「「田舎あるある」の詰まった怖い話。気持ち悪い虫は出てこないので安心してご覧ください。」嗤う蟲 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
「田舎あるある」の詰まった怖い話。気持ち悪い虫は出てこないので安心してご覧ください。
想像していたより、ずっと面白かった。
もっとドロドロの気持ち悪い人体損壊系ホラーかと思って観に行ったら、ぜんぜんえげつないスカムなんかじゃなかったし、なんならホラーですらなかった。
これ……、タイトルで結構損してるのでは?(笑)
このタイトルだと、少なくとも「蟲」に関連する映画かと思うもん。
具体的には、某同人ソフト&アニメに出てくる●●沢症候群みたいな。
勝手に寄生系、脳内支配系の話を想像していた。
少なくとも超常的要素のあるこけおどしのきついのを。
グチョグチョで、うじゃうじゃで、
人間の断面から白い線虫がいっぱい蠢いてるみたいな。
ふたを開けてみれば、正攻法のヴィレッジもののサスペンス。
巨大な虫も、微細な虫も、出てこない。
たまに「ふつうの虫」が草に止まってるくらい。
都合の良い話ではあるが、一応すべて「理屈」で説明がつく。
たしかに「嗤う蟲」の字面から想像されるような内容の映画ではなかったので、その「落差」には新鮮な驚きがあったし、先読みできない面白さもあったけど……。
一方で、このタイトルをつけることで生じた「不利益」もそれなりにあるのでは?
結構な数の「本当はこの映画を気に入って観てくれるはずだった」お客さんが、「コレ、なんかオエー系の気持ち悪い映画なのでは?」と「敬遠」しちゃってるんじゃないのかなあ?
個人的には、制作陣が自らコンプラ的に絶対ダメだということで没にしたらしい仮題「村八分」でも(そう大規模公開ではないホラー枠なら)行けた気がするし、あるいは「つけびの村」のイメージで「火祭りの村」とか、「嗤う」を使うなら「嗤い村」とか、必ずしも「蟲」は使わなくてよかったのでは、と思う。あとは「#田舎生活」「#田舎に移住しました」とか。
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内容的には、まさに「村八分」の話。
いまやこんな村はないだろうと思っておられる方もいるかもしれないが、農村部でこれに近いことは、現代でも頻繁に起きているはずだ。
田舎暮らしにあこがれて移住したはいいけれど、村独特のルールや風習、「地主と小作人」のような旧弊な関係性、土着宗教的な信仰と団結心、お互いを監視し合うスパイ文化などに耐えかねて、1年もたずに都会に逃げ帰る若い夫婦の話は、いくらでもきく。
僕は天然記念物めぐりと仏像めぐりを趣味としていて、年に10回くらいは地方を訪れるが、現地のタクシーの運ちゃんなどに話を訊くと、今でも「ムラ社会」は厳然として存在していて、新参者が馴染むにはなかなかにハードルの高いものがあるという。
そもそも僕の妻の実家は北関東の山間地にあるが、やはり空気感が都会とは全然違う。
まず驚いたことに、在宅中はみなさん、家に鍵をかけない。
朝ごはんの時間に、近くの畑からご近所さんが勝手に家に上がりこんできて、一緒に食べて帰る(これにもすごくびっくりした)。
いまどき犬は全部外飼い。猫は放し飼い。時々はらんで帰ってきて子供を産んだら、当たり前のように川に沈めてから山に捨てに行く。
ゴミは基本すべて自宅の窯で燃やす。家族全員が車持ち(実家だけで4台ある)。犬を連れずに「ただ村を歩いている」人間はとても不審がられる。
四六時中「村普請」があって、農作業や祭りの準備や公共部の掃除がある。若い世代は「消防隊」にほぼ強制参加。例外はない。
夜の話題はもっぱら近隣住人のゴシップ。とくに出産、病気、受験、離婚などの話題に驚くほど詳しい。何か悪いことがあると、うちのお義母さんは必ず最後に「バチがあたったんよ」と付け加える(笑)。
あと、妊活の時期は、本当にお義母さんから、地で穫れた自然薯や山芋が大量かつ頻繁に送られてきたものだった……(山芋とカボチャのシーンはアレ、マジで超リアルです!)。
みんな驚くほど気さくだし、お互いにおすそ分けをしあっていて仲が良いし、旅行に行くのも習いごとするのもご近所さんどうしだし、基本的に「あの中にいる限りは居心地のいい楽園のような村落共同体」なのだと本気で思う。
