「張られた伏線に鑑賞後もひっぱられる感じ。頭に残るものを整理してみた。」遠い山なみの光 澄守さんの映画レビュー(感想・評価)
張られた伏線に鑑賞後もひっぱられる感じ。頭に残るものを整理してみた。
原作未読で映画だけ観た状態で書きます。
作品の雰囲気はとても好きでした。戦後の日本と数十年後のイギリス、二つの場所から物語を進めていく。時々時間の前後や話の区切れがわかりにくいところもありましたが、ふわっとした理解で進める意図もあったのかもしれません。そんなに気にはなりませんでした。
時代描写は実際の情景と異なる箇所もところどころあるようで、そこは創作された景色として上手く映像にしていただいた、と原作者のインタビューをどこかで読んだ気がします。特別知識がなければ、時代の雰囲気を感じる意味では、よく機能していたように個人的には思いました。
登場人物も悦子、佐知子、ニキなど魅力的で、強いメッセージ性を発するわけではなく、それぞれの人生の日常の中で起きている出来事、そして感じている不安や想いなどが背景に感じ取れる構造でとても良かったです。
はっきりしなかったのは、悦子と佐知子、佐知子の子供である万里子の重なり方。観賞中は被爆の影響で悦子の長女は無事に生まれず、万里子を引き取り、佐知子の影を追うように海外に出たのか、とか想像しましたが、佐知子が幼少期に好きだったクリスマスキャロルの本を悦子が持っていることから、佐知子は悦子だったのだと気づきました。
悦子は万里子に対し母親であるかのような振る舞いを何度かしており、悦子と佐知子は良い人と不安や希望などを抱えた別人格のような語られ方をしたのだと思いました。ただ、なぜ分けて語ったのか(自分の希望のために娘が大事にしていた猫を殺すような一面を受け止められなかったのか)たとえ話のような語り方でもなく、自分と他人とがしっかりと分かれていたため、単純に精神的な障害を抱えていたのか、と想像する以外に理解できませんでした。被爆者であることを思えば、精神が解離している可能性もあります。解離している場合、話を創作する能力に長ける可能性もあり、自分の再婚相手であるイギリス人がいながら、架空の佐知子やフランクなどの話を作れる可能性も否定できなく思います。
ここまでくると、悦子の特異性が際立ってもきますが、今作ではそこら辺は特に着目されてないため、理解が難しくなっている要因になっているようにも思います。あくまでも戦後の日本で立ち上がる(目覚めた)女性の話として描かれる。一見、煌びやかなテーマにも見えますが、作品全体に明るさがなく、遠い山なみの光を望むような雰囲気が立ち込めているのは、悦子がまだ陽の当たらない場所に立っているからなのかもしれません。立ち上がったように見えたけど、景子の自殺によってそれらは否定されているように思います。
しかし、悦子は家(思い出が染み付いた場所・過去)を売り払い、ニキの存在も後押しに「私たちも変わらなければ」という言葉と共に変わり始めるのかと。遠い山なみからは陽が昇り、これからようやく光があたるのかもしれません。長い時間が過ぎ夜がようやく終わり、光がさして目覚められる時が来た、そんな話に思いました。
個人的にはさりげない雰囲気が好きではありますが、佐知子の話は本当は悦子の話だったという展開は少し強引に思えました。悦子が嘘をつく事情が弱く感じ、佐知子が悦子だったという事実も唐突で少し繋がらなかったです。事実はこうでした、と結果だけ見せられている感じ。せめて悦子のコンプレックスがなんなのか。そしてどれくらい嘘をつく能力があるのか知りたかったです。架空の人物を作り、彼女に会えてよかったわ、と言い切り、長い話の整合性を保つのは簡単ではなく思います。話の肝なだけにもう少し画面に見れたらと、そこが残念に思いました。
たしかに、舌足らずでもったいないですね。ニキはただ、姉ばかり贔屓していた訳を知りたかった。よくよく聞いてみれば、母はごく普通に憧れや見栄(ロイコペのティーカップ)があって、音楽教師で教養もあった。決してサイコパスなどではないのだと安堵するのです。実は景子を殺しているというレビューも少なくないのですが、それだと、あの明るいラストに繋がらないですよね。
>ノーキッキングさん
なるほど、元々バラック住まいでシングルマザーだったのですか。佐知子の存在上の創作の話かと勘違いしていましたが、記憶を書き換えるのであれば、差別されバラック住まいの方が確かに腑に落ちます。
私の洞察力が高くないだけに、次郎との生活が実際にあったのかどうかわかりませんが(娼婦のような女性が映る場面もあった)異なる時間軸の出来事が同時に存在している状態になっていたとも思いました。(団地での次郎との生活。それから悦子が被爆していることを知った次郎が悦子と別れ、バラック住まいになり出産後は一人で景子を育てていた(?)生活)それとも、それすらも脚色した過去なのか。しかし、英語のクリスマスキャロルを大事にし、実際に渡英もしており教養があるように見えるし、教養があってもうまくゆかなかったのか、それとも次郎までの話は本当なのか、私にはわかりませんでした。
私も、悦子が特別ウソつきと言っているわけではなく、いわゆる心的補償、そうしなければ生きられない人間の性を描いているのであれば、ニキから見た、その歪さ・苦難さがもう少し感じれればと思った次第です。スクリーン上の、そうしなければ生きられないだけのものがあった、という説得力は視聴者の知識と想像力に委ねられ、映像だけでは実感がでなかったように感じたのです。綺麗な表面をなぞっているような。これでは嘘の記憶が定着する整合性がとれず、悦子がただ嘘をついたように見えてしまうと懸念しました。すべてを補完することは不可能ですが、記憶の齟齬は見所に思ったため、少し勿体無いように思いました。
渡英以前は、差別されて、バラック住まいのシングルマザーだった。忌まわしい過去を脚色して、脳内に定着させ、ウソの認識すら無くしたのは、ありがちな心的補償なのです。特別、悦子がウソつきなわけではなく、そうしなければ生きられない人間の性を描いている作品だと思いました。
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