ノーヴィスのレビュー・感想・評価
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まさに“新鋭”監督の登場。尋常でない切れ味に心を刺されるよう
「ノーヴィス」で監督デビューしたローレン・ハダウェイは1989年生まれ。映画の音響編集とミキシングでキャリアを築き、まだ20代半ばの2016年に自ら長編の脚本を書いて監督になると決意し、その5年後の2021年には実現させたという。自身が大学時代ボート競技に没頭した体験に基づくストーリーからもうかがい知れるように、その意志の強靭さは並大抵ではない。
主人公が常軌を逸した自己研鑽で技や芸を極めようとする筋は、大勢が指摘する通り「セッション」や「ブラック・スワン」を想起させる。ただしこれら2作は終盤のハイライトとして晴れの舞台が用意されていたのに比べると、本作の競い合いや勝負はボート部内のレギュラー争いや地域レースにとどまり、従来の定石からすればカタルシスに欠けるように感じるかもしれない。
自身の肉体を徹底的に追い込む割にどこにも行き着けないような、内にこもって視野狭窄になる感じ、生産性や発展性に乏しい生きざまは、しかしだからこそ、旧来の理屈や常識にとらわれない、新しい作り手ならではの先鋭的なセンスなのだろうかとも思わせる。
そしてまた、どんな分野であれ頂点を目指すような人は狂気と紙一重の精神状態で自らを律するのだと思い知らされ、鑑賞しながらもし自身がこんな強迫観念にとらわれてしまったらと想像すると心がグサグサ刺されるように痛み、映画の世界から解放されると安堵して自分は凡庸でよかったなどとしみじみするのも情けないながら正直な心持ちなのだった。
凄まじい執念に見入ってしまう
これはガツンとやられるというか、精神にグイグイ浸透してくる力作だ。初心者や新米を表すノーヴィスという言葉同様、主人公アレックスは女子ボート部に入り、観客と同じ目線でその特殊な競技世界を体に馴染ませていく。かと思いきや、序盤の段階ですでに我々は彼女の異質さに気づかされる。過酷なトレーニングを自ら選び取り、異様な執念で自らを追い込むその姿。ボートだけではない。学業に関してもこだわりは群を抜く。まるで立ち止まると死んでしまうと言わんばかり。本作においてアレックスが心の内を吐露する事はほぼないが、夜明け前の青みがかった映像、研ぎ澄まされたサウンドデザインが精神世界を効果的に投影する(本作で監督デビューしたハダウェイは『セッション』などのサウンドエディターとして知られる)。そして、主演のファーマンといえば誰もが「あ、あの人!」と驚くはず。表情や体が変化していく役作りといい、凄い俳優に成長したものだ。
脚・体・腕…
最初に一緒に練習してるメンバーがスポーツと縁がなさそうな娘もいるし、先輩方の脚や体幹が凄いのを見せられてると持って生まれたフィジカルの差は容易に埋まらないと思う。
主人公のダルはそもそも体格的にも不利な状態だが、変質的な努力で埋まらぬ差を埋めようとへ必死になる。
同級生のフィジカルに優れたライバルとの競争に破れると最初からただ事じゃない顔付きが鬼気迫る様子になり、狂っていく様はホラーである。
主人公ダルを演じるイザベルファーマンを「エスター」のイメージで捉えてしまう程にこの作品は異様である。
同じボート競技なら「がんばっていきまっしょい」を観た方が良かったかも…と後悔したが、興味深さではこちらが優っていると思う。「がんばって…」は昔、田中麗奈主演の実写で観たし。
死ぬほど頑張っていきまっしょい。 “一番病“に取り憑かれた人間の狂気を描いた、水上の『セッション』。
大学のボート部へと入部した初心者(=ノーヴィス)のダルが、次第に狂気的な領域へと足を踏み込んでゆく様を描いたスポーツ・サスペンス。
監督のローレン・ハダウェイは、『パシフィック・リム』(2013)や『ヘイトフル・エイト』(2015)など、数々の大作映画で音響編集を手掛けてきた技術屋。15歳の時に『キル・ビル』(2003-2004)と出会い映画監督になる事を決意したという、なかなかご機嫌な人物である。
