「衝撃の脚本。もちろん幅広く読み込める原作なのでこのような解釈もあるのかもしれないが。」遠い山なみの光 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
衝撃の脚本。もちろん幅広く読み込める原作なのでこのような解釈もあるのかもしれないが。
50年代の長崎と、80年代のイギリスでの2つの物語が並行して進行するところは原作と同じ。終盤まではエピソードがほぼ原作通りだったので、悦子を演じた広瀬すずと吉田羊は全然違う顔なのにこの作品では繋がって見えるな、これは広瀬すずが上手くなったからかな、とか考えつつぼんやり観ていたら終盤、驚きの展開となってしまった。
原作者のカズオ・イシグロがエグゼクティブ・プロデューサーとして加わっているので了解済みなんだろうけど2時間サスペンスドラマじゃあるまいしそれはあんまりではというのが正直な感想である。
もちろん原作自体にも若干のホラー色がある。そしてイシグロの描く人物は皆、輪郭が淡く、その来し方往く末がはっきりしない。具体的に示すと、佐知子と万里子がその後どうなったのか、悦子は二郎といつどのように別れたのか、景子はいつ生まれ、どのようにして英国に渡ったのか、それらすべては原作では靄の中にあって何も明らかになっていない(ちなみに連続幼女殺しの犯人も明らかにならない)。イシグロは、人が記憶を意図的に消失させたり改編したりすることについて語り、また若い頃に被爆経験があった人のキズを想定してこのようなストーリーを書いたものと思われる(ただし原爆そのものへの言及は慎重に抑えられている)
悦子と佐知子の関係はシスターフッドといったような甘やかなものではない。お互いに批判的でありながらも時代の併走者として強烈に意識し合っている関係である。でも、悦子はあくまで悦子だし、佐知子はあくまで佐知子。そして、彼女たちの娘はあくまでそれぞれの娘である。だからこのような混線した形で映画作品として収拾したかったのだろうけどそれはないんじゃないかと違和感がハンパなかった。
もう一つ、こちらは違和感としてはより小さいけど、三浦友和演ずる緒方さんと、渡辺大知演ずる松田重雄の対決部分。ここは戦前的価値観に依る教育者と戦後の教育者(端的には日教組と言って良い)の対決であって、イシグロはそれなりの比重を持って書いていたものである。映画では残念ながらというかまったく主旨が表現できていない。緒方さんが声を荒らげて雑誌を投げつける?何も理解できていないひどい演出である。そもそもこのスタッフでは難しいと思うので最初からカットしておいた方が良かったね。
そうでしたか?
人それぞれのみかたがありますね。
原作を読み込まれてのレビューですものね。
カズオイシグロさんがOKを出されていますね。
原作は映画化で、作者の手を離れると考えられてのことと
思います。
私は石川慶監督は、すごく楽しくいい仕事なさったとおもいます。
私もとても満足した映画でした。
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