「人は物語に生きる」遠い山なみの光 こんさんの映画レビュー(感想・評価)
人は物語に生きる
人は物語に依存して生きていると思います。有名大学卒の人生、一流企業社員の人生、金持ちの奧さん、立派な教育者、頑張っているお父さん、そういう物語を折に触れ、人に伝え、自分を確認しています。人からもその物語を称賛されることもあるでしょう。しかし、人に語れない物語しかなければ? 別の物語を作り、その物語で生きる他ないかもしれません。悦子は被爆者のことを隠したかったし、イギリスでは自分の娘が自殺したことも隠したかった。ニキは日本での悦子のことを知らないし、姉の景子の本当の物語を知らない。人は物語を知らないということで、不安になる。ニキも別の意味で、別の物語の中を生きるしかなかった。だから、実家に寄りつこうとしなかった。
物語の中では、変わらないと、という台詞が何度か出てくる。これは軍国主義から変わる、男性中心主義から変わる、女が自由に生きる、という意味でもあるが、物語を変える、つまり本当の自分の物語で生きるべきだということではないだろうか。そのことにより、幸せになるのかどうかはわからない。遠い山並みの光のように、それは沈んでいくのかもしれないし、あるいは昇るかもしれない。いや両方なのだろう。
私の父には弟がいた。祖母から何度も聞いていた。祖母は六人生んで、そのうち、三人が病気で死んだということになっていた。特に長女の愛子のことはずっと語っていた。よくできた子どもだったようだ。あとの二人のことで一人だけつとむという人のことは名前を聞いていた。父と琵琶湖へ泳ぎにいった。小2の頃だ。偶然父の友達に出くわした。そのとき、つとむくんはどうしてる? と聞かれた。父は少し困った顔になり、死んだんや、と言った。おばあちゃんもいうてたしなー。と思った。それから50年近くたって、父と飲んだ。父は死を意識していたと思う。その頃、何度もうちにきて、飲みたがった。あるとき、自分にはつとむという弟がいると言った。知ってるよ、おばあちゃんに聞いてたから。病気で死んだんやろ? というと、自殺したんやといった。驚いた。と同時に、本当の物語を祖母も父も言えなかったのだろうなと思った。恥ずかしから? 私に影響を与えないように?
私は驚いたが、物語が開いたような気がした。つとむさんは自殺したけど、それまで懸命に生きようとしていたはずだと感じた。それ自体、また別の物語なのかもしれない。でも、つとむさんの物語を私は大事にできると思った。
悦子の物語は、美しい物語ではなかった。猫も殺したし、景子を殺めようともした。
しかし、そのことを佐知子の物語として語り直すうちに、変わった。
物語には力があるという。語ることで何かが変わる。
そのことをまた、自分ごととしても確認できた。
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