本作は彼女の長編デビュー作であり、監督だけでなく脚本や編集も自ら務めている。自身も大学時代にボート部へ所属しており、その時の経験をこの物語に落とし込んでいる様なので、ただのデビュー作という以上の思い入れをこの映画に覚えているのであろう。
ちなみに、主人公の性格にも監督自身のものを反映させているらしく、彼女も「0か100か」で物事を考える人物なのだそう。そりゃ若くしてハリウッドの第一線で活躍している人なので人一倍努力はしているのだろうが、この映画を観てしまうとちょっと心配になるぞ…😨
水木しげるがトップの座に拘る手塚治虫の事を皮肉って描いた「一番病」(1969)という漫画があるが、ダルは正にこれ。夢を叶える為や目標を実現する為に一番を目指すのではなく、一番を取る事自体が目的と化してしまいその中身は実は空っぽという虚しきドーナツちゃんこそが彼女の正体なのです。
実は物語の中に1人も敵が居ないというのがこの作品の興味深いところ。ダルは一番を取るために文字通り必死になって努力するのに加え、敢えて苦手な分野に挑戦するという縛りプレイを自らに課す。この勝手に嵌めた枷によってどんどんどんどん追い詰められ、遂には自傷行為に走る。死のギリギリまで追い詰めるられるのに、それは全て自分の中だけで行われている戦いであって、敵対する者もライバルもそこには居ない。
本作はよく『ブラック・スワン』(2010)や『セッション』(2014)との類似性が挙げられるが、これらの作品には主人公を苦しめる“敵“が外界に存在していた。普通はこの様に超えるべき障害があるからこそドラマが生まれる。しかし、本作はそれらが全て取っ払らわれており、ある意味究極のセカイ系映画という他作品とは一線を画す味わいのものに仕上がっている。この外界を一切遮断する思い切りこそが、本作独自のチャームであると言えるだろう。
ただ、敵対する存在がいない事で物語がのっぺりとしているのもまた事実。
やたらと『セッション』が引き合いに出されるので、「この人の良さそうなコーチが実はヤベー奴なんだな…😏」なんて警戒していたら、普通に最後まで凄く良い人だったし、ライバルであるブリルも普通に良い子。友達も恋人も普通にいるし、家庭環境が終わっているわけでも経済的に貧しいわけでもない。傍から見れば順風満帆な学生生活をエンジョイしている様にしか見えず、実際のところ前半1時間くらいは特別なドラマはほぼ起こらない。…この映画97分しかないのに。
その分ケツの30分で一気にドラマが進行する訳だが、それもまぁ想定の範囲を超える展開ではない。クライマックスのボートレースも、画面の暗さと荒れた天候のせいで何やってるのかよくわからん。スポ根ものとしても中途半端だと思います。
実はハダウェイ監督、『セッション』の音響編集も担当している。そのせいもあってか、まるでチャゼルが監督したのかと見間違える程に画作りが似ている。画面の色調の暗さもなんかチャゼルっぽいし。手のひらのケガを痛々しく見せるところなんか、まるっきり『セッション』と一緒だぞ!
被写体深度を極端に浅くする事で背景をボヤかし、ダルの狂気を演出するところなど印象的なカットも多かったが、それでも『セッション』の二番煎じ感は拭えなかった。
と、まぁちょっと厳しく評したが、いってもこれはハダウェイ監督のデビュー作。これからどんどん自分の色が出てくるのだろうし、そこは末長く見守ってゆきたい。
内向型エスター!
イザベル・ファーマン主演。
すぐに『エスター』を連想。イザベル・ファーマンといえばエスター、
エスターといえば!
もうひとりのエスターは大学女子ボートに入部した新人。
プレッシャーと嫉妬で、てっきりチームメート全員滅多刺ししたりと期待したが、自分を追い詰め、自傷し、塞ぎ込む。
内向型エスターでした。
この映画、好きな人、いるの?
