「タイトルなし(ネタバレ)」遠い山なみの光 クロイワツクツクさんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルなし(ネタバレ)
原作を読んだのは二年ほど前。早川が出してるんだ、と、ちょっと珍しく思って手に取ったのかもしれない。カズオ・イシグロの作品で読んだことがあるのはいまのところこれだけ。
カズオ・イシグロが英語で書いたものを翻訳したものなので、ちょっと日本の文学と比較するのも違うかもしれないが、どことなく庄野順三とか辻邦生とかを思い起こすような雰囲気を感じた。
原作でも若干ホラーテイストだったが、映画の方もそれは同じで最後の方は悦子が語った佐知子という女性とその娘の万里子という過去に会った人々というのは悦子の体験をもとにした空想か妄想という表現をしていた。小説の方ではそういうことは想像をたくましくしないと特に感じ取れないくらいには具体的な記載は無かったとおもう。それ以外にも映画化に当たっては少々変更された点もある。
悦子役の広瀬すずは私のイメージに近いだろうか。佐知子にはもう少し影があるような雰囲気だったので、二階堂ふみだとちょっと明るい感じに見えてしまう。
役者も演技など悪くは無かった。三浦友和はこういう役が多くなった。吉田羊とカミラ・アイコはあまり親子には見えなかったがそこは特に気にならなかった。
1950年代の再現は結構頑張っていたように思う。当時を知っているわけではないけど。おなじく1982年もだいぶ過去になったので、そこも当時の雰囲気が再現されていた。
正直、原作自体面白いとかそういう印象もなく、全体にじめっとしたウェットな雰囲気の小説だな、という感じを受けたくらいだったので、映像化されてそこはさほど変わらなかった。ただ、映画の方が、色々とメッセージ性が強くなっているというか、原作にこんな意図はあっただろうかという印象を映画の方には感じた。
谷崎潤一郎とサマセット・モームは似ているかなぁ。英訳されると違うのかもしれませんが。
モームはどちらかと言うとちょっとエンターテインメントな読者を楽しませる、というところがあるように思いますが(サリンジャーはモームのようになりたかったとか)、
カズオ・イシグロの作風は、日本的な私小説の雰囲気に近いと思います。
翻訳を読んだ「遠い山なみの光」限りでは。
インタビューで、イシグロは谷崎潤一郎を意識していたとあります。D・キーンの評論で谷崎はサマセット・モーム(英)によく似ているという。結局、イシグロは欧州に倣ったのでしょうね。小説スタイルも。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。

