「違和感を抱えたまま幻想夢に耽る」遠い山なみの光 alfredさんの映画レビュー(感想・評価)
違和感を抱えたまま幻想夢に耽る
原作未読で鑑賞。
長崎編をサラリとやったあと、すぐにイギリス篇に飛ぶ。あらかじめキャスト一覧で、長崎篇の悦子を広瀬すずさんが演じ、30年後のイギリス篇では同じ悦子役を吉田羊さんが演じると知っていたので、つながりは何とか見えたが、予備知識の無い人は大いに混乱したと思う。
その後も、長﨑篇とイギリス篇を自由に往来するので、戸惑った向きも多いだろう。
若い時と年をとったときの役を演じる俳優が異なることはよくあるが、それは年齢差がかなりある時が普通だ。
広瀬すずさんは実年齢は27才で、長崎篇はもちろん、イギリス篇の50代を演じることは不可能ではない。
しかし敢えて観客を混乱させるようなキャスティングにしたのは、原作者でありエグゼクティブ・プロデューサーでもあるカズオ・イシグロ氏の強い意向ではないかと想像している。
本作はミステリアスな幻想話と言ってよく、観客の混乱は制作サイドの意図だと思う。
どこまで現実でどこから幻想なのか、敢えてぼかしている。
悦子と佐知子も長崎の原爆での生き残りという設定だが、二人とも長崎の城山で被爆したというので調べると、城山は原爆地から500mに位置するという。生き残ったのはわずかで(Youtubeに生き残った方の証言があった)、その生き残った2人が出会うというのも出来過ぎだろう。
普通にかんがえれば、被爆した過去がある悦子が妊娠して不安になり、被爆しても無事に子供を産んだ佐知子という幻想を創り出したというのが通常の解釈だろうが、本作には描かれないものが多く(悦子と二郎の離婚から渡英への経緯などが省略されている、原作にあるのかも不明)、観客をすんなりと納得させてくれない。
夫の二郎は父親と他人行儀な口ぶりで、出征時の父親の態度を今も恨んでいるようだが、教師という仕事故に、戦時中では仕方の無いことと思えるが・・。
二郎というから次男のはずだが、長男の影は無い。長男は戦死したという設定なのだろう。
父親は教え子に雑誌に批判的な記事を書かれ、その教え子に会いに行くも、和解には程遠い。
ざっくり言うと、テーマ的には「断絶」ということになるだろうか。
戦争と原爆は、人々に癒やし難い深い傷を与えた。人々はその渦中にあって、喘いでいる。
その喘ぎを今に生きる我々は聞いているのだろうか。
原題は「pale view of hills」。イーストウッドの「Pale Rider」から想起出来るように、paleには不穏な死のイメージがある。
50年代の長﨑は、原爆投下の事実が信じられぬほど復興していただろうが、その復興のしたには無数の死が横たわっていたはずだ。
最後に、「徹底解説 遠い山なみの光をもっと面白くなる超分かりやすい解説・考察動画」というYoutube動画があるので、参考までに。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。
