遠い山なみの光のレビュー・感想・評価
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自分を通すことの、代償と報酬。
日本を30歳前に出て、今は英国で暮らす悦子さんの半生が、「良識ある」(広瀬すず)と「自由奔放」な(二階堂ふみ)に分裂して描かれている。娘(万里子=景子)がかわいそうな気もするが、もう済んでしまったことは変わらない。
戦前の教育(洗脳?)を受けた三浦友和と松下洸平は戦後の世界になじめず、戦後の新しい教育(洗脳?)を受けた渡辺大知と対立する。
ラストシーンで長崎の稲佐山から見た美しい景色を、広瀬すずと二階堂ふみが並んで楽しそうに見ていたのが印象的だった。二人とも(実際は悦子一人だけど)、未来を見ていたのだろう。
ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロが自身の出生地・長崎を舞台に...
ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロが自身の出生地・長崎を舞台に執筆した長編小説デビュー作を映画化したヒューマンミステリー。日本・イギリス・ポーランドの3カ国合作による国際共同製作で、「ある男」の石川慶監督がメガホンをとり、広瀬すずが主演を務めた。
1950年代の長崎に暮らす主人公・悦子を広瀬すず、悦子が出会った謎多き女性・佐知子を二階堂ふみ、1980年代のイギリスで暮らす悦子を吉田羊、悦子の夫で傷痍軍人の二郎を松下洸平、二郎の父でかつて悦子が働いていた学校の校長である緒方を三浦友和が演じた。2025年・第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品。
美しい映像と感動的なドラマにミステリー要素も織り込んで、最後まで映画的な面白さを堪能できる一作
予告編からも明らかなように、この映画は光の使い方、構図がとても美しく、どのシーン、というかどのショットも見事な一幅の絵画のようです。映像だけでも十分スクリーンで鑑賞する満足感を与えてくれます。
加えてカズオ・イシグロ原作だけに、ドラマの中にある種の違和感を忍ばせ、そこから作品全体を覆う「謎」を明らかにしていく過程がスリリングです。母娘の織りなすドラマが本作の物語的な柱ではあるんですが、そこに加味されるミステリアスな展開は、物語の面でも鑑賞意欲を高めてくれます。
後にカズオ・イシグロの代表作の一つとなる、ある作品にも共通した叙述上の技法を使っていることもあり、作品の「謎」が何なのか、察しの良い人なら途中で気づくかも。とはいえ本作は、母(広瀬すず・吉田羊)と娘(カミラ・アイコ)を軸に、悦子と友人、長崎とイギリス、戦前と戦後…といったいくつもの折り重なった二項対立的構図から浮かび上がってくるものを実感する作品となっているので、謎解きで作品の面白さが左右されることはあまりないと思います。
本作では長崎の原爆被害については様々な形で言及はあるものの、直接的な描写はありません。その点で先般公開の『長崎 ~閃光の影で~』(2025)は、長崎の被爆状況を描いた作品として、本作の主人公、悦子らがどんな体験をしてきたのかより深く理解できる作品です。もし機会があれば、併せての鑑賞をおすすめ。
カズオ・イシグロ原作、あるいは彼が脚本を担当した映画には良作が多いので、本作で彼の作品に興味を持った人はどの作品からでもあたってみるとより楽しめるかと思います。
また石川慶監督の作品でも、『ある男』(2022)は物語的に本作とちょっと通じるところがあるので、こちらも関連作としておすすめです!
