遠い山なみの光のレビュー・感想・評価
全400件中、21~40件目を表示
子供の心が殺されないために
世の中の支配的な価値観、頭で考えた「正しさ」に翻弄されて結局あまり幸せになれなかった人たちの話、と見た。
戦後という激変期、開明的なアメリカに(イギリスに)行けば、正しい価値観のもとでより良い生活ができるはず。その正しさのためには子供の無邪気な欲求を犠牲にする。
最初の娘は「正しい」道に進ませたはずが自ら死を選んだ。詳細は語られていないが、おそらくは子供らしいあり方を押し殺されたのだろう。
この話は世代を超えて繰り返す構造が示されている。
親世代に対して「変わらなければ」と言うも、のちに自分自身も娘に同じことを言われる。
その親世代は子弟たちを正しさのために死地に送り出したのだろうし、娘はそもそも子を持つこと自体に否定的。
子供の欲求は一貫して足元にまとわりつく邪魔者と扱われている。その時代の支配的な価値観、頭で考える正しさの犠牲となっている。
そのような正しさを、目指すべき遠くの山の頂のように憧れるのは人の性であって、この先も繰り返される物語なのかもしれない。であるならば、せめて子供の心を殺さない方法を見出したい。
過去の自分に「エール」。
これは心の再生の物語であると思った。過去を肯定することによって心の傷を癒す物語である。母悦子は娘景子の死について自分に責任があったのではないかとひそかに悩んでいる。娘ニキは一人で生きる困難さを抱えながら、姉景子との疎遠だった関係を悔いている。ニキが悦子の長崎時代の話を聞いていく中で、原爆投下からの困難な時代の姿が明らかになっていく。前へ進もうと必死だったあの頃は、失敗があったとしても責められるものではない。むしろ尊く大切な記憶になっている。原作よりも母娘の関係が濃密に描かれているのがとても良かったと思う。悦子だけではなくニキとの母娘の物語になった。長崎時代を肯定することで心の整理がつき、距離ができていた二人の関係も修復されたようである。
景子の死が二人の心に大きな負担となっていたのは理解できるが、彼女が死を選んだ理由はほとんど触れられていない。幼い頃にいじめられて対人不信になっていたり、イギリスに行きたくないのを母親の都合で無理に連れて行ったりしたのが原因になっているのかと想像するだけである。原爆投下後の悲惨な状況は、大人が考えるよりも深くこどもの心を傷つけていたのかもしれない。悦子は景子に対する負い目のようなものを抱いているから自分の本心を隠し、長崎時代を佐知子と万里子という人物に託して語ったと思われる。また、イギリスに渡った理由にもほとんど触れられていない。二郎と別れたと思われるが、悦子は緒方さんが好きであって、緒方さんをないがしろにする二郎の態度には違和感を持っていたのかもしれない。イギリスに行ってもうまくいくとは限らない。その気持ちも佐知子に託している。長崎時代の路面電車に乗る悦子と景子を見送る現在の悦子が出てくるが、過去の自分に「あなたの選択は間違っていなかったよ」とエールを送っているように感じた。
戦後の復興が時代背景としてあるが、長崎は既に都市として相当に発展し、人々は新しい理想を抱いて明るく生きている。大きな時代の転換を経て逞しく生きる人を応援する作品でした。
品のある戦争のお話でした
目が喜んでいます
原作者がプロデュースに入っているから
なかなか見る機会がなくようやく見ることができた。
思っていた感じとは違っていたけれど、原作者も製作に入っているので、間違いはないと思う。
広瀬・二階堂の2人の女優にやられたなという印象だったし、羊さんは日本語を「いただきます」以外にしゃべったか?
今年、「長崎」を扱った作品が続いて、「広島」ほど知らない自分に色々と突き刺さった。
安易な反戦や戦時青春謳歌なものではなく、そこから続く今を感じたようなきがした。
なかなかスッキリしなかった
戦争という地獄のような日々を生き、生と死を目の当たりにしたその後。生き残った者としての生き方。今までではいけない。初めは寄り添い合い生きていくことから、力強く明るい未来へ変わろうとする生き方を選ぶ。
その中で現実と願望の記憶が混同しているのか?
