「原爆の光は希望の光へ」遠い山なみの光 ありのさんの映画レビュー(感想・評価)
原爆の光は希望の光へ
サラリーマンの夫と団地で暮らす平凡な主婦・悦子と、川辺の貧相な小屋で幼い娘と暮らすシングルマザー佐和子。二人の友情が、約30年後の悦子の回想でミステリアスに紐解かれていくヒューマンドラマである。
どうして悦子が長崎からイギリスに渡ったのか?その経緯を悦子が作家志望の二女ニキに話して聞かせる…という体で物語は展開されていく。
しかして、そこで語られる悦子と佐和子、彼女の幼い娘・万里子との触れ合いはラストで意外な結末を迎える。
ただ、自分は中盤くらいから、ある程度予想できてしまったこともあり、この結末にそこまでの大きな衝撃を受けなかった。
悦子と佐和子は性格も生き方も正反対であるが、よく似ている部分もある。母親である点、映画女優に憧れている点、被爆者である点。そうした様々な要素を併せ考えると、自然とこの結末は予想できた。
とはいえ、自分は本作の全てを理解できたわけではない。幾つか不明な点が残り、観終わった後には少し戸惑いも覚えた。
まず、長女・景子の死の経緯である。ピアニストとして将来有望視されていたはずの彼女が、どうして不幸な死に至ったのか。きっとそこには彼女なりの苦悩があったはずであるが、そこが完全にオミットされているのでよく分からない。
また、悦子とイギリス人の夫の関係も写真を通して分かる程度で、詳しくは分からない。
更に、ニキには不倫中の恋人がいるようだが、彼との関係も序盤で少し語られるのみで、以降は完全に舞台袖に追いやられてしまい、何とも中途半端な扱いで気になってしまった。
中途半端と言えば、悦子の義父にまつわるエピソードも、メインの悦子と佐和子のドラマとは完全に別枠の扱いという感じで散漫な印象を持った。
原作はカズオ・イシグロの同名小説(未読)で、それを「ある男」の石井慶が監督、脚本を務めて撮り上げている。原作を読めばこの辺りはスッキリするのかもしれないが、少なくとも映画単体としてはどうにも消化不良感が残る内容だった。観る側が色々と想像しながら補完する必要がある。
一方で、被爆者である悦子の苦しみと悲しみは観ているこちらにしっかりと伝わって来て、そこについては見応えを感じた。
実際、長崎における被爆者に対する差別は、熊井啓監督の「地の群れ」などを観るとよく分かるが、相当ひどいものであった。人としての尊厳をはく奪され、一般社会から断絶した暮らしを強いられていた。
本作でも悦子は夫に負い目を感じていたし、佐和子と万里子はコミュニティから完全に孤立していた。もしかしたら本当はもっとひどい目に遭っていたかもしれない。しかし、悦子はそんな過去を正直に語ることが出来ず、結果としてオブラートに包むような形で今回のような”創作”された告白をしたのかもしれない。
そんな暗い戦後の話が続く映画だが、展望台の悦子と佐和子のシーンは唯一清々しく観れる場面で印象に残った。彼女たちにとっての、更に言えば当時を生きた女性たちにとっての希望と未来が感じられ感動的だった。
キャストでは、悦子を演じた広瀬すずの凛とした佇まいが印象に残った。全編抑制を利かせた演技を貫き、昭和の慎ましやかな女性像を見事に体現している。
佐和子を演じた二階堂ふみも影を持ったキャラを上手く表現していた。
後年の悦子を演じた吉田羊は全編英語のセリフに挑戦しており、これが思いのほか自然体で驚かされた。後から知ったが、撮影前にイギリスに語学留学したということである。その成果が見事に発揮されていると思った。
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