花まんまのレビュー・感想・評価
全107件中、1~20件目を表示
記憶に関する設定に思うことなど
本作については当サイトの新作評論枠に寄稿した。そこでの切り口や字数の都合上、言及できなかったことをこちらで書いてみる。ラスト近くの感情を揺さぶる部分、涙を誘うシーンについての言及もあるので、未見の方はできれば鑑賞後に再訪していただけるとありがたい。
物語をごく短く紹介するなら、幼少期によみがえった前世の記憶を抱えたまま成人し近く結婚する妹と、早くに他界した両親の代わりに妹を養い見守ってきた兄の話。現在進行形で語られるパートはほぼ映画のオリジナル、回想される幼少期のエピソードは朱川湊人の原作小説に基づく(より詳しい作品成立過程は評論のほうで解説した)。
前世の記憶という、既存の科学では説明できないものの、古今東西いくつもの実例が報告されてきた、ファンタジーとリアルの中間に位置するような事象を扱っている。ファンタジックな大人のおとぎ話と割り切るなら合理性や納得感を論じるのは野暮だが、現実に起こりうるかもしれない話だと考えると、映画で創作されたストーリーで気になる点がある。
気になるのは、記憶と人格をめぐる設定のあいまいさだ。妹・フミ子は小学校に上がる前の頃、事件で犠牲になった20代女性・繁田喜代美の記憶を取り戻した。映画のワンシーンで、危篤の喜代美と母胎内のフミ子が病院ですれ違った瞬間、成仏するはずの喜代美の魂が(手違いで)フミ子の中に移ってしまったと説明される。ただし、喜代美の記憶がよみがえってからも、それまでのフミ子としての記憶を保ったままなので、フミ子の人格のなかに自身の記憶と喜代美の記憶が並存していると考えるのが自然だろう。
比較対象として、村田椰融の漫画でドラマ化・アニメ化もされた「妻、小学生になる。」が参考になる(次の段落以降で結末に触れるのでご注意)。10年前に妻・貴恵を亡くした主人公・新島圭介の前に、貴恵の生まれ変わりだという小学生の白石万理華が現れる話。万理華のなかで自身の人格・記憶と貴恵の人格・記憶が切り替わる設定で描かれていて、万理華が自分の人格を取り戻すと、目の前にいる圭介が見知らぬ大人に映っておびえてしまう。旧呼称の多重人格障害、現行の用語で解離性同一性障害に近い状態と考えるとわかりやすい。
これら2つのストーリーは、エンディングに向けて似た経過をたどる。映画「花まんま」では、結婚を控えたフミ子のなかで喜代美としての記憶が薄れていく。「妻、小学生~」では、万理華のなかで貴恵の人格でいる時間が次第に減っていく。
どちらのストーリーでも、ラスト近くで前世の魂は現世の肉体を離れ、それとともに前世の家族との記憶も失われる。「妻、小学生~」の場合、人格・記憶が切り替わる設定であり、貴恵の人格のときに経験した記憶を万理華は知らないため、この結末はより合理的で、納得感がある。だが一方、「花まんま」ではフミ子の人格のなかに自身の記憶と喜代美の記憶が並存している、つまり成人してから繁田家の家族に会いに行ったことなどもフミ子の人格が記憶しているはずなので、喜代美の魂が失われたからといって繁田家に関するすべてを覚えていないのは整合性の点で難がある。おそらく映画の作り手は花嫁のフミ子が喜代美の父を見知らぬ来賓として接するくだりを、涙を誘うシーンとして描いたはずだが、記憶と人格をめぐる設定のあいまいさが引っかかってしまうのだ。
これは私見で、好みの問題でもあるが、映画オリジナルの創作パートで、フミ子のフィアンセがカラスと会話できるというジャンル違いのファンタジー要素を足したりせず、魂の転生と前世の記憶という原作小説から引き継いだ主題をもっと深掘りするべきだったと思う。朱川湊人の短編集「花まんま」に収められた各話はおおむね、身近な人を亡くした登場人物らが不思議な経験をする話、死者の霊や魂の存在を示唆する奇譚だ。原作で示された死生観を映画がさらにつきつめ、観客に命や人生について新たな視点で向き合うことを促すような展開になっていたらと惜しまれる。
とはいえ、そこらあたりを深掘りしすぎると、観念的で難解になり、大衆受けせず興行的に振るわないリスクも出てくる。多額の資金を投じて製作する以上、より幅広い層が感動しやすい話に仕立てることが優先されたのだとしても、それはそれで理解できる。長々と書き連ねたが、つまるところ、好みは人それぞれなのだ。