観る側として謎めいた部分が多様に想像出来てしまう。
何が真実で、何が空想なのか難しすぎてよく分からなかった。
ただ、俳優の方々は素晴らしい演技でした。
何やねん😮💨
恥ずかしながら、分からなかった
信頼のおけない語り手が、語り得なかったもの
原作小説を読んでいたので、期待して劇場公開日に観てきました。
映像の光の演出(赤い空や万里子の首に差す西日、稲佐山の逆光等)は素晴らしく、佐知子の家の奥行き感や色彩の使い方も工夫されていてとても美しかったと思います。また俳優陣の演技もみな巧みで安心して最後まで観続けることが出来ました。
ただ残念なことに物語りの表現展開が私の期待していたものと違っていて、 どうしてもそこに物足りなさを感じる事になりました。
特に万里子のキャラクター表現が月並みでした。佐知子と悦子という重要な登場人物と同等、いやそれ以上に大切なキャラクターとしてもう一歩踏み込んだ演出をして欲しかった。
私がこの小説を読んで心をゆさぶられた箇所は子供殺しに関連した場面です。
1,狂った若い女が自分の赤ん坊を水に浸けて殺すところ。それを万里子は正面から見てしまう。
2,悦子の足首にからんだ縄(景子自殺の縄を連想)を「どうしてそんなもの持ってるの?」とおびえた万里子に訊かれるところ。
3,佐知子が万里子の飼っていた子猫(ちなみに万里子が子猫につけた名前はミ(Me)ーちゃん)を川に沈めて殺す場面。
原作では万里子は死者に近い存在として描かれています。おそらく川の向こうとは彼岸、死者たちの世界でそこから万里子を訪ねて来るのは、原爆で亡くなった死者もしくはその幽霊(川べりの土手には柳の木が生えている)なのではないでしょうか。
私はこの物語にはニ種類の人間が描かれていると思いました。一つは人を死に追いやる側の人間。もう一つは人から死に追いやられる側の人間です。
先の側の人間としてはまず原爆を長崎に落としたアメリカ軍の軍人であるフランクです。(万里子に、ふとんにうんこする豚のおしっこだ!とののしられる。ふとんのうんこは原爆の放射能汚染を強烈に連想させる。)それと悦子の義父の緒方さん。彼は教育者として教育を通じ教え子たちを死地に送り出した人です。しかも原爆を体験した戦後にも拘わらず自分は正しかったと言い張る人間なのです。(教師という”役割”を演じている姿は完璧だが、人間としての魂が欠けている。ナチスのアイヒマン。「日の名残り」の老執事スティーヴンズを思い起こさせる。)そして自己自立のため不都合な記憶に蓋をし米英の価値観にすがりついて我が子である景子(万里子)を犠牲にする母親の悦子(佐知子)です。緒方さんと悦子が仲良く見えるのは、お互い魂が欠落したカラッポな人間同士だからでしょう。
もう一方の側の人間としては、あえて直接には「語られていない」長崎の原爆で亡くなった多くの人々でしょう。(そこには悦子の家族や親しかった友人、知人、緒方さんの教え子たちが含まれていたはずです。)喪服を着て佐知子の家を訪ねる川田靖子とその父親も極めて死に近い存在で、まるで幽霊のようです。そしてイギリスで首を吊り自殺した景子と、母親の佐知子が川に沈めて殺した猫たちです。(子猫は万里子を暗示し、沈められる木箱は棺桶を想起させます。)それと人ではありませんが万里子(景子)が長崎で唯一楽しく想った稲佐山での「記憶」も猫を木箱ごと水に沈めるこの行為で全て消されて(殺されて)しまったとも言えます。
悦子が他人(佐知子)の姿を借りて自分を語るのは”罪”の意識から身を守るためでしょう。ではその”罪”の意識とは何なのか?信頼のおけない語り手である悦子は一体何を隠しているのか?それと子供殺しとはどう関連しているのか?これがこの物語の中心テーマなのではないでしょうか?このテーマが映画を通じどう回答され表現されるか期待しましたが、それに応えるものは残念ながら私には届きませんでした。
長崎に暮らす悦子は復興著しい長崎の街の様子や、将来に希望を託して何事も無かったかのようにふるまう周りの人々の様子は語りますが、肝心の悦子自身が体験したであろう”原爆”という悲劇の「記憶」について全くと言ってよいほど触れません。なぜでしょうか?
