「小さく閉じられた芝居小屋のSF」不都合な記憶 ぱさんの映画レビュー(感想・評価)
小さく閉じられた芝居小屋のSF
科学的な考察のあれこれは、映画なんだから置いておくとして。
そもそも石川慶&ピオトル・ニエミイスキの作品はその独特の空気感や間で、原作の素材を映画という表現にしっかり昇華させるという印象があります。それがサスペンスだろうが音楽青春群像だろうが。
で、まあ今回の素材はSFなわけです。ArcもSFといえばSFでしたが、今作のほうがよりベタなSF作品と言えるでしょう。
というか、地球を脱出してのスペースコロニー生活とか、メタバース空間で他者と対話したり地球を仮想体験したりとか、妻の記憶をインストールしたアンドロイドとか、こう言っちゃなんですがありきたりで使い古されたネタのオンパレード。
ちなみにコロニーのセットも20世紀にどこかで見たような既視感漂うものです。居室は良い雰囲気ですが、まあそこは特にSF感もないので。
ちなみに宇宙空間を舞台とはしていますが、シーンとしては概ねコロニー内の4カ所と、メタバース内の数カ所という、非常に限定された空間のみで物語が進みます。そして皆さんご指摘のように登場人物もほぼ二人。
なので途中からはSF映画を観ているというよりは、小さなアングラ劇団の舞台を観ているような感覚に陥ります。劇内の空間としても狭く、またその外側の情景や世界観もほとんど伝わってこない、小さな小さな芝居小屋です。
おそらくはそれは狙いだったんだろうなと思います。で、ここで大きな問題その1、伊藤英明の棒芝居です。セリフが平板なのは人物設定として仕方ないとしても、表情や仕草でも何も伝わってこないのは致命的。まあその人物設定もかなり薄っぺらで(説明感たっぷりの父親の虐待のトラウマ。。これもありきたり)、また相方の新木優子も熱演ではあるがかなり迷いが見えるのです。
シーンの限られた小舞台でイマイチな役者の芝居を2時間見続けるのってかなりキツくないですか?今作はまさにそれです。
そして問題その2。
ピオトル・ニエミイスキの映像はいつもどおりに不安や寂寥感を漂わせて素敵です。でもそれはやっぱりAmazonプライムビデオではなく映画館で見たかったなと。
もしかすると映画館のスクリーンであれば、映像と音響で舞台の狭さと役者の演技をカバーできたかもしれない。石川慶の演出とピオトル・ニエミイスキのカメラにはそれだけの力があるのに残念です。
映画館上映というプラットフォームでは予算が取れず、なのに映画館上映でこそ活きる映像作品になってしまっているのが、本作の最大の矛盾ではないでしょうか。
サブスク配信やSNSの縦動画ドラマなど、映像のプラットフォームが多岐にわたってきているのは、長い目で見れば必要かつ素晴らしいことだとは思います。でも今作についてはその過渡期で、どうにもチグハグな作品になってしまっているなあと感じました。次も観ますけど、映画館がいいなあ。