リアル・ペイン 心の旅のレビュー・感想・評価
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中年ロードムービー
まず、主人公ふたりが従兄弟同士という関係なのがいい。
祖母を通じたつながりは近すぎず、遠すぎず。
祖母の故郷を訪れがてら、ホロコースト・ツアーに参加することで、2人はそれぞれの抱えた傷を癒そうとする。
多くの説明があるわけではないが、台詞や演技で段々と2人の背景がわかってくる。
40代でもう若くはない中年の閉塞感。
ベンジーの痛々しいまでの繊細と、本当は同じくらい繊細なのにそれを隠して社会人として真っ当に生きようとするデイヴィッド。
キーラン・カルキンの動の演技に目を奪われるが、受け止めるジェシー・アイゼンバーグの静の演技も素晴らしい。
(レストランで心情を吐露するシーン、怒鳴ったり泣いたりするわけではないのに、揺れ動く感情がよく伝わってきた)
ポーランドを一緒に旅行している気分になれたのもよかったし、劇伴がすべてショパンのピアノ曲だったのもポーランドへの敬意を感じた。
(監督、脚本、製作も務めたジェシー・アイゼンバーグはポーランド系ユダヤ人)
おまけ。
旅が終わり、頑なに空港にとどまろうとするベンジーにやや違和感を感じたのですが、ベンジーは実はホームレスなのでは?との考察を読んで腑に落ちたのと、いっそう心が重くなったことを記しておきます。
痛み・苦しみを抱ける映画として唯一無二の映画
最初なんか不愉快な気持ちでストーリー進んでいく。ポーランドとなかなか行くことのないツアーを映画を通じて観光できる。気づいたら、過去に自分がベンジータイプの人間に愛憎を抱き、ディビットと同じパターンに陥っていることと重なっていることに気づく。
ひたすら投影されて、ホロコーストの悲しみとリンクして心の中で混ざり合う。かと言って救いもない。
映画を見終わった後は、物足りなさを感じて、「なんでこんなにレビューが高いのか?」わからなかったが、みなさんのレビューを見たりして、映画の本質を答え合わせできるとともに後からボディブローのように効いてきて、気づいたらリアルペインを抱かされている笑。
鑑賞直後は3.0ぐらいの評価だったが、痛み・苦しみを抱ける映画として唯一無二の映画だと思いプラス1.0となった。
いとこ同志‼️
いとこ同士であるユダヤ人のデヴィッドとベンジーは、亡くなった祖母の生家を訪ねるため、ポーランドへのツアーに参加する・・・‼️明るく社交的なベンジーと内向的なデビッドという正反対な性格の二人の珍道中が描かれます‼️特にデヴィッドの主観で描かれるわけですが、自分とは違う魅力で他のツアー客とも仲良くなっていくベンジーを羨む一方、過去にベンジーが起こしたある出来事に心を痛め、ベンジーの事が心配でたまらないデヴィッド‼️自らも精神的な病を抱えるデヴィッド‼️そんな二人の姿を自らのルーツであるポーランドへの旅、ホロコーストの地を巡る旅の中で描いていて、そしてそんな旅を彩るショパンのピアノ曲の数々がホントに効果的ですね‼️祖母の家に自分たちの軌跡である石を置こうとするも、近所の人に危ないからと注意を受けたり‼️ラスト、空港での感傷的なハグも、多分、次に会った時もケンカするんだろうなと思わせる‼️そして家族の元へ帰るデヴィッドと、空港に一人残って人間観察するベンジーの対比が、切ない余韻を残す秀作です‼️
ロードムービー苦手です
予告編、なかなか面白そうでした。それに、アカデミー賞受賞作品ということもあったので観に行きました。
…が、始まって冒頭から、ベンジーの自己中っぷりにイライラ。デヴィッドのこと、バカにしてるのかな?中盤から、少し、大人しくなったところで、私のイライラも落ち着きましたが。正直、面白いと思えず。どうも、ロードムービーと言われるもの、私は苦手みたい。
ジェシー・アイゼンバーグ、変わり者の役が多いイメージだけど、今回は、振り回されてる印象だったし、いつものように早口だけど、いつもよりセリフも少なかったので、ちょっと印象が違って見えました。
生きづらくても生きていくことに価値があるんだろうなぁ。
2人の従兄弟、性格も生活も全く違う暮らしをしていたけれど,祖母の死をきっかけに自分たちのルーツであるユダヤのツアーに参加する。