僕はのほほんと生きてきたから体育会系の陰湿さはわからないし、分かりたいとも思わないし分からなくても全くいいと思っているし、
邦画実写『がんばっていきまっしょい』は優しい和食のようで良かったなぁ、なんて思いだした。
なんだかエスターの続編がまた製作されるニュースを見たが、イザベル・ファーマンではもう、
エスター役は老けすぎてムリだと本作を観ながらボンヤリした。
(でも続編は観たいエスターファンである。)
大人エスターちゃんが張り切りまくる🔥
よく解らない所が
色々。バスルームで血まみれになってたのは何を?カニは何?そもそも彼女のモチベーションは何処から?ビリヤード場での会話でちょっと解った気もしましたが。
稲妻、稲妻言ってたのでこうなるかと。ご満足ですか?
映画としては、音楽が全面に出過ぎであまり入って来ませんでした、しょい!
この狂気に戦慄
才能を持つ者と持たざる者の違いは何だろう?そんなことを考えさせられた。
努力をすれば必ず報われるというものではない。しかし、努力しなければ才能は開花しない。個人的に努力を美談とする風潮は好きになれないが、無目的な生き方が人をダメにするのもまた事実である。要は自分の限界を弁えることが大切なのだと思う。何事もほどほど…にというのが幸せになるコツなのかもしれない。
アレックスはジェイミーと比べるとアスリートとしての素質は明らかに劣る。体は小さいし、スポーツをする体力的な土台作りもしてこなかった。にも関わらず、ジェイミーを超えてやろうと限界を超えたトレーニングにのめり込んでいく。その様子はもはや狂気じみているとしか言いようがない。
何が彼女をそこまで突き動かすのか。そもそも何故ボート部に入部しようと思ったのか。そのあたりの詳しい理由はよく分からないが、彼女は何事もトップにならなければ気が済まない性格なのだろう。
また、彼女は物理学を専攻しており、そこで行われる試験も毎回、制限時間ギリギリまで粘る。周りに誰一人いなくなっても、何回も答えを精査するのだ。このことから、アレックスは完璧主義者なのだと思う。
物語はそんな彼女とライバルであるジェイミーの壮絶なバトルを軸に展開されていく。シンプルな物語ながら、アレックスと教師の恋愛関係などがドラマを幾分ふくよかにしている。また、アレックスには”ある秘密”があり、これもドラマを大きく転換させる仕掛けとして上手く機能していた。
そして、よくあるスポ根ドラマとも言えるが、本作が他と違うのは努力の先に待ち受ける結果である。そこがこの手のウェルメイドな作品とは決定的に違う所である。非常に苦々しい鑑賞感を残す。
演出もかなり凝っていて面白い。監督、脚本は、これまでに数々の作品で音響編集を担当してきた新鋭ということだ。本作が初長編作らしいが、すでに一定のスタイルが確立されていることに驚かされる。かなりの手練れという感じがした。
まず、細かいカットで畳みかける目まぐるしい編集が見事である。アレックスのストレス、強迫観念を再現するかのようなスリラータッチが秀逸である。また、カメラのフォーカスも変幻自在で、彼女の不安定な精神状態を上手く表していると思った。
更に、音響のプロだけあって、効果音やBGMもかなり凝っている。それこそ、病的と言えるほどのこだわりが感じられた。
聞けば、監督自身、学生時代にボート部に所属していたということである。おそらくは自身の投影も少なからず入っているのだろう。音響編集から監督にまでのし上がるには並大抵の努力では無理である。もちろん人脈も重要だし、運も必要だが、やはり努力がなければここまで来れなかっただろう。そういう意味では、アレックスは監督自身という見方が出来るかもしれない。
個人的には、ダーレン・アロノフスキー監督の一連の作品も連想させられた。特に、「ブラック・スワン」はドラマ的にも結構影響を受けているような気がした。