なぜならそれは悦子にとって目を逸らしたい真実だからです。長崎を抜け出し、女性として自立した自分の立場を得るため戦勝国(米英←原爆を落とした事は正当だと主張する自己欺瞞の国々)の男と結婚する事を望む悦子(佐知子)にとって”原爆”という「記憶」はできれば隠したい不都合な「記憶」なのです。また、その不都合な「記憶」を呼び覚ます景子(万里子)の存在は邪魔で消し去りたい存在といえます。これが子供殺しのイメージにつながるのです。
私がこの物語(小説)から受け取った普遍的なメッセージはこうです。(あくまで私個人の感想ですが)原爆や戦争という大きな悲劇の「記憶」(過去)に目をつぶり真摯に次の世代に語り継ごうとせず、何事も無かったかのように振る舞う態度は、自分達の「子供」(未来)を殺すことになる。(同じ過ち、悲劇を何度も繰り返してしまうという事)
戦後80年にあたる節目の年にこの映画が日本で公開される意味があるとすれば、ここにこそあるのだと思います。
英国で自責の念に囚われている悦子に残された唯一の救済(赦し)の方法は、おそらくもう一人の娘であるニキに自己を欺くことなく正直に長崎時代の「記憶」を、景子を含めた死者達に想いを馳せながら語り伝えることだけだでしょう。しかし物語はそれも為されることなく薄暗い雰囲気のなか幕を閉じます。映画のような母娘がピアノを連弾なんかして、お互い理解しあえてそれぞれ前向きに生きていきましょう、みたいな希望を暗示するラストは決してあり得ません。私には、悦子の足首にはまだ縄が絡みついている。(今度は自分に向けられたものとして)というイメージの方がこの物語のラストにはふさわしいように思います。
私はこの原作小説を読んだとき一つの違和感を感じました。それは長崎出身のカズオ・イシグロは、きっと両親から長崎原爆の体験談を聞いているだろうになぜその「記憶」を、テーマやモチーフとして長崎が舞台のこの小説に直接織り込む事をしなかったのか?むしろ避けて描いて見えるのは何故か?という点です。これはあくまでも私の想像ですが、それは「語らない事で、語る」「語りえない事を、伝える」必要性がこの物語にはあったからなのでしょう。”信頼のおけない語り手”とはカズオ・イシグロその人そのものなのではないでしょうか。ーおわりー
ー追記ー
カズオ・イシグロの両親の事が気になり調べてみました。やはり母親の石黒静子さんは妹さんと一緒に長崎で被爆されていたようです。しかもカズオ・イシグロが小説を書き始めた時期に、必要と感じた彼女は折に触れ長崎で受けた原爆の体験を彼に語り伝えたそうです。
長崎の被爆体験を綴ったものと言えば、林京子の「祭りの場」が有名ですが、なんと林京子さんと石黒静子さんは同じ長崎高等女学校出身で(林さんは本科、石黒さんは専攻科)原爆が落とされた日、場所は別々でしたが、長崎市内の軍需工場にそれぞれ学徒動員で働きに出ておりその際に被爆されたそうです。(二人に直接の面識は無かったようです)お二人とも奇跡的に助かりましたが、(石黒静子さんの妹も含めれば三人とも)地獄のような惨状を目にした事は想像に難くありません。
林京子の「祭りの場」には長崎に落とされた原爆の「記憶」。それも抽象としての「記憶」ではなく、生の、具体の、真実の「記憶」が記されています。決して長くない文章なので、未読の方はぜひ手に取って読んでみて下さい。そしてこの物語(小説)の悦子(佐知子)景子(万里子)の事をぜひ振り返ってみてください。ー以上ー
映像の色と光が印象的
謎が謎を残したまま…
イギリスに帰化したノーベル賞作家カズオ・イシグロの処女作の映画化。
原作未読もあって、娘に語る回想に紛れ込む嘘に、最後の最後に気付かされる不穏さ。
しかし長崎の被爆が体験者にもたらした傷は、たしかに一筋縄のものではないはず。
それにしても彼女の周囲の男の無頓着さ、頑迷さは如何ともし難い。
あと二階堂ふみ演じる佐知子が娘から取り上げた子猫を川に沈めるシーンは、鬼気迫って出来れば見たくなかった。こういう役、彼女は上手い。
広瀬すずは、今年になって「ゆきてかへらぬ」
本作、「宝島」とあいついで文芸作品で大正、昭和の大人の女を演じ心境著しい。本格的な女優の途を登り始めていると言えるだろう。今後が楽しみである。
「遠い山なみの光」という表題がいかにも読書心を誘い、原作を読んでからもう一度噛み締めながら映画を見直したい気持ちになった。
鑑賞後の考察で忙しい
原作未読です。読んでない者として…
長崎 原爆投下後・敗戦によって心身に受けた傷と幼い娘を抱えながら前に進み出している佐知子と、彼女と出会うことで、自身も被爆の事実を隠し、心の傷を抱えた悦子に起こる心境の変化。
