで)
さて『遠い山なみの光』に戻って。
大いに感心したのは次の2点。
ひとつは、長崎の山をロープウェイで登るエピソード。
女性ふたりの衣装の類似・相似性。
これは、佐知子の掘っ立て小屋にある百合と、英国の悦子の部屋の百合にも符合します。
もうひとつは、娘ニキのキャスティング。
吉田羊似というより・・・
非常に、面白く観ることができました。
<以下、余談>
で、観ているときに、わたしが拘泥したのは、
佐知子の娘・真理子がみる幻想めいたもの。
佐知子と真理子が原爆被害のなか逃げ回っていた際、女性が何やら小さいモノを水の中に沈めていたというもの。
モノは赤ん坊のように思える。
この挿話は、佐知子が出国直前に子猫を水に沈めて殺す「猫殺し」に重ねられ、「猫=子ども」かしらんと思ってました。
なので、子どもは3人。
長女、嬰児、再婚外国人との間との子。
と。
で、長女が、次に生まれた嬰児殺しを目撃しており、そのために精神を病んだ、母親が信じられなくなった・・・
という謎が隠されているのかと思ったわけで。
そうすると、子どもたちの年齢に齟齬が出てくるので、「考えすぎかぁ」として、捨てた次第です。
ミステリアスなエンディングの深い余韻に浸る
これは見応えのある作品だった。
今年の日本映画のベストの一本だろう。
1980年代のイギリス。長崎で原爆を経験した母・悦子(吉田羊さん)が次女のニキ(お初のカミラ・アイコさん‼︎)に戦後の出来事、あるいは夢を語るスタイル。イギリス人の夫と日本で産まれた長女(ニキの異父姉)は何年か前に亡くなったようだ。
1950年代の長崎。悦子(広瀬すずさん)と夫の傷痍軍人・二郎(松下洸平さん)、そして二郎の父でかつて悦子が働いていた学校の校長・緒方(三浦友和さん)がいた。
決して癒えることのない傷。
まだ戦争が近くにあった。
アメリカ人と一緒になりアメリカへ渡るという謎の女性・佐知子(二階堂ふみさん)、そして彼女の娘との出会いが悦子を新たな世界に導こうとしていた。
悦子と佐和子が同化し、夢と現実の、嘘と真実の狭間がなくなるミステリアスなエンディングの深い余韻に浸る。
冒頭とラストを飾るNew Orderの“Ceremony”が深く沁みた。
メタファーの連続、思わせぶりに疲れた
不親切な突き放しで、理解できる人が理解できれば良いという、スノッブさに疲れる展開。
この手の映画を味わえる人は、限られた人なんだろう。
終演後、観客が無言で席を立つ様子を見ていても、戸惑いが伝わってきて、素直に良かったとは言えない。横たわるテーマが重いだけに、それが充分な説得力を持たないまま、チラチラするだけに終わっていて、時折、声高に強い口調で挟まれるシーンが、唐突に思えて、なんだかなぁと。
映像は、絵画を見るような美しい映像美と、織り目正しい撮影技術がひかるのだけれども、挟み込まれるカットがその余韻を切り裂いて、意味不明。。。
思わせぶりと、独りよがりの世界、自分はその遠くにほって置かれた感が強かった。
渋くて薄味
泥の河や冬冬の夏休みを思い出すが、その2つも渋いがもっと渋いというより薄味。三浦友和のエピソードも軍国教育していた教員が己を鑑みるというのも薄い。ドラマが薄いというか。広瀬すずはここ最近明らかにあえて地味だったり渋い作品選びをしてネクストステージに向かっているがそんな一本。ラーゲリみたいな泣きの湿っぽさに行ったらそれはそれで満足度は高い。撮影のピオトル・ジエリンスキはいつも良い。枠内や仕切りの使い方もとても有効。二階堂の芝居がちょっとザマす方向なのだがそこが少しむず痒い。こんなふうにカッコつけてる割に子供の教育をまともにしてない家庭は確かにあるけど。分かりやすい敵や壁をつくらない作品なので、この主人公は何から逃げたいのか最後までよくわからない。広瀬の視点で進むのでそんなに問題に感じないし、二階堂だって生活が苦しいんだろうけど、足掻く泥臭さは描かない。そうするとどうしても味が薄く感じてしまう。
アレコレ思うことが次から次へと!