いとこのベンジー、なんて繊細で生きづらいタイプなのか。明るく人を巻き込んで楽しくさせる才能と自分の内面に深く向き合う志向を持つ。ツアー中もそんな彼に周りは振り回されてつつ、結局彼のことがみんな大好きになる。
一緒にいるデイビットはそれを見て,自分の不器用さが嫌になるのだ。こんな人と一緒にいたら自分でも羨ましく,また妬んでしまうなぁ。
最後に2人ともハッピーでもう大丈夫というわけではないところがまさにリアルペインだなぁ。これからもそれぞれのことに向き合っていくのだろう。でも少しだけお互いに勇気をもらっただろうか。ベンジーの空港での表情はなんとも言えない。悲しいわけじゃないけど涙が出た。
そして、映画に登場するホロコーストの収容所の映像には言葉にならない悲しさがある。負の歴史の重さを実感する時間だった。
神経質で繊細な、ふたりの40男
ベンジーは多分、食い詰めて空港で生活している。
兄弟のように育ったデヴィッドに久々に会って一緒に旅行、それで、自分の実態を知られないよう精一杯取り繕って振る舞っているように見える。
亡くなった、二人が敬愛するおばあちゃんは、ナチスの強制収容所から運良く生き延びたユダヤ人のひとり。そのおばあちゃんからのプレゼント(というか遺言)が、強制収容される前に、自分と家族が住んでいたポーランドの家への、ふたりの訪問。
これはベンジーにはキツイだろう、嫌でも「ファミリー」を常に意識させられる旅だ。
ベンジーには家族もなければ、家すらもない。
歴史ツアーの道中、ちょっとしたことで怒り、キレて、奇行をするのは、彼のもともとの性質に加えて、情緒不安定になっているからではないか。
かたや、デヴィッドには仕事があり、家があり、愛する妻とかわいい息子がいる。
デヴィッドが神経質で強迫神経症、コミュ障気味で生真面目で、ベンジーの「自由な」生き方と何故か人に好かれる魅力的性質に憧れを抱いてうらやましがっているが、それが分かったところでベンジーが自分を肯定的に捉えるほどでも、ましてや優越感に浸れるほどのものではなく、デヴィッドが本気でベンジーを愛して心配しているのが分かるので、憎むこともできない。何よりベンジー自身、デヴィッドを愛している。彼にだけは見捨てられたくないという、切なる思いがありそう。
それがさらに腹立たしいと言うか複雑な気持ちにさせるのだろう。
ベンジーは、そう見えないかもだが、相当神経質で繊細だと思う。
ショパンのピアノ曲がBGMというには大きすぎる音で始終かかっているが、これがとっても良かった。ショパンの曲は、よく合う映像と一緒に聴くと感動的に良さが増す気がする。
繊細なふたりの40男の内面を描く映画に大変良くマッチして、胸を打つ。
ショパンでもって、この映画の星が増えた。
このツアーに参加した人たちが、全員、人の話を遮らずに終わるまで聞き、合間に感想を述べあい、自分の番が来たらきちんと自分の話をする、という、対話のマナーというか暗黙のルールを普通に身につけていて、対話の文化が根付いているのを感じる。
日本では昔夜中から朝まで討論する番組があったが、ファシリテーター自らが人が話しているのに終いまで言わせず、遮りまくって被せて自分の主張をする、参加者全員がその流儀で我が主張だけを聞かせようとするがそれすら遮られるので、何一つ実りのないただの怒鳴り合いでうんざりしたのを思い出した。
今ではまっとうな社会人なら、いわゆる「会話泥棒NG」はマナーとして浸透しているが、それでも人が話しているのに遮って自分の話を被せ、ずっと「自分のターン」にするのが通常運転な人は時々いる。対話の文化が根付くまでには至っていない。学校では教えませんから。
アウシュヴィッツ、ビルケナウなど、有名なものだけではなく、マイダネク、ソビボル、ベルゼック、トレブリンカなどガス室・焼却関連施設を持つ大規模な絶滅収容所はいくつかあった。そのひとつひとつ、全てで行われた残虐行為の事実は、なかったことにできない。
ガス室に残るチクロンBの青いシミや、大きな金網のストッカーに貯められた大量の靴などを目の当たりにすると、ホロコーストの現実感が一気に押し寄せてくる。
亡くなったおばあちゃんも、かわいがっていた孫二人に、この事実を我が事として受け止めてもらい、次世代に語り継ごうとしたのだろう。