戦時中の価値観・思想を唱えてきた元教師と、戦争で傷ついた息子との冷えた関係性。戦後の新しい思想を得た教え子との断絶。
次第に思惑と違う方へ向かう事態と現状に折り合えない娘の聞き分けの無さに苛立ちを隠せなくなる佐知子の行動。
そして、30数年後に漸くそれらを語ってきた悦子の正体。
ほとんど最後に仄めかされる悦子の真実(?)で、頭の中がいっぱいになり、自死した長女の謎(?)や成長してなお屈折している次女の状況など吹っ飛んでしまいました。嫌いじゃないです。
1980年代の作者のデビュー作らしいのですが、40年経った今なら観覧者の理解はスムーズに受け容れられるのではと思います。が、原作発表後すぐに映画化されれば相当の衝撃作になり得たのではないかと想像しました。現代だと…。(おそらく1980年代では映画化は不可能でしょうが)
空気感はお馴染みの不穏な感じ
公開2週目に鑑賞。原作未読。
ミニシアターで観たが観客のほとんどが女性
こちらの監督作品は気がつけばいずれも観ていたことに気がついたが、どの作品もお馴染みの空気感が映像と音楽で表現されている。曇り空のような色彩、抑えた演出、静かな音楽で全体的にえも言われぬ不安感や不穏な感じである。
広瀬すずさんと二階堂ふみさんの演技対決は二階堂さんに軍配。実年齢の差以上に醸し出す雰囲気に違いを感じたが、広瀬さんがそれを計算して演じているならそれは凄いかも。
演者はいずれも実力派で安心して物語に没入できた。
お話の方はミステリー仕立てだと捉えつつ、ラストシーンを経ていくつか辻褄が合わないというか、何故国が変わった?長女は何故行動を共にした?おやおやそもそも日本パートの話は主人公の頭の中の世界だったのか?など答え合わせが必要と感じたので、パンフレットと原作本を急遽購入。
まだ読みはじめて半分ほどなのだが、結構筋立てや人物の掘り下げ方が変わっているというか浅いことがわかった。
結果、原作を知っていれば映像はダイジェスト的により楽しめたかもしれないが、話を知らない人向けにはやや不親切なのかもと思い直し星マイナス1
ぜひ事前勉強の上で臨んでいただきたい。作品としては素晴らしい!
もう1人の自分
テクノ、ニューウェーブミュージックのアーティストのニューオーダーの「ceremony」で始まる、この話の主人公は進歩的な人なのかと時代背景からして少し違和感を感じた。
不気味なほどオレンジ色の夕焼けは、どれだけ遠く離れていても悲しい事を思い出させてしまったのではないだろうか。
話の終盤で考えが180度変わったと言うより、目を覚まされた。
戦争や原爆で運命が変わってしまった人、其々の苦悩が伝わって来た。そんな中でひたすら前を向き運命を切り開いて生きて来た主人公の生き方は、次の世代に伝わったのだと思う。例え嘘だと判っていても、それくらい大変な時代の中で自分を育ててくれた感謝を感じずにはいられなかったから。「ceremony」はこの人生の節目に改めて納得のできる音楽だと思った。
背景の安っぽさについて
重厚な映画
2時間ドラマとは別格の、質の高い映画を観たという満足感の高い作品でした。
評判が良かったので、ポスターさえまともに見ずに鑑賞しました。そのため予想外に騙され、しばらく思考が停止しました。
騙し絵を見たときのように、自分の脳が信じてしまったものを新しく塗り替えるのが難しかったです。
お腹の中の景子と小学校低学年くらいの万里子が同時に存在していたのが特に混乱した理由だと思っています。
強い余韻が残り、久しぶりにもう一度観たいと思いました。ただ、星の数は迷いました。単純なストーリーだけの面白みはどうなんでしょう。原作も読んでみたいけれど、翻訳本よりも原書がおすすめのようで、躊躇います。
悦子の嘘は、多重人格者が自己防衛のために新たな人格を形成するのと似たようなもので、景子を死に追いやった罪悪感から己を守る術ではないかと感じました。
広瀬さんは文句なく美しかったけれど、それより二階堂ふみさんの演技に釘付けになりました。気取った、でもたくましい昭和の女性そのものでした。あの頃の女優さんってああいう喋り方しますよね。
被爆者は、当時は無知ゆえの差別をたくさん受けたんでしょうね。また、あの時代の女性の離婚や海外移住の重みにも思いを馳せました。
最後になりましたが、ニキは山田麻衣子さんが演じているのかと思っていました。もう芸能活動はされてないんですね。
普通に見て、登場人物と主人公のホントの関係を理解できる人はいるのかな?
