「チェキは時代を超える」ファーストキス 1ST KISS 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
チェキは時代を超える
過去にもどってトライ&エラーを繰り返すSF恋愛映画。塚原あゆ子氏と板元裕二氏という職人コンビ、巧いのはもちろん、アートなおごりがないので見やすかった。
松たか子さんがきれいだった。実年齢は2025年時点で48歳。松村北斗さんは30歳。現在のカンナ(松たか子)が過去の硯駈(松村北斗)に出会うというプロットゆえに年の差でキャスティングされているが、それでもあまり年の差を感じないカップルだった。
頻繁に過去に行き、失言や失策のたびに「やりなおします」と言ってループするのはgroundhog dayというよりHappy Death Dayの印象で、それを考えるとHappy Death Dayはgroundhog dayを「何度もやり直す過去」という汎用なコンポジションに落とし込んだと思う。Happy Death Dayはなんていうか気軽にgroundhog dayを使っていいという不文律を布いた。
ループものはなぜそうなっているのかという科学的根拠や理屈を説明すると物語が失速する。なぜかそうなっていて、ループすることでなんらかの結論へもっていけばいいのであり、ループによらなければ物語にならないが、かといってループ自体に重要性はない。
じっさいに坂元裕二氏は『これってもしかしたらタイムトラベルをしなくても、自分たちの気持ちや行動でやり直していけるんじゃないだろうか、と映画を観た人に感じてもらえればいいなと思いながら脚本を書いていた』と語ったそうだ。(fromウィキ)
結果ループ構造は背景のように後ろへ引いて、同氏脚本の「花束みたいな恋をした」のような真摯なラブストーリーになった。あるいは岩井俊二のラストレターのような印象もあった。
groundhog dayが言いたいのは己の日常を愛しなさいor足るを知りなさいということだ。
groundhog dayでビルマーレイが酔客に説教されるシーンがある。
「(半分飲んだビールジョッキを指しながら)このグラスを見て「もう半分しかない」と見るか「まだ半分もある」と見るか、あんたは「半分しかない」っていうほうだな」
これは、もう半分しかないと落胆するより、まだ半分もあると思って明るくしていなさいという既に陳腐化した自己啓発の教訓だが、ようするに日常を生きていて、つまんないとか、いやだとか、面白くないとか、金がないとか腐ってばかりいれば、腐ったなりの人生にしかならない。そんな態度でいたら、また同じ一日がまた繰り返されるだけだ、とgroundhog dayは言っていて、じっさいにフィル(ビルマーレイ)が、明るく積極性と協調性をもってイベントgroundhog dayと町民に関わるまで、ループは止まらない。その基調理念がファーストキス1STKISSにもある。
ファーストキス1STKISSは何度やり直しても硯駈がしんでしまう結果は変わらないのだが、しかしループによってカンナと硯駈の意識が変化し、ふたりで過ごした月日がかけがえのないものに変わる。物語ではそれがタイムトラベルによってもたらされるが、いみじくも板元氏が言ったように『タイムトラベルをしなくても、自分たちの気持ちや行動でやり直していける』ということをサジェストしてもいたと思う。だから狂言回しとなるループが悪目立ちせず「花束みたいな恋をした」のような純粋なラブストーリーが浮き彫りになった。さすが板元裕二脚本だった。
セリフでは「ここ結婚してます」がいちばん笑った。
「15年後は世の中どうなってんの」という質問に対しての「人がね、なに見ても聞いても「やばい」しか言わなくなってる」というセリフは、ボキャブラリーの魔神である板元裕二氏が、現代人を評した実感にも感じられた。
役者ではチェキ娘と少年のコンビがよかった笑。