ゆがめられた記憶
作家志望、次女ニキの視点が全てを明らかにする。
母の引越し荷物から、縁日の射的場で万里子が獲った筈の黄色い箱がみつかる。中には佐知子の荷物も多数あるのだ!昔語りを書き進めていたニキは、もやもやとしていた糸がピーンと張り詰めるのを感じる。これがここに在るのは?もしや佐知子と母•悦子は同一人物ではないのか!佐知子は母の妄想?記憶の中で創り出された架空の人物?同じ被爆地域に居たこと、女の子を育てていること、英語が分かること、アメリカ行きはイギリス行き?疑念がぐるぐると回りだす。
佐知子との出会いの話もなんだか可怪しい。『時々訪ねて来る外人さんは誰?』初対面の相手にそんな質問をするだろうか?何故その事を知っているのか、何処で見張っていたのか。しかし佐知子は『ああ、あれはね』と即答する。このやり取りは不自然すぎる。
そしてあの会話『私未だ言っとらん事がある』『いいのよ判っているから、私達は似てるもの』母•悦子がまったくの別人格として、ずっと語っていた佐知子は存在しないことをニキは気づきはじめる。
ただ、夫との離婚の経緯は不明だ。夫婦を訪ねてきた父親は、原爆のせいで日本は負けたのだという校長。その息子は妻を奴隷扱い。旧弊、日本の象徴であり、万里子(景子)が
行方不明になったときも無関心、同僚を連れ込んで酒盛り、父は警察に電話しろとだけ。私が被爆者だったら結婚した?の問いを無視する男と別れても不思議ではないが。
だから、実際、離婚後に河川敷のバラックに母子二人で棲んでいたのは母•悦子と景子なのだ。(映像としては、ちょっとだけ説明される。悦子が万里子を景子と呼び、うどん屋の客に悪態をつき、外人観光客を通訳、案内する姿。)うどん屋と通訳を掛け持ちしている時にイギリス人の父親と出会った、で説明がつく。
忌まわしい日本と訣別し、異国の地に活路を見出そうとしたのは自分のエゴで、我が娘を首つり自殺に追い込んだトラウマから逃れられない母•悦子の苦悩をやっと理解し始めたニキは
何故、母がウソの昔語りをしたのか、何故そうしなければ生きられないのか、外側から自己を客観視するために佐知子を産み出した心的補償とは……家族のストーリーを書くことで心満たされてロンドンの帰途につく次女は、たぶん、あの電話の不倫相手とも別れるのだろう。
久々に複雑な構造の文学作品映画を観た。実はノーベル賞イシグロ! ん?と思った人間なので原作も全く知らない。遠い山なみの光とは、明るく、たおやかな風景を想像したが、実際は昏く苦い夕景のひかりだった。被爆地ナガサキを背景にした戦後の女性の生きた証を見事に描いていた作品だと思う。
細部にも凝っていて、部屋の中の古いミシン、外から聞こえる干した布団を叩く音、路面電車の窓ガラスの隅が曇っている……等々。広瀬すずと二階堂ふみがキレイ過ぎるのは赦してほしい。レビュー始めてちょうど1年、良いものが観られました。
1982年のニューオーダー
石川慶監督「遠い山なみの光」物語は当然、広瀬すず と 二階堂ふみ が演じる主人公2人を中心に進むんだけど、全ての登場人物が戦争と原爆による深い傷を抱えていて、その傷を抱えたまま変われない人たち、希望を糧に変わっていこうとする人たちを描いたある意味群像劇の側面もある映画でした。
それを象徴するのが、古い価値観を捨てきれない三浦友和演じる緒方と、新しい時代を作ろうとする渡辺大知演じる重夫が対峙するシーンで、このシーンはスリリングで残酷で切なくて素晴らしかったです。
他の雑感
・序盤でいきなりニューオーダーが流れて噴いた。
・終盤のトリッキーな展開は賛否分かれるんだろうな。個人的にはOK、つーか、そこはあんまり重要ではないんじゃないかな。
大傑作!
大傑作。
カズオイシグロの原作は未読だが、知らないまま観られて良かったと思う。信頼できない語り手ものであり、また切実な嘘の物語でもある。
美しい舞台と撮影、意図的な構図の作り方と色彩。すべてが高いレベルでバランスされており、画を観ているだけでも陶然となってしまう。
そこに配される役者がみなはっきりと意図を持って演技をし、眉や唇をほんの少し動かすことすらなにかの表現である。二階堂ふみが演じる絶望と強さ、広瀬すずが表現する弱さと決意。この二人の共演を観るだけでも素晴らしいが、吉田羊も三浦友和も素晴らしかった。
パンフを読むと、こうしたすべてがきちんと意図を持って(あるいは意識的に検討されて)演出されており、石川慶監督の才能と誠実さを感じた。
「国宝」といい、今年は邦画の当たり年だな。本作は監督が映画を学んだポーランドとイギリスと日本の合作だけど。
混乱の果てに残るもの
「驚きの真相」は楽しめるものの、疑問に感じることが多過ぎる
1980年代のイギリスで、1人の日本人女性が、自分の娘に、1950年代の長崎での思い出を語って聞かせる中で、彼女の人生が浮き彫りになっていく展開は、どこかミステリアスで引き込まれる。
心に鬱積しているものを抱える主婦を演じる広瀬すずもさることながら、まるで小津安二郎の映画の登場人物のような台詞回しで時代性を感じさせる二階堂ふみや、英語の台詞だけで年輪を積み重ねてきた女性を体現する吉田羊など、主要な3人の女優の演技も見応えがある。
娘が知りたいのは、母が、どうして戦後の長崎を離れてイギリスに渡ったのかということなのだが、その割には、1950年代の母の話に、イギリス人の父親が一向に出てこないし、その一方で、彼女が知り合った近所のバラックに住む親子が、駐留米兵と一緒にアメリカに移住するということが描かれて、徐々に違和感が大きくなってくる。
やがて、終盤で、母が語っていたバラックに住む親子こそ、母親自身と長女のことであったと判明するのだが、ここのところの描写は、バラックに近づいて行く母と、姉の部屋に近づいて行く娘のシーンがオーバーラップして、ゾクゾクするような衝撃を味わうことができた。
結局、母親は、近所に住む親子の話として、自分と長女のことを語っていたということなのだろうが、それはそれで「映像として見てきたものが現実ではなかった」という驚きや面白さがあるものの、それと同時に、多くの疑問や納得のいかないことも残されることになる。
まず、バラックに住む女性が主人公であったのなら、モダンなアパートに暮らす元音楽教師の主婦は、単なる妄想だったということなのだろうか?だとしたら、傷痍軍人で右手の指が欠損している夫や、戦前に軍国主義教育を行ったことを非難されている義父も、妄想だったということなのだろうか?