でも、僕の妻は「田舎のああいうところがイヤで、イヤで、本当にイヤで、必死で勉強してなんとか東京の大学に受かって逃げるように出てきた。それでなんとか救われた、死なないで済んだ」と吐き捨てるように言っていた。
本作に出てくる村も、僕の知っている妻の田舎とよく似ている。
もちろん映画だから、いろいろ誇張がなされている。
わかりやすい悪事を働いているし、人死にも出る。リアクションも極端になっている。
だが、本質的な部分は一緒だ。
田舎の村社会には、いいところもあれば、悪いところもある。
そして、それは二分された関係のない別の何かではない。
「同じもの」の見せる、コインの裏表なのだ。
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本作でやろうとしていることは、
『ひぐらしのなく頃に』や『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』と本質的には変わらない。
古くは津山三十人殺しやそれを題材にした『丑三つの村』、
周南五人殺しやそれを題材にした『つけびの村』『楽園』。
「村」と「部外者」の引き起こす、違和と軋轢の話。
それを、B級娯楽映画の枠内で、なるべくリアリティラインをあげて、「本当に起きてもおかしくない村の話」として組み立てようとしている。
リアルに近づける試みは、「超常現象に頼らない恐怖演出」にとどまらない。
たとえば、村人が村に来たばかりの新参者にはやたら優しいが、「いったん仲間になった新参者」には猛烈に厳しいのは、とてもリアルな感じがする。
学校で転校生はもてはやされるが、半年くらい経つと方言がしゃべれないだけでいじめられだすのと一緒だ。基本的に、「いじめ」は「仲間内」でしか起きないものである。
この物語における「隣人夫婦」は、主人公たちの写し鏡だ。
同じ「移住者」で、結局村に馴染めなかった者。
村の要望に応えられず、村の要求水準に達することの出来なかった者。
その末路が、アレだ。
あの夫婦はたしかに薄気味悪いけれど、主人公夫婦にとっての「敵」ではない。
明日は我が身として、自分を振り返るためのよすが。
彼らの未来をうらなう、「悪いモデルケース」なのだ。
この村には秘密がある。
秘密があるぶん、部外者の取捨には選別が必要になる。
それが冒頭シーンの、手に持っている「鎌」だ。
主人公夫婦の場合は、事前の面談で「与しやすい」タイプと判断されたのだろう。
(農地の相談など、引っ越してくる前に結構事前にやりとりをしている気配がある。)
一方で、この村は限界集落で、子供はほとんどいない。
何がどうなったかは知らないが、村長の子供の世代すらどこにも見当たらない。
(子供ばかりが例の水害で亡くなったみたいな設定にしてもよかったのかも)
この村は、村総意の意思として「次の世代」を希求している。
だから彼らは、新住民を欲する。赤ん坊を欲する。
このままでは、村はなくなってしまうからだ。
そもそも村をなくさないための「秘密」なのに、
村がなくなっては本末転倒だ。
だから、彼らは危険でも「新参者」を受け入れざるを得ない。
ここの描写は、必ずしも映画の中でうまくいっていないので、「なんでそんなヤバい村に若夫婦わざわざ移住させるんだよ」と思うお客さんが多いような気がするのだが、ロジックとしてはそういうことだと思う。
村長夫妻のキャラクターも、漫画的なようでいて、そこそこリアリティがある。
カリスマ性をもって村を支配していても、「仲間に対してはふつうに愛嬌のある」人たちだというのは決しておかしな話ではない。恐怖と友愛。支配には両輪が必要だ。
村長に認められていることが、村民にとっての価値となるためには、一定の指導者に対する敬慕の念が必要となってくる。一方で、仲間の結束を高めるために「出来の悪いゴマメ」を集団でイジメるという行為も発生する。あの「みそっかす」の一家はその犠牲となったわけだ。
いざ危機に立たされると、村長がやけに小物でコミカルなのも、意外とそういうものだと思う(奥さんのほうが断然キモが座っている)。
個人的には、村の雑貨店の反応とか、寄り合いでの奥さん方の反応のほうが、ちょっとやりすぎでコントぽかった気がする。
