「「遠い山なみの光〜A Pale view of Hills」の意味するところ」遠い山なみの光 HiraHiraHirappaさんの映画レビュー(感想・評価)
「遠い山なみの光〜A Pale view of Hills」の意味するところ
この映画に関して、書きたい事がいっぱいある。けれども、まずは素晴らしい映画でした。戦後80年の節目として見ておくべき映画だと思います。日本はまだまだ80年経っても総括できていないいろんな事があるのだと感じるものです。題名の「遠い山なみの光〜A Pale view of Hills」の意味するところは、自分自身を客観視して捉え直すために必要な、長い時間と遠くから見る目線なのだという事なのでしょう。
===さてここから「ネタバレ」。見てない人はご遠慮ください。===
素晴らしく良い映画なんですけれども、見終わって感動に浸る前に、なに?なに?なに?どゆこと? ねぇ!誰か説明してくれぃ!?? という????の嵐になってしまうことですよねぇ。
妻と二人で見終わってから1時間くらい映画の解釈について話をし、他の人のレビューも見たりしましたが、原作を読んでも結局疑問は解決せず、映画レビューでも誰一人説明できる人がいない。つまり、どう解釈するかは見た人次第という名の「放置プレイ」のようです。
ただ、わたしの理解として、緒方悦子(広瀬すず)自身として、まだ自分自身を客観視して見る事しかできない、他人の姿をした自分が佐知子(二階堂ふみ)であること。そして、自分が長崎という場所で負った戦争の記憶が、何十年経っても自分ごととして受け止めきれない状態のまま、この映画の現在である1981年に来てしまった事。それを、ロンドンへの移住と娘のニキの取材に応じる中で、ようやく区切りをつける自分(それが、電車の外に経っていた現在の悦子=吉田羊)を見つける事ができた。吉田羊が昔に黒い人物として登場する頃から、広瀬すずが二階堂ふみなのではないか?みたいな可能性が見えてきて、広瀬すずの長女景子は二階堂ふみの子供万里子なのではないかとか、だんだんと明らかになってくる。。。
ただ、
だとしたら、誰?あの松下洸平扮する旦那は?三浦友和扮する緒方誠二は? 孕っていたはずの子供はどうなった? 謎だらけ。 散らかし放題に伏線を拡げまくって、少しも回収してくれないもどかしい感じが強い終わり方でした。
まー、原作カズオイシグロで監督脚本が石川慶なので、こういう作品なのでしょう。
映画のテーマといっていい部分は、三浦友和扮する緒方誠二元校長が、かつての教え子書いた、校長が行った戦時の責任についての記事で口論になるところでしょう。 この核心部分を端的に顕すこのシーンが、ただの悦子の「想像の世界」???なのか。あの戦争で右手が不自由な旦那さん、父である三浦友和と不仲だったりした、細かい描写の全てが、ただの「妄想の世界」??? そこの座りのわるい椅子に腰掛けた時のような落ち着きのない感じが、単純に「感動した」と言いにくい後味になっていますね。
あと特筆すべき事は、子(万里子と景子)役の鈴木碧桜さん、めちゃくちゃ凄い! また凄い子役スターが生まれたと言って過言ではない。演技が自然。もう何年も役者やってます!みたいなセリフ回しの自然さが、際立っていて、芦田愛菜よりも凄いかもしれない。すでに河合優実なみの場面に溶け入るような自然さと艶やかさが際立っています。この人は、今後大注目の役者さんです。
音楽も素晴らしい。カメラも素晴らしい。
そして、広瀬すずちゃん、二階堂ふみちゃんの二人の美人を、堪能するためだけでも十分に価値ある映画です。めちゃめちゃいい表情をしています。特に、緒方誠二がかつての教え子と口論する場面の、凛とした着物姿の広瀬すずは、バッキューンッって死にそうなくらい艶やかでした。
いろいろ書きましたけど、とはいえ、最初からグイグイ惹きつけられて、非常に面白い映画でした。主人公が、自分でもどんな風に収拾して良いかわからない自分自身の過酷な中で生きてきた道を、独特の表現で現した、良質な映画だったという事だけは間違いありません。
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