ユダヤ人のいとこ同士の40男ふたりは、それぞれに「生きづらさ」を抱えているが、デヴィッドの方は淡々と自分が果たすべき責任を果たし、社会のルールを守って他人と折り合いをつける気遣いをしての今がある。我慢もするが、その分得たものも大きい生活。
ベンジーには、常に「自分」しかいない。自由に生きてきたので、社会のルールより自分のルールが優先。人に好かれる魅力は今でもあるが、深い付き合いは多分無理。困難に出会ったらそこから離脱するのが処世術で、個性的すぎて他人や社会と折り合いをつけることが苦手なように見える。
良し悪しは別として、どこかで枝分かれした生き方の違いが、日々の積み重ねでいつの間にか大きく広がってしまったのが今のそれぞれの居場所でしょう。
この二人の場合、生き方は自分で決められる。自分次第です。
ありがちな40代男性の「危機」と友情(本作は親しいいとこ同士)の話、それにユダヤ人としての特殊事情が絡んで、さほど目新しさはないが、時代により多少変わっても常に存在する普遍的なテーマなんだろうと思いました。
観光映画としても良くできていて、ツアーの道中、自分も参加しているような旅行気分を味わえました。
(追記)
旅が終わって、デヴィッドは妻と子供が待つ温かい家に帰るが、ベンジーはひとり空港の椅子に座り込んでどこにも行こうとしない(行くところがない)。このシビアな現実感が秀逸。
ですが、あるレビュアーさんが
>最後、空港の椅子に佇むベンジーが「さあ、行こうか!」と明るい表情で立ち上がるのを願わずにいられませんでした。
と書かれており、俗っぽくなって映画的に台無しなのは分かっているが、私もそういうラストが観たかった。
でもベンジーは立ち上がらず。空港のベンチに根っこを生やしたように座っていました。
【”そしてユダヤの従弟二人は想い出の場所に石を置く。”今作は愛した祖母のポーランドの家を訪ねる二人が、夫々の哀しみを抱えつつも自らのルーツを旅する中で徐々に癒される様を描いたロードムービーである。】
■デヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)は、従弟のベンジー(キーラン・ランキン)と愛した亡き祖母の故郷、ポーランドを訪ねるホロコーストツアーに参加する。
が、自由奔放で空輸でハッパを持ち込んでいる陽気なベンジーに、生真面目なデヴィッドは振り回される。だが、ベンジーは哀しみを抱えており、デヴィッドは心から彼に寄り添えない自分に悩んでいた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・二人が集合する空港。デヴィッドは家から慌ててタクシーで駆け付けるが、ベンジーは二時間前から空港に居て、人間観察をしている。冒頭のこのシーンから二人がかけ離れた生活をしている事が分かる。
デヴィッドは美しい妻と可愛い子がいて会社勤めだが、ベンジーはそうではないらしい。
・だが、二人は空港で会うと嬉しそうにハグして飛行機に乗る。ベンジーは荷物検査のお姉さんと軽口を叩き、機内ではデヴィッドの子供の動画を見て笑っている。
・ポーランドに着くと、空港ではツアーの英国人添乗員が待っていて、ツアー参加者同士で自己紹介する。自適の老夫婦、裕福だが夫と別れた中年女性、ルワンダ虐殺を生き延びユダヤ教に入信した男性。そんな中、ベンジーは際どい突っ込みをしつつ、ハラハラした表情のデヴィッドは、その度に謝るのである。
・更にベンジーは、移動の際の列車が一等車である事に”ホロコーストを経験した人たちはこんなに恵まれていなかった”と言い、普通車に勝手に席を移動し、ツアーガイドには”もっと数字だけではなく、リアルに感じたいんだ。”と話すのである。だが、彼の言い分は真っ当であり、ツアー参加者たちは彼の言動を容認するのである。
この辺りの描き方が、嫌味にならずに逆にコミカルに思えるのは、ベンジーを演じるキーラン・ランキンのお陰であろう。
且つ、彼が少し前に睡眠剤を飲み過ぎて大変な事になった事が有るとデヴィッドが、ツアー参加者たちに申し訳なさそうに告げるシーンから、ベンジーが大きな哀しみを抱いている事が明かされ、デヴィッドはそんな彼に寄り添えない苦しい気持ちをツアー客たちに吐露するのである。