尚、一点だけ残念だったのはクライマックスシーンである。薄暗い画面が続き何をやっているのかよく分からなかった。せっかくのロケーションも活かしきれてないのが惜しまれる。
キャストでは、アレックスを演じたイザベル・ファーマンの熱演が素晴らしかった。正に体当たりの演技と言っていいだろう。彼女は「エスター」の怪演が強く印象に残っているが、それを超える代表作がついに出たという感じがした。ラストの表情が秀逸である。
イザベル・ファーマンは素晴らしい女優。年間ベスト10入り。
妥協することを知らない人間がストイックに自分を追い込んでいきながら脅迫概念に苦しむ描写が非常にリアルで生々しい。イザベル・ファーマンといえば「エスター」シリーズが有名だけど個人的にはこういう役の方が好み。
ジャンル的にはある視点映画になると思うんだけどインディー映画ならではのヌードや性描写も多いのでそっち系が苦手な人は少し邪魔に感じるかも。あとカタルシス的なものを求めている人には少し物足りなさも感じるかもしれないが個人的には大満足のエンディングだった。
私はチャゼル監督の映画が大大大嫌いなので「セッション」の音響を担当した人物が監督と聞いて同じ体育会系のノリで来るのかなとかなり構えていたが終わってみれば今年一番納得できる終わり方をした映画だったように思う。何よりもイザベル・ファーマンの演技が光ること。素晴らしい女優ですね。
日本では主人公ダルのような妥協できず突っ走るキャラはハブられて当然と嫌う人も一定数いそう。そういう人を不快にさせる要素もあるのは見ていて気分が良い。主人公が何故このスポーツを選んだのかも語られないし自閉のような障害やメンタルヘルス的なところにも踏み込まない。本作は解釈の余地を残したのだろうがそこがスッキリしない人もいるかもしれないが個人的にはそこに本作の魅力を感じた。
【“困難だからこそ、挑戦するのだ。Byケネディ大統領”今作は、何事も取り組んだ事には妥協せずに、他者から見ると狂気性を帯びているかのように見える努力をする性癖の有る女性の姿を描いた物語である。】
ー 今作は、中盤までは観ていてキツカッタ。アレックス・ダル(イザベル・ファーマン)は高校に進学した9月に、ボート部に入部するが、経験がないために”ノーヴィス”(初心者)として先輩たちから訓練を受けるが、彼女はそれ以上に早朝から過酷な訓練を自主的にする。勉学でも苦手と思われる物理を専攻し、女教師のダニ(ディロン)から時間切れで答案用紙を取られるまで、何度も同じ問題を解いているのである。ー
◆感想<Caution!内容にやや触れています。>
・今作を中盤まで観た時に私の脳裏を過ったのは、民主党政権時代に、蓮舫議員が事業仕分けで、スーパーコンピューター”京”の開発費用について”二位じゃ駄目なんですか!”と食いついた出来事である。私はその言葉を偶々出張中に車内で聴いていて、即座に”駄目なんです!”と思ったのである。
物凄く嫌な奴だと思われるかもしれないが、それは仕事でも今作で描かれるスポーツでも、【自分に妥協無く行う事】で、仕事であればアウトプットのクオリティを上げる事であり、スポーツであれば”やり切った!”という思いを抱く為なのである。
・今作の主人公のアレックス・ダルは、性格的にその思考が物凄く強い人だと思う。更に演じているのが「エスター」のイザベル・ファーマンなので、物事に取り組む姿勢には、狂気性も漂うのである。
・ダルはレギュラーを目指して、只管に努力する。一年生の一名が退部したり、コーチも”気楽にやりなよ。”と彼女に気を使っても、聞く耳を持たない。ダルが勝手にライバル視するのは、同じく一年生で奨学金を獲得するためにレギュラーを目指すジェイミー(エイミー・フォーサイス)のみである。
・だが、途中でダルが実は大統領奨学生である事をジェイミーが、彼女に示すのである。つまりは、彼女が頑張る理由は、ジェイミーのように”父親と同居何てマッピラ!”ではないのである。金銭的な問題が無いのに、彼女は何故にあそこ迄自分を追い込むのか?
