「文章を映像化するという事」遠い山なみの光 しゃぐまさんの映画レビュー(感想・評価)
文章を映像化するという事
ニキと散歩中の悦子は、昔の知り合いに偶然合い、景子は生きていると躊躇なく話します。そんなでかい嘘つく?と思いましたが、物語終盤になりこの悦子の行動は悦子の行動としてメイクセンスします。
長崎時代の、もしかしたらパンパンをしていたかもしれない悦子は(悦子が物語る)悦子の団地からの視線とは逆の、川沿いのバラックから団地を見上げる生活をしていたのではないでしょうか。戦後新しい生活を開始したピカピカの団地に住む(幸せな)人達よりもっと幸せになってやると夢見ていたのかもしれません。しかし現実は長女の自死という不幸中の不幸な出来事を経験する事になります。そんな局面で人は何を思うのか私にはわかりませんが、精神が破壊されないための防御策として、記憶を捏造、修正、リマスター、等するのかもしれません。これほどの不幸を経験していない私でも思い当たる節はあります。
ニキがインタビューする形で悦子は、自分の中にあった自分の為の物語を外にカミングアウトさせます。それが結果ニキとのわだかまりを取り去る事になり、ひいてはニキの止まっていた時間が動き出す事になります。そして悦子自身も過去を過去のものとして、フィクションをフィクションとして捉え現実を歩み始めます。そこで映画は終わります。
終盤の怒涛の(乱暴な表現すると)ネタバラシを観ながら、それから観終わった後色々なシーンが頭に浮かんできました。悦子のバラックで度々登場したバラックとは不釣り合いの美しいティーセット(というのかあれは)
斜め上から差し込む光のモチーフ。
また近いうちに観に行きたいと思いました。
文章を読んで絵を頭に浮かべる場合一人一人その絵は違いますし、想像はどこまで行っても想像です。しかし映像化された絵は皆同じ観ますし、事実のように感じがちです。その事がこの映画を観て混乱している人が多い事の一つの原因かもしれません。でも私は(原作を読んでないのに言うのもなんですが)うまく映画化できてるような気がします。面白かったです。
同氏の「日の名残り」も確か映画化?されていたと思いますが、私はあの作品をうまく映像化できるなどどは到底おもえず、憤慨するのを恐れ観ていません。逆にこの作品は未読ですので観ようと思ったのかもしれません。ですので私も無理筋の映像化(しかも長編小説を二時間の尺に収める)に挑み、そしてカズオイシグロの文章のエッセンスを残しつつしっかり映像化に成功している事は本当に素晴らしいと思いました。
イシグロの作品は、殆ど、映画化を意識してますよね。例えば“世界一の美人”は文章のみで成立します。AIを屈指しても、異論噴出でビジュアル化出来ません。読み手がおのおの想像すればよいだけの文章と映像は勝負になりません。本作はイシグロの文章、その無理筋の映像化に挑んでいて素晴らしいと思いました。
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