もしかしたら、こうした結婚生活は、主人公が、夫と別れてバラックに住む前の記憶だったのかもしれないが、だとしても、主人公が、被爆したことを隠して夫と結婚した上で、長女を妊娠したことと、長女が被爆して腕に火傷を負ったこととの間に、時系列上の齟齬が生じるのではないだろうか?
その長女は、渡英して成人した後に、自殺したということなのだが、その原因に、彼女が被爆したことが関係しているのかどうかも分からない。
あるいは、1950年代の母の妊娠と猫の妊娠・出産のエピソードと、1980年代の娘の妊娠のエピソードが重なっていたり、終戦後の長崎で赤ん坊を水に沈める女性のエピソードと、猫を牛乳の木箱に入れて水に沈める母のエピソードが重なっているように感じられるのだが、それらが何を意味しているのかもよく分からなかった。
さらには、河原で縄ひもを手にした母の姿からは、もしかしたら、彼女が、幼女連続殺人事件の犯人なのではないかとの推測も可能なのだが、こうした描写にも、何か意味があったのだろうか?
記憶力が衰え、思考が混濁している老人の思い出について、何が現実で、何が妄想かをはっきりさせようとしても意味がないということなのかもしれないが、少なくとも、一つの物語としては、こうした疑問について、何らかの解答を示してもらいたかったと思えるのである。
一番の「嘘」は。
日本は「戦争」に負けたのか、「原爆」に負けたのか。
あれは「教育」なのか、それとも「洗脳」なのか。
日本から出て行った原作者の日本に対する考え方が色濃く出ている作品ではありますが、気付けばミステリアスに進行する物語に引き込まれ、いつの間にか主人公と同化して戦後の長崎を生きているような錯覚が味わえました。
最初、戦後の日本を生きる主人公広瀬すずさんが過去を回想する主人公吉田羊さんと同一人物に見えなかったのですが、段々と違和感がなくなり、広瀬すずさんの微かに笑う口元でさえ吉田羊さんに見えてしまいました。
更に物語がクライマックスへと近付くと広瀬すずさんは二階堂ふみさんへと「同化」していきます。
一番の「嘘」は一体何なのか。
読者の想像に任せている原作に答えは出るのか。
もう一度、劇場で確かめたくなりました。
1950年代の長崎、いろんなエピソード。時代そのものが主人公。
1950年代の長崎と、1980年代の英国の田舎。
原爆から復興していく中で、河原に住む母と子、アメリカに移住すると。
英国に渡った女は結婚して子を生す。
日本での旦那の義父は戦争中に教師で戦争推進したことを、教え子に非難され、納得いかない。 一応、 英国に渡った女の 半生を 軸にした物語だが、
いろんな 別々エピソードが 入る。
結局、 あの時代、価値観も 変わっていくなか 生きた。時代そのものが主人公。
当時の長崎と英国の情景も良い。
点と点が線で繋がる
遠い山なみの光
【「哀しきCeremony」今作は1952年被爆地、長崎と30年後の英国を舞台に、戦争の傷跡と当時の女性の生き方と願望をアーティスティックに描いた作品であり、解釈を観る側に委ねる作品でもある。】
■1982年。英国の郊外の邸宅で暮らす悦子(吉田羊)に、娘の英国人との間に生まれたニキ(カミラ・アイコ)は過去の話を聞かせて欲しいと頼む。