劇中では、ボート操縦を誤るとオールにより腹部を傷つけてしまう”ハラキリ”と失敗を指すと思われる”カニ”という言葉が出てくるが、ダルは自傷行為で”ハラキリ”したり、”カニ”が象徴的に映されるシーンが頻繁に出て来る。
ここで、彼女の持つ性格、【何事も自分に妥協無く行う事】が露わになるのである。彼女が頑張るのは、お金のためでも、自分の名誉でもないのである。
■ダルは、ジェイミーの乗る舟との競技で負けてしまい、激しく他の選手を詰るも自分に対しても厳しく当たる。
シートレースをコーチに申し入れるも却下。
そして、雷鳴轟く中、彼女はジェイミーとシングルで競争する。雷が激しくなる中、ジェイミーは競技を中止するがダルは一人漕ぎ続けるのである。
ダルは、独りゴールラインを通過した際に、舟の上で仰向けになるのである。そして、雷が落ちる・・。
<そして、競技後に、ダルは皆がいる部屋に入って来て、黒板に書かれた自分の名前を消すのである。だが、その顔は過度の克己心に囚われていた時の笑顔無き顔ではなく、”やり切った!”と言う表情に、私には見えたのである。
今作は、何事も取り組んだ事には妥協せずに、他者から見ると狂気性を帯びているかのように見える努力をする性癖の有る女性の姿を描いた物語なのである。>
<2024年12月15日 刈谷日劇にて鑑賞>
脚体腕腕体脚脚体腕腕体脚
こういう気質の人はなんと呼ぶべきなのかよくわからんけど(サイコパス?じゃないような)、負けず嫌いお化けというか、死ぬほど自分を追い詰めて勝たないと気が済まない病というか、そんな主人公のイカレっぷりを楽しむ話。早いカット割やピントの浅いダルの心象に寄った映像が多いので画面が見づらい上、常ににじみ出るアセり感やら自傷行為やらで観てるこっちまで神経が削られて疲れる。
ボートがモチーフになっているのは監督の体験からそうしてるのだそう。ただ、クライマックスでも競技としての決着ははっきりとは描かれないし、そこの勝負を見せる話でもないので、なんでもいいっちゃなんでもいい感じ。イザベル・ファーマンは体も軽そうだし、陸上の1万メートルとかマラソンとかに転向した方がすぐに芽が出るのではないだろうか。
解放と諦観
とんがっていきまっしょい
奇しくも同じ女性のボート競技を扱う『がんばっていきまっしょい』と時期が重なった本作。
題材以外は似ても似つかないが、偶然に引っ張られて遅ればせながら鑑賞。
冒頭、わざとらしく主人公の入部動機が遮られ、訊き直されることもない。
それを置き去りに、ひたすら部活にのめり込むダル。
確かに狂気的ではあるが、なぜそこまでするのかは最後まで明かされずに終わる。
分かるのは“一番”になることに対する異常な拘り。
そう、恐らくボート競技でなくてもいいし、そうなると本作の題材もコレでなくてもいいのです。
その割に話は部内の争いに終始し、最終的にはやりきったような顔で部を去る(?)場面で幕となる。
え、そんな小さな枠のトップで満足なの?
レギュラー争いへの執着だけが描かれてたのであれば、まだその尖り方も鋭く感じたかもしれない。
しかしワンナイトだの同性の恋人だのが半端に入ってきて、より主人公が分からなくなる。
そもそもあの気質であればはじめから個人競技しかない種目にいけばいいのに。
努力の天才ではあるが、絶対に管理されてくれず自壊が目に見えてるから、指導者もつきたくなかろう。
主人公目線のみで展開するので、本当にジェイミーが卑怯な手を使ったかも判然としない。
結局は主人公の動機が不明なことがすべての要素への理解を妨げてしまっていた。
奥行きのない狂気なんて、映画で見たいものではない。
クライマックスのヘッドレースすら誰が何やってるかよく分からないし、作品全体もそうだった。
狂気と執着の果てに
努力が実らないスポ根映画として、素晴らしい作品だった。 これだと生...