その後、強制収容所を訪れた後、ツアー参加者たちは粛然としているが、ベンジーは一人列車の中で涙を流しているのである。彼の心が、人一倍清らかである事だろうと思いながら、観賞を続行する。
・そして、二人がツアーから離れ亡き祖母の家に向かう時に、ツアーガイドは”貴方の指摘は的を得ていた。”と彼に言い、ベンジーは参加者たちとハグし、デヴィッドと二人で祖母の家に向かうのである。
着いた祖母の家が、余りに普通である事に驚きつつ二人はツアー途中で行ったように、家の戸の前に石を置くのだが、それを見ていたポーランド人のお爺さんからそれを咎められ、お爺さんの息子に事情を説明するが、結局持ち帰るのである。
このシーンも何だか、可笑しいのである。
・そして、二人は米国の空港に戻り、デヴィッドは自宅にベンジーを招こうとするが、ベンジーはそれをやんわりと断るのである。デヴィッドは自宅に到着した時に、祖母の家の前に置こうとした石を玄関先に置き、ベンジーは一人家に帰る訳でもなく、空港で再び人間観察をするのである。
<今作は愛した祖母のポーランドの家を訪ねる二人が、夫々の哀しみを抱えつつも自らのルーツを旅する中で徐々に癒される様を描いたロードムービーである。
今作を観て勝手に思ったのは、ベンジーとデヴィッドは自分達の祖先が受けた仕打ちを実際に目で見て自分達が抱える哀しみはそれに比べれば大したことではないと思ったのではないかなという事と、人の痛みが分かる人間は、他者に対しても優しくなれるのかもしれないなあ、と思った作品である。
ベンジーを演じたキーラン・ランキンの、悪戯っ子の様な顔や、悲しみに暮れる顔や、自分の意志を恥じる事無く皆に告げる姿は良かったなあ、と思った作品でもある。>
不思議な余韻が残る本当に素晴らしい傑作
この作品はユダヤ人の歴史を扱っているので、重い話ではありました。
だけど自分は前向きなメッセージも含まれているなとも感じました。
この作品で1番感じたことは過去と向き合うこと。
歴史や、自分の過去と向き合うということは、未来へと繋がっていく。
この映画に出て来る、ユダヤ人の歴史。
これも歴史を振り返ることで、同じ悲劇を繰り返さない、ということに繋がると思います
また、自分自身との過去と向き合うことで成長することがあるとも思いました。
そして人の温かさもたくさん詰まっているように感じました。
ツアーのメンバーがみんな良い人で、最初の銅像のシーンや、
デヴィッドとベンジーが電車を乗り過ごした時も優しく出迎えてくれたシーンは
人の温かさが伝わってきました。
お別れのシーンは悲しかったけど、みんなの優しさが伝わりました。
劇中で、
人は完全に幸せになんてなれない
というような(間違ってたらすみません)
セリフが出てきました。
今考えてみると今まで生きてきて、悩みがなかった時ってほとんどなかったように感じます。
でもそんな時でも家族や友達、先生が支えてくれていたから大丈夫だったんだなと改めて気づかせてくれました。
ジェシーアイゼンバーグさんは演技も上手いし、こんなに素晴らしい映画を撮ることができるなんてとても凄いです。
また、助演男優賞にノミネートされたキーランカルキンさんの演技も良かったです。
特にラストの何とも言えない表情は素晴らしかったです。ベンジーにはこれから、幸せな人生を送って欲しいです。
タイトルなし(ネタバレ)
従兄のデヴィッドを翻弄する独特な感性を持ったベンジーだが悪気は無い。ツアーの人達は一時的な付き合いだから「正直で良い奴」と、彼との出会いに感謝しているだけかも。
デヴィッドが家庭を持ったから疎遠になったのか? 孤独を感じて自殺未遂したのか?
そう、自殺未遂さえしなければ。
クラシック音楽が全体に流れ、観客もツアーに参加した気分に少しなれる(?)ロードムービー。
※玄関に石は置かない方がいい
ドキュメンタリータッチの面白さもあるっ!
ヨーロッパの街並み、戦争の歴史、そういう事実をうまく作品の中に嵌め込んでいて、ドキュメントを見ているような面白さがあるのがいいね。映画だということを忘れさせるような。
特に収容所を見学する場面では、ほとんどセリフを使わずに様々なメッセージを与えてくれていてそういう作り込みも良かった。
冒頭のデヴィットとベンジーの多弁なやり取りも作品に1つのテンポ感を与えていてイイ感じ!