あたたかな世界
展開が読めなくない優しい物語であるが、役者らがうまいのか、めちゃくちゃ泣いた。
痩せた父親が出る場面で何回も泣いた。
とくに、駅で女児を見て亡くなった娘と気づく場面と、披露宴のお見送りで有村架純さんの記憶が失くなった場面。
脚本とか演出とかはいいんだけど……
鈴木亮平主役だから期待して見た。予想通り鈴木亮平のお兄ちゃんの演技は文句なしでものすごい熱演だなと感じたが、それに対しての妹のふみ子の有村架純があまりにも冷たい演技で見ていて度々イラッとした。原作のふみ子がそういう人なのかもしれないけど、ちょっと性格良くなさそうに感じた。
他のキャストや大まかなストーリー、伏線は面白かっただけによりそれが際立ってて残念。
てか最後のふみ子はもはや誰なの?喜代子さんの記憶が消えたからといってふみ子という人格は地続きであるはずなのに最後繁田家のことを覚えてないのは流石に違和感。
タイトルなし(ネタバレ)
いわゆる町工場にいそうな声でかい自分の一方的な気持ちを
押し付けてくるけど情に厚いから憎めない正義感の塊みたいな
父性愛たっぷりな男をやらせたら右に出る人いないでしょって感じ。
公開当時から見たいみたいと思ってたんですが
秘密とはこれだったんですね。
転生と天国人とのトークなどファンタジー要素もかなりありますし
元々、主役の二人が好きだったので楽しみにしていたのですが
いやぁ、酒向さんにやられました。がいこつといえば確かに骸骨
魂の抜けた屍が花まんまを見たとたん息を吹き返す。
思わず涙するというよりも息を飲むといった方が良いかもしれません。
まだ小さい愛娘の作った花まんまをうんうんと頷きながら
食べる相手をしてやった事を思い出している。そんな情景が
はっきりと見えました。
途中までは
キヨミの父親とヴァージンロードを歩く姿は、『兄可哀想』とは思ったものの号泣シーンでありその後の親族挨拶も泣けた
だがしかし、キヨミが成仏して『どちらからいらしたんですか?』で全て冷めた
キヨミの人格が入り込んで二重人格状態になっているならともかくあくまで“キヨミの記憶を持って産まれた”設定だと思っている
これだと、小さい頃から元父親と文通していた記憶も消えている
結婚報告しに会いに行った記憶も消える
私が号泣したヴァージンロードを歩いた画像や動画を後で見た時フミ子は何を思うんだろう
小さい頃から人生を共に過ごしたキヨミの記憶がスパっと消えるって事は少なくない人生の記憶が消える事
それでいいのか?と思ってしまった
怪談もどき
大阪の下町で暮らす加藤俊樹とフミ子の兄妹、妹想いの俊樹を悩ませているのはフミ子にとりついた繁田喜代美の霊、幼いころから観た悪夢のせいでフミ子は自分を喜代美だと思い込み・・。喜代美は観光バスのガイドだったが無差別殺人の被害にあい死んでしまった。フミ子の母が産気づいて病院に入るとき運び込まれた瀕死の喜代美とすれ違ったのが縁だったらしい。タイトルの花まんまは喜代美が父に作っていた花飾りのお弁当、なんとフミ子も再現していましたね。
フミ子も成長して結婚式を挙げるのだが、喜んだ天国の両親が喜代美の霊も天国に連れ帰るということで悪夢は解消、ファンタジックな怪談調の兄妹の愛情物語でした。
大変面白く観たのですが‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(他レビューも溜まり短く‥)
結論から言うと、今作の映画『花まんま』を大変面白く観ました。
特に大阪の雰囲気は見事に表現されていて、大阪出身の前田哲 監督をはじめとして、ほとんどが関西出身者の俳優陣による自然の演技もプラスに作用したと思われます。
そして、主人公・加藤俊樹(田村塁希さん/鈴木亮平さん)と妹・加藤フミ子(小野美音さん/有村架純さん)の、人物像も関係性も、魅力が溢れていたと思われます。
ただ、もう一歩、踏み込みがあった方が‥と思われたのも事実です。
兄の主人公・加藤俊樹は、父・加藤恭平(板橋駿谷さん)を事故で、その後に母・加藤ゆうこ(安藤玉恵さん)を、早くに亡くしています。
しかし、主人公・加藤俊樹は、父・加藤恭平との「どんなことがあっても妹を守る」約束を果たすために、母・加藤ゆうこを亡くした後も懸命に働き、妹・加藤フミ子を育て上げます。
