「広瀬すずの美しさに見とれていると足元を掬われる」遠い山なみの光 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
広瀬すずの美しさに見とれていると足元を掬われる
ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ先生の原作小説を、石川慶監督が映画化した作品でした。主演の広瀬すずをはじめ、二階堂ふみ、吉田羊といった綺麗どころが起用されていて、そこに眼が行きがちでしたが、テーマとしては戦争、特に長崎に投下された原爆が、身体はもちろん精神にも深い傷跡を残し、戦後になっても中々癒えることはないという、かなり重たいお話でした。
舞台となったのは、日本が一応主権回復した1952年の長崎と、30年後のイギリス郊外であり、双方の場面を行きつ戻りつして進んで行きました。登場人物はいずれも何らかの形で戦争被害者で、主人公の悦子(広瀬すず)と彼女の友人である佐知子(二階堂ふみ)は原爆被害者であり、佐知子の娘の万里子(鈴木碧桜)は母が原爆被害を受けた時点でお腹の中にいたようで、その影響で腕に障害がある模様、悦子の夫の二郎(松下洸平)は戦地で傷を負って手に障害が残る状態、そして二郎の父で元教師の誠二(三浦友和)は戦前の軍国主義的教育をかつての部下だった現役教師に痛烈に批判されてしまう惨めな立場でした。
そして本作が映画らしい映画だと思ったのは、こうした戦争被害が直接的に言葉で説明される訳ではなく、映像表現を通じて観客の訴えているところでした。例えば二郎の手の障害は、彼の仕草を見ていれば分かる訳ですが、初めはその原因が何であったのをを説明せず、後々戦地で負った傷らしいことが分かる仕組みになっていて、しかも彼が出征する際に、父の誠二が誇らしげに見送ったことが原因で、父を疎ましく思っていることが徐々に明かされて行く仕掛けは、非常に印象に残るものでした。
また、戦争の犠牲者であった二郎も、一方では妻の悦子を軽んじている部分があり、(当時の時代背景からは普通だったのかも知れないけど)飲み会の後で会社の同僚を家に連れて来て酒の悦子に酒の用意をさせたり、(手に障害があるので致し方ないとは言え)出勤時に悦子に靴の紐を結ばせていたりと、中々の暴君ぶりを発揮していたところなど、人間の描き方が複層的で、実に見事でした。特に悦子が二郎の靴の紐を結ぶシーンは、土下座をして完全服従をさせているみたいで、ゾッとしました。
そして何よりも面白かったのは、1982年のイギリスのシーンは現実世界のものであるものの、1952年の長崎のシーンは、実は悦子の空想と創作だったのではないかというところが明らかになる終盤でした。佐知子が実は悦子の分身であり、万里子が実は悦子の長女の景子だったらしいことが分かった時は、「うわー、全部夢だったんだ」とこれまたゾッとしました。確かに長崎のシーンは、どこかこの世ならざる色調があったりして、何となく不思議な感じがしていたのですが、最終的にこの謎が解けました。
そんな訳で、魅力ある原作の世界観を、映像表現として再現した本作の評価は★4.4とします。
すず&ふみ に見とれてしまいました。しかし一番好きなシーンは路面電車の中で一時の幸せを噛みしめている悦子と景子の姿を外から見つめている吉田羊の切ない表情でした。
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