ツアー中のベンジーの行動が結構「ムカつく」んだよね。うわー、こんなんいたら嫌だあ!と思うと少しイライラしたなあ。合わせてデヴィッドの表情に感情移入しちゃったしね。これも映画の質の高さと言われればそうなんだろうな。そんなことを思いつつ鑑賞してくんだけど、BGMのショパンがいい緩和剤になってて心が和むよね。個人的に今クラッシック欲求高いのもあるからかもだけど。
後半はドンドンストーリーが良くなって(良いという表現は的確じゃないかも)作品世界に引っ張られていったなあ。同じツアーの人々とも揉めたりしなくて、そういうサブストーリーはカットして本筋一本に絞っているのも良かった。だから1時間半程度にまとまりつつ、良い仕上がりになったのかも。
製作陣にエマストーンがいるらしいね。マルチだよなあ。マルチといえば、主役のジェシーアイゼンバーグだよね。ゾンビランドシリーズは良かったなあ。でもなんかヒーロー物で悪役もやってなかったっけ?雰囲気は一定だけど役柄は幅広いよね。
あえていうなら、スタッフロールでショパンから明るい曲に変わったのがもったいないかな。あのままショパンで終わって良かったのに。この部分と途中ベンジーにイラついた部分で4.8くらいかなあと思ったけど、繰り上げて★5で。今年初の★5は少しオマケで。
完全に★5だあ!と断言したいよ、早く。
2025年劇場鑑賞6作品目
彼らと一緒に旅をした気分になる
正反対の性格の男たちのバディムービーとしても、ポーランドのホロコーストの史跡を巡るロードムービーとしても楽しめる。
兵士達の像の前で、記念写真を撮る場面では、人付き合いが苦手で内向的な主人公と、陽気で社交的な従兄弟の性格の違いが明確に分かるようになっていて面白いし、2人が列車で降りる駅を乗り過ごすくだりでは、チグハグながらも仲の良い両者の関係性を窺い知ることができてホッコリさせられる。
自由奔放で、その場の空気が読めない従兄弟は、厄介なトラブルメーカーでもあるのだが、ユダヤ人収容所の跡地に列車の1等席で向かうことや、墓地で死者に敬意を払わないことに異を唱える彼の言い分は、至極真っ当で、単なるクレーマーではないことが分かる。
成功したユダヤ人達の食事の席から立ち去ったり、収容所を見学した後に涙に暮れている姿などを見ると、彼が、単なる陽キャではなく、感受性が豊かで傷つきやすい性格でもあることが分かり、マリファナに頼ったり、自殺未遂を起こしたりした理由も、そんなところにあるのだろうと納得することができた。
そして、そんな「強そうで脆い」という複雑なキャラクターを、自然に演じきったキーラン・カルキンは、やはり良い役者だと思えるのである。
ラストで、そもそもの旅行の目的であった祖母の家の訪問が、玄関先を見ただけで終わってしまったり、ようやく地元の人と交流できるかと思ったら、素っ気ない会話で終わってしまったりするところは、何だか拍子抜けする反面、「現実ってそんなものだろう」というリアリティが感じられる。
ただ、従兄弟の寂しげな佇まいが印象的なエンディングについては、しみじみとした余韻が味わえるものの、最後にもうひとひねり、ドラマチックな展開があれば申し分なかったのにと思ってしまうのは、やはり、欲張りすぎだろうか?