一方で、妹・加藤フミ子は、自身が生まれる時に、勤務中の事件で刺されたバスガイド・繁田喜代美(南琴奈さん)が同じ病院で亡くなり、繁田喜代美の記憶が出産される直前の妹・加藤フミ子に乗り移ります。
そして、妹・加藤フミ子は後に、兄と共に、繁田喜代美の実家を訪ねて行き、娘を失った繁田家の人々(娘・繁田喜代美の、父・繁田仁(酒向芳さん)、姉・繁田房枝(キムラ緑子さん)、兄・繁田宏一(六角精児さん))と出会います。
そして、妹・加藤フミ子は、繁田喜代美の記憶を持ったまま、その後も繁田家の人々と手紙のやり取りを長年続けるのです。
主人公・加藤俊樹は、両親を亡くした喪失感を、両親の想い出と共に、「どんなことがあっても妹を守る」という父との約束を果たすために、妹のために懸命に働くことで、埋め合わせていたとも思われるのです。
加えて、主人公・加藤俊樹が良く行くお好み焼き屋の三好駒子(ファーストサマーウイカさん)や大将の三好貞夫(オール阪神さん)、主人公・加藤俊樹が働く工場の社長の山田社長(オール巨人さん)などとの、大阪の下町での人間関係も、主人公・加藤俊樹の喪失感を埋めて支えていたと思われます。
一方、妹・加藤フミ子は、(父との約束を守り懸命に妹のために働く)主人公・加藤俊樹によって支えられ、かつ繁田喜代美の記憶から繁田家の人々との手紙のやり取りで、両親を亡くした喪失感が埋め合わせられていたと思われるのです。
つまり、今作の映画『花まんま』は、基調の喪失感が埋め合わせられた充足感との引き換えで、充足しているからこそ逆に全体としては大きなドラマ性は起こしにくい物語構成になっていると思われました。
それが理由によって、今作は全体としてハートフルな雰囲気が溢れながら、一方で、観客が現在に感じている殺伐さや孤独感などの現在的なドラマ性の方は余り感じない印象になっていたと思われます。
唯一と言って良い今作の劇的なドラマ性は、父との「どんなことがあっても妹を守る」約束を大切にしている主人公・加藤俊樹が、繁田喜代美の記憶や繁田家の人々に捉われている妹・加藤フミ子を自分の家族の想いに引き戻そうとした時に、妹・加藤フミ子が「私は私や!」と拒否する場面であったと思われます。
しかし、このドラマ性の高い場面も、一観客としては、予告で既に見ていたというハンデがあったと思われます。
(ここでも、映画における予告に難しさがあったとは‥)
主人公・加藤俊樹はその後、自身が、亡くなった父や母との約束や想い出によって支えられていたことと、繁田家の人々が、妹・加藤フミ子の中に記憶されている亡くなった繁田喜代美に支えられていたことが、同じだと感じたと思われます。
だからこそ主人公・加藤俊樹は、繁田喜代美の記憶を持つ妹・加藤フミ子と中沢太郎(鈴鹿央士さん)との結婚式に、繁田家の人々も参加させようと奔走し、ついに実現させたと思われるのです。
しかし妹・加藤フミ子は、結婚式が終わる頃に、繁田喜代美の記憶や繁田家の人々との関係性の記憶も失くしてしまいます。
そしてこの、妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を忘れてしまう最後の映画の着地に、釈然としなかった観客も多かったのではと推察します。
その理由は、妹・加藤フミ子が繁田喜代美や繁田家の人々との記憶を最後に無くしてしまった今作の着地が、4つの喪失を生み出していた所にあると思われました。
その4つの喪失とは、
1つ目は、繁田家の人々にとっての、繁田喜代美の喪失の現実化です。
2つ目は、妹・加藤フミ子にとっての、(本人はそこまで気がついていなかったとしても)自身が埋め合わせていた両親を亡くしたという喪失感の現実化です。
3つ目は、主人公・加藤俊樹にとっての、亡くなった両親との約束や想い出の交流と、妹・加藤フミ子と(亡くなった繁田喜代美の記憶を通した)繁田家の人々との交流の、同質性の喪失、つまり自身も両親を亡くしたという喪失感の改めての現実化です。
そして最後の喪失の4つ目は、観客にとっての、この映画に終始感じていた、亡くなった人との約束や想い出や、周りとの交流による、ハートフルな雰囲気の、喪失の現実化です。
つまり、妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を失うことで、この映画が持っていたあらゆる充足感とハートフルな雰囲気が、すっかり喪失してしまった映画のラストになっていたと思われるのです。
