「期待度○鑑賞後の満足度◎ 劇団名と出演者の顔触れだけで事前にメッセージがバレてしまうのが難だけど、こういう映画が作られなければならない今の社会の方がおかしいと思いますけど、どう思います?」まつりのあとのあとのまつり「まぜこぜ一座殺人事件」 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0期待度○鑑賞後の満足度◎ 劇団名と出演者の顔触れだけで事前にメッセージがバレてしまうのが難だけど、こういう映画が作られなければならない今の社会の方がおかしいと思いますけど、どう思います?

2025年3月23日
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鑑賞方法:映画館

①この映画のメッセージは実にハッキリしているので(殊にアンチには説教臭いと批判されそう)、その辺りは観る人にお任せするとして…

②白ご飯だけって美味しいよね。でも、混ぜご飯も美味しいよね。カレーも具がみんなドロドロに溶けて区別が付かなくなったのも美味しいけれど、やはり人参があってジョガイモがあって玉ねぎがあって、それぞれ個性を主張してくれていた方が食べていて楽しい。
本場インドカレーや(本来インドには“カレー”というものは存在しないらしいけど)中東の料理は色んなスパイスを使っていて、そのスパイス群が渾然一体となった味も素晴らしいけれど、やがて一つ一つのスパイスの味わいも分かってきて二度美味しい。
人間社会もこんな風になれば良いのにね。

③楽屋落ちみたいな映画だけれども、まあこういう映画もあり、と言うことで。

④私も小さい頃から“五体満足で生まれてきたことを感謝しなさい”“ちゃんと真面目に学校に生きなさい”“良い学校に入って、良い大学に入って、良い会社に入って、家庭を持って子供を作って一人前にと育ててetc.etc.”と言われて育ち、“それが真っ当な人生”と吹き込まれてきた世代だけれども、確かに人間社会の生産性から見ればそうなんだけれども(そんなこと言った政治家がいましたね)、もうそろそろ止めにしません。
人間社会の生産性は確かにそういうところから出てきているのかもしれないけれども、人間社会・歴史の中の文化・芸術というものは違うところから生まれてきたのではないかと最近よく考える。
例えば「漫画・マンガ」。
私の子供の頃はそれこそ「マイノリティ」の代表みたいで(「マジョリティー=本」「マイノリティ=漫画」)(“「漫画」なんか読まないで「本」を読みなさい”ってよく言われた)、でも今や漫画・マンガ・コミックは日本を代表する文化となり誰も「マイノリティ」だと思っていない。
そういうもんでしょう。
昔の価値観や物の見方に囚われている方が段々ダサくなる。

映画の舞台となる劇団の公演の最後に“綺麗は汚い、汚いは綺麗”というシェースクピアの『マクベス』の有名な台詞が出てくるけれども、「マジョリティー」と「マイノリティー」という相対する言葉。
世の中の「マジョリティー」に属する人たちは普段は自分たちが「マジョリティー」だとは意識せずに生きているだろうけど(だから「マジョリティー」なんだろうけど)、“自分が結局は社会や会社を動かす歯車・部品の一つに過ぎない。いつでも替えがある存在に過ぎない”とふと感じた時、やはり「マジョリティー」感を持ち続けるのだろうか?というのが最近よく考えること。
勿論、逆に“機械は歯車や部品の一つでも欠けたら正常に作動しないから、歯車や部品であることに誇りを持って自分の役割を全うするんだ”という志の高い人もいるのは理解しています。

③「人生に失敗した」「人生の落伍者になった」「人生のレールから外れてしまった」と言葉をよく目にし耳にしますけど、こういうことを言う人達の意識の中では、“人生=マジョリティー”で、“失敗、落伍者、脱線=マイノリティ”なんでしょうね。
そうなると“人生”って何なん?ということになる。

もーさん