自分が抱きしめられたような感覚
想像以上に良い映画で、何故だか涙が溢れてしまった。悲しいわけじゃない。嬉しいわけじゃない。
ただ、得体のしれない何かに大きく心を揺さぶられて、把握しきれない心の波が涙腺を突き破ったような涙だった。
泣いてしまうことを予想しなかったわけじゃないが、理由のハッキリしたものだと思っていた。コミカルだけどホロリと来る、みたいな。それはそれで確かに間違ってはいないけれど。
序盤から丁寧にデイヴとベンジーという従兄弟同士の2人のキャラクターや、彼らの気持ちの有り様を描いていて、関係性や状況に観ている側がすんなり入り込めるのが素晴らしい。
ずっと2人を観続けているうちに、私たち自身が3人目の旅人として彼らに同行しているような感覚。
それは最後の最後まで続いていく。
「リアル・ペイン」とは困ったヤツ、という意味があるらしい。この映画の中で「困ったヤツ」なのはどう考えてもベンジーだ。
自由で、正直で優先順位のつけ方がおかしい。なのに何故か人に好かれ、本人も社交的。悩みなんて無さそうに見えるのに、実際はつい半年前に睡眠薬を過剰摂取するという自殺未遂を起こしている。
表面的には見えてこない、本人だけにしかわからない辛さ。
対比になっているのが祖母のルーツを訪ねるホロコーストツアーだ。歴史に刻まれた大勢の人々の苦しみや嘆き、恐怖、痛みの大きさは計り知れない。
計り知れないが、ある意味当然としてそこに痛みや苦しみがあったことを主張する。
それと比べてデイヴやベンジー、私たち自身の今感じている苦しみや痛みは一体何なのか。苦しさは量や程度に換算されるべきものでは無いけれど、対比された時にどうしても矮小化されてしまう。
デイヴ自身、奇跡の果てに生きているベンジーが命を投げ出してしまう行為について、到底理解できないと述べてはいるものの、その個人的な苦しみに寄り添えない自分に不甲斐なさを感じているようにも見えた。
いつだって相手を理解して寄り添いたい気持ちはあるのに、どうしていいのか、どうすればいいのかわからない。大好きで、一方でイヤな奴でもあり、して欲しいことには応えないくせに、肝心な時に側にいてくれる。
まさに「困ったヤツ」。
デイヴは最後までベンジーに寄り添おうとするけど、結局最後までベンジーの望むものはわからずじまいだった。そういう意味では、ベンジーにとってのデイヴだって「困ったヤツ」なんだろう。
細かいことを気にして、強迫性障害の薬を飲み、人と接することが苦手で独りでポツンと食事しようとしているデイヴ。
なのに、して欲しいことが食い違っていても、それでもデイヴが寄り添おうとしてくれたこと自体を、ベンジーは受け入れてくれたのだと思う。
チグハグな行為の最後に、がっしり抱き合うデイヴとベンジーの姿に、きっと自分も誰かに受け入れられ、ハグしてもらったような気がして、その安堵感が得体のしれない涙に繋がったんじゃないか?と少し俯瞰して考えている今は思う。
40代のオッサン2人のロードムービー、という冷静に考えると需要の在り処もわからない作品なのに、意外と観客は多かった。
大人が観る映画なので当然かもしれないが、今まさにデイヴやベンジーと同じくらいの歳からその上の歳の観客にとって、この映画が訴えかけてくるテーマは胸に突き刺さるだろうと思う。
ベンジーを「困ったヤツ」だと思ったとしても、自分だって誰かにとっての「困ったヤツ」だから。そしてきっと自分も「困ったヤツ」を抱えていて、そいつを理解しきれぬまま、それでも寄り添って生きていきたいと思っていることを実感させられる。
少し笑えて、所々不安になりながら、何故か最後は少し前向きな気持ちになれる、そんな映画なのだ。
けっこうよかった
劇中に流れるピアノ曲が美しくて心が洗われるようだ。ポーランドに旅行するアメリカ人の従兄弟同士という微妙な距離感の友情が描かれる。従兄弟のベンジーがマイペースな人物で、機嫌のいい時は周囲を楽しくさせるが、気に入らないと不機嫌さを露骨に示し空気を悪くする。映画では肯定的に描かれているが、こんな人すごく嫌い。それをよしとしている人がいたら、そっちも尊重しろよ。不機嫌にするんじゃなくてジェントルな態度で言葉で説明すべきだ。とはいえピュアな人物であり、彼は彼で苦しんでいる。それも含めて、正直だし、踏み込んだ表現だし、いい映画だ。
おばあさんの家が普通で拍子抜けするところは面白い。
ベンジーとデイビッドはずっと仲良しでいて欲しい。自分にはもはや絶交状態の従兄弟しかいないのでうらやましい。
危うくて純粋な困ったヤツ