なのでやはり、そこからさらに踏み込んで、4つの喪失感に対して、別に埋め合わせる(出来れば現在的な)回答は示して映画を終わらせた方が良かったのではないかとは、僭越思われました。
今作の映画『花まんま』は、喪失感を満たすハートフルな雰囲気の良さがある一方、現在的な孤独のドラマ性にまでは深まらず、逆にラストの妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を失うことで、映画全体にあったハートフルな雰囲気を失わせ、その解決策は示されないまま映画が閉じられるという弱点もある作品だと、僭越思われ、今回の私的点数になりました。
ただ、映画全体を覆っている記憶と想い出と下町での人間関係のハートフルな充足感の魅力は、観客の心をつかみ、素晴らしい俳優陣の演技によって、一方での良さは感じる作品であったことも事実だったとは僭越思われました。
思ってたのとは違った
記憶障害や、何かしらきっかけで本当は兄弟の血が繋がってなかったなどの、そういう複雑なお話なのかと思って見ましたが、ファンタジー系な要素が含まれてる作品でした。
俳優陣は文句なしに素晴らしい演技と
本当に関西出身の方々が演じられているので
すごくリアルな言葉のイントネーションなんだろうなぁと作品を見ながら感じていました。
花まんまのお弁当の伏線回収も、伏線というよりは
確実にそのお弁当が来るんだろなとはわかって見てましたが、こころがぎゅーってなりました。
過去のお父さんの演技がずっと素晴らしいです。
ガンニバルの時もそうですが、本当に別人のようになれる役者さんだなと思います。
思ってた作品とは違いましたが、ファンタジー要素があるとわかって見たら見てよかったと思う作品だと思います。
観終わったあと、誰かにやさしくなれる映画
登場人物の誰もが優しく、安心して身をゆだねられるハートフルな作品。
家族や大切な人との関係の中で生まれる、すれ違いや未熟さ、そしてそれらをそっと包むような思いやりが、丁寧に描かれています。
特に印象に残ったのは、兄妹を中心に描かれたエピソード。
兄・俊樹(鈴木亮平)は「すべてを一人で背負ってきた」と信じ、それを誇らしげに語るのですが、どこかに微かな違和感がありました。
劇中には、夢の中で両親と再会するようなファンタジー的な描写も登場します。鑑賞当初は少し幼稚にも感じたその描写が、時間が経って振り返ると、俊樹自身の内面──“世界の捉え方”を表現していたのかもしれないと思うようになりました。
幼さゆえの思い上がりに気づき、支えられていたことを受け入れていく俊樹の変化。
そして、それを責めることなく、静かに見守り続けた周囲の人々。
物語に流れる、そうした優しさの連なりが、じんわりと心にしみました。
妹・フミ子を演じる有村架純さんの演技も印象的でした。
ある場面でふと見せた幼さの残る表情に、何かが変わってしまったことを悟らずにはいられず、張りつめていた感情があふれ出すような感覚がありました。
親しい人の結婚式に参列したときのように、自然と祝福の気持ちが湧いてくる物語。
華やかさや派手な演出は控えめで、「映画館で観なくてもよい作品」と感じる人もいるかもしれません。
けれど、ハートフルな物語に静かに心を揺らし、温かな涙を流したい方には、映画館という没入空間で味わう時間をおすすめしたいです。
声出して泣きそうだった
原作が好きで、それを書き写すくらい好きで、映画をものすごく楽しみにしていて、
やっと観ました。原作の良さは全くなく、吉本制作の映画のような、特に駒子、雰囲気。
なんだかなーと思ってみていた。でも、映画は監督のもの。監督が作り上げた人物が駒子であり、その吉本的な雰囲気。で、際立たせ方が良かった。特に、死んだ女性のお父さんの描き方。この人、わかってるねん。娘の死をわかってる。受け入れてもいる。でも、自分を許せてないんやろなー。それは娘自身が許されてないということでもある。だから、文子にとりついてしまったんやろな。いろいろあって、結婚式の日、お父さんが出席することになる。兄の鈴木亮平はそもそもお父さんと文子が会うのは大反対やったけど、出席させることを選んだ。そこにお父さんがやってくる。最高に幸せな場面。でも、その後、文子はお父さんのことを忘れている。