「痛みは天秤にかけられない」リアル・ペイン 心の旅 ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
痛みは天秤にかけられない
原題「A Real Pain」は、「面倒なやつ、困ったやつ」といった意味だ。
オープニングで空港のベンチに座るベンジーの横にこのタイトルが浮かぶ場面は、彼がその面倒なやつであることを示唆しているようでもあり、実際ツアーの序盤ではその通りの印象を受ける。
それがラストシーンで再び彼の面差しと共にこのタイトルを見る時には、直訳の「本当の痛み」の方の意味合いが色濃く浮かぶ。最初のタイトルコールと対になった演出が効いている。
多分多数派だと思うが、私もまたデヴィッド寄りの人間なので、彼がベンジーの奔放さに困惑する気持ちは手に取るように分かった。
ワルシャワ蜂起記念碑の前で、おどけた写真を撮るベンジーを不謹慎に思って小声で注意したら、意外と他のツアーメンバーもベンジーのノリに付き合いだすのを見て気後れするところなんかはすっかりデヴィッド目線になり、疎外感に胸の奥がヒリヒリした。
ルワンダ虐殺サバイバーのエロージュやガイドのジェームズとの間には気を揉むようなやり取りがあったのに、最終的にベンジーは好かれてしまう。一見不躾なのに、その裏にある率直さという美徳がちゃんと伝わるのは羨ましい個性だ。
自由なベンジーの横にいると余計に自分の不器用さが際立って惨めな気分になる。一方で、彼がほんの数ヶ月前にオーバードーズ(OD)で生死の境を彷徨ったことも知っている。そんなデヴィッドは、好意や羨望に憎しみまでも入り混じった複雑な感情をベンジーに抱く。
だが、ベンジーの目にはデヴィッドの生き方の方が自分の人生よりよほど眩しかったのではないだろうか。行きの飛行機でデヴィッドの仕事をからかった時や、彼の家族の話を聞いている時、ベンジーはどこか寂しげだった。
対人関係は不器用であっても、デヴィッドには定職があり、家に帰れば愛しい妻とかわいい我が子がいる。
自分の家に会いに来るよう請うベンジーに、デヴィッドはベンジーの方がニューヨークに来ればいいのにと返す。でも多分、デヴィッドの幸せな家庭を見ることはベンジーにとって辛いことなのだ。
ラストシーンを見る頃、私はいつの間にかベンジーの目線になっていた。
こうした2人の男性それぞれの生きづらさが、ホロコースト史跡ツアーの道程と共に描かれる。
ツアーメンバーとの夕食の席で、デヴィッドはベンジーについて「祖母がホロコーストを生き延びた結果奇跡的に僕たちは生まれたのに、あんなこと(OD)をしていいのか」といった主旨のことを言った。確かにホロコーストは近代で他に類を見ないほどの圧倒的な「痛み」だ。その痛みを前にすれば現代人のパーソナルな苦悩は、一見ちっぽけなもののようでもある。
デヴィッドの言葉は、祖母のルーツを尊重する思いから出たものだろう。だが一方でこれは苦悩を抱える本人にとってはあまり役立たない論理だ。むしろ、ホロコーストの苦難に時間の隔たりを超えて全霊で感情移入する敏感さを持つからこそ、ベンジーは生きづらさに苦しんでいる。
「本当の痛み」は主観的なものであり、別の悲劇と比べたからといって卑小になったり偽物になるわけではない。
この物語がありがちな結末を迎えるとしたら、別れ際の2人の明るい表情で終わることだろう。だが実際は、あたたかい家庭に帰るデヴィッドと、そのまま空港に残るベンジーが対照的に描かれた。
旅の始まりでは待ち合わせ時間の何時間も前から空港に来ていて、旅の最後の別れ際にはしばらく空港に残ると言ったベンジー。元の日常で彼を待っている孤独との再会をしばし先送りにしているような、憂いを含んだ眼差しに胸が締め付けられる。
旅の経験は確かにこれからのベンジーにとって支えになるだろう。でも、彼の苦悩が即座に消えるわけではない。結局は旅の後の日常で、ひとりで地道に折り合いをつけてゆかなければならない。Real Painとはそういうものだ。
そんなことを思わせる、まさに現実的なラストシーンだった。
重いテーマの作品だが、全編を彩るショパンを聴きながらデヴィッドたちが訪れる史跡を順番に見ているうちに、ツアーに同行してポーランドを巡っているような気持ちになる。また、基本的にデヴィッドとベンジーのやり取りは軽やかで時にユーモアがあり、物語に親しみを感じさせてくれる。
人の心の痛みというものについてやわらかに問いかけ、安直ではないラストでその問いを問いのまま観客の心に残す。繊細で率直な誰かとしばらく過ごした後のような、不思議な余韻の残る映画だった。
あの品のない悪態、どんなふうに翻訳されたのかすごく興味ありますが、字幕は確か理解できる限界の1回?14文字以内の縛りがあるから、相当削られてる情報があると思います。
スラングが多くて私も色々理解できませんでした。いい年して子供みたいなおかしさを感じましたがw
それにしても毎回素晴らしいレビューありがとうございます。
ベンジーは周りを楽しませたくて、良かれと思って、話しすぎてしまうのかなと思いましたが、カナダではずっと爆笑だったので、きっと特別な才能があるADHDかもしれませんw
家族が待つ家に帰るデヴィッドと、空港のベンチに座り直して動かないベンジー、ラストの二人の対比が現実的で、ありがちに終わらないのが秀逸でした。
素晴らしいレビュー、いつも心動かされています。