ちなみに、本作で扱われている真相のネタが非現実的だと考えている方もいるかもしれないが、産業用の「アレ」が国家の認可制で認められていて、むしろ古来の文化を守るために保護されているのは「本当」である。とくに北海道や栃木県は「アレ」の生産のメッカだ。鳥取県では、合法的に「アレ」を扱っていた人物が違法な「アレ」の所持で逮捕され、実際に大問題になったことがある。おそらく、本作の脚本はあの事件あたりにインスパイアされて書かれたのではないか。
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●ヒロインの深川麻衣のアイドル時代を全く知らないので、なんかこの映画だと、奈緒に見えてしょうがない……(笑)。可愛い若妻としてふるまっているときと、うつろな顔で隈作ってるときのギャップが激しくて、なかなか良い。麻衣ちゃんってイラストが得意らしいんだし、役の絵も自由に好きなのを描かせてあげればよかったのに。
●若葉竜也は『ぼくのお日さま』のゲイカップル以来か。もともと色気と殺気がにじみでてくるタイプだが、こういう善良そうで流されやすいボンボン育ちの役も、器用にこなすんだな。さすがの安定感。あと若葉くんはこの青年についてクソミソにこき下ろしていたけど(笑)、 僕は周辺に合わせるタイプだし、気と押しの弱いタイプなので、結構共感しながら観られた。
●村の駐在さんって、10年前ならマキタスポーツがやっていたような役だが(顔そっくりじゃない??)、実はずっと『あの人は死んだ』の駐在さんと同じ俳優さんだと思って観ていたので、別人でびっくりした。富岡晃一郎と中山功太、結構互換性があるのでは。
で、中山功太のことをまるで知らなかったのでネットで検索したら、2年前の陣内智則のYouTubeに出て、ピン芸人トークをしている動画を発見。観てたら「最近、映画のお仕事をいただきまして、髪を役柄上角刈りくらいに短くしないといけなくて」と言っていて、その映画タイトルが「放送禁止用語でピーを入れないと口に出せないんですよ!」って。それ……、「村八分」のことじゃねーかwww
●田口トモロヲはとにかく楽しそう。こういう「怪演しても許される役」って、この手のくせ者俳優にとっては、ほんとやってて面白い得難い仕事なんだろうね。ちょっと映画の空気感からするとコミカルに振りすぎの気もするけど(とくに羅刹顔から恵比寿顔へのやりすぎな顔芸とか)、逆にこの映画の「リアルを目指しているのに予定調和だったりB級っぽかったりするいい加減な部分」を、彼の演技で全部「中和」している印象もある。
●杉田かおるの村長夫人は、本当に僕のお義母さんに雰囲気が似てて、ぞわっとしました(笑)。田舎の人ってああいうこというんだよ、ほんとに!! ホントよく研究されたキャラ付けだったように思う。
●この映画に関しては、あまり細かいところに突っ込んでも仕方ない気がするのでくどくど書かないけど、やっぱり「秘密を抱えた村」が敢えて「新参者」を受け入れて、徐々に村に取り込んでいく過程が、あまりうまく描けていないのが一番の問題かと。
同様に、そんなに村民に違和感があって不気味に思うなら、さっさと都会に帰れよって思うお客さんは、けっこういると思う。とくに出産を都会でやったのなら、いくらでもそこで足抜けはできたはずだし(赤ん坊がそれなりの大きさに育った状態で帰ってきていたから、数か月は奥さんの実家に戻って親御さんに面倒を見てもらっていたように見受けられる)。
あとは細かいことだけど、アレの製造所のセキュリティの問題とか、旦那が虫に詳しいネタが冒頭しか出てこないとか、あれだけ意識高い系の夫婦が犬を外飼いするかなあとか、手筒花火にああいうことしてもあんな現象にはならないだろうとか。
とはいえ、映画としては十分楽しかったし、退屈する間もなく観終えられた。
この手の外観の邦画としては、なかなかの佳品だったと思う。
こんにちは。
コメント失礼しますm(__)m
とーーっても読み応えのあるレビューで、嫌〜な気持ちになりましたw
田舎もない、濃い〜人間関係は苦手、旅行も不便な所は全て除外!なワタクシにとっては、とてもホラーな作品でした。
はい!タイトル、検討の余地ありましたよね。
雛●●症候群…笑
タイトルは確かにもう少し何かあった気がしますね。
トモロヲはベロ出しだけはやり過ぎ。笑
自分は下戸なので、あの手の村に行ったら酒を断って村八分か、急性アル中で死にます。