ノーベル賞作家のカズオ・イシグロの原作
だからというわけでは無いんだけど、見ていて文学作品って感じの映画だなと思った。
どこがと言われると難しいけど、展開と話し方でだったのかな。
あいかわらずに感じてしまったのが、広瀬すずが可愛すぎって事。
童顔で可愛いので、良いところの若奥様感が凄かった。。
そして、吉田羊って英語が出来るんですね。
あとは、ニキ役の女優さんが良かった。
実は途中から悦子はこっちなんじゃないかと思いながらの鑑賞。
この手のパターンだと単純に二人が入れ替わった視点だったというオチのはずなんだけど、今回は?がいくつかあった。
夫(松下洸平)、義父(三浦友和)は実在したの?っていうのと、悦子のお腹にいた子供がニキ?って事。
見たあとに口コミサイトを見てみると、戦前が広瀬すず、戦後が二階堂ふみらしい。。
そして、夫の松下洸平と義父の三浦友和は死んでいる?っていう事らしい。
戦争によって、生活が荒んだでしまった自分を受け入れられなかったという事なのだろうか。。
なぜ景子が自殺したのか(被爆の後遺症でも出たのだろうか)、義父の教育の内容(お国のため、反戦?)、なんとなく想像できなくもないけど。。
ただ、見ている時は、この辺はまったく分からなかった。
二階堂ふみが悦子っていうのは分かったけど、戦前や戦後の違い、夫と義父の謎まで普通に見ていて分かる人っているんですかね。
分かりづらい映画でした。
原作を読んではいないので分かりませんが、映画と同じようにわかりづらい描写なのだろうか。。
映画については、見る人に委ねるという事を狙ったんでしょうかね。
戦後問題、原爆と被ばく、働く女性の問題、社会問題をたくさん取り入れていた。
私は、あまりハマらなかったかな。。
衣装を楽しむ
広瀬すずも二階堂ふみも綺麗でかわいいし吉田羊も悪くはない
ストーリーがわかりにくいし
戦後海外で生き抜いた女性増を描きたかったのか、戦後の女性の自由がなく生きにくさというところを描きたかったのか、それとも、戦争のせいで失った過去の栄光の苦難も入れたかったのか、
無理やり詰め込み過ぎた感があって、それをわざわざミステリー仕立てにする必要があったのかな
わざわざ不協和音を流してちょっと不気味なシーンもあって
もしかしたら、原作を読めばなにか打開できて、面白みが湧くのだろうか
この映画の楽しみといえば、戦後の衣装だろう
わざわざ当時の装苑と言う手芸雑誌から型を取り当時の衣装を仕立てたと言う
とても主人公達に似合っている素敵な装いであった
そして、新婚夫婦の部屋のしつらい
足踏みミシンやレトロな雰囲気の家電や部屋の雰囲気
広瀬すずの作るお弁当のオムレツ⇨じゅ〜っと卵に火が通る音と美味しそうに焼き上がるシーンがなんとも言えない
また、吉田羊がお料理をするシーンの海外の可愛いキッチンなんかも目が離せない
そう、この映画はストーリーではなく、映像を楽しむ映画だと思うと退屈しない
ストーリーとしてはやや残念だが、映像として楽しめるところが多いので⭐️3つ
全400件中、21~40件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。