つまり、亡くなった女性は許されたと思って、天国へ行ったんよ。そこ、もう声出して泣きそうになった。危なかった。ぐっと堪えた。お父さんは亡くなった娘のこと、許したらなあかんのよ。いなくなることを認めてあげないとあかん。それがどんなことであっても。たとえ、誰かが悪くても。そういうことがわかった。とても切ないけど、ここは理解せなあかんと思った。だから、生きているうちが大事なんよ。ちゃん生きてるうちに。そういうことやで。鈴木亮平のスピーチも良かったなー。いやいや、あんたのがんばりはええからって思って聞いてたら、周り人たちへの感謝を言い出した。あのときも声出して泣きそうになった。ぐっと堪えたけど。鈴木亮平、わかってたんや。そらそやな。でも、文子、文子、文子は俺が育てたって何回もいうから、はいはいと思ってたら、やっぱりわかってたんやなー。それがほんまにうれしくて、泣きそうになった。良い映画やな。生きて行く元気でるわ。
色々とおおざっぱだけど不意なラストに泣かされる
長年、親に代わって面倒を見てきた妹のフミ子(有村架純さん)がいよいよ結婚することになり、兄の俊樹(鈴木亮平さん)の立場での感慨や葛藤を描く映画。
妹は幼いころ、見ず知らずの他者(結婚間近で亡くなったバスガイド)の記憶を抱えることになり、それが兄と妹の関係に不穏さをもたらしている。兄としては、亡くなった実の父母(加藤家)のために今まで頑張ってきたのに、妹は別の家族(繁田家)に対しても「恩返し」しようとしているのが納得できないのだろう。
この2つの家族や記憶の設定についてはいろいろと疑問に思うことがあった。別の記憶が同居しているといっても、二重人格のように人柄や個性まで入れ替わってしまうというのではなく、いってみれば別の人生を疑似体験したようにフミ子のなかに記憶されているのだろう。
そうであれば兄がそこまで過剰に反応する理由がよくわからない。たとえば妹自身にも自分がコントロールできなくなったり、急に別人格になって話し始めたりする設定だったら、不穏さが際立ったと思うのだけれど。
いっぽう、バスガイドの繁田家はフミ子の成長を楽しみにして、入学式や卒業式の写真を大事に保存しているが、なぜ亡くなったバスガイドの生まれ変わりのような扱いをするのか。むしろバスガイドは成人するまでの経験とか記憶をもう持っているはずなので、それをフミ子に思い出してもらって関わったほうがいいのではないですかね。
その他、兄が働いている大阪の下町の町工場とかお好み焼き屋がコテコテに描かれているのに対し、大学で働いて助教と結婚する妹の世界はだいぶ違うはず。妹が繁田家にこだわる以前にどういう内面の人なのかよくわからず、感情移入が難しかった。
後半の結婚式のシーンはもはや間延びを感じながら見ていたし、バージンロードを繁田家の父に歩かせるのはびっくり。さきほども書いたが、フミ子の中にバスガイドの記憶があるだけで、フミ子自身は独自の人格を持つ人のはず。それこそ、兄や実父母の立場はどうなるのか。
かと思ったら、帰り際にあいさつした繁田家の記憶は、フミ子の中からすっかり消えていたのだった。つまりバスガイドさん、無事に成仏したのね…。いささか都合がいいようにも思うけれど、繁田家の喪失感を際立たせるラストだったと思う。繁田の父が電車の中で見た「花まんま」には泣かされた。
鈴木亮平さん、ファーストサマーウイカさんの演技の良さに助けられ、終わり良ければ総て良しですかね。
なおこの映画を見た理由の半分以上は、閉館が迫る丸の内トーエイに行きたかったから。たまたま「大きな玉ねぎの下で」をこの映画館を見て、シネコンとは全然違う「劇場」の存在を知った。この映画館で見ると、予告編であっても自分の身体への浸透度が違う気がする。単に歴史の古さでも収容人数の多さでもない、その理由は何だろうか。それを探して来月までにまた来る機会をつくりたい。
これは泣けます
泣けます。冒頭から子役2人の演技が上手で( ⚈̥̥̥̥̥́⌢⚈̥̥̥̥̥̀)兄やんがほんとにやさしい。もうここで涙腺ウルウル。妹の一生のお願いに何度も翻弄される。お花の弁当箱、食べられない父のため弁当箱を託された兄やん。やさしいなー(泣)
結婚式のシーンは兄やんの妹思いの愛の深さ、花嫁姿がきれいすぎて、親目線で見てしまい、また涙。ウイカさんとの掛け合いもよかった。ウイカさんきれい。兄やんに気がある?
