「人の苦しみがここまでくるとは」遠い山なみの光 遠くにいきたいさんの映画レビュー(感想・評価)
人の苦しみがここまでくるとは
悦子には(きっと自分のことを真理子と悦子が語る場面にはあるが)2面性の顔があって優しく子供に接することができる悦子、残酷なことをし、残酷な言葉をかける悦子がいたと考えます。
もしくはあの時の自分に対し、今の自分があの時の自分にこうしたら良かったのではないかという後悔が生じていたのではないでしょうか、
その顔に自身で気づいていたが、どうすることもできず、イギリスに行けば状況が変わるだろうと悦子は信じていたのかもしれません。
最後の方の場面で、悦子が船に座って、アメリカに行きたくないと言っている子供をみている傍ら、草のつるをもっており「子どもはなんでそれを持っているの?」と疑問形で問いかけている場面がありました。私はそこで子供を殺そうとしていたのではないかと読み取りました。子供も殺されるという考えに一瞬よぎった瞬間でもあったのではないかと思います。子供を無理矢理イギリスに渡英させましたが、あの時の苦しみは癒えるものではなかった。そして、あの時の場面を思い出す日々が続いたのかもしれません。そして子供はその記憶の伏線をなぞり(なぞりたかった訳ではないと思う。顕在化された記憶の中で苦しみ、いつの間にか「草のつた」という苦しみから逃れたくて)、つたに似た紐で首をつって亡くなったと私は捉えました。あくまで、一度映画を観た私の捉え方のため、もし違う見方の方がいたら教えて頂けたら嬉しいです。
私もそのように観ました。幼児絞殺魔という「導き」があり、また子猫殺しでも見せられたように、あの紐で景子を殺そうと思ったのでしょう。自我を押し通すことで子殺し(結局は自ら)をしてしまったことの悔恨と、もしあの時に戻れたら…が時空を超えて現れたかのような演出だったと観ました。
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