いや〜〜〜〜感想が全然書けない!少し経ったらまとまるかな?と期待してたけど時間が経てば立つほどいろんなことが頭をよぎり結果なんにもまとまらない💦
だからとりあえずメモして次に行く😤
カズオ・イシグロの長編デビュー作。
この作品を20代で書き上げてるのが凄すぎる。
でも若い頃の記憶として保存したからこうなったのか。
きっとこれを50代で書いていたら全く別のものになったんだろーな。そして石川監督もよくまぁ映像化したもんだ…
カズオ・イシグロ氏の必要最低限しか語らない語り口と石川慶監督の醸し出す不穏な空気とがとにかくマッチしていた印象。原作は昔一度チャレンジしたけど難解すぎて読了前に諦めた…
昭和の夏のじっとりする気温が画面から伝わってくる感じが凄く好き。また音楽が素晴らしすぎた。ストーリーが良い意味と悪い意味での不思議感で進んでいく中、出演俳優陣の厚みを実感。この作品で広瀬すずがすごく好きになった。全方位どの角度から見ても美しいこの女性の魅力を引き立たせる衣装と髪型。前半で緒方と居間で話しながら大粒の涙を流すシーンの美しさには心奪われた。
考察パートについては映画だと割とはっきり明記しているけど、原作のレビューではそう書いてる人は少ない……。カズオ・イシグロ氏はどういうつもりだったのか。もう一度原作にチャレンジしてみようかな…
なるほど〜😳
鑑賞後にここの皆さんのレビューを拝見しての感想が「なるほど」です。原作は未読です。
まったりとした映画の中にサスペンスを差し込んだ作品で鑑賞後にも一人でストーリーを反芻する難解さが心に残るいい作品だと感じました。
欲を言えば、背景のCGやセットが全体的に安っぽい感じが作品の質に影響してないか気になった事と、終盤の展開に少しインパクトが足りなかった?ような、言うならばシックスセンスのようなインパクトで締められたら名作になれたと思います。
一見では理解の難しい所も皆さんのレビューでかなりスッキリすることが出来ました。ありがとうございます。
ただし未見の方には無心で鑑賞される事をお勧めします。
最後に広瀬すずさん、宝島も拝見しましたがいい役者になりましたね。
期待感が高かっただけに、
1982年、ロンドン近郊の富裕層向けの住宅街に暮らす日本人の母・悦子(吉田羊:英語上手)を、しばらく疎遠だった二女・ニキ(カミラ・アイコ)がロンドンから訪ねて来る。悦子は自宅を手放す準備を始めていたが、作家志望のニキは、想いの残る自宅で、母の長崎時代のことを知りたいようだ。悦子は、長崎で英国人の夫と出会い、前夫との娘、恵子を連れて英国に移住し、その後ニキが生まれるが、年月が経って、夫と恵子を喪ってから、ニキが寄り付かないこともあり一人暮らしをしていた。
次に場面は、1952年頃の長崎に移る。当時、悦子(この時代は、広瀬すず)は、南方から負傷して帰ってきた恩師の息子と結婚し、妊娠していた。ただ、この場面は映像等に現実感が乏しく、見ていることがつらかった。特に、疑似長崎弁がどうにもならない。俳優さんたちは、単語起こしした長崎特有の言葉を話すだけ。方言は単語(ボキャブラリー)のみでなく、イントネーションを含み個々の音節の発音などすべてが違うはず。しかも相手によっては、共通語を話していた。住んでいた集合住宅は、原爆被災者向けの高層住宅を模したのかもしれないが、病院か何かの建物にしか見えず、感情移入ができなかった。
ところが、場面が英国に戻り、ソファーで寝ていた悦子が、この頃、悪い夢を見るのでベッドでは寝られないと言ったとき、長崎の場面は基本的に彼女が見た夢かと思ったら、つじつまがあった。夢は、現在の解釈では、過去に起きたこと、それを受け止める本人の感情の反映とされている。単なる絵空事ではないわけだ。夢の内容は、悦子とやや得体のしれない東京出身の女性・佐和子(二階堂ふみ)、その6歳くらいの娘・万里子との交流が中心。しかし、万里子は服装といい、母親からの扱いは余りにも粗略だった。おそらく、佐和子は悦子の分身、万里子は最初の夫との間に、その後生まれた恵子を投影しているのだろう。