努力が実らないスポ根映画として、素晴らしい作品だった。
これだと生ぬるいけど、『モンスターズ・ユニバーシティ』を想起した。マイクは努力をするのに自分の限界を悟ったら、諦めて己にできることをするという選択をとった。ただ、この主人公は違う。自分の心身を痛め続けてでも狂気的にボートを漕ぎ続ける。正直共感できない人は全く共感できずに離れていきそうではあるが、それなりに部活動をちゃんとやってきた人間なら何かしら刺さるところがあるだろう。
ラストカットはこの場から離れては行くけど、それでも狂気のループは続くと捉えた。雷で…というパターンも考えられる。爽快さのかけらもない終わり方だけど、余韻はしっかりと胸に刻まれる。
ボートが個人競技の側面もあれば団体競技の側面もあるというのが効いている。
なぜここまで頑張るのかの理由が分かっても分からないところが良い。
演出、音楽も熟練の業を感じる
面倒くさい女の自伝映画にうんざり
映画セッションの音響担当だった若い女性(およそ33歳)がみずからの体験をもとに脚本を書き、エスターのイザベル・ファーマンを主演に据えた初監督作品。大学ボート部の女子チーム。一軍レギュラーの座を巡ってライバルたちとしのぎを削る話というよりも、脅迫的なメモ魔で、テストでも残り一人になっても完ぺき主義なのか毎回最後の最後まで(制限時間2時間半とは長すぎなのに)最後まで粘るので、試験監督にも呆れられる。それでいて、ゴーコンお持ち帰りもちゃんとするし、ゼミの院生とレズの関係にもなるし、なにかと気が多い。アクティブなんだけど、こういうキャラ好きな人いる?自分から早朝練習する。数字ばかり気にする。放課後も当然練習。いつ寝て、いつ勉強するのよと思っていたら、カミソリで腹切りしちゃう。カニ(カザミ)を鍋で茹でるカットが、交互に挟まれる。ダルはガン。たしか、癌 cancer の語源は カニじゃなかったか。
オマエがガンなんだよとあの娘はキレた。そうだ。そうだ。そのとお〜り。
一軍レギュラーであることが条件の奨学金に全てをかけると最初から宣言している体力技能ともに優れているライバル役は CODAあいのうたにも出てた娘。とても素敵。
がんばって(奨学金)もらいまっしょい❗を応援したくなる。
一軍の先輩たちも素敵な娘が多い中、厚塗り特殊メイクのエスター役でボロボロになってしまったのか?イザベルはひと回り以上も老けて見えるせいもあり、ノレなかった。
イタくて、ウザくて、面倒くさいもんだから、ほんとにやんなっちゃう。楽しくない。
25歳で10歳のエスター役やった呪い?自縛?イザベルは悪くない。
ボート倉庫小屋の鍵を管理している女性コーチにも迷惑。彼女が男性コーチと教員宿舎で仲良くするのを邪魔していたとしか思えない。
最初から話の展開がヌルい。プロット次第でもっと魅せられなかったかのかと思うが、こういう自己中にはきっと馬耳東風だろう。
田中麗奈の初映画、がんばっていきまっしょいを観てたから、コックスとか知ってたけど、いきなり下ネタ。
ウケ狙いのジャブは効いてませんよ。
ボートみたいなチーム競技に混じったりしないで、ひとりで陸上とかやりなさいよ💢
相当面倒くさい女の自伝映画にうんざり。
ちょっと今、個人的にストレス溜まってるもので、こういう面倒くさい奴が許せない。こういうの何ハラっていうのか?雷落ちろ〜って思ってました。それが落ちない。大統領奨学生ってなに?ほんとムカつくわ💢自慢かよ❗音響や挿入曲も古くさいよ💢こうゆう女が業界でのしあがるためにヤルことといったら、まぁ想像がつきますわ💢
痛々しいまでの青春
映画『NOVICE ノーヴィス』両極端という言い方あるけど、まさに人生を右か左かどちらかで、生きていこうとする映画。右もあるし左もあるし、上だって下だって、360度OKだということがわからない悲劇。心の自由を獲得する人生に意義があるのですが。