口を開いた母は長崎時代に出会った母と娘の事を淡々と語りだすのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ご存じの通り、原作はカズオ・イシグロが1982年に発表し、王立文学協会賞を受賞したデビュー作である。但し、石川慶監督は若干内容を改編している。
・冒頭、”New Order” のデビューシングルでフッキーのリフが印象的な「Ceremony」が流れる。
”人は皆 それぞれ異なる物語を見出す・・。”と言うバーナード・サムナーが歌う印象的な歌詞と共に。
それを聞き、石川慶監督が原作をどのようにアレンジメントしたのか楽しみになる。
■長崎に住む悦子(広瀬すず)は、記者の夫、二郎(松下洸平)と暮らしている。彼女のお腹には新しい命が宿っている。ある日、悦子は知り合いの米兵とアメリカに行こうとしている佐知子(二階堂ふみ)と娘の真理子と出会う。
佐知子は悦子と違い自由人であり、河原で生活するも自立している。この佐知子を久しぶりに二階堂ふみさんが、眼光鋭く演じている。
そして、観て行くと分かるのだが、佐知子は夫に従う日々の悦子が作り出した、”憧れの像”である事が徐々に分かって来るのである。
・今作では二郎の父で且つて校長だった男(三浦友和)が、悦子と二郎の家に長逗留する。彼は紳士だが、彼の元教え子(渡辺大知)から戦時中の彼の教育を激しく糾弾した論文をある雑誌に書かれたことに激昂している。又、二郎も且つて戦地に出征した時に、父が両手を上げて万歳をした事に違和感を持ち、父と積極的には交わろうとしない。
又、佐知子は被爆している事への差別に毅然と向き合うが、悦子は自分が被爆している事を夫には内緒にしているのである。
ー この辺りでは、反戦思想がやんわりと描かれ、且つ佐知子と悦子の生き方の対比が描かれる。-
・ある日、悦子が窓の外を見ていると、知らない女が佐知子の家の近くの橋を歩いており、多発する児童殺害事件を心配していた彼女は佐知子の家に急ぐ。真理子も佐知子も家にいるが、佐知子はアメリカに急に行くことになったと言い、荷物を纏めているが真理子は可愛がっている猫を連れて行けない事に拗ねており、それを見た佐知子は猫が入った箱を川に沈めるのである。非常に印象的なシーンである。
その後、”佐知子が居なくなったあとに”一人で川の傍に居る真理子の元に、手に縄を持った悦子がにこやかな顔で近づいてくるのである・・。
・そして、ラストに再び流れる”New Order ”の「Ceremony」。成程ね。
今作は女としての自由を求めた悦子の、戦時長崎からの1982年に至る哀しき「Ceremony」を描いたのだろう、という事が分かるのである。
<英国の悦子が一人で住む家。
一番奥の部屋は普段は鍵がかかり入れないが、ニキが偶々その部屋に入った時に見つけた箱の中には”母が言っていた佐知子の写真や持ち物”が入っているのである。
そして、ニキの姉景子の縊死の理由は最後まで語られないが、物語の展開を見ていれば、自由を求めて夫を捨てて英国に来ながら、何処か虚無的に生きる悦子の姿を見ていれば、推測は付くのである。
今作は、1952年被爆地、長崎と30年後の英国を舞台に、戦争の傷跡と当時の女性の生き方と願望をアーティスティックに描いた作品であり、悦子の女としての哀しき生き方を「Ceremony」として捉えた作品でもあるのである。>
複雑でかなり難しいストーリー!