ジェシー・アイゼンバーグ監督・脚本・製作&デヴィッド役という
素晴らしい才能とキーラン・カルキンのベンジー役での突出した演技に
打ちのめされる作品でした。
冒頭のデヴィッドの描写からベンジーと空港で落ち合って以降の
ベンジーの描写が対比として、まさに真逆といって過言ではない二人の
キャラクターの旅がどんなものになるのか期待感がありつつ、
飛行機の中でのベンジーの言動に、「?」がつく絶妙な導入でした。
ホテルで二人でハッパを吸いに屋上に登ったりすることで
デヴィッドがベンジーに振り回されていることがわかります。
ツアー中も自由且つ純粋なベンジーの言動にツアー参加者も振り回されるんですね。
電車内、お墓。そして強制収容所の帰路で号泣するベンジー。
ツアー最終日前日のツアー客との夕食時でも自由な振る舞いのベンジーですが、
ベンジーが離席している間、デヴィッドが溢れる思いを止められず、
ツアー客たちに語るシーンが、この作品のもっとも見どころでしょう。
ここで、デヴィッドはベンジーのことを、めちゃめちゃ殺したいくらい憎いけど、
めちゃめちゃ愛している、といったことを語るんです。
大いなる矛盾ですが、ベンジーを見ていれば、そういう感情になることも実によくわかるし、
Painだったりもするのだと思います。
ラストに空港で別れるふたり、
デヴィッドは自宅にベンジーを誘いますが、ベンジーは断り、空港に残るんですね。
家に帰りたくないのかな、寂しい思いを噛み締めているのかもしれません。
冒頭の空港での待ち合わせも、ずいぶん早く到着していたベンジーですから、
よほどデヴィッドに会いたかったのでしょう。
終始精神的に不安定なベンジー(デヴィッドも不安定で薬を飲んでいました)の
ラストショットは実に心配になります。
大丈夫かな!?ベンジー。ちゃんと生きていて欲しい。
そう思いながら幕を閉じました。
劇伴のショパンも作品を極上にしていた素晴らしい要素だと思います。
なんとも言えない心に沁みる鑑賞後感でした。
温かなロードムービー
従兄弟同士の2人と一緒に旅をしている気分になれる
ロードムービー。
クスッと笑えるシーンもあり、
鑑賞後は温かい気持ちになれる映画だった。
作中のショパンのピアノの音色もとても心に残った。
デヴィッドは常識的な人で温かい家庭もあり幸せそうだが、
人付き合いは少し苦手で実は強迫性障害の薬を常用している。
ベンジーの言動には時々ハラハラするけど、
同時に人を楽しませる魅力も持っていて
他人から見ると一見うらやましい生き方に見えるが、
彼も心の奥底に深い悲しみを抱えている。
2人が訪れたポーランドには私は訪れた事がなく、
ホロコーストについては
学校で習った知識でしかなかったため
帰宅後改めて調べたらとても辛くなった。
映画のレビューとは逸れるが、
自分自身が知らない事から
差別の気持ちが生まれてしまうことがある。
自分の知らない世界についても
まずは関心を持って知ることがとても大切だと思った。
現代に生きる私たちにはホロコーストの壮絶さを
本質的には理解することは出来ないのかもしれない。
それと同時に誰しも他人には見えない所で、
それぞれ計り知れない痛みを抱えているのかもしれない。
痛みには肉体的な痛みや精神的な痛みもあり
その辛さは他人のものさしでは測れず本人でないと分からない。
他人への思いやりを忘れずに生きていきたいと思った。
おくりもの
どれだけの歳月がすぎても心の影はそこに響きわたる
ショパンの音色はそんなふうに寄り添い続け奏でる
その街に点在する悲劇の断片、耐え難い事実の証明〝ホロコースト〟を後にして車内の席で嗚咽するベンジー
感受性の強い彼は祖母の祖国でそのルーツを肌で感じ、哀しみを生き抜かねばならなかったことへの悼みと深い敬意、二度と会えない大好きな人への愛が満ち溢れたのだろうか
陽気な見た目とは真逆の部分に佇む彼の肩にデヴィットは容易に手を添えることもできない様子だった
遺言から始まるこの旅は、冒頭から不安がよぎる従兄弟たちの凸凹加減、ちぐはぐで軽いやりとり、リアクションの巧さを可笑しく観ていたがそんなツアーの途中に、これは孫たちの性格や様子をよく見抜いていた祖母が、祖国を共に旅することで起きる2人の化学反応のために計らったのだなと感じた
社交的で素直、ラフなジョークをポンポンと挟みながら最後には相手の懐にふわりと入っていける魅力があるベンジーと、内向的で生真面目、会話は丁寧でかっちり四角くどうみても遊び心に疎いデヴィットの内面がツアーグループのメンバーとして過ごすなかで徐々にみえていく