58年頃、何らかの事情で最初の夫と別れた悦子は、英国人の夫、恵子と共に英国に移ってきて、ニキが生まれたというわけだ。残念なことには、夫が亡くなったあと、養父にも英国にもなじめなかった恵子はピアノを弾いて、たくさんのトロフィーや賞状をもらっていたのに自死する。
困ったところもたくさん。特に、妊婦に野生の猫は、ご法度のはず、昔も今も。長崎時代、喪服で出てきた女性は、英国に移住した後年の悦子が迷い込んだのだろうが。ニキは英語の発音はnativeだが、なぜか日本語は読める設定で、風貌は日本人寄り。タイプライターの取り扱いは素人同然。
母の話を聞き終えたニキは、やがてロンドンに帰って行くが、それを悦子が、さりげなく見送る姿に、はじめて我々が、これまで親しんできたカズオ・イシグロを見た気がした。彼自身、6歳の時、家族と共に長崎から英国に移住している。おそらく、関係者の多くが存命のためもあり、ストーリーの詳細は明らかにされず、我々の理解が問われる内容だった。原爆投下時のこと、戦時下の日本の教育のこと、日米欧で、日本人女性がどのように生きるかなど、何も深遠な内容を含んでいた。
そう言えば、最近のレポートで、乳糖不耐症の人は、夕食にチーズを食べると悪い夢をみることがあるそうだ。日本人の10%は、牛乳を飲んだ後、お腹がゴロゴロする乳糖不耐症、厄介なことに、そこまで行かないとしても、年齢を重ねると酵素の活性は下がる。
ママはいったい何から自由になりたかったの?
遠い山なみの光とは、被爆差別と苦しみの中、被爆母親が罪悪感に苦しみつつ生き抜いた証の回想録
被爆差別と被爆による苦しみの中、長崎ではない渡英に一縷の望みをかける悦子が景子と共に将来の生きる道を見出すも、結果的に景子の将来を奪うことに至る悦子の罪悪感に沈む人生が、遠い山なみの光のように回想録として描き出される、重く辛く苦しい文学的作品。
鑑賞後の仮説(考察、分析)です。
①万里子は被爆者(←腕の痣)
②万里子が被爆者なので、母親の佐知子も被爆者
③佐知子=悦子なので、悦子も実は被爆者
(←悦子が佐知子に対し「私も隠していることがある」)
④子供の景子、妻の悦子共に被爆者と判明し、被爆者なので二郎に捨てられ?強制離婚
(←悦子「私が被爆してたなら、結婚しなかった?」 二郎「バカな事聞くな」)
⑤被爆した子持ち女性として生き抜くために娼婦を選択
(←米兵を連れ込む佐知子の話として登場)
⑥悦子、景子の母子ともに長崎にいても明るい将来はない、景子とともに悦子は渡英を決断
(←悦子が渡英した理由)
⑦現在も英国居住、ニキとの会話
<対峙/対比構造>
■夫婦関係
悦子(夫都合優先)vs二郎(自分都合優先)
■親子
二郎(遠ざける)vs緒方(近づく)
■生き方
悦子(光)vs佐知子(影)
悦子(離婚前vs佐知子(離婚後)
悦子(非被爆)vs佐知子(被爆←万里子の腕の痣)
■教師としての罪悪感
悦子(あり)vs緒方(なし)
■洗脳教育の過去
緒方(肯定)vs重夫(反省)
■殺人
連続殺人犯(少女絞殺)vs悦子(景子縊死)
佐知子(猫殺害)vs悦子(景子自殺)
連続殺人犯(絞殺ロープ)vs悦子(足のロープ←景子を縊死に追い詰めたメタファー)
猫(佐知子の他殺)vs景子(自殺)
(←渡英により結果的に景子を縊死に追い詰めた≒悦子による間接的景子殺害→罪悪感)
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