ほんとは好き?かな?
たしかに人は誰かの生まれ変わり、魂は過去の誰か、他人かもしれないし、親戚かもしれない、現世を生かされていることに感謝して自分の使命を考えながら日々を生き、誰かの役に立てればいいかなーと思いました。
一生のお願い
結婚間近に命をおとした女性に
転生された少女の話。
ではなく
亡くなった娘の転生先の少女に
勇気づけられ、やがて
成仏していくのを見守る父親と
その少女と兄の物語 かな
ストーリーの要が
タイトルと
こんなにしっくりハマる作品は
素晴らしいと
思います
途中までは、
まぁほのぼのはしてますが
本作の魅力が不明で
繁田家の繋がりが謎
で少しいらいら、
はぁ不発かなと
思いかけるのですが
フミ子と繁田の繋がりが
見えてくると
そういうことかと。
だんだん
涙腺が怪しくなりました
本作は、
兄役の鈴木亮平さんの演技や
結婚式のスピーチも
いいのですが
一番刺さったのは、
結婚式終了後の見送りで
フミ子の中にいた娘が
成仏したことがわかった
酒向芳さんの
ふるまいでしょうか
お祝いの言葉だけを残した
彼の誠実な態度に
言葉に出さない溢れる感情に
圧倒されました
フミ子の中に娘を見つけたのも彼
消えたのを静かに認めたのも彼
もう、
父親の事は
記憶に残っていないと思わせて
電車の中での贈り物は
最高でした。
女子の一生のお願いは
何回までありなのか
クスっとした微笑みと
奥深い愛情いっぱいです
おすすめ
ツッコミどころもあるけど、号泣、、
原作未読。
最初の兄と妹のシーンで、両親一度に事故で亡くしたのかと思ったら違うのね
この後も2人揃って車で出てくるから違和感。
兄、そこまで妹の結婚に反対するかなー?
でもまあ、昔ながらの昭和な感じなのかな
なかなか素直におめでとうって言えないけど、
妹思いで寂しさもあって認めたくない気持ちとかの葛藤もあるのかな
夢で両親と話して、認めるところとかかわいいです。
2人の大阪弁はちょっと違和感。
2人とも兵庫だけど、大阪とまた違うからかな
妹には実は別の記憶があって、、
子供の頃に2人で彦根まで行くシーンよかった
話したらダメという約束を守って、花まんまを兄から繁田さんに渡して、逃げてくるんだけど、繁田家族が駅まで来るところとか、この辺からずっと涙が止まりませんでした。
ここに出てくるつつじ公園、テロップ見ていたら京都の蹴上浄水場のところでした。行ったことあるけど気づかなかった!
有村架純ちゃんが、つつじの中にいる姿がめちゃ可愛かった。
で、小学生だった子が、いつから住所知って文通し始めたんだろうとか思ったけど、記憶があるから覚えてたのか。
でも郵便局止めにするとか普通わかんないよね?
少し大人になってから始めたのかなあ、、
多分色々カットされてそうなので、原作も読んでみたくなりました。
鈴鹿くんがカラスと話せるという設定、おもしろい。
そして本当に話してるように見えるのなんで?どうなってるの?
大学の先生ってことだったけど、大学で知り合ったのかな、、2人の馴れ初め何も分かりませんでしたね
結婚式はツッコミどころ満載すぎた、、
大阪から彦根まで車で行って戻ってきて、着の身着のまま連れてきてて、もう式始まるところで着いてるのに、みんな着替えてる暇ないでしょ、、
家から用意してたやつ持ってきた?
でもどんなに頑張っても15分とか押すよね、、
式はまだよいとしよう。
披露宴の席、3人も当日追加、しかも親戚テーブル、、
料理とか引出物まで無理じゃない?