そしてある日の食事の際、ベンジーの過去の出来事と彼への気持ちをデヴィットが吐露したときだ
数日だけの付き合いのツアー仲間にわざわざ打ち明けたのはなぜか
それはベンジーの行動があまりにも身勝手でたびたび空気を歪ませることへの申し訳なさ、必死のフォローに追い討ちをかける行動にうんざりしていたからだけではなかった
今、そこにいるのが半年前に衰弱した姿で目にしたベンジーであること
こうして旅に来てくれた彼の進歩や奇跡、感謝が胸に沁みていたデヴィットがベンジーのために唯一できることだったのだ
ツアーを抜ける時の姿には胸が押されるようだった
デヴィットがこっそり憧れるように確かにベンジーはみんなに許され愛されていたから
ストレートだが真心のあるベンジーの人間味にそれぞれがたっぷり触れていたことの上に、彼を見離さないデヴィットが型にはまらない自分の言葉で思いを語ったおかげにほかならない
そんな二人を思い返す時
初日の夜ベンジーに祖母に似ていると言われたデヴィットが自分の足をぼんやりと眺める視線が浮かんでくる
自分のスマホを臆することなく奪い楽しそうに音楽をかけシャワーをあびるベンジーのマイペースさでいっぱいになった客室のベッドの上のシーンだ
あの時デヴィットの目を通して感じた不思議で独特にやわらぐ空気
私にも届いてきたその正体
それこそがきっと祖母がこの旅に求めたものだったのかなと思う
最終日に訪ねた祖母の昔の家の前で、平凡さの内側に隔たりが潜んでいた過去を受け止めその思いを十分に胸におさめたこと
空港での力強いハグと不意のビンタにみてとれた2人の関係性の変化もきっと祖母には伝わったんじゃないだろうか
だけど今もやるせなさと不安が疼き続けるのはラストのあの眼差しを心の奥で感じてしまったからだ
人は簡単には変われない
しかしゆっくりと変わっていけることもある
あの時2人がポッケに忍ばせ持ち帰ることになった小石はきっと天国からのおくりものなのかも
デヴィットの家の玄関で彼と家族を見守り、ベンジーにはその手のひらのなかで祖母のような勇気とあたたかな希望を与えゆっくりと支えてくれると信じていたい
訂正済み
悲惨な歴史への向き合い方を問われる映画
鑑賞前に、2人のユダヤ人(デヴィットとベンジー)がアウシュヴィッツへ旅する話と聞き、かなり辛い内容を覚悟していきましたが、数あるアウシュヴィッツ映画に比べると強制収容所に関わる話は少なめ。(デヴィットが止める中)ベンジーが起こすドタバタ騒ぎで、本来知りたいユダヤ人の歴史やアウシュヴィッツの話から、映画が度々脱線することに観ていて苛立ちを感じましたが、そんな私は監督の術中にはまっていたようです。
鑑賞後のティーチングのなかで、監督がこの映画を撮る一つのきっかけが、ユダヤ人としてアウシュヴィッツに2週間の旅行をしたときに感じた、旅の贅沢さへの違和感にあったとコメントされていました。どうも、デヴィットとベンジーは、この旅に参加する全ての人たちが持っている、理性的な外向きの人格と感情的な内向きの人格を象徴していたようです。
2人を除くすべての登場人物は、ユダヤ人であれば、アウシュヴィッツから生還した家族の成功譚を語る事で悲惨な経験も意味あるものに変えてきた事を語りますし、非ユダヤ人であれば、広範な知識で東欧のユダヤ人の輝かしい歴史について語ります。これらは(一等車に乗る贅沢な旅も含めて、)現地を訪れることで直面する、過去の強制収容所の悲惨な現実から自分達の精神を少しでも切り離し、明日からの日常生活を守る為の正当な防御のようにも思えます。
しかし彼らは、そんな辛い現実にノーガードで飛び込んでいくピュアーなベンジーを見て、少し後ろめたさも感じている。それは、周囲に迷惑をかけ続けるベンジーに対して、彼らが寄せる愛情から感じられます。
最後にこの映画に照らして自分を考えると、まさに、鑑賞後にひたすら周辺の現代史を読みまくる事で、感情の痛みを中和しようとしていた現実に気づきます。。。映画内のイギリス人のようにガイドをすることで人の心の痛みを和らげているわけでもないのに、「昨日よりは少しマシな自分になった」と言い聞かせ、玄関に石を置いて現実生活に戻りたいわけです。そんな自分の逃げをズバリ言い当て平手撃ちを喰らわせたこの映画は、今後の悲惨な歴史を描いたすべての映画を鑑賞する上でも、自分にとって価値ある一作だったと思います。
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