「「反省」したのなら「感謝」だけじゃなく「謝罪」も必要だったのでは?」花まんま tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「反省」したのなら「感謝」だけじゃなく「謝罪」も必要だったのでは?
最近、「片思い世界」のレビューにも同じようなことを書いた記憶があるが、大切な人を亡くしたら、誰もが、その人に、「もう一度会いたい」と願うものだろう。愛する娘を亡くした父親であれば、そうした願いは、尚更悲痛であるに違いない。
酒向芳演じる「父親」が抱いているに違いない、そんな切ない願いがヒシヒシと伝わってきて、映画の中盤からは涙が止まらなかった。
クライマックスの結婚式での展開も、容易に予想できてしまうのだが、それでも目頭が熱くなったのは、「結婚式の直前に非業の死を遂げた娘の花嫁姿を見たかった」という父親の願いが、痛いほど理解できるからである。
その一方で、この結婚式では、鈴木亮平演じる兄のスピーチも、大きな見どころになっていて、非常に感動的ではあるのだが、前述の「死んだ人に会いたい」という話とは、少し乖離した内容になっていて、作品としてのテーマのブレのようなものも感じてしまった。
多くのことを犠牲にして妹のことを育て上げてきた兄が、妹が「生まれ変わる」前の家族のことを拒絶し、お好み焼き屋の幼馴染みに張り手を食らって、自分が思い上がっていたことに気付くという経緯は、この映画のストーリーの骨幹と言ってもいいだろう。
そんな兄が、スピーチで、自分一人で妹を育てたかのように勘違いしていたことを反省し、影に日向に自分たちのことを支えてくれた人々に感謝の気持ちを伝えるのは納得できるのだが、だったら、せっかく参列してもらった繁田家の人々に、謝罪の一言があっても良かったのではないかと思えてならない。
それから、有村架純(そういえば、『月の満ち欠け』も「生まれ変わり」モノだった!)演じる妹が、結婚を機に、「生まれ変わる」前の記憶を失うという設定にしても、生まれ変わった後の記憶も含めて、何もかも忘れてしまうというのは、少し「やり過ぎ」のように思えてしまう。
これでは、ラストシーンの「花まんま」には寂しさしか感じられず、例えば、生まれる前の記憶は無くしても、加藤家と繁田家の交流は続いて行くといった、希望が感じられるような結末にはできなかったものかと、少し残念に思ってしまった。
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