「考察」というより「想像力を膨らませる」という表現が似合う
今週の1作目はカズオ・イシグロ原作(エグゼクティブプロデューサーも務める)、石川慶監督・脚本という期待のビッグタイトル『遠い山なみの光』。この組み合わせから言って難解な作品であろうことは鑑賞前から予想していましたが、今回も前情報と言えば劇場で数回トレーラーを観ただけ。原作がAudibleで聴けます(課金なし/期間限定)し、U-NEXTで特別プログラム『謎めぐる旅〜映画『遠い山なみの光』を読み解く5つのヒント〜』も配信中ですが、少なくともこのレビューを書き終えるまではお預け。或いは、それらに手を付ければ再び本作を観直したくなること間違いなしであろう、期待を裏切らない良作でした。
舞台は1952年の長崎と、その時代を振り返る1982年のイギリスにおける、悦子(広瀬すず、吉田羊)という女性を中心にして描かれるヒューマンミステリー。日本人監督として、今やこのジャンルの名手と言っても過言ではない石川監督。いわゆる“商業映画”とは一線を画すようなアート性強めな作品性で、しっかりミステリーでありつつもその「謎」に対して、「考察」というより「想像力を膨らませる」という表現が似合う“作家性にあふれる作品”を世に送り出す、まさに当代きっての逸材。なお、今作も撮影は石川監督が映画を学んだポーランド出身のピオトル・ニエミイスキが担当していて、その美しい画から安定の信頼感と二人の相性の良さを感じます。
ちなみに本作、ストーリーとして「語られず、抜け落ちたままのピース」が少なくないため、中盤以降は「これ、終わるのか?」と不安すら感じることも。ですが、(ちゃんと集中して観てさえいれば)多くを語らずとも察しがつくような「いくつかの示唆」に気づき、終盤に至って「まさか」と感じつつ、どこかで「もしかしたら」と既に気づいていたような気もして、観終われば「然もありなん」と説明不要で素直に受け入れられるのです。いやはや恐るべき構成力。そして、久々の帰郷で顔を合わせる次女ニキとのやり取りに始まり、せがまれて「長崎にいた頃」を語るストーリーテラーを担う悦子役・吉田羊さん。ほぼ全般英語のセリフ、そして情感たっぷりな表情など大変に素晴らしい演技でした。
他にも、三浦友和さん、二階堂ふみさん、カミラ・アイコさん等々、名前を上げ始めたらきりがないほど印象に残る演技とシーンばかりなのですが、やはりこの人のことを言わずに終われない、、、緒方悦子役・広瀬すずさんには「堂堂たる存在感」を感じて本当に圧倒されました。ここ最近は、出演する映像作品が次々絶え間なく発表され続けていてその活躍は言わずもがな。ところが、私の好みとはちょっと違う作品ばかりだったため、彼女の作品を観たのは2023年公開の『水は海に向かって流れる』以来。すずさん、大人になったし腕も相当に上げましたな。。今作は賞レースも期待できるレベルの好演だと思います。こりゃ、再来週公開予定の『宝島』も観ないといけないかな。実にあっぱれで参りました。
記憶とは
原作小説を読んだ後のもやもやした後味が、スーッと晴れたような気持ち。
(新たな謎も生まれるのですけどね)
カズオ・イシグロがエグゼクティブプロデューサーとして名前を連ねているので、
この結末は作者も同意のことなのでしょう。
人は自分の人生を生きるために、理想と現実と空想と嘘のはざまをゆらゆらと漂うものなのかもしれない。
人生の終盤が見えてきた身として、吉田羊が演じる悦子の諦念にググッと惹かれるものがありました。何が真実だったのかは、もはやどうでもいい。のかもしれない。
二階堂ふみが美しい。そして、広瀬すずが圧巻。
年齢を重ね、人生の深みを演じることのできる俳優さんとして
これからも長くスクリーンで拝見したいと思わせる存在感のあるおふたりでした。
セリフが聞きとりにくかったが、芸術的な作品
原作未読。私の耳が悪いのか、とにかくセリフが聞きとりにくかったです。
映画の中では、娘の景子の自死の詳細は語られませんでした。
しかし、景子を投影していたと考えられる万里子の描写で川や紐が出てくるため、悦子(広瀬すず)は景子(被爆で苦しんでいたのかな?)を殺したのかなと勝手に推測しています。佐知子が子猫を川で窒息死させたので、この殺害方法かなと思います。
悦子は死んだ娘のことで苦しんでいて、そこから抜け出したい気持ちが何となく伝わってきます。
見ていて、芸術性はかなり高い映画だと思いました。
時代の変化 戦後の傷跡 フェミニズム ???