いつの時代もどこにでもいる、完璧主義者
忙しくなりすぎた、現代社会では増えこそすれ、減ることのない一群。
主人公は、大学新入生。
ボート部に入る。
経験はない。
だけど、一番になれないと気がすまない。
自分は、何でもできると、考えている。
そして、それが達成できなかったりすると、自傷行為に。
お決まりのパターンなのですが。
上手く物語として、見るものに理解させてくれる。
水辺の映像は必見
とにかく水辺のシーンが、美しい。
音楽の効果も上手く使っている。
ほぼ完璧。
完璧が主題の映画にふさわしいというか。
それが、かえって主人公の閉塞感との対比がいい。
人間は、何かを目指すものだとは思うのですが。
完璧にと、自分を追い込むのは、いかがなものか。
程度の問題なんでしょうが。
ボート部に入部する、一軍に入れれば、奨学生となる。
そこを目指すものは、必死だ。
それはわかる。
だけど主人公は、すでに特別奨学生。
だけど、一軍入りをめざす。
それはそれでいいと思うのですが。
その求め方、必死さというのが、異常。
その境界を見せているところが、この映画の成功か。
大学スポーツの虚と実。
あるものは、奨学生となるために必死で、一軍入りを目指す。
とにかく、人生の経済的成功を収める、一つの手段なんだけど。
アメリカの名門校、勉強との両立。
並大抵ではない。
クラブ内でも、一軍入をめぐって、仲間といえども競争相手。
このあたりのギスギス感、かの国にもある先輩後輩の序列。
見ていて面白い。
現実は、とても厳しいのだけど。
若さの特権でのチャレンジ。
社会での成功の為の競争が、すでに始まっている。
一つの通過点で、あってほしい。
そう思わずにはいられない、そんな映画。
完璧を求めるのはいいけど。
程度ってものが。
このあたりのホドホド感が、現代人の不得意とするところ。
忙しすぎるんだよね。
だめならあきらめる、他の道をさぐる。
そんな気持ちになってほしいと、つい思ってしまう。
日本だって、少子高齢化。
一人っ子にかける期待と、それに応えようとする子供。
失敗は許されない、なんて思わないでほしい。
それだけ、その子に豊かな教育を受けさせられるだけで、十分。
いまや、格差の広がるこの社会では、その機会が与えられるだけで幸せ。
一億総中流なんて言っていた頃が、なつかしい。
頑張れば必ず報いられる、なんて思わないでほしい。
たとえ、結果が伴わなくても。
神頼みもいかがなものか。
ただ、人間の側にできるのは、ただ自分が努力する。
それだけのことなのですが。
映画の主人公のように、自分を追い込まないでね。
いい加減、良い加減。
このあたりのさじ加減が、現代人は、苦手のようで。
あと、最近気になるのは。
やっても無駄なんだよね、と
最初から白けてる空気。
これも、気になるところではあるのですが。
若者よ、狂気を燃やせ。
大学の女子ボート部に入部した女性が一つだけ空いたレギュラーの座に執着するあまりに狂気をまといローイングの世界へ没入する様を描きだす。若者よ、狂気を燃やせ。執着心の暴走。「セッション」(‘14)に通づる熱量を彷彿。この映画内ではアメリカ合衆国大統領J・F・ケネディの「困難だからこそ挑戦するのだ」という自責の言葉が胸に突き刺さる。非常にダークな手垢が世界観に蔓延して、成功に執着するがあまりに道を踏み外しかける危うさを活写。ありふれた方向性には舵を切らずに、主人公がむしろ狂気の深淵へとみずから突き進むような味わい。イザベル・ファーマンの光と影を純朴に体現する様子はグッド。表層的な成功と挫折以上の角度から人間の心理を描写しているのは良い。
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