「内面的な問題を和らげるためのものは、いつしか殻となって、別の問題を生み出してしまう」誰よりもつよく抱きしめて Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
内面的な問題を和らげるためのものは、いつしか殻となって、別の問題を生み出してしまう
2025.2.13 MOVIX京都
2025年の日本映画(124分、G)
原作は新堂冬樹の同名小説(光文社)
潔癖症によって関係が悪化するカップルを描いた恋愛映画
監督は内田英治
脚本はイ・ナウォン
物語の舞台は、神奈川県鎌倉市
絵本作家としてデビューしたばかりの水島良城(三山凌輝)は、絵本屋で働いている恋人の月菜(久保史緒里)と学生時代からの縁を続けていた
だが、良城は極度の潔癖症になってしまい、今では手を握ることさえ出来なくなっていた
次回作もなかなかまとまらず、苛立ちだけが募っていく
ある日のこと、月菜の店に韓国人のイ・ジェホン(ファン・チャンソン)がやってきた
ひと通り絵本を見て回ったジェホンだったが、その店にスマホを忘れて帰ってしまった
月菜はそれを託され、どうしようかと悩んでいると、不意にそのスマホが鳴り出した
月菜は本人が気づいてかけてきたと思って出ると、いきなり女性の声にて「別れ話」が始まり、話し終えるとあっさりと切られてしまった
物語は、本人と連絡が取れてスマホを返すところから動き出す
月菜は恋人らしき人から電話がかかってきたことを告げると、その内容を聞く口実で食事をしようという流れになってしまう
ジェホンはビストロのシェフをしていて、月菜は彼の店に招待された
そして、月菜は恋人の言葉を伝えるのだが、ジェホンは「そこには愛はなかった」と告げるのである
さらに映画では、月菜の紹介にて、心療内科に行くこと良城が描かれ、そこで良城は自分と同じ悩みを持つ千春(穂志もえか)と出会うことになった
カウンセリングの一環でグループミーティングが行われたのだが、そこで意気投合した二人は距離を近づけていく
そして、その様子を見てしまった月菜は「自分には見せないもの」が良城にあることに気づき、それが「我慢をしてまで自分を一緒にいることはない」という良城の言葉へとつながってしまうのである
恋愛の障壁としての「接触できない」というハードルも、良城と千春の間では越えられない壁になっておらず、それが月菜を苦しめることになっていた
同じようにふれあえなくても、心を通じ合わせることができるのだが、それは見えている世界が同じだからだと思う
だが、ジェホンとの関係が進んでも、良城と同じような距離感は残ったままで、肌がふれあったとしても、それは解消できるものではなかった
この距離感が残ってしまうのは、誰しもが「自分」を相手に押し付けているからであり、対話そのものが足りていなかったりする
良城は月菜の気持ちを自分で規定しているし、ジェホンも自分の気持ちをぶつけるだけで、月菜がどうしたいかを選ばせる余地をなくしている
それに対する千春はフラットな感じになっているが、良城は悩みを打ち明ける相手という感じて、心底から渇望するような愛情までは感じていない
いろんな障壁がそこにあっても、良城と月菜の中には確信的な何かがあって、それが恋愛の強さだと言えるだろう
だが、渦中にいる二人はそれに気づかず、離れることによってのみ、惹きつけられる何かの正体に気づいていくのである
いずれにせよ、絵本が物語の推進力と理解度に関わっているので、劇中でも読み聞かせのようなシーンは多い
モジャは外見的な特徴で他人とふれあえないのだが、良城は内面的な問題を外面的なものと置き換えようとしているようにも思える
内面的な問題の解決には時間を要するのだが、ある日突然起こるように、ある日突然終わるものでもあるように思う
それを終わらせるのが喪失だとしたら、その距離が絶望的であればあるほどに、引力は強くなり問題を矮小化させるのかもしれません