そんなことを思いながらも、泣いてましたが(笑)
前もって考えて練習していた挨拶を、やっぱやめた今の自分の気持ちは違うから、その時に聞こえてきた声は亡くなったお父さんかな? そこから話し出す感じはとても自然でよかった。
小さい頃のことばかりだし、今のことが入ってないのが気になるというレビューもあったけど、やはり子供の頃の記憶の方が強いと思うし、それだけ大事にしてきたんだろうなとは思いました。
式のあとで、繁田のお父さんに「どこから来られたんですか?」とここで聞く?普通「来てくれてありがとうございます」だろーというのはあったけど、、まあそれを聞かないと忘れてる感じが出せないからなんだろうな。むりくり感はあった。でもお父さんのえっ…という戸惑いから気持ちを切り替えて見送ろうという優しさがとてもよかった。
オール阪神・巨人の2人とかウィカちゃんとか、もろ大阪の人情的な感じもあって、久々に見てよかった。
感動しました
花まんまのお弁当を仁さんに出した時、これは喜代美のやり方だ、という仁さんのセリフに一気に感動して涙溢れました
仁さんにとって何よりもの慰めになったのだと思います
優しい繁田家に優しい加藤家。
両家の繋がりは癒されました
後フミ子さんの婚約者がカラスと話せる設定でカラスと話しているさまが面白かった。
カラスナビが一番面白かったなぁ
子役時代のフミ子ちゃん可愛かったです
ユニバに行ったり習い事に行ったりでなかなか見たいとおもっていたけど見に行けなくてようやく見に行けた…
良かった。
ファンタジー色が
思ってた人間ドラマよりファンタジー色が強め。
兄妹2人を中心に描くのだが、その中で夢や子供時代を挿入するのだけど、それぞれ印象の違う映像を見せられるため感情を動かされることがなかった。
また結婚式のスピーチが最大の見せ場で辿々しい兄貴のスピーチで盛り上がりを出そうとしたのだろうけど、それまでに紡がれた兄妹や周りの方々との関係性を、積み上げる過程を入れ込まない状態なら観てるこちらの感情は置いてけぼりになる。
大人になった現代部分のみで描いた方がもっと親近感が湧いた様に思えた。
タイトルなし(ネタバレ)
大阪の下町で暮らす加藤俊樹(鈴木亮平)とフミ子(有村架純)の兄妹。
両親を早くに亡くし、兄・俊樹が妹を育てて来た恰好。
結婚を目前に控えたフミ子は、ある日、琵琶湖畔の一軒家を訪ねた。
彼女には、ある秘密があったのだ・・・
といった物語で、ファンタジー仕立ての「花嫁の父」もの。
実際は、兄だけど。
ある秘密は子ども時代に由来するもので、映画では子ども時代のエピソードが長く挿入される。
それらが、全体的にまだるっこしく、観ているうちに興味を殺いでしまう。
映画自体の面白さは少ないが、出演陣に良いところが多い。
主役のふたり、鈴木亮平と有村架純のネイティブ関西弁が良い。
特に前者は口跡が爽やか。
ただし、衣装は冴羽リョウかと思ったけど。
(絶対狙っている)
また、お好み焼き屋の娘さん役のひと、はじめて見たけど、うまいねぇ。
ファーストサマーウイカというのね。
知らんかったけど。
ファーストサマーというコンビのお笑いのひとかと思いましたわ。
(昨年のNHK大河ドラマで注目されていたらしいが、観ていないので)
映画的には、ベタな標準作といったところかしらん。
役者さんが良いよなぁ
地元がロケ地というだけで、ほぼ予備知識なく映画館へ。
良かった、想像以上に良かった!
ストーリーとしては珍しくない感じではあるけれど、これは役者さんの演技力が物を言う作品だなぁと感じました。(いや、ストーリーもとても良かったけど!!)
鈴木亮平、有村架純、素敵でした。
繁田のお父さんのバージンロードのあの表情、ダメです、泣きます、泣きました。
兄やんの不器用だけど真っ直ぐな姿、スピーチ、刺さります。ふみこの高砂での涙、ため息出るほど美しく、もう!有村架純の演技大好きなの!!
拍手!て感じです(語彙力)
オール阪神巨人の御二方も、ファッサマも演技上手くて楽しかったなぁ。
登場人物みんな優しくて心が温まる作品で映画館で観れて良かったです。
全107件中、1~20件目を表示