冒頭のニキと悦子の会話シーンでは、イギリスが舞台であるため英語が中心だが、吉田羊の日本人のアクセント強めの英語が逆にリアルでよかったと思う。流暢すぎても、成人してから渡英した日本人がネイティブ同様の発音になることはいくら夫と娘が英語ネイティブだとしてもまあ稀だと思う。ただ、悦子の英語のセリフ自体がセリフ感強めだったので、カタコトならカタコトらしくもっとカタコトな英語表現にしたほうが違和感はなかったと思う。
作中、悦子が夢についてニキに語るところから、イギリスと日本でシーンが何回も切り替わるようになるが、初めは違和感なく見られていたがだんだんと比重が日本での過去の話に偏り、たしかに登場人物もイベントも内容として濃いのは日本での回想だが、結局最後で佐知子と万里子は存在せず、夫も義父もいないことになるなら、登場人物の数よりも、実際にはどのように悦子がニキに語っていたのかが気になった。でもそれを含めてしまうと英語の会話量がさらに増えるから避けざるを得なかったのかもしれない。
あのヒモは?悦子を幼女連続殺人犯風にした意味は?
悦子は子猫たちを殺して、その箱を抱えた悦子を恵子は忘れられず、悦子が話す夢の内容中で、万里子と佐知子が言っていた赤ちゃんの死体を水から抱え上げる女性と重ね合わせているのか?でもイギリスでニキが見つけた箱の中には猫じゃらしのようなものも一緒に入っており、子猫を殺すのに使った箱をわざわざイギリスにまで持ってくるのも不思議。
夢についての語りの中では、佐知子がアメリカをものすごくドリームランドのように語るシーンがあるが、結局イギリスでも恵子は生きづらさを感じ(被曝しており、日本人であるが故の差別がひどかった)、異父姉妹とも仲良くなれないまま自殺してしまって、葬式にも来ないほどに険悪な仲。
フェミニズムに関しては、シングルマザーの佐知子と家庭を持ち退職した悦子で、女性の生き方の対比が示されているが、どちらにしても自分の生きたい生き方を選ぶには程遠いように感じる。それでも、希望がそこになると信じることはやめなかったし、希望がそこにあったが故の決断であったと過去の人生を振り返って合理化している。
当時、今の日本とは大きく異なる生きづらさを多くの人が感じていたのはよくわかった。オムレツのようないい変化もありながら、変化に流されて心に余裕がなくて、どこかにここよりいい場所があってそこでなら幸せになれるという幻想を抱きたくなる気持ちもわかる。
人生は選択の連続の結果だとよく言うが、自分から選択肢を増やして変化する方向へ行くのも、与えられた選択肢から最善を選ぼうとするのも、どちらにせよ選択であることには変わりなくて、変化に流されるのも抗うのも、変化に順応するのも、間違いではないのかなと思う。
ただ、佐知子と悦子の対比がメインなのは重々承知だし、映画の展開として2人が別々の人間ではなかったという要素がこの映画のクライマックスなんだとしても、佐知子単体としての人生、悦子単体としての人生、それぞれのストーリーをしっかり見守りたかった気持ちも残ってしまった。
偽り?真実は?!
1980年代イギリス、母・悦子が住む実家へ帰る次女・ニキ、執筆活動してるニキは1950年代の長崎、原爆を経験してる悦子へ取材をしながら、長崎時代の過去と“亡き長女・景子”の真実を知る話。
原爆後、子が殺されるという物騒な事件が起きてる長崎、住む団地から見える橋の向こうの家に住む佐知子と娘・万里子、原爆被害で今の土地へ越してきた2人と知り合う妊娠中の悦子だが…。
原作小説未読、本作を観終わって正直面白いとか微妙とかではなく???
女性にとっては余り自由が無く肩身の狭い時代に出会った自分を持ち前向きな佐知子と妊娠中で色々と我慢してる様にも見える悦子。
…ポジティブさはいいけれど自分の子供より私優先な母・佐知子、万里子が大事に育てる猫を取り上げて…こんな母だから?と、悦子とニキの会話の小出しで徐々に語り見せてく“亡き景子”、ストーリーは進みもしかして!?と察すものの、あんな母親だったからこういう形を取ったんだと解釈。
終盤ラストで見せる映像、佐知子の立ち位置に悦子?!佐知子は架空人物?!と混乱させられ解釈崩壊(笑)
長崎時代の夫は?とか色々?が多かったけれど若き頃の悦子演じた広瀬すずさんの画力で観れたって感じ。原作を知る方が観ても話が略されすぎてるのでは?と思った。
広瀬さん他キャストがいい
原作はまだ読んでいませんので、映画そのままキャストで考えると広瀬さんはやっぱり威力があるし、相手の二階堂さんも素敵でした。そして、歳を重ねた吉田さんもすごーくピッタリで良かったです。俳優さんの顔アップのシーンがどれも威力ありましたし、時代背景セットも素敵でした。終わったあと解釈に少し悩みましたが